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はてなキーワード: 一般相対性理論とは

2016-09-16

http://anond.hatelabo.jp/20160916105020

一般相対性理論を知っていれば時間という概念は無くて空間しかいか過去には戻ることはできないと理解できるはずだが

2016-05-05

なぜ「一般」という表現ネガティブに受け取られるのか?

相武紗季結婚した化粧品会社社長でさえ「一般男性」なら底辺の俺はゴミムシか、というようなネタを見かけたんだが、

つのまに「一般」という言葉がこんなにもネガティブ意味になってしまったんだろうか。

そう言えば五輪エンブレム騒動ときにも、「一般国民」という表現に反発があって、「上級国民」という言葉が生まれたりしていた。

当たり前だが、「上級」の対義語は「下級」であり、「一般」ではない。

一般教養」は「程度の低い教養」のことではないし、

一般論」は「幼稚な議論」ではないし、

一般相対性理論」は「特殊相対性理論」よりも難しい。

ごくフラット表現として「一般」という語を使ったつもりでも、

「俺たちを馬鹿にしている」と受け取られて大炎上するのだから

これはあまりにも恐ろしい「日本語の変化」だと思うのだが、

そのあたりのことを研究している国語学者はいないのだろうか。

2016-02-16

物理好きなら重力波の話はテンションあがるよね。

重力の最も重要性質の1つは、重力は光と同じ速さですすむ波でありながら物資をすり抜けてすすむことができることです。

重力なので、なんでもすり抜けるのは当たり前と思うかもしれないですが、

光も波であります電磁波一種なので、なんでもすり抜けるわけではありません。

家の中より外の方がケータイ電波繋がりやすいでしょアレ。

でも、例えば地球重力はどこにいても一緒。どこに隠れたって必ずそのままうける。

重力は波でありそれは光と同じ速さで伝わる(重力波)」というのは同じくアインシュタイン発見した「光が誰がどのような状況でみても必ず一定の速さになる(光速不変の原理)」ということと同じくらいの超重要宇宙全体の法則で、

それまではニュートンが「重力は瞬時に伝わる」と言ってて、それを誰も疑ってなかった。当時の誰もが疑うことすら思いつかないくらいそれは当然だと思ってたと思う。

重力波光速不変の原理のどちらもアインシュタイン以前は誰ひとりとしてそんな主張すらしてなかったし、理論カケラすらなかった。

敢えて言うならローレンツ変換くらいだけど、ローレンツは「光の速さに近づくと物質が縮む」って言ってたわけだからね。

でも、アインシュタインは「ローレンツ物質が縮むとか言ってるけど、それ空間のものが縮んでるんだよ(特殊相対性理論)」って言いはじめて、既存理論を駆使して理論的に完璧証明してしまった。そのついでに重力波まで発見し(一般相対性理論)、ニュートンが「重力は瞬時に伝わる」って言ってたのを撃殺。超絶すぎる。天才と言われる所以はそこにある。

さらに、今回の実験装置萌える。何が萌えかって、重力波観測したその実験装置が、アインシュタインが「光は誰からもみても必ず一定の速さになる」っていう着想を得たマイケルソンの干渉計とほぼ一緒の仕組み。

もちろん今回の場合は、まさに天文学的な精度の担保必要なんだけど、それはお金問題

マイケルソンの干渉計の仕組みそのものもの凄い単純で、高校物理やってたら必ず習う。

それでめっちゃ完璧装置じゃんって感心するんだけど、さらおもしろいことに、もともとは光を伝える物質エーテル)の存在証明しようとした装置なのに、

しろそんなものがないことがわかって、当時の科学者たちが「結果何も起こらなかった」ってションボリするんだけど、

その実験結果アインシュタインが「それ光は誰からもみても必ず一定の速さになるからだろ」って、当時で言うとコペルニクス的転回をおこなって、

結果的相対性理論をつくっちゃう

そんなもんだから、もう今回の件はあらゆるところにアインシュタインが出てきて堪んないわけですよ。神ってこういうのをいうんじゃないの?

ああ話し出すととまんないよ。物理勉強しといてよかった。いや人間に生まれてよかった。

今回の件、悶絶しそうなくらい感動してる。贅沢言わしてもらうと重力波宇宙の果てがはっきり見える頃にうまれたかったな。

2015-10-08

掛け算の順序と一般相対性理論

ネットではもう水伝とか江戸しぐさと同レベルトンデモ扱いされている「掛け算の順序」について思うこと。

前置き。中学時代の話。学校の図書室で、物理学の本を読んだ。

子供向けに分かりやすおもしろ解説したようなやつね。

その中に登場したアインシュタイン一般相対性理論

いわく、小学校で習った「みちのり・はやさ・じかん」などのシンプル公式

光速に近いようなメッチャ速い速度の中では通用せず、

かわりになにかアルファベットだらけの難しい式を使わなければならないのだと。

たとえば小学校算数では、時速200kmで走る新幹線の中で進行方向に時速150kmの野球ボールを投げたら、

新幹線の外にいる人から見ればボールは時速350kmであり、

行方向の逆に投げれば、外から見れば時速50kmのボール、というように

速度と速度は単純に足したり引いたり出来ると教わったが、

光速の数パーセントというオーダーの世界では、それは正しい答えにならないのだ。

幼い俺は「ん?」と思った。

だけど、新幹線だってボールだって、どんなに遅いと言っても光速の0.00000000...

