2011-06-28

幸せってたぶんその人にとっての生きやすさ(あるいは息やすさ)なんだろうな。それがベース。何よりも大切な基盤。

生活保護とか金がどうこうってのじゃなくて、愛だの恋だの、モテるモテないコミュニュケーション能力云々とかじゃなくてさ、もっと根源的に平らかな思想があると思う。

無論、そういったことが基盤になってる人だっている。パーソナリティーの基礎として人格にとっての重要な位置を占めている人は確かにいることだろう。

将来を見通して計画的に目標を乗り越えていくことが、すなわちその人にとっての生きやすさを保証したり実証することだってあることだろうし。

からそう言った人々を否定したり馬鹿にしたりするつもりはない。そもそも幸せの基盤を比較できる確かな尺度を持ち得ていないから判断できない。

人は人、自分は自分。つまりはそういう事で、どんな基盤だって正解だろうし、間違っている部分があるのだと思う。

話がズレた。平らかな思想について。その上に積み上げられていく、幸せを形成するたくさんの部品について。そんな事のはずだったのに、どうにもダメだ。

あいいか、こんなポエムチックなもので。いやポエムにすらなってないか。とにかくもうこれでいいや。

幸せはその人にとっての生きやすさ(息やすさ)に相応/比例する。

すごく当たり前のことだったけど、ちょっと前に気がつけたので取り敢えず記念に残しておこう。


それにしても、こう云った一瞬の「気づき」には鮮度が大切だね。三十分ほど間を空けるだけで随分とツヤが落ちてしまう。

そもそもツヤが落ちるくらいの「気づきであるならば、然程大したことではないのだろうけれども。

あいいんだ。当たり前のことだったんだからさ。言い訳じみてるけども、それだけでいいんだ。実際言い訳だしね。

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