はてなキーワード: 会席料理とは
妹の誕生日にどこかに食べに行こうかという話になったのだが、私はその選択肢に食べ放題を挙げることに賛同し難い。食べ放題というシステムが個人的に嫌っているというわけではない。むしろ自分の好きな料理だけ、自由にたらふく食べられるし、欲望に塗れた和洋中と料理のサラダボウル(アメリカ?)と化した自他の皿を見ながら食事にできることが長所だなあ考えている。お祝い事というのは会話などのコミュニケーションで会食ベースな雰囲気であることでお祝い事の機会となるのではないか 会席料理だとかフランス料理は、(私はまだ人生で数えられるほどしか経験したことがないけれど)、皆が同じペースで食事を進めていく丁寧さ、献立に料理長の名前が書かれるのが小説作品に作者の名前が書かれるようなストーリー性と感情を帯びていて、こういう機会にぴったりの選択肢ではないかなあと考える。結局のところ私個人が食べ物に研究的になって嘆美を見出すことに楽しさを感じているだけだなあと 食事ってその人のバックグラウンドとかでその人ごとの普通の基準があるから面白いね〜
これもう「飲みニケーション」をやめるしかないっていうことじゃないかな。
「仕事終わりにみんなで飲むことと仕事の効率化は無関係だよ」ってことじゃないかな。
それに気づいていない人たちが感染していくと。
3月下旬に深夜まで行われた23人が参加した厚生労働省老健局の宴会に出席していた3人を含む6人が新型コロナウイルスに感染した問題で、田村厚労相が国会で火だるまとなっている。
厚労省とほぼ同時期に30人もが参加した総務省出身の愛媛県庁のキャリア課長の送別会が開催されていたことが、AERAdot.の取材でわかった。
関西で変異株が猛威を奮う中、大規模な送別会が開かれたのは、愛媛県松山市の道後温泉の超有名旅館「A」だ。道後温泉は夏目漱石の小説「坊っちゃん」の舞台として知られるが、著名建築家が設計した旅館Aはひと際目を引く豪華さだ。
その宴会場で愛媛県庁の送別会が開かれたのは3月24日夜――。参加したのは愛媛県庁の職員30人で、主催したのは同県市町振興課だった。
「課を離れる人が3~5人おり、その送別会でした。送られる主賓は総務省から出向中のキャリアのB課長でした」(愛媛県関係者)
先の関係者によれば、和室にテーブルが4列並べられて、料理は8000円のコースで飲み放題が3000円プラスされ、消費税込みで1人12000円ほどだったという。旅館Aのホームページをみると、春の会席料理のメニューは、地元の名産品、オレンジの食前酒や前菜、刺身、鍋、デザートなど12品と豪華なコースだ。
愛媛県では送別会が開催された前日の3月23日、松山市内の歓楽街でクラスターが発生し、23人もの新規感染者が出ていた。開催当日の感染者は24人、翌25日には県内では過去最多、59人まで激増していた。
愛媛県の中村時広知事は3月24日の記者会見で「松山市では第4波の入り口にいる、本県最大のクラスターになる可能性がある」
「影響を最小限に食い止めるために、感染の広がりを何としても食い止めなければなりません」と危機感を訴えていた。
その舌の根も乾かぬうちに決行された送別会には、問題点が多々あった。
愛媛県庁では県職員への「飲み会の場での注意事項」として、<大人数、長時間とならないように年度明けの歓迎会等は、おおむね10人以内に留める>などと周知していた。
先日、会社の先輩とある会席料理店に行ったのだが、そこで先輩と大将が話していたやりとりが、とても興味深かった。
俺 「え?どうしてわかったんですか?」
大将「いやぁ~お客さんたち色白だから。室内の仕事かなって思って」
先輩「このお店はホームページとか作ってないのですか?」
先輩「お客さんがこないとか?」
大将「来てるか来てないかで言えば、”来てる”方ですね」
先輩「それなら良いじゃないですか」
大将「いやいや、でもほとんど”一見”なんですよ。それだと商売にならないんです」
先輩「どうして一見だと駄目なんですか?」
大将「一見客はネットやテレビで注目されればその時は来ます。でも、一度来たらそれっきりなんです。長く続かない。私はやっぱり”常連客”が店の生命線だって思うのです。常連のお客様は、ご家族で来られたり、ご友人や親族と来られたりしてくれます。そして、その流れはお客様の息子、孫へと繋がっていく。そういう絆を大事にしたいし、それをしてきたから、この店は30年も続けてこれました。滝川クリステルじゃないけど(笑)今後もおもてなしの精神で、常連のお客様に満足していただける店であり続けたいと思うし、そのための努力をしていくつもりです」
先輩「それは素晴らしい!とても感動的なお話をお聞かせいただきありがとうございます!」
てな感じで会話が終わったんだけど、帰り道で先輩は別の事を言っていた。
先輩「確かにあの大将の言う事は真に迫っていたよ。その証拠に、料理は美味かったし、店員の心配りも利いていた。店内も綺麗だし、トイレや洗面所にも細かい配慮が利いていた。オマケに値段も他店と比べると安い。伊達に30年もこの道で食っていない。本物の料理店だ。ただ・・・」
先輩「だからと言って一見客が駄目だという考え方は違うと思うんだ。もし、常連客が亡くなったり、地方に引っ越した場合はどうする?一気に店は傾くぞ。最初は誰でも一見だ。一見客を常連客に育てられるかが、店の本当の価値に繋がるんじゃないのか?だから、一見客を集める手法や宣伝は、決して無駄じゃないし、俺達はそれをクライアントに知ってもらうために、この仕事をやっているんだ」
なるほど。色んな考え方があるんだなって思ったし、こんな熱い先輩を見たのはじめてかもしれない。ただ、昨日の夜はクソ寒くて話半分ぐらいしか覚えてないけどなw
といってランチで \1,500 だけどね.
上を見れば \2,100,\3,500 ときりがない.
これでもお手軽な値段設定の店らしい.
それに御飯と味噌汁.最後に水物.
どれも薄味だし,量も少ないから
最初は物足りないような気がしたのだけれど
普段いかに濃い物を食べ過ぎているのを実感した.
安くて満腹になれるから,有難くもあるけれど
お金を出しているような気がしなくもない.
毎日行けない.それだけ技術が必要なのかな?
会席とまで言わなくていいから普通に
和食を出してくれる店がもっと増えていい気がする.
前に住んでいた場所には○○の台所というのがあって
どこか学校給食を思い出す店があったのだけれど
今,住んでいるところには全然ないんだよなぁ.
そういう店って皆あまり行きたがらないのかな.
カロリー高くて体に悪そうだけれどのその方がいい?
お昼の一万円コースを頼んだ。このご時世でもさすが、予約困難な店のことはあり、満席。二回転している席もあった。
女将はお約束の小太りの女狐といった風情が、決して上品ではないが、客商売の長さで培った接客術はなかなかのもの。転んでもタダでは起きぬという図々しさが見え隠れする客を値踏みする目は、高級飲食店であればあるほど如実だ。彼らが頭を下げる人種ではない自分は、いつもながらその慇懃無礼さに感心してしまう。そうでなければやっていけぬとはいえ水商売とは因果なものだと意地悪く思う。おそらく女将も、かつては花もはじらう乙女であったかもしれないが。
料理は仔細に手の込んだものだった。日本料理はやはり水が肝となるのがよくわかる京都らしい薄味。絶妙な火の通り具合の貝類、包丁目も美しい鮎魚女の骨切りのお椀、彫刻のような筍。全9品が、京焼きの器によく映える。
料理は、まあ一万でも不満はない。
ただ残念なことに着物姿のお運びの女性の所作が全く美しくない。お敷きに器をおく動作ひとつとっても、音を立てる。下げるときも音を立てて器を重ねる。
一礼して下げるのは良いがそこには慇懃無礼さもなく、無愛想。気持ちよく食事が出来るというには及第点も与えられない。
たった今店を後にした、おそらく一見の観光客と思われる人々を俎上に、おもしろおかしく語って聞かせる。
「一番最初から居て、ようやっと帰りはった。」
「次々出てくるけど、食べるスピードが追いつかなくて横に並べてあった。」
などと、困ったようにわらう。それを聞く常連客も「美味しいもんは、出来たてのうちに食べたいから、この店に来たら無言になって食べてしまうわ。」などと返す。また、その場にいない常連客の噂話もする。
これはカウンターでの会話だ。
一番奥にお座敷があり、カウンターとの間にはテーブル席があるが、そのテーブル席の通路を隔ててお手洗いのドアがある。
つまり、そのトイレのドアの前の席に案内された客は、他の客がトイレのドアを開け閉めするすぐ旁らで大層な会席料理を食すのだ。
もしも、まっとうな良心のある店主ならば、儲けではなく、そのスペースには花器などを置き季節の花を生けるだろう。
利潤を追求することを責めているのではないが、高い金を出して味わいたいのは料理だけではないはずだ。その店の気配り、たたずまい、それらを堪能したくて、たまの会席だからと張り込んだりするのだ。
自分の身の丈に合った生活というものは大切なことだが、たまの贅沢を楽しむにも庶民は庶民らしく厠の横で飯を食えという店の傲りをまざまざと見せつけられたようで気分が悪かった。
自分は食後、お手洗いに立ってはじめて、その席で食事している人々を見て驚いたのだが、トイレのドアを開けるのが気まずかった。
全てがそうだとは勿論言わないが、京都人が底意地悪いのはやっぱり間違いないなと思う。
20代中盤 170cm, 52kg 前後.飲食店(洋食)勤務で昼食はまかない.外食は週に 1, 2度.あとは自炊.
菓子はチョコとクッキーをよく食べる.あると一気に平らげてしまうから,なるべく買わないようにしている.
煙草は吸わない.酒は飲めるが,稀に少し飲む程度(ビール以外.果実酒か焼酎が多い.ワインはよく分からない)
ここから本題.(食事中の方すいません)
子どもの頃は,朝夕食は親が用意していたし,昼は給食だから当然一日三食だった.
消化器官の働きが活発なのか,朝食の後すぐにトイレに行きたくなっていた.
成長や動くためのエネルギーがたくさん必要なのだろう.
でも大人になると,それ程必要ないのではないだろうか?
自分だけかもしれないけれど,便意を催す頻度が明らかに少なくなって,
3 日に一度あれば良い方.1 週間に 1度以下のことが普通.かなり便秘ぎみ.
でもお腹が張っている感じはまったくしない.
今の食生活は一日二食.朝食抜き.昼食は上に書いたとおり.夜は自炊か外食.
朝食は食べた方が良いとよく言われるけれど,どうなんだろう?
学生の頃は,朝食抜くと(食べていてもそうだったが)昼前に腹が鳴ったものだけど
今は食べなくてもそんなことはない.そもそもあれは腹が減ると鳴るのではなくて
消化している音のような気がする(漫画などでそういう表現をするから勘違いしていない?).
そうだとすると鳴らなくなる(消化が終わる)のを待ってから食べる
(胃の中のものを全部送り出してから新たに食物を入れる)方が良い気がする.
消化が終わる前に食べると,常に胃や腸が働いていて休む暇がない状態が続いていることになる.
筋肉や目を休めるのと同じで内臓も休ませる必要があるなら食物を入れ続けるのは良くない.
また消化機能が落ちている(それ自体も改善する必要があるけれど)から一日二食で十分事足りると思う.
だいたい一日三食って戦後の質素というか節制された感じの食生活の場合の話で
今みたいに飽食な食生活になりがちな現代では当てはまらない気がする.
そこで,朝昼夜のどれを抜くかになるのだけれど,
昼は現状では断りづらいし,抜くと朝から夜までの間が長くなるので食べた方がいい.
すると朝か夜のどちらかになるのだけれど,夕食を抜いた方が良いと思いそうだけれど,
日本人は夕食で贅沢をする習慣があるから,朝昼だけにして食べたい物を我慢するのは長続きしない.
夜寝れないという人もいるだろう.だから寝る何時間か前に食べ終わるならしっかり食べればいい.
朝食を抜いても昼食までの時間は長くないから我慢できる(最近は我慢する必要もなくなっている)
同じく内臓も休ませる目的で一週間に一日ぐらい断食する日を設けるのもいいと思う.
これを休日にやろうとすると案外挫折するから,仕事上の付き合いの平日にすると失敗しないかも.
この生活を何ヶ月か続けると,今までいかに胃や腸が一杯で負担をかけていたかが実感できる.
・・・
と,ここまでは良かったのだけれど,便秘ぎみなのは相変わらず,あと食欲がない.
というより食べれようと思えば食べられる.昼のまかないも普通に食べているし
料理はわりと好きだから,夜は色々作ってしまって食べ過ぎてしまうことがあるぐらい.
だけど,作らなければ食べないし,食べる物がなければ食べなくても平気になった.
過食+拒食のような状態とでもいいのか.
あと朝食抜きで食事の回数を減らして,更に自分は昼食はまかないで洋食であるから
(勤めていてこんなことを言うのもなんだけれど,洋食は身体への配慮がなさ過ぎると思っている.
炭水化物かたんぱく質の塊みたいなものだからな.オムライスとかハンバーグとか.
お客の体型見ていてもそう思う.せめてセットのサラダぐらい全部食えよと思う.
それ残している人の体型見ると,そうなるだろうなと納得できてしまう)
夕食のみで必要な栄養を摂取しないといけない.摂取するカロリーは少なくして,
健康を維持するために栄養は十分に取るのが難しい.栄養補助食品を活用するのも考えたけど
できれば自然食品で摂りたい.様々な食材で色々作ってみたいのがその理由.
食べることよりも作ることが目的というか愉しみのような感じだからかな.
菜食中心の和食や会席料理を食べればいいのだけど,外食では金がかかりすぎる.