はてなキーワード: 伊藤計劃とは
ぶく速 SFが読みたい!2012年のSFベストランキング発表!
うんちくは多いけど、それだけって感じ。
俺設定・俺テクノロジーを語るために物語を適当にこじつけたような。
SFってただの設定厨ってことだったの?
がっかり。
■2013/03/01追記
南極点のピアピア動画には、カタルシスがほとんど感じられなかったんだよね。
予定調和的に淡々と進んでいくだけで、オーバーテクノロジーなりトンデモ理論なりが、話の展開を作る上でただのモブに成り下がってたように思えた。
それを使って話の展開が180度変わったりとか、そういうカタルシスが欲しいんだ。個人的には。
SF的な「設定」は「とりあえずある」っていうだけで、おはなしの部分は平坦なストーリーをなぞるだけだったら、むしろストーリーなんてなくていいとすら思えるんだよね。
用語集とかだけでいいじゃん、みたいな。
じゃあSF小説の醍醐味ってなんなの?って話にもなっちゃうけど。
参考までに自分の傾向。
・とりあえず翻訳物は苦手っぽい。日本人の作家だとありがたいかも。
・よくまとめサイトとかであがるものだと星を継ぐ者があるけど、あれは最初の10ページだか20ページだかで読むのをやめてしまった。
・小川一水の老ヴォールの惑星は面白かった。でも同作者の他の作品(ラノベレーベルとか)はなんかイマイチ面白くなかった。
・伊藤計劃は前提知識とかが専門的すぎるように感じられてとっつきづらかった。
・ループもの、時空跳躍ものが好き。そういや夏への扉とかもオススメで上がってたっけか。
↑って書いたら、日本人のを読むからダメなんだと言われたから、とりあえずSF要素が薄いor読みやすい海外モノでオススメないかな?
名作と呼ばれてるもの=読みやすいってわけじゃないのは痛感してるから、「SF 名作」とかで出てくる本にも下手に手を出しづらいんだよね。
古典厨だけど、現代文学読んでキャッキャワイワイ騒いでるのってサムい。
現代文学にも色んな楽しみ方があるのは知っているけどなんだか浅く感じる。
それでも、村上春樹とか伊藤計劃とか考察してる人はすごいと思う。
そもそも考察できる人はすごいと思う。自分はできないから。そこまでのめり込めないから。
ただ、同じくキャッキャワイワイするにしても、現代文学読んでするのと、古典なり海外文学なり哲学書なりに触れてするのだと違う気がする。
なんて言うか、その物語がその作家によるものであることを礼賛している態度が気に食わない。というか、物語を楽しむんじゃなくて、作家を楽しんでるのが嫌だ。
作品同士の関係から成る作家論を馬鹿にするわけじゃないんだけども。
あと、即時性とか話題性とかそういうのばかりが目に付くから嫌いだ。
コミュニケーションツールとしてだけ楽しんでるのが腹立つんだ。
そんな人ばっかりなわけはないのだけれど。
傍から見てるとすごく薄っぺらく見える。
色々あるんだろうけど。
http://www.yamdas.org/column/technique/hatenablog.html
なお、タイトルに PART I とあるが、このネーミングはメル・ブルックスの『珍説世界史 PART I』にちなんだもので、PART II 以降は存在しない。つまり、あなた(ソフトウェア企業)が絶対すべきでないことは、Joel Spolsky にとってこの文章に書かれることだけなのだ。それは何か?
まぁ、そんなわけないんだけどね。
「最近のはてなの体たらくへの失望感に名前を付けたい」というだけの文章にマジレスするのも我ながらどうかと思うし、気持ちは分からなくもないんだが、最近は「はてブ」以外全く使ってない俺でも、長年お世話になってきたはてなに対してそれなりに愛着というものがあるわけで、ディスられるばかりの流れに少しばかり反抗を試みたい。これは、それだけのエントリだ。
というわけで、以下に書くのは、技術の話でも倫理の話でもない。どうか気軽に読んでほしい。
実例を挙げる。
今やワールドワイドな影響力を持つ勝ち組ソーシャルサービスのTwitterだが、彼らは、ここ数年でバックエンドの大半をスクラッチから完全に書き換えた。しかも、RubyからJavaへと、使用言語すら変更してしまった。
http://d.hatena.ne.jp/teppei-studio/20110709/1310168002
もう一つ。Tumblrも、LAMPアーキテクチャからJVMベースへ切り替えた。その過程で、Twitterがオープンソース化した技術を取り入れたりもしている。
http://blog.kyanny.me/entry/2012/02/19/002256
『「古いコードはクズだ」というのは錯覚だ』というJoelの意見は、一面では正しいが、他の面では間違っている。なぜなら、あるソフトウェアに求められていること(要件)は、時間と共にどんどん変化するからだ。
書き直そうが、書き直すまいが、一番ダメなソフトウェアとは「ユーザの要求に応えられないソフトウェア」だ。規模や環境の変化によって古い技術の技術的限界に直面したり、ビジネス環境の変化に追随する必要が出てきたのなら、「スクラッチから書き直す」のは立派に一つの選択肢だ。
はてなダイアリーの最初のバージョンがどういうものかは俺もよく知らないが、おそらく「LAMP」がエッジなキーワードとして持て囃されていた頃に書かれたプロダクトなんじゃないかな(間違ってたら突っ込みを)。それから時代は下り、Ruby on Railsに代表されるCoCなフレームワークの登場を経て、今や大規模分散や非同期を前提としたアーキテクチャが当たり前の時代。当然改修はしているだろうけど、MySQLを職人芸で負荷分散していた時代からは大分遠いところに来たのは間違いない。
何より、はてなダイアリーといえば「はてな記法」とカスタマイズの自由度の高さがウリだったわけだが、これらの存在が、今や機能追加や改良の妨げになっているとしても不思議じゃない。
はてなブログ開発の動機として「今どきの技術で、最初からやり直す」というのがあるのは間違いないが、それは「スクラッチからの書き直し」だから悪手なのだろうか。結局のところ、レガシーコードのメンテナンスを続ける場合と比べてどちらがより低コストか、という話の結論によるとしか言えない。
はてダのソーシャル要素といえば「トラックバック」と「idコール」と「キーワードリンク」だったわけだが、全部Twitter(とTogetter)に持っていかれたよね、という話。
だから、「はてダver.2」や「ブログ2.0」を望む声が大きいのは理解できるけど、ぶっちゃけ、そんなもんに開発リソースを突っ込んでも勝ち目なんか無い。んで、それに代わるアイディアを持ってる奴はどこにもいないと。だから、既存コードの改良ではなくスクラッチから書き直し、スモールスタートでフィードバックを受けながら方向性を考えていく、という方向性はそんなに間違っていないと思う。
ただ、現状を放置すると「それTumblrでできるよ」という話にしかならん、というのはその通りで。それ以外だと、もしgithubがblogサービスを始めたりすると、かなり客を持っていかれるのではないかという予感はする。いっそのこと、Tumblrのデッドコピーから始めるのが一番早いのかもしらんね。
少し別の話を。
これは、Twitterのgithubレポジトリだ。上でも書いた通り、Twitterはサービスをスクラッチから書き換えた。で、その過程で開発した内部向けのフレームワークを、どんどんオープンソース化している。彼らが、内部の技術をきちんと体系化して再利用可能にしていることの証左と言える。
一方、はてなのgithubレポジトリ。正直、サンプルとかプラグインばかりですね、と。
色々と理由はあるんだと思うが、一つ思うのは職人芸頼りで自分たちの技術を体系化するという部分が弱いんじゃないか、ということ(はてな発のオープンソースで広く使われてるのって何かあったっけ?)。
先ほどから散々「書き直していい」と主張しているが、誰かが言っていた通り、技術の本質を捕まえきっていない状態でフルスクラッチをやっても、失敗する可能性は高い。はてなブログがどちらなのかは、中の人にしか分からないことだけど。
はてなが経営的にあまり状況がよろしくない、という推測はおそらく当たっているのではないかと思う。
タイムラインで、誰かが「まっとうな方法で収益化する方法を真面目に考えるべきだった」と言っていたのを見た。それをしていれば、今回のような事態を招くことは無かったのだろうか。
だが、「まっとうなビジネスモデル」とは何だろう。実際問題として、ここ最近成功しているネットサービスのビジネスモデルで「ターゲティング広告」と「マスなユーザベースから抽出したビッグデータを解析して売る」以外で何か有力なものはあっただろうか。