とにかく「光速の何パーセントかの速度」には違いないではないか?

そうだとすれば、その速度同士を足し引きするのも、厳密には間違いということになるのでは?

解説を参考にしながらボール新幹線を代入して、自分計算してみた。

結果は……普通に足し引きするのとほぼ変わらない答え。俺は感動した。

同じひとつ方程式が、人間日常レベルから光速までカバーできるなんてすごい。アインシュタイン天才

ここから本題。

小学生に速度の計算を教えるとき光速付近不正確になってしま古典物理学のやり方ではなく、

最初から相対性理論を教えるべきか?

いずれ形而上的な「数」そのものを扱わねばならない学年になったとき足枷になったら困るからと、

「3つの袋それぞれに飴が5つずつ」式の、物理実体と紐付けた説明は、最初から一切禁じるべきか?

これを使わず数字数字の間にあるバッテンの意味を教えられる自信ある? 小学生にだよ?

そして、これを使って教える限り、3×5 と 5×3 は、

たとえ計算結果は同じでも「式の”意味”が違う」と言わざるをえなくなる。

はっきり言って掛け算順序否定派は、人間理解能力には発達段階があること、

子供相手に最初から全部を教えるのは無理だし、そうする必要もないこと、

前はこう教えたが実はちょっと違うんだ、と説明を覆して拡張していくのは

やり方次第であってべつにタブーではないこと、をわかっていないと思う。

実際俺は、くだんの本を読んだあとも「先生は不完全な計算法を教えていた!」なんて思わなかったし、

算数テストでみんなが足し算している中で一人だけアインシュタイン方程式を使ってたらマルもらえなくてもしょうがないと思う。

終わり。

2014-06-17

http://anond.hatelabo.jp/20140617070834

あなたの言うことって当たり前なんだよね。

主流と言われる学説は何十人何百人という研究者がそれまでの最先端の知識でもって築いてきたものから

からこそ常識を覆す発見賞賛されるわけで。

たとえ主流の学説が後に間違っていたことが解ったとしても、その学説を支持していた研究者もやっぱり最先端を走ってるんだよ。

まあ、もちろん研究世界にも政治的争いが無いことはないが。

それにそれは生物学に限った話じゃない。

アインシュタイン一般相対性理論提唱たからといって、ニュートンやその弟子研究物理学の基礎になってきたことに変わりないでしょ。

2014-05-30

http://anond.hatelabo.jp/20140530212133

そっちの増田の話はわからん

俺としては

特殊相対性理論中学生までの数学知識で理解は可能。

一般相対性理論学習の前提に専門知識が必要

ってだけの話をしてる。

あんただって特殊相対性理論理解まで早かったろ?

一ヶ月で十分イケると思う。

理系大学生なら3ヶ月あれば一般まで到達すると思うがな。

一般相対性理論の難しさはそれ自体よりむしろ前提知識にあると思うよ。

まぁ、アインシュタインだって苦労してたしな。

http://anond.hatelabo.jp/20140530194218

今の理系なら普通に読むだろ

だって、それを踏まえてもっと上のことを模索してるわけで。

相対性理論きじカーナビ人工衛星もムリだし。

知ってのは最初ブレイクスルーは難しいけど

一回突破して普及しちゃえば、共有されてナンボ共有できて当たり前。

ブレイクスルーを起こした人間の知能と

それを後から追って理解した人間の知能がイコールなわけがない。

それに、一般相対性理論はそれなりにむずかしいけど

特殊相対性理論なら灘開成麻布くらいの中学生理解出来ると思うわ。

中学生までで習う数学の知識だけで理解のものは可能だし。

相対性理論を完成させることと相対性理論理解することの難度は

高尾山エベレストくらい違う。

2013-11-13

やりたいことやるってなんだろう

理系でしたが、大学を休学していてます

バイトもせず、ニートです。親の仕送り生活しています

批判がほしいのか、一握りの共感がほしいのかわかりませんが、こんな文章を知らない誰かが読んでどう思うのか気になって書いて見ました。


いつからボタンをかけちがっているような感覚がありました。些細な瞬間というよりは常にうっすらとありました。

自分人生を生きているという確かな実感が薄く、実年齢とその年齢で想定していた精神状態との乖離をすごく感じていました。精神は安定せず、2~3ヶ月に何日かすごく塞ぎこむ日が続いたと思えば、一週間ほど“ハイ”な日がきたりしました。

夜明けまで街なかを散歩たかと思えば、毎日ランニングに精を出したこともあります

2~3週間で興味や関心が移り、好きな時間に起きて、それをやり、好きな時間に寝ていました。

そんな生活をしていると一年という期間はあっという間に過ぎてしまます

この一年で得た些細なものと、この一年で失った大きなものとの、両方の大きさを実感できます

ニートになるのはやめろ、言いたいのではなく、結局なるようになったのだと思います

ボタンのかけちがったままいこうにも、すでにとめるものが無くなってしまったのですから

躁鬱病と言えばそれまでですが、病院に行ったこともなく正式な診断は受けていません。

自分で病的だということの自覚はありますが、それが自他ともに認めるのを怖がっているのです。

ですが自分が病的であるという自覚、又は仮定をすれば、では正常な判断とはなんだろう、という疑問が湧きます

もし1つ条件を置くことを許して頂ければ、誰しもこの疑問にすぐ答えることは難しいだろうと思います

常識普通」と「正常な判断」というのは必ずしも一致しない。

これは僕の経験則なので、あまり参考にならないかも知れませんが、常識普通で考えて、「良い」又は「ありえる」「良くない」と想定できる行為は、行為のすべての可能性の8割程度を構成していると思います

後の2割に「とてつもなく悪い」と「とてつもなく良い」が、混在しており、それは常識では判断できず、往々にして常識ではどちらも「とてつもなく悪い」と判断されてしまます

デカルト良識はすべての人に備わっているといいましたが、もし「とてつもなく良い」判断をする能力を須く人類が備えていれば、「とてつもなく良い」世界ができそうですが、僕にはそうなっているようには思えません。

まり8割を判断できる一般論では、2割を構成する極論は判断できないのです。

そしてその極論は、一般論では、否応なく悪い方に判断されてしまいがちだ、と思うのです。

というのも「とてつもなく悪い」と「とてつもなく良い」というのは何か、紙の裏と表のようなもので切り離して語ることはで

きないので、そのように思うのです。

例えば「食事」で考えてみます

「良い」食事というと常識で考えて、1日3食決まった時間バランスよく肉だけでなく魚や野菜も食べれば「良い」食事であると判断できるのではないでしょうか。

逆に「悪い」食事というのは、常識で考えて、好きな時間に、ファーストフードや揚げ物など偏ったものばかり食べれば、それは「悪い」食事であると判断できるのではないでしょうか。

では例えばスティーブジョブスのような偏執的とも言えるようなベジタリアンはどうなのでしょう。

本で見た程度なので、正確かどうかはわかりませんが、彼は体の毒を除くための絶食を1週間程したり、肉は全く食べず限られたものしか食べないというようなかなり偏ったベジタリアンだったようです。

晩年すい臓がんの闘病中に、医師から栄養価の高いものを勧められても頑なに自分の信念を曲げず、自分の決めたものしか食べなかったので、病気の進行を早めたといいます

これは「とてつもなく悪い」食事なのでしょうか。

多分そうなのでしょう。

食事という面を切り取れば、「とてつもなく悪い」ということになると思います。ではもう少し多面的に、考えてみましょう。

この偏執とも言える食事のおかげで、彼の頑なな意志が生まれ、僅かではあるが、皆さんがご存知の偉大なイノベーションにつながったとすればいかがでしょうか。

これでは、言い過ぎと言われるかもしれないので、彼の頑なな意志では、一度決めたことは、たとえそれが「とてつもなく悪い」ことでも貫き通すことにこそ意味があった、というのはいかがでしょう。

彼のパーソナリティを鑑みれば、「とてつもなく悪い」食事と「とてつもなく良い」イノベーションとは切っても切れない関係なのです。

これも言い過ぎかも知れませんが、僕が言いたいのはこのようなことです。

極論なので論ずるに値しないと思う人もいるかもしれませんが、僕は極論の話をしたいのです。

極論というとあまり響きがよくないので、ここで言い換えましょう。

一般相対性理論特殊相対性理論とあるように、一般の対義語は、特殊だと思いますが、特殊論というと、これも極論と響きが似てきます

そこで一般論の対義語を個別論というのはどうでしょう

例えば「彼のようなクリエィティブな人間人材を育成したい」と言うと、食習慣を真似するというのではなく、イノベーティブな製品発明することを指すと思います

ですが私は、それらは切り離せないウラとオモテのように思うのです。

常識的な判断で「よい」と思われる物事の一面だけを切り取って、それを一般化させて、一般論としても、個別論適応できないように思われるのです。

科学のように上手くはいかないのです。

僕達は個別論的に生きているので、一般論的に論じられても、意味を見出せないと思います

これは私の個別論的な主観を、一般化して世代を論じているので、自己矛盾じゃないか、と言われると思いますが、全くその通りです。

そしてただの自己弁護です。

こんな文章を一体誰が読んでくれるのでしょう。ああ、そういえばタイトルがありました。

「やりたいことをやるってなんだろう」です。これです。

結局僕はやりたいことが一般論で見つからなかったかニートになったんだと思います。そしてこの文章も推敲もせず途中で投げ出していまいました。こんな人間ニートになるのです。

2013-08-25

一般相対性理論勉強する前に多様体とか勉強しだすやつは

物理学徒における三大中二病と呼ばれている

これ豆な

2011-02-02

http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2011/20110202091841.asp?fsn=eb33f76037153e93cde084f7e7644d6f

20代後半東大情報院生

一般相対論方程式で弘大が快挙

弘前大学大学院理工学研究科山田慧生(けい)さん(24)と指導教員浅田秀樹准教授(42)=理論宇宙物理学=が、アインシュタインらが構築した一般相対性理論(一般相対論)の運動方程式を基に、三つの天体軌道(位置の時間変化)を瞬時に導き出せる数式を、世界で初めて見つけた。研究成果をまとめた論文2本は2010年11月と今年1月ノーベル賞級の論文が載る米国物理学会誌「フィジカルレビュー」に掲載された。同研究科が1日、発表した

M1で英文ジャーナル2本かぁ、しかもPRL、いぃなぁ~~~いぃなぁ~~~いぃなぁ~~~~優秀でいぃなぁ~~~~、情報系なんて、査読付き国際国際会議メインで、トップの国際学会に通すのはPRLに通すのと同じかそれ以上に難しいし、分野にはよるが使っている数学も難しい物が多いのに、物理の人から見ると、何、この人、国際会議ばっかりで、英文ジャーナル一本も出してないじゃん、マトモな業績ないねって下に見られる。

からって、ジャーナルに先に出してしまうと、二重投稿になるから著名な査読付き国際会議に出せなくなる。著名な査読付き国際会議論文が通らないと、仲間内ではマトモな業績がないってことになる。

結局、よさそうな研究ほど、その年の著名な査読付き国際会議に出して、それに通った後でしかジャーナルに出せないので、ジャーナルにするのがどうしても遅れ気味になる。著名な査読付き国際会議に通らないと、通らないだけ遅くなる。

業績だけ見れば、情報系は物理に負ける傾向が強い。

就職理論物理に比べれば遥かにマシであるところが、唯一いいところか。

2chで見つけた解説がこれ。分野外の俺でも分かりやすかった。

61 名前名無しのひみつ [sage] 投稿日: 2011/02/02(水) 14:56:16 ID:UtBIDr6i

>>31

読んだ

重力場ニュートン力学じゃなく一般相対論で扱う場合

真面目に運動方程式を解くのは非常に難しい

そこで普通方程式を (v/c)^2 の多項式の形に展開して、

これの高次の項は無視するという近似をして問題を解く

これを一般相対論の Post-Newtonian 近似という

物体の速度 v が c に比べてあまり速くない場合ならこれで十分

PN近似にも、(v/c)^2 の何次の項まで残すかでいろんな流儀があるが、

今回の研究は一番粗い「1次のPN近似」、つまり (v/c)^2 の1次の項まで

残して計算してみたと。

で、この近似の場合にもニュートン力学場合と同様に

オイラーの直線解があるよ、というのを示したという話だね

発見というほどでもないが、今まで誰もやってなかったのは意外かな

2010-11-19

http://anond.hatelabo.jp/20101119234923

自然自然以前に、そうい宇宙像を作るような物理理論だったり数学理論だったりってないでしょ。

一般相対性理論特殊相対性理論に矛盾せずに天動説構築できたりするの?

2010-08-25

http://anond.hatelabo.jp/20100825155205

現代の常識からすればそうなんだけど、今後も人類科学的・文化的水準が進歩を続けていくと仮定するなら、いずれ確実に「低能に存在してもらうことができない」時代が来ると思う。倫理的な問題はあるが現実としてどうしようもない、という状態になると思う。

その頃には事後的に遺伝子治療だか脳神経系を直接いじる技術だかで低能をマシにすることができるようになってるかもしれないし、出生前に何とかすることになるかもしれないし、それはわからないけどね。

例えば、小学校一般相対性理論を教えるようになった時代には、現代の低能レベル人間は生きていけないよね。

2009-10-13

http://anond.hatelabo.jp/20091013182723

劣等民族地球人数学すらまともに話せない奴が大多数だからな。

宇宙のどっかには子供でも一般相対性理論的な多様体上の時空の幾何学を当たり前に使いこなしてる戦闘民族みたいな奴らがいるだろう。

2009-08-08

お、カルト

ホッテントリ読んでいたら、昔2chに投稿した駄文のことを思い出した。ググってサルベージしたので、ちょっと修正してここに書く。ちなみに、内容についてあまり突っ込むな。いろいろな意味で。

量子オーディオ

オーディオ新しい波に乗り切れなかったシュレーディンガーは、 コペンハーゲンオーディオマニアに向けてこういうことを言った。

完全防音の部屋の中にオーディオセットがある。外から鍵をかけて密室にした後、目覚まし時計によってオーディオセットが演奏をはじめる。このとき、コペンハーゲン派の立場だとつぎのようになるぞ。

すなわち:

  • このオーディオシステムは音がよい状態と音が悪い状態が重ねあわさっている。
  • 部屋の扉を開けて音を聞いた瞬間に状態が収束して音のよさが決まる

これは明らかにおかしい。

オーディオシステムの音のよさは試聴とは無関係にあらかじめ決まっているはずだだから、コペンハーゲン派のオーディオ解釈は誤っている

しかし、ニールス・ボーアは直感に反してオーディオシステムの音は聞いてみるまでわからないだけでなく、聞いてみるまで性能すら定まらないのだとあらためて主張した(聞くまで無調整と言う意味ではない)。

これが有名なシュレーディンガーオーディオシステムというパラドックスだ。

相対論オーディオ効果

昔、音のよさには絶対的な基準があるという説がもっぱら主流だった。だが、こうすると音のよさが見かけの上で無限大になる場合があるという計算結果がでてパニックになった。困ったことに、絶対基準があると仮定して行ったブラインドテストがこれを否定した(マイケルソン=モーレーの実験

その後、1905年アインシュタインが音のよさには相対的な基準しかなく、かつ上限が決まっていると仮定した理論展開を行う論文を書いた。これが特殊相対性理論だ。この衝撃的な論文のあと、加速する車の中のカーオーディオについても適用できる音響理論をうちたてたのが有名な一般相対性理論だ。相対性理論からは、「一生懸命作ったオーディオなのに友達のシステムの方がよく聞こえる」ことが理論的に導き出される。これは日本古来の経験則、「隣の芝生は青い」ともよく一致する。

音質の不完全性

数学者だったクルト・ゲーデルオーディオマニアだったことでも有名だ。

彼はよい音を求めていつもパーツ屋に通っては怪しい部品だのケーブルだのを買い求めていた。友人はそれを揶揄して笑ったが、完璧主義者だったゲーデル自分が買った高級オーディオケーブルが実はやくたいもない屑ケーブルであることを認めず、必死で言い訳を織り上げた。しかし、優れた数学者だった彼は自分言い訳にほつれがあることに気づいた。次の二つを両立する言い訳が成り立たないのだ。

彼は後に有名なゲーデル不完全性定理発表することになる。

すなわち:「完全かつ無矛盾な小売系は存在しない」これは真に偉大な発見で彼の名声を高めた。しかし、後に音の滑らかさを追い求める連続体仮説に思いをめぐらすうちに、カントールと同じく狂気の闇へと落ちていくことになる。

オーディオ統計力学

日本経済が絶頂期にあった80年代初頭、一部のオーディオメーカーは将来市場が頭打ちになりかねないことを予見して体系的な市場アプローチ、すなわちマーケティングを導入し、市場の行方を占うことにした。

このとき問題になったのはオーディオマニア層だ。口うるさいくせに雑誌で発言力のあるマニア市場としては小さいが無視できない。そこで、マニアがどのような振る舞いを行うか、その統計的な側面が研究された。

もっとも有名なのは「二人以上のマニアが同じ意見を持つことはない」という仮定に基づいて行われた研究だ。これは人の話は聞かないくせに、同意もしないというマニアの実に嫌らしい振る舞いを見事に反映したモデルだった。

このモデルに基づく市場動向の予測は、研究者名前を取って、フェルミディラック統計と呼ばれる。この統計は各社が採用して市場予測に使い、大きな成果をあげた。

なお、マニアも興奮してくると見かけの意見らしきものをつなぐことができなくなり、オーディオ好きの高校生と同じになる。この場合は古典的な統計が適用可能になる。すなわち、マニアも興奮すると大衆程度の振る舞いになり、ガウス分布に従うようになる。そのため、オーディオフェアなど興奮しがちな場所では古典統計が使われる。

同じころ、排他的でないマニアを冷静にすると、全員がひとつの意見をもつようになるというボーズ・アインシュタイン統計発表された(アインシュタインは先の相対性音響論を発表したのと同一人物)。しかし、企業の企画担当者が「排他的でなく冷静な」マニア想像できなかったことからこの統計採用されず、一部研究者がその実現性を予想しただけだった。

転機は90年代半ばに訪れた。自分意見より人の顔色を尊重する日本人に対して行われた一連の実験から、ボース・アインシュタイン統計が適用可能な場合が示された。一群のオーディオマニアを集め、彼らを数日にわたって否定することで体力と自意識を削り取ることにより、極度の低興奮状態に置く。この状態では部屋の中のすべてのオーディオマニア尊師の言うとおり提示された オーディオセットはすばらしいと一様に誉めた。この歴史的な成功以来、同様の実験が都内各所の道場で行われたが、その後この実験危険であるとして禁止されている。

やたらテンションの低いオーディオマニアが全員同じ意見を述べるようなキモイ状態は、ボース・アインシュタイン凝縮と呼ばれている。

2009-07-28

二十代で研究者人生ダメにするための"論文"の読み方

 二十代の人が、研究者人生を棒に振ってしまうためのフラグの立て方は色々あるが、そのなかでも有名なものの一つに「悪性の論文調査」というやつがある。若いうちから、アカデミズムの海で実験結果を誤魔化すような処世術を身につけたり、捻れた教科書論文との付き合い方を覚えてしまったりした人は、まぁ、あとあと難しいだろう。

  

研究者人生ダメにするための“論文”いろいろ 

 では、研究者人生を棒に振るような“悪性の論文調査”とはどういうものか。色々なパターンをみかけるなかでも特に頻度の高いもの三つを、書き残しておこうと思う。

 

研究分野を色眼鏡で眺めるために論文を読む

 目の前の実験結果なり、自分が置かれているポストなりが気に入らなくて、それを色眼鏡でみる為に論文調査に耽溺するタイプ。このタイプの人は、実験装置のややこしさや理論の不完全性を承知しながら注意深くモデルを適用してみようという姿勢になりにくく、むしろシミュレーション理論という名のロードローラーを使って、研究対象をとにかく単純化・抽象化する姿勢へと傾きやすい。思想理論が含んでいて然るべき、実験結果に合致しない部分や不完全な部分を留保するよりも、自分が見たいビジョン自分研究範囲を染め上げることが優先されるものだから、教条主義的・原理主義的な研究者になりやすく、融通のききにくい“理屈だおれ”にもなりやすい。

 

 このタイプ人達にとっての“論文調査”は、研究分野のことを広く識るための“論文調査”というよりは、研究対象への見方をむしろ限定し狭めるための“論文調査”という体を為しやすい。彼らにとっての理論シミュレーションとは、視野を狭窄させるための色眼鏡でしかないし、まさにそのために“先行論文”が必要とされている。

 

 見たくない実験結果を自分の視界から締め出すために本を積み上げる人が、良い研究者になれるとは思えない。

 

・本の威を借りるキツネになるために論文を求める

 読んだ論文の数や著者の名前が、履歴書になると思っている人達の“論文調査”も、研究者人生を棒に振りやすい。本棚に並んでいる教科書参考書の立派さのためばかりに教科書参考書を買い求める人達も、同様である。

 

 本来、先行研究調査なんてものは「誰の論文を読んだのか」よりも「どんな影響を受け何を考えるようになったのか」のほうが遥かに重要な筈だし、ときには一枚のレターが、十冊のペーパーよりも強いインパクトファクターを与えるなんてこともザラにある筈だ。しかし、このタイプ人達にとっては、読破した論文の数を数え上げ、難解で有名な何某という先生論文を読みきったという事実証明のほうが重要らしい。ポスドク募集に提出するCVに載せるために論文を読むような、あるいは本の威を借りるキツネになるために強面の論文を敢えて選ぶような、そういう空疎論文の読み方に耽る人間というのは、いないようで結構いるものである。

 

 論文からの影響や論文の内容よりも、他人の論文の威を借りることに夢中になっている人が、良い研究者になれるとは思えない。

 

 

・優越感の袋小路に逃げ込む為にマイナーな分野を求める

 学会やコンペティションのような、他人同士が競り合う分野では劣等感が強烈過ぎて、それを補償するために、およそ誰も競争相手がいない研究領域を敢えて選んで、そのジャンルで悠々と優越感を味わうために知識を求める、という人も、可能性を勉強で囲い込んで腐らせてしまいやすい。

 

 例えば、研究生活のなかで劣等感が強い人が、その劣等感補償する為に勉強に手を伸ばすケース。実のところ、やり方は非常に簡単で、ラボの誰も興味を持ちそうにない分野の、ちょっと難しそうな参考書を見繕ってきて、ラボのなかで見せびらかすようにそれを読めば良い。ラボ流体力学を読んでいるやつがいなければ流体力学でもいいし、一般相対性理論教科書でも、マイナージャーナル論文でも構わない。とにかく、“ラボの頭の悪い連中”が手をつけそうに無い“俺だけが重要性を知っている”分野の論文を選びさえすれば、劣等感から身を守る大きな防壁として十分に役立ってくれる。

 

 しかし、こういう本の選び方ばかりしていれば、当然、“ラボの頭の悪い連中”とのコミュニケーションはますます困難になるばかりでなく、興味や関心の分野を著しく狭めてしまうことになりかねない。また、選んだ分野についての造詣を深めようにも、単に競争相手がいない場所を選んでいるばかりでは切磋琢磨など望むべくもないし、万が一、ポスドクとして行った大学などで競合相手に遭遇した場合、そこで再び劣等感を刺激されてもっとマイナーな分野へと逃避するしかないような、そういう逃げ癖が身についてしまうことも有り得る。

 

 マイナー研究を防壁にしながら劣等感から逃げ回るだけの人が、良い研究者になれるとは思えない。

 

まとめると

 

 このように、ひとつ“論文調査”と言っても、研究対象に対する視野を狭めたり、都合の良いモデル実験結果の埋め合わせをするために論文の山に埋もれるような、そういう惨めな論文教科書との付き合い方というのは十分に有り得る。世界を多様な視点で眺める術を与えてくれる筈の論文が*1、景色を歪め、視野を狭めるためのツールに堕するというのは、とても哀しいことだが、こういう事例は枚挙に暇が無いのが現状だ。

 

 矛盾した物言いに聞こえるかもしれないが、二十代の研究者劣等感補償する為に難しめの論文チャレンジしてみるとか、他の人が手を出してない研究分野を学んでみるというのは誰にだってあることだろうし、むしろある程度はキャリア相応に必要なプロセスでもある。だから、上に書いたような論文の選び方が全部ダメだというつもりは無い。けれども、上に書いたような論文の選び方ばかりを繰り返しているしているようでは、やっぱり良い研究者になれるとは思えないし、どんなに論文を読んだとしても、得るところが少ないだろう。

 

こちらより改変。

http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20090727/p1

●追記

ブクマ数見て驚いた。

こういうネタバレは無粋かもしれないけど、これ、半分は改変元の記事への皮肉で書いてます。あの理屈研究者に当てはめるとこんなヘンテコなことになるよ、というのを示すつもりで。でも、ブクマで賛同してたりする人が結構いて、ちょっと何だかなあという気分。(22:45)

2009-03-12

テッサたんが6歳で解いたアインシュタイン方程式

フルメタル・パニックのテレサ・テスタロッサ。16歳で大佐天才少女。6歳でアインシュタインの十元連立非線形偏微分方程式の厳密解を解いたという設定。

で、「アインシュタインの十元連立非線形偏微分方程式の厳密解」って本当にあるんかいな?と、思ったのだが・・・ちゃんとあるんですね。普通は、10元連立非線形方程式、なんて長ったらしくは言わず、単に「アインシュタイン方程式」というらしいが。

アインシュタイン方程式

http://ja.wikipedia.org/wiki/一般相対性理論#.E4.B8.80.E8.88.AC.E7.9B.B8.E5.AF.BE.E6.80.A7.E7.90.86.E8.AB.96.E3.81.AE.E5.86.85.E5.AE.B9

で、「10元連立」って書いてあるぐらいだから、10本式があるのかと思ったら、テンソル表記で1つしか書いてない。「4次元空間を考えれば、テンソルは対称なので、アインシュタイン方程式は、10本の方程式からなる。」とのことですが・・・このテンソル表記の式が10元連立方程式であることを納得するので10分くらい考えてしまった。物理専門じゃないので、テンソルはちょろっとかじった程度なんだけど、次のような理解でOKなのかな?

要するに、テンソルが対称ということは、添え字μ,νを入れ替えても同じ式ということだよね。4次元空間とあるが、要するにμ, νには、(t,x,y,z)の4種類のうち、どれかが入る。というわけで、添え字の入れ替えを区別せずに列挙すると:

(t,t), (x,x), (y,y), (z,z)

(t,x), (t,y), (t,z)

(x,y), (x,z), (y,z)

の10通り。式で書くなら、4C2+4=6+4=10。で、10通り。

テッサたんすげぇ~。俺は10元連立方程式だって分かっただけでいいや。

2008-04-21

http://anond.hatelabo.jp/20080421121913

はいそうですね。全くそう。

要は長期的視点に立った成果追及をするだけの余裕も頭も無いということだね。

真面目に勉強してる奴の中からぱっと見じゃわからない凄い奴を探し出す能力もない。

というと、コスト意識がねぇな、とかいうテンプレート反論が来るけどそれは頭がないからコストを下げられないだけ。

いやわかりますよ。あなたが一般相対性理論なんて教科書あれば3日でマスターできる素晴らしい頭脳の持ち主であろうことは。

しかし一見要領が良くて地頭が良さそうな人たちの中で、そこまで優れた頭脳を持ってる人は実際少ないですからね。

2007-02-25

返信します

http://anond.hatelabo.jp/20070224194128

逆にさ、人に教えてもらって成功したり能力を発揮できて本当に楽しいかって考えたことがある?

もちろんあります。いや、違うかもしれません。本当の意味で考えたことはなかったのかもしれません。

当時の私が陥っていた思考の罠は、

「人に教えてもらうことは、所詮はお情けに頼ること。自分では何もできないということを認めること。これは屈辱だ」

というものでした。ここで思考停止してしまっていました。

ある意味では正しいのかもしれません。でも、当時わかっていなかったことがあります。「自分ではなにもできない」というのが紛れもない事実だったことです。これを認める勇気がなかったことが全ての敗因です。

私見ですが、研究者として必要な能力は二つあります。「何を(what)するか」と、「どうやって(how)するか」の双方です。

このうち、whatは人から教えてもらうことが困難です。知識をいくら集めても、質の良い研究テーマは出てきません。何が重要か、何が面白いか、そのあたりの判断ができることが必要です。当時の私には、このあたりの能力はあったと思うのです。そういう意味で、私は自分が才能に欠けていたとは必ずしもありません。

一方で、howの方は人から教えてもらうことができるのです。そして、「やりたいこと(what)」の中からできそうな部分を切り出してくるような能力、これも広い意味のhowに入るのです。これこそ、私が見落としていたことです。知識は本や論文から手に入れることができます。しかし、知識を集めてhowにすることも難しいのです。それができるようになるためには、経験が必要です。そして、経験がなにもない段階から経験がある段階にステップアップするためには、先達の指導を受けることがどうしても必要です。

私には、whatとhowの区別がありませんでした。確かに、whatについて教えを乞うことは恥かもしれません。無目的に時を過ごすことの無意味さを自覚できていないからです。しかし、howについては教えを乞わないことが恥だと思います。歴史上多くの先達が一生をかけて成し遂げてきたことを自分だけの力で何とかしようというのは、無謀以外の何ものでもありません。

物理学歴史上屈指の天才の一人として、アインシュタインがいます。彼の最大の業績としては、まず間違いなく特殊相対性理論が挙げられるでしょう。これは、時間とか空間といった日常的な概念に変更を迫るものとして、一般人の関心をも大きく惹きつけました。

ですが、アインシュタインの業績だと一般に思われていることを100とすれば、そのうちアインシュタイン独自のアイディアは実のところ2か3ぐらいしかないのではないでしょうか。光速度が一定であること、時間や空間が伸び縮みする可能性があること、これらは全て、ローレンツとかポアンカレとか、これも歴史に名が残るような当時の一流の人たちによって既に得られていた成果なのです。現代でも「アインシュタイン、特殊相対論横取りする」などという本が出版されているぐらい、このあたりは微妙な話に属するのです。しかし、それでもアインシュタインは段違いに偉大だと私は思うのです。アインシュタイン理論は単純な原理からこれらの新しい結果自然に導き出せる驚くべき明晰さに価値があるのであって、これにくらべれば、ローレンツポアンカレアイディアは斬新ではあっても、既存の理論の綻びを無理に覆い隠すようなその場しのぎのものにしか見えなくなってしまいます。しかしそれにしても超一流であるアインシュタインにして、せいぜい100のうちの2か3のアイディアしか出せないことは注意する必要があります。それが成熟した学問分野での研究者の世界というものです。

さて、アインシュタイン特殊相対性理論を発展させて、一般相対性理論を提唱しました。これこそは全く新しい分野の構築であり、100のうちの100のアイディアアインシュタインのものであるといってもいいように見えます。しかし、この理論の肝である「曲がった時空」を扱うためのアイディア数学のうちの「微分幾何学」と呼ばれる分野から丸々拝借してきたものであり、数学者立場からみれば、長年にわたって構築されてきた理論アインシュタイン物理的解釈を当てはめただけ、と言えなくもありません。そして、「微分幾何学」を物理学に適用するというアイディア自体もアインシュタイン独自のものではなく、その指導教官のミンコフスキーの助言に端を発するものなのでした。もしアインシュタインがミンコフスキーと知り合っていなければ、この理論発見者はアインシュタインではなかったかもしれません。アインシュタインですらhowを指導教官から教えてもらっているのに、どうして稀代の天才でない人間にそんなことができるでしょうか?

華々しく成功して賞賛されたのはいいけど、後々まで、教えてもらった人に、

「あの時は世話してやった」と言われ続けるのは、あなたにとって屈辱じゃないの?

「こいつは使える、優秀だ」と、周りの人に評価されてうれしいの?

評価されて嬉しくないはずがありません。評価されなければ、自分の挙げた成果も日の目を見ず、どこかに埋没してしまいます。それが研究者の世界です。それでは実績を残したことにはなりませんし、研究を続けることもできなくなるし、社会に何の貢献もできていないことになってしまいます。目的ではなく手段として、評価されることは必要です。それを嫌って前衛芸術家を気取っている人は、一生を前衛のままで終わらざるを得ないでしょう。

それに、「あの時は世話してやった」と恩に着せるような言い方をされるのが嫌だといったところで、指導を受けずに何の成果も残せないこととどちらを選ぶかといわれれば、答えはいうまでもありません。それにそもそも、弟子が華々しい実績を上げれば、黙っていてもその人の師は優れた教育者として歴史に名を残すことになるはずで、最初から自慢をする必要などありません。

この元記事を書かれたあなたへ。おそらくあなたは現役学生なのでしょう。血気盛んに、何かを成し遂げてやろうと思っていて、私を二流に甘んじた人間とお思いなのだと思います。その意気は買うべきものがあるし、私が二流なのも事実でしょう。しかし、「何かを成し遂げる」ということは、あなたの思っている通りのことではないのも事実なのです。それを知って欲しいのです。上にアインシュタインの話を長々と書いたのも、アインシュタインであっても実際に成し遂げたことはおそらくあなたの想像より遙かに地味なことであろうという事実を知って欲しかったからです。所詮人間の能力には限りがあり、天才と凡人には言うほどの違いはありません。ただし、次に引用するニュートン言葉が全てを物語っていると思うのです。これを肝に銘じ、有意義な学生生活を送って頂きたいものです。

「私が遠くを見通し得たとするならば、それは巨人の両肩の上に立っていたからだ」

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