ということはやっぱ「見かけるようなことが無い状態にしていた」ってことなのかね。
今だと割とそのへんにいるよ。いきなり叫びだして絡んでくるような奴とか。
よく考えたら私は自分の好きな事(絵を描く事)を仕事にしているので、1000億円あった所で私が毎日絵を描く事をやめるわけじゃない…
よく考えてみてよ。
仕事って生命を維持するためにやることであって、それが好きだろうが嫌いだろうがやんなきゃならないのが仕事。
金がたんまりあるってことは、飯のために何かをする必要が全くなくなるってことなんだよ。
例えば、1000億を持っていながらにして今の生活を続けていくとしたら、それは仕事ではなくて、自分の中のある種の主義を貫きとおす行動、もしくは完全に心を抜いた状態で機械のように同じ動きをしつづけることに他ならないわけだよ。
表面的には変わらないように見えても、その内側は全く違うじゃん。
それでも同じっていえるの?
そういう重キチは見かけたことないからなんともいえないなあ。
1000億はいらんけど、数億あれば書きたくない絵は描かなくて済むようになるだろ。
うん、そもそも軽キチは今でも大して問題じゃない。
社会的な善悪判断が不可能なレベルのキチとか、判断は可能だけど従う気がないサイコパスとかの問題だよね。
そのへんの連中にどう対応してたのかなって。
昨日、資産○千億円の大富豪が~って感じの番組を「あー私も1000億円あったらいいよなー。」と羨ましがりながら見てたんだけど、
よく考えたら私は自分の好きな事(絵を描く事)を仕事にしているので、1000億円あった所で私が毎日絵を描く事をやめるわけじゃない…
生活する場所が豪邸内になり、調度品や食べ物や服が豪華になるだけ。
私の日々やる事は変わらない。
そう考えたら「1000億円なんて別に必要ない。普通に生きていける程度に稼げればいいか。」という結論に至った。
1000億円を持ってる人を羨む必要はなかった。
軽キチなら、他の大人と同じように子どもに優しくしてたし、キチはキチだけど子どもも周囲の大人への態度と代わることなくキチに接していたよ。
人前に決して出せないような重キチは知らんけど、軽キチでも普通に雇ってくれる単純作業の普通の会社の職場(作業所ではなく)はあったし、軽キチ同士で結婚(たぶん見合いかも)もしてるし、普通に近所の子どもに話しかけたり遊んだりしてても文句をいったり、近づいたら駄目とかいう大人はおらんかったね。
あれらのブログは今時のゲームの楽しみ方に取り残された人たちのための最後のよりどころみたいなものだからな。身を乗り出して楽しむよりも、上っ面の批判して小馬鹿にしてる方が楽だし。
あー何となく分かる。
さすがにリアルであれの受け売りをするような人は俺の周囲にはいないが、TwitterとかFacebookとかではちらほら見かける。
そういう人たちが、一つのゲームをディープに楽しんでいる所を見たことがない(気がする)。
それ以前にゲーム機持ってるのかすら疑わしい感じもする。
何かしら一つのゲームにどっぷりとハマると、自分が興味無いゲームでもそれを楽しんでいる人たちの気持ちが何となく想像できちゃうんだよね。
だから笑う事なんて出来ない。今の自分を否定する事になるから。
それが出来る人たちというのは、つまりはそういうことなのかもね。
たぶん実話
高校大学や会社なんかだと、ある程度人間の質が平準化されるから
マジキチと遭遇する事は少ないのだけど
つい先月まででは部内の大量で複雑極まりない帳票とか伝表とかを嘱託契約の俺が中心となって部内の運用をスムーズにとりおこなってた。
帳票の取り周しなんかについては、社員よりも俺の方がずっと詳しくなっていたし、独自でエクセルマクロなんか作って、例えばデータとデータの突き合わせなんかは社員の100倍ぐらいのスピードでこなしていた。
半年前ぐらいかな、社員に「この煩雑な作業をシステム化することになったから、いろいろ協力してください」って言われて、中堅のSIerのおっさんSEとその弟子?の20代の女子のSEに事細かに自分の業務内容を伝えることになった。
週に1回ぐらい、自分が話した内容をSEが図にまとめてきて、それが正しいかどうかっていうのを3,4カ月続けて、いままで複雑に絡み合ってた業務がきれいに整理されていくのとともに、ほぼ俺の分身ともいえるこのシステムが導入されれば自分にのしかかっていた煩雑な業務も、これからはスッキリと時間に追われないでできるかな~なんて思いながら、普段の作業とは別にまとめなきゃいけないことなんかもたくさんあって仕事はハードになったけど、華奢で笑顔が可愛い女子SEとのやり取りを楽しんでいたんだよ。このプロジェクトが終わったら食事にでも誘おうかなんて思いながら。
だんだんシステム開発が終盤になった3月31日のちょうど1ヶ月前に、契約の更新無しのお知らせがきた。
契約6年目の俺を切るにあたって、上司はすっごい申し訳なさそうに会社が厳しくなったとかいろいろいってたけど、実際は今回のシステムを導入したことによって俺がいらなくなったってことだってしばらくしてから気が付いた。
俺は自分から自分の仕事を奪う仕事を自ら進んでやってたってことになる。可愛い女の子に惑わされて。まさに墓穴。
俺は社員から頼りにされていると思っていたし、自分のこと優秀だと思い込んでいて、システムが出来上がったら自分がこのシステムの面倒を見ていくのかとばっかり思ってたからショックだった。
だからといってノラリクラリしてプロジェクトの進行を遅らせるようなことできる自分じゃないし、やっぱ結局は正社員じゃなかったってことなんだろうな。ぬるま湯につかりすぎた。
とりあえず、次の仕事が決まるまでのんびり旅行でもいきたいところだけど、あの巨大システムの仕様の確認とかでちょくちょく電話かかってくるから、俺が電話に出なかったら困るだろうな~なんて思っててなかなか行けない。
34歳で転職って厳しいだろうな~。
昔は近所の中年や老人が通りかかった近所のこどもを見かけると男女問わずジュースやお菓子や庭になった果物くれたりしてたぐらい地域社会が機能してたけど
そう、つまり調理済みだから外食とかは課税対象になるわけだ。まあ理にかなっている。
食材がとにかく安くてボロアパートでもキッチン広くてしっかりしてるから、調理のコストで逆転なんてことはないんじゃないかな。絶対自炊の方が圧倒的に安い。
児童虐待への介入についての落とし所、への落とし方についてを考えている。読めばわかるけど俺は混乱している。
死に至るレベルのがちらほらと新聞を飾る昨今、たぶん記事を読んで胸を痛めた人はだいたいが「これは何とかしなきゃだろう」という思いに駆られたものと思う。
で、その「何とか」の部分をどう詰めていくかみたいなことになるといろいろ研究者とかデータとか集めないとアレなんじゃないかと思われるわけだけれども、なんかそこらへんの雲行きがこの貧困妄想というか一億総ビンボー化恐怖症な国においてはやばい方に転がりそうでどうも、なんだか、嫌な感じがしてならない。
貧困。子供にみすぼらしい格好(寒い日の薄着、女子なのに男子用の服を着させているなど)をさせている。DV男と別れることができずに子供に暴力を目撃させる。同居中の男または自分自身がアルコールや薬物に依存している。あるいは依存症だった過去がある。自分がうつ病になる。何度も緊急病院に子供を連れて行く(または全然連れて行かない)。子供がいつも傷をつくっている。小学生に留守番をさせる(これはアジア人親が問題視される最大のポイント)。スーパーやショッピングセンターなどで何度も子供が迷子になる。
上記はすべて“彼ら(=ソーシャルワーカー)”に“弱み”と見なされる事項だ。
この国でチャイルド・プロテクション(児童保護)のコースを受けると、上記はすべて“ヤバい兆候”としてリスト化されてあり、親が子供を虐待しているという事実や証拠がなくとも、上記の事項が複数該当するというだけで地方自治体は精神的虐待などの理屈をつけて親から子供を取り上げることができる。
(中略)
「子供をサポートするということは、その親をサポートするということです」
という彼女の口癖をふと思い出す。
「子供をサポートするということは、その親をサポートするということです」。
ウチの国でこれやるのって、「どの程度」サポートすんのっていう程度問題もあるに決まってるけど、その前に何かこう、「何で子供へのサポートが親のサポートになるんだよ血税使うんだぞふざけんなクズ親はぶっころがして可哀想な子どもだけを救ってやればいい」的な論理がさも自明の前提的にまかり通りそうでそれが恐怖。
「親への支援」っていうのが、「そもそも支援なしでやってける親がいる以上、支援の必要な親はダメ親であって助けるに値しないわけだから支援なんてまどろいことやっとらんとさっさと子ども引き離せ」とかになりそうでおそろしい。
「そんなことねーよ!」って反論はないわけじゃないっつーか探せばいくらでもあんだろうけど、それが全部「物語」でしかなくてなんかすごく説得力に欠けて非力でおそろしい。
支援によって助かった実在家庭のケースを持ってきても、それ結局は単なる感動話だっつーことになって却下されちゃうんじゃないの? っていう。
だって全ての家庭はみんな全部違う家庭なんだから家庭Aで通用した方法が家庭BやCやDや以下略に対して常に有効だなんて保証はないし、その点で成功ケースもある程度「物語」になってしまうし、だったら支援しても悲劇はゼロにならない防げないってことになって無駄じゃんみたいな極論が絶対つぶせないし殺せない。
もちろんそんな絶望は妄想だし意味がない。物語と違って現実は要素を抜いてデータとして蓄積してノウハウ構築につなぐことができる。やろうと思えば必ず有効な支援策はつくりだせるしくだらねー極論はバカのつぶやきに押しとどめて無視できるレベルになる。
でも都市部の待機児童数とか見るに子供へのサポートってマジに必要な部分がとっくに破綻してる感がするんだけど、このくそビンボーな国で人手も施設も割かねー割けねーで何がやれるっつーの?
「放置子」で検索して出てくるトラブルとか、どこまでネタかわかんねーけどああいう憎まれぶりの立ち位置の人間を誰がどうやって助けてやんのかばってやれんの?
結局政治行政の「落とし所」は引用したブログのような「オイそりゃ人権無視なんちゃうんか」と別ベクトルにヤバイ方向に落ち着くっつうか落ち着ければOKくらいまでしか行けそうになくて怖い。
エホバの輸血の件とかさあ、構造としては一緒なわけでしょ? 親から子供取り上げて、「子供のため」の方向に乗せる。「よく考えろよそれでいいの?」と「現実問題それしかなくね?」とがせめぎ合ってもう何もかもイヤになる。
行政が義務で仕事でやりますとかいうレベルじゃなくて、もっと親密なつながりだかきずなだかという鳥肌の出そうなモンにしかできないようなことだけが必要とされているようで、対人恐怖気味の自分はそれだけでもう何つうか泣いて逃げたい。
逃げるもくそもお前そもそも関係者ですらないじゃないか恋人どころか友達もいたためしのない対人恐怖の社畜ぼっち野郎がと突っ込まれるだろうけどうるせーばーか金が天下の回りもの社会なる身体をめぐる血液ならその同じ血を啜ってる以上無関係無関心無責任ヅラできることなんかこれっぽっちもありゃしねーんだよたとえ実際関与できる部分がノミほどにちっぽけであったとしてもな!
ああしにたい。