はてなキーワード: 処世術とは
自分が何やりたいかそこまで考えてこなかったのが一番イタいよね。
能力面なんて、旧帝入れてそこまでこれたんだから「まずまず」以上だろうさ。ご自分で仰ってる透り
「贅沢な悩み」だと思うし、まーどっかしらに滑り込んだら多少問題はあったとしても
一端の社会人やってくんちゃう?いいと思うよ。自分にハナっから能力が大してないと
認めたうえで最低限を満たす程度に振舞うってのは。処世術としちゃアリっしょ。
ただ、それだと人生消化試合になるから、「目標」みたいなもんが必要になってくる気がするのね。
んで、結局自分が一番幸せな状況ってのはきっと「自分の一番とんがった能力」を「自分のやりたいことの上で」生かす
ってことなんだと思うのよ。結局、その理想的な状況を作るためにみんな結構ガンバったりするわけよ。
逆に、「一生懸命やるのはそもそもイヤだから、ダラっと働ける場所を目指す」ってのもアリアリっしょ。
民間ダルくて、でも旧帝入るくらいの勉強できるならとりあえず公務員でも入ってみたら?
いまどき公務員もラクじゃねーとは思うけど。
自分が働くことに関して、本音ベースでどーいうモンを求めてるか考えたらいいんじゃね。
「親を満足させて」「あまり個人の突出した能力が求められず」「そこそこ休める」くらいの
職場は望んでもバチ当たらないくらいのステータスなんだしさ。とりあえず、そこ目指してみたら?
原因としてはまぁ、いろいろと調子に乗っている僕が気に入らなかったのが発端で、
本人達としては「からかっていただけ」という意識でしかないと思う。
主に悪口、迷惑電話、モノやお金が無くなったり嫌がらせをされたり、
程度としてはそんなにひどいものではなかったと今となっては思う。
でも田舎の小学生に見える世界は家と学校ぐらいで、それが全てだった。
どこにいてもあいつらは僕に嫌がらせをしてくる、必ず顔を合わせる。
表向きは友達だと思っていた人に裏切られる。そんなのは日常茶飯事だった。
性格はどんどん暗くなり、発言する時には相手の顔色をどんどん伺うようになった。
ストレスで身長が止まり、何とか言い訳を作って学校を休もうと企んだ。
夜には明日が来なければ良いと毎日思ったし、土日は天国、平日は地獄だった。
自殺を考えないことも無かったけど、自分が苦しむ恐ろしさの想像には勝てなかったし、
もし死ぬときには僕をいじめたみんなを殺す前には死ねないと思いとどまった。
高校は小・中学校のメンバーがほとんど行かない学区内の進学校に進んだ。
僕をいじめたやつらは、一番近いアホな公立か、そこにも行けずに私立へと進んだ。
いじめられていた期間で身に染み付いた処世術で僕は高校3年間を無難に乗り切った。
かつて年間で100を超えていた遅刻・早退・欠席は高校3年間で1度も無かった。
空間に存在することさえ気をつけていた学生生活に怯えること無かった。
進路を決定づけるセンター試験の日、僕は数年ぶりにあいつらと出くわした。
底辺に近い公立に進み、遊びでセンターを受けに来たようないじめっ子のあいつらは
ここ一本に絞って緊張でガチガチの僕を見つけ、悪口を履き続けた。
もちろんそれは彼らにとってはかったるいセンター試験の中で見つけた
暇つぶしに過ぎなかっただろうし、僕もそれを理由にするつもりは無いけど、僕は大学に入るのが1年遅れた。
あの日に限ったことじゃないけど、あいつらが吐いた暴言は今もすぐに思い出せる。
僕は大学を卒業後、東京の企業に就職し、世間で言えば勝ち組といわれるステータスを手にしている。
帰省すれば、同級生の話を聞くこともあるが、
30も近づいてきてるというのにフリーターだったり、叶わない夢を追い続けていたり、
お前らがかつて見下していた僕はこうだぞ、と。
彼らは僕の見ている世界を知らない。
彼らの中で僕はまだ15年前のからかいの対象だった僕でしかない。
あの時「自分が死ぬぐらいなら相手を殺してから死んでやる」とまで思ったあいつらから
結局僕は今でも逃げ続けているように思う。
教師とは教員免許を持ち、教職についているただの専門家なのだから当然だ。(「専門家」にすら値しない教師もいる)
「教師は偉い」という価値観は、子供(とその親)が教師を尊敬している方が、「教育」というシステムが上手く回るから維持されている。
それが全人格的なものか単なる知識かは置いておいて、教えを受ける側が、教えを授ける側を見下していたら、少なくとも教育の効率が落ちるのは自明だ。
また、子供の教育を教師にある程度委ねる以上、親として「教師は尊敬できる人であってほしい」という願望の面もある。
元増田も、本当は「教師は尊敬できる存在であってほしい」と思っているんだと思う。
そういう教師もいる。
この人は問題分析のウチ、
1問題指摘と
2関連の文学素養を
一つのつながった文章と考えるからおかしいのであって、要素要素はレベルが高い。
解決策部分は全く期待しないほうがいい。
http://blog.tatsuru.com/2011/10/18_1255.php
ふざけんな。
内田樹の中にあるゴーイング・コンサーンの前提はなんとかならんのか
弱者の切り捨てに対して効果的な抵抗を組織できないでいるのは、彼らが「連帯の作法」というものを見失ってしまったからです。どうやって同じ歴史的状況を生きている、利害をともにする同胞たちと連帯すればよいのか、その方法を知らないのです。
ここは素晴らしい。
「平等・自立・団結」がワンセットで在るということを指摘している点は慧眼だと思う。
平等だけを主張することは不可能だし、自立のみ、団結のみというのも不可能であることを上手に説明されている。
これはネット出現以前のコミュニティの大原則である。この原則を違えるとモンペとかバカ民主党みたいなことになる。
ネットが出現しても人が人であるかぎりそう変わるものではないだろう。とても大事な事である。
ただし
それは彼らの責任ではありません。それは私たちの社会がこの30年間にわたって彼らに刷り込んできた「イデオロギー」の帰結だからです。
は論外。上のことがわかっていて、なぜイデオロギーの問題だけで解決できるように語るのか。
本当に、この人のこういうところは本当に、困ったところだ。困ったちゃんである。
この人の指摘がいつもずれてるのはなんでかなーと思ってたんだけど
この人は結局のところいつまで経っても社会が存続すると思ってるんだよな
贈与の考え方ってのは大前提として、社会が安定したまま続く状態がある。
余剰は必要としないが、関係性が維持されていることは絶対に必要な条件だ。
後に自分の何かを残したい、引き継ぎたいって思う対象がいなければその発想は生じない。
むしろさっさと全てが壊れてなくなってしまえって思ってる時に贈与の発想なんてクソみたいなもんだ。
「希望は戦争」とまで言わなくても「何ものこさずにひっそりと消えたい」とか「何一つ引き継がないことで今の世を否定する」ことにしか希望がないひともいるんだ。
もっとはっきり言おうか。
若者の問題を論じる場合、先に親の世代が病んでることを論じるのを避けるほどアンフェアなことはない。
それは遺伝性の病気に対して、子供がその病気にかかっていたら、子供に責任があるように語るほど間抜けなことだ。
自分が生きることで精一杯で、自分が生きるために子供を殺す親がたくさんいることについてはどう考えているんだ?
局所的に見たら、その過程ではすでに戦線が崩壊している。どうやっても持ちこたえられない。
その状態で、なお若者に戦線を死守しろという指揮官があなただ。
それは無能ではないかも知れないが、残酷であるという自覚はあるのだろうか?
私には後方でふんぞり返って最前線を見ていない無能な指揮官にすら見える。
彼にはどうせ答えられないだろう。
そんなに連帯が大事で素晴らしい物なら、なぜ連帯がうまくいってた彼ら団塊世代はいまこんなにも老害を晒しているのか。
彼らが連帯して世の流れに反発しているという視点をなぜ持てないのか。
なぜ「大人」のやってるというだけでそれが幼稚な反抗という評価を免れることが許されるのか。
なぜ「若者」のやってるということだけで未熟であったり不足という評価をつけることを当然としているのか。
そういうことに彼の論法では全く答えられない。
そしてなにより、連帯はプラス要素もあるが、マイナス要素も多分にある。むしろ停滞期には負の面が強く出る。
それも多分彼はわかっていて、とぼけているのだ。なんともずる賢いことだ。
この人が解決策を論じるために書いているなら、まず話を若者からすたーとするのも良かろう。
しかしこの人は問題しか論じないのだ。解決策はいつもイデオロギー的な理想論に終止するのみだ。
ソレにもかかわらず、この人は若者の話しか取り上げないのだ。自分が含まれる大人たち、老人たちについては触れようとしない。
そこに大いなる欺瞞がある。そしてこの人はそれに対して自覚的だ。自覚的であるから文章のテクニックを用いて読者をけむにまく。
問題を責任者のない不可避の現象として表現し、問題について責任者の存在を隠匿した後で、解決の部分だけ責任を若者に割り振ろうとする。
社会の存続に必要な「少子化」に絞ってもご覧のとおりだ。怒りを通り越してうんざりしてさらに一周して怒りを覚える。
本当に頭のよい人というのは、自分の立場をまもるためにここまでやるのか、と唖然とする。
http://blog.tatsuru.com/2006/11/11_1038.php
http://blog.tatsuru.com/2007/02/01_1103.php
http://blog.tatsuru.com/2009/09/13_1040.php
この人はとにかく卑怯だと思う。さすがマルクスの信奉者といったところだが、私はこういう小賢しさが大嫌いだ。
一度でいいから、マスコミと若者とアメリカの陰謀以外に責任を割り振るのをやめて「私はコレについて責任を持つ」と書けよ。
もっとも、処世術としては、自分が何について責任を負うかについては自分より偉い人にのみ語るのが正しいことだ。
大衆や目下の者に対してそれを語り、そのとおり実行しても彼らは自分に報いてくれるわけではないからだ。
自分の責任は、自分とソレより上の者の間で共有し、下のものには結果のみを示すのは何も間違いではない。
ハックルさんみたいにところかまわず自分の使命を吹いて回るのはキチ○イである。
しかし、自らの周囲との関係を重視して、大通りに出て狂人あるいは政治家として振る舞うことを避けるのであれば、他人に対して責任を強制する資格はない。 この人は無認可で街頭演説する政治家みたいでたちが悪い。
結局のところ、贈与云々を言ってる人が、誰よりも計算高く、出し惜しみをしているというところがオチなのだ。
若者が求めているのは年寄りの説教ではない。年寄りが何らか社会の問題にコミットする姿勢を見せることである。
今は価値が分からなくても将来は、とか、この贈与の価値がわからないのはバカだなどと言い出すならばハックルさんと同レベルである。
ちなみに、冒頭のタイトルと反するようだけれど、私は内田樹の著書のファンだ。著書は大好き。
さらに繰り返すがこの記事において「平等・自立・団結」がワンセットで在るということを指摘している点は慧眼だと思う。
「そういえばキミさ、今年が厄年だよね?」
と聞かれた。
「ええまぁそうですが」
と曖昧に答えたのだが、
「厄払い行った?え行ってないの?じゃあしばらくキミは仕事を出せないよ」
と言われた。
確かに体調を崩したり精神的に迷いが出る年頃なのかもしれないが、
そんなことは厄年に限らずいつでも心構えているべきことだ。
厄年だから良くない事が起こるのではなく、厄年だからと仕事を減らされたり
さて、今の私に与えられた選択肢は3つだ。
(1)こんな客先とは付き合わない
最初の選択肢は自分の信念を貫き仕事を失うということである。プライドを取るか
仕事を取るかということだ。
2はその逆である。ある種のゴマスリである。いっそ本当に厄払いに行った方が
潔い気がするが、それこそ神社なり寺に対して失礼な気もする。
ただ、厄払いに行ったことを公言したところで、仕事上のトラブルが起きれば
あいつ厄年だからなぁと言われるのは目に見えている。厄を気にする人間とは
とでも言っておけば許されるだろうし、それが社会における処世術というものだろう。
しかしどこか釈然としないのはちっぽけなプライドを捨てきれないからだろうか。
3は効果的な気がするが、他人が持つ私のプロフィールにクリスチャンと
まったく、公の場で政治と宗教の話は避けるべきだとよく言われるが、厄の話も
しないで欲しいものだ。本当に悩ましい。
震災以降ずっと気になってる事。
不謹慎厨に怒られそうだと思って
ツイッターじゃ言えない事。
あの
淡々と具体的に しかも死んだ直後に話すことができるのだろうかという
よくわからない疑問。
あれだけの震災で人が死ぬと
実感も無く、そういうもんなのかもしれない
悲しみがどうこうって そういうもんなのかもしれない
でもなんか疑問。
それと
原発もそう
菅総理についてもそう。
全部がそう見える。
理由を見つけて
悲しんだふりをする 綺麗に見られたい層と
理由を見つけて
別に悪い事じゃない
誰にでもある欲求で 別にそれを咎めるつもりはないが
日本人にとっては切ってもきれない
一生つきまとうであろう問題があっての事。
それをまるで他人事のように処理し
欲を晴らす行為は 本当に 綺麗なのか正義なのか。
災害の記事を読んで無関心なわけではない
悲しい出来事だと感じるくらいの余裕は俺にもある
でもそれはそれなんだ。
その自殺を利用して
マスコミは どんな結果を欲しがったのか。
それが気持ち悪くて仕方がない。
俺がどうこうじゃない
棚にあげるつもりはない。
俺もアホなのは承知の事。
そう思う。
思考は自我の中にある。
考え方を忘れたら
人はただの道具になる。
そうなりたいなら自由だけど。
そうなりたくないなら 脊髄反射をやめるべき
プロパガンダのようなニュースや動画サイトの情報に踊らされるのをやめるべき。
いや、むしろ見ないべきだ。
もし誰かがその記事を読んで
悲しんだり怒ったりって事をしなくても
明日は同じようにやってくる。
明日をコマとしてではなく、人として生きたいのなら。
別に守ってやる必要なんてないよ。
病気だ、っていうのは、本人や周囲の努力で変わるものじゃない、ってこと。単なる事実。
で、対処法なんだけど、イラつきとか怒りっていうのは多くの場合、コントロールの手段なのね。イラついて本人に怒るのは、(自覚してないかもしれないけど)その怒りによって相手が反省して変わってくれることを期待してるんだし、まわりの人間に当たるのは、みんなからもその本人に影響を与えて欲しいとか、あるいは自分を慰めてほしいとか、そういうことを期待してるわけだ。
でも、相手が変わりようが無いなら、それは無駄なわけ。どんなに本人にきつく言おうが怒ろうが、当人は変わらない。
変わりようがないものについては、スルーするしかない。それは我慢じゃなくて、処世術ってやつだ。「我慢してる」と思ってるなら、まだ心の底で「相手は変わるはず」って思ってるってこと。諦めて受け流すようにすればそれなりにうまく付き合えるよ。あと、「こいつがこう言うのはこんなふうに思ってるんじゃないか」みたいな、普通の人に対して通用する裏読みをしないこと。文化が全く外国人と付き合うようなものと考えてもいい。
「AV出てる奴がよく学校に来れるよなw」←これは真実ですよ?
元ネタ…というか引用先は2ちゃんねるカップル板の「恋人に引いた」系スレのどれかだったはず。
いつだったかなぁ。
内容は、同じ大学の女性がAVに出てることを題のように嘲笑った男性が、自分の彼女が同調せずに「なんて酷いことを言うの?」って態度だったのが不満で投稿した書き込み。
「あんた『恋人に引いたスレ』に書き込んでるけど、引いたのは彼女の方なんじゃないの」とか、
「なら勿論、AVを見たことは無いんだろうなテメェはよ?」みたいな意見も飛び出す。
「何を思おうと自由だけど口に出すことは良くないよ…」みたいにまとめる人も出てくる。
んー…それって的外れだよ。
体売る前に必要な覚悟ってのは見知らぬおっさんとレロレロしなきゃいけないとかそういう意味だけじゃないんですよ。
遥か昔から、おそらく世界のどこに行っても、体を売る女性ってのは売らない女性よりも軽んじられて生きるわけですよ。
そんなの当たり前じゃん。うん。流石にね。子供でも知ってる。
それを承知(知らなかったと言い訳できないものは「知っていた」前提で考えます)で、高いお給金貰うために股開いた女=風俗嬢なんですよ。
すごく当たり前のことを言いますが。
体へのリスク?
それだけで高いのならば、病気になった時点で手当として振り込むのが自然。
何故か?
「人間のキレイな部分」だとか、事実上「ある種の人権」を切り売りしてんだよ。
お給料受け取った時点でヤリマンヤリマンwって言われながら中指と人差し指を立ててくねくねされても文句言えないんだよ。
もう事務職くらいありふれた職として風俗が受け入れられている世界。
みんな風俗やるよ。
なんといっても給料がいい。(いや、世間の目が変われば給料が高いハズがないか…)
身一つで飛び込める。
手抜こうと思えばどこまでも抜ける。
誰でもできる良い職業として、風俗は世間的に「新聞配達」や「奨学金」みたいな健全なイメージになるはずだよ。
でも現実はそうじゃない。
その意味をよーく考えない方が悪いんだよ。
女は一回落ちたら這い上がれない。
女の資質や経済観念がどうこうの話じゃない。そんなもんは変わる方が悪い。
そういう女だ、って見られてしまう事実がもう何やっても絶対に揺るがないからだよ。
AVなんか特に一番どうやってもモロじゃんか。
特にそのへんを自覚してるはず。いや、「してなかったですぅ」じゃ通らん。
その視線に対するお手当で給料がいいの。
一生を生きるには安いかもしれない。
もちろん安いだろう。
だから「体売るやつはバカ」「売るよりも他に手段があるはずだろ」ってみんなが言うんじゃん。
隠せばいい?
そういうのは違う。
女自身が
「私ィ〜、ウリやっててぇ〜、でも黙ってればわかんないしぃ〜、それで〜、どうせ目の前にしたら起つくせに風俗バカにする男とか超ムカつくしぃ〜、でも最近は風俗も認知されてきたっていうかぁ〜、他人の過去を認められないでグチグチ言う方がよっぽどウツワちっちぇーって感じするじゃないですかぁ〜」
なんてスタンスでいたらならんのよ。
周囲に知れ渡って正面からバカにされたとしても、
『(あーウゼ…ッ…まあテキトーに健気っぽく被害者面してたら正義感の強そうなバカが絶対に庇ってくれるわーん♪)』
なんてスタンスでいたらならんのよ。
故に、風俗嬢が風俗をしていることに関してバカにされてても、それを庇っちゃならんのよ。
私だって元風俗嬢ですが、まあもちろん自分から過去を吹聴とかしないけど、もしバレてそれ故に友人失おうと何を失おうとそういうのは完全に自分が蒔いた種だから耐えなきゃいけないって「覚悟」くらいはして業界に入ったわけ。
その覚悟自体は悲壮にやる必要はなくて、むしろ「はいはい言いたい人は言いなさ〜い」くらいの軽い感じが理想だと思います。
それはオマエがヤリマンだからそうやって割り切ってんじゃね?と思った人、もしいたら甘いよ。
私は今までに一人しか貫通してない体だし、実家に多額の借金がなければ風俗なんてやってないよん。
むしろ不本意に業界入りした子の方がちゃんと覚悟して割り切ってる感があった。
まあ、そういう考えを持っているが故に、「風俗嬢だからなんなんだ!職業に貴賤ナシだ!」って意見には笑っちゃうわけ。
もっと素直に、「好きでもない男に股開いて恥ずかしくないのかな?理解に苦しむわー…で、ぶっちゃけ気持ちよかったの?」くらい言えって。
まあとにかく、私が言いたいことは
「風俗嬢だからってバカにしたら可哀想だろ!」的な意見は頭オカシイってこと。
嬢は覚悟してるものと見なされなきゃいけないし、貰うもん貰っといてその代償にメソメソするなんて最低でしょ?
変に風俗嬢を庇うと、「その覚悟すらできていない状態で股を開く選択ができちゃう究極のバカ」って侮辱することにもなるんですよ。
せめてさw「こういうリスクのある仕事だけど、今の私にはこれ以外どうしようもないのでリスクを覚悟でやります」って意思くらいあるもんだと見なしてよww
そういう覚悟もないのに人前でおまたパカーンって開いてアンアン言える奴って決めつけるとかwwwそこまでバカにしないでくださいwwwww
と、思うから、最初の方でAV嬢を庇ってた人たちはどっかおかしいよね自己欺瞞に溢れてるよねと感じ、この日記を書き始めた次第。
風俗嬢や元風俗嬢は縮こまって生きるべきだとかむしろ生きる価値がないとかの意見は全くの別物ですよ。
どんなカタチであれ、やったことのツケは払わないとオカシイよねって話。人のツケを勝手に取り上げてんじゃねぇぞって話。
たとえ引いたりしないってお方々がどれほど必死になろうとも
風俗嬢と聞いて悪いイメージを持つ方がいる限りこれは揺るぎないと思うの。
そして悪く思うのが当然で、そう思う人はいなくならないとも思うの。
その感情こそが、道を踏み外さないために必要な大事な感情でもあるわけですし。
子供産む気なんてないけどさ、妄想上の我が子が風俗する想像をしたらやっぱり嫌だ。
それくらいならもう一度デビューしてAVだって解禁してうんこだって食うし拳ぶち込まれてもいいしなんだっていいよ。
私ですらそうなのに、日本で普通に生きてる正常な人間が風俗嬢を受け入れられるわけがないんだってば。
「身内に勧められないが、偏見は持たない」ってのも「自然な感情を押さえ込んだ姿」だからね。
普通〜に、「身内に勧められないもの」ってのは自分自身も受け入れがたいはずさ。
私はボディピや入れ墨がそうだよ。
殊更にこの二つを糾弾はしないけど…でも、やっぱり、それが原因で何か言われてても絶対に庇わない。
自業自得じゃん?
自業自得って言われる筋合いのないものにそうそう不快感は抱かないじゃん?
自業自得なら自業自得なりに、きちんとマイナス面も受け入れて堂々としてる人なら「まあアナタは思う道を進んで下さい」って思うじゃん?
風俗嬢を差別しないぞーと意識している男性、あなたみたいな人が一番差別してるんだよー。
もう私なんかは見ててイライラしてくるくらい。
みんながテレビでオカマ見た時どれぐらい細かい興味を持つのかわからないけど
楽しんごを見てて「他のオカマとなんか違うな」って感じた人いない?
居たらちょっと鋭い。
テレビ向けどころかよそ様向けのチューンナップすらされてない。
その辺のゲイバー・オカマバーの店員と比べても「プロ」になってない。
「はい男なのに男が好きで変でーす!」「こんな体だけど乙女ですよーだ!」みたいな。
メタ化はゲイじゃない人もすると思うけど、ゲイは特にほぼ必ず&強く自己メタ化を通過するよね。
自分自身すら突き放して見る癖がついてればどんな状況でもちょっと面白いことは言えるわけ。
いわゆる「お笑いのセンス」とは別だから、それはゲイだからって良かったり悪かったりはしない。
楽しんごの話に戻るけど
あの人の自己像って「可愛い目の若い女」だと思うのね。本気で。
「ひょろ長い30過ぎで男が好きなぶさいくなおじさんじゃん?」っていう突っ込みは受け付けてないし
本人の中でもそれを通過した事がないように見えるのね。本気で。
まあ普通の人は楽しんご見てそんなところまで感じ取る必要ないだろうけど。
こんな文をここまで読んでくれたのに「何言ってんだかサッパリわからない」っていう人がもし居たら
その人の為に即物的に言えば
声を全然張ってないし動きにもオーバーなメリハリがないし。(こじまよしおとかと比べてみてね)
「可愛い女の子が変なことをやらされてる」っていう設定だと思う絶対。
何回も何回も同じギャグやってるのにたどたどしいままっていうのは逆に努力が要るわけで、
芸を洗練しないままでいるのは、洗練したら「キワモノ芸人」になっちゃって自己像と食い違うから。
ノンケからもゲイからもたくさん突っ込みやイジワルを受けてきた筈なのに
それでも「自分は可愛いめの若い女の子」っていう設定を理想じゃなく現実として抱え続けてる楽しんご。
ものすごく強靭な狂気の持ち主だと思います。
それは、外向的人間が多数であって
それで、内向的人間は外向的人間の基準で生きていかなきゃいけないから
生きにくい
そのひとたちが羨ましい
羨ましがっていても生きて行けないので
どうやって生きて行くか考える
・自分を受け入れること
まずはこれが必要
もちろん努力は必要なんだけど
もともと外向的人間にはかなわない
失っている自信を取り戻す
・努力すること。学ぶこと
コミュニケーション能力とかは差はあると思うけど
その埋め合わせとしてこういったことが必要
・比較しない
必要以上に卑下する必要はない
・一人でいることに罪悪感を感じない
別に罪悪感を感じる必要はない
もちろん、必要なときは人とかかわらなくちゃいけないけどね
自分も完全に出来てるわけじゃないけどね
結論 → たぶんわたしの人生に、これよりおもしろいことはない。
わざわざ苦しい思いをしないと生きていけないように、どういうわけかこの世はなってる。
日常だって人生だって、9割はどうでもいい糞つまんねぇ苦しいことでできてる。
たった1割がすげーきらきらきらきらきらめているように見えるから、
そこにやりがいとか生きがいとかクッソ気持ち悪いものがあるようなフリしてどいつもこいつも生きていやがる。
超ドMでもないかぎり、普通そうする。自分の居場所が薄汚れたクソマミれの場所だなんて誰だって思いたくない。
クソマミレでもちょっとはきらめくものが合ったんだよと思いたい。
でもさ、どれだけきれいな一部分にだけ着目しても、生きてることと行き続けることは基本的にクソまみれだ。
今日一日の、愉快なこと書き出してみ?
どう考えたって他の物体なんて自分の思い通りにならないんだから不愉快。
それを指して「思いどおりにならないんだからいいんだよ」ってのはただの処世術。
でまあ結局心の置き場所なんか他人の股間にしか ねぇよ
って三回まわって絶望して四回目にはっと気がついたの、19の時。
もうどうだっていい。
幸せとか心の置き場が(実在するしないに限らず)他人の股間にしかないのなら
どうせなら存在しないものがいい。存在しないものなら1から作れる。
それなら傷つかない。遠くにいたい。
・本当に自信がない
・どちらかというと自信がない方に入ると思うので、自信がないという事にしておく
・実は自信があるけど自信がないふりをしている(処世術)
色々いると思うんだよな。