今トモシビという曲を聞いている。
「希望だけでは終わらせたくない、この弱さを超えていこう。
けっして消えないトモシビを、燃やし続けたい、不安定な心に、未来を明るく、照らせるのはきっと自分でしかない。」
この歌詞は歌っているSuara自身が書いた物だが、作品のToHeart2の裏側にある下川社長の悲哀が伝わってくる。
かの文章から伝わるイメージのそれではなく、あの尼崎のコンテナの中で曲を作っていたときの彼のイメージだ。
あのとき、DOZAや折戸と音楽を作っていたとき、彼は何を思い描いていたんだろう?
そして、高橋龍也も超先生もうだるちんもいなくなった後、彼はどうしようと思ったんだろう?
外様のむーむーや枕流に頼っていていいのか?
むーむー主導だと純愛ものなのになんやかんやでハーレムになるぞ、しかも前作のヒロイン毎。
枕流主導だと純愛ものなのになんやかんやでヒロインたちがぎすぎすした関係になり、とどのつまり誰も幸せになれないオチで終わるぞ。
三宅もこみパがあたったもののあれは、題材とちゃん様の画と東京勢ぶっこ抜きのインパクトあってのものだったし、本当に大丈夫か?
大体、三宅主導で書くと哲学だか宗教だかの難しい話を調子にのってしだすかもしれないぞ? 高橋龍也を抑えたようにまた抑えれるのか?
まるいたけしも急に誰もしらない古典文学作品の引用とかするんじゃないか? と気が気でない。
そんな中、ToHeart2は2の名を冠するにふさわしいかどうかはともかく、売り上げ的には大大大ヒットで終わった。
そのとき本当に下川はトモシビの歌詞のようなことを思ったのだろうか?
本当はあの尼崎のタイヤ売りに戻りたかったんじゃないだろうか?
「自分じゃ無理なんだよ、もう。」というあきらめの声が、何故かイメージされる。
自分だけの力で前に進むことがもう限界だと、下川は思っていたんじゃないだろうか。
だから、あえてフル戦力を使い、最大ヒットしたToHeartの続編を作った。
歴史にifはないからわからないけれど、ToHeart2がもしコケていたら、どうなっていただろう。
超先生はどうなっていただろうか?
友達の危機に折戸はどうしようと考えただろうか?
もしビジュアルアーツに傘下するようになり、折戸、下川、DOZA、中上、水無月、高橋、超先生、うだるちんで何か作品を作っていたかもしれない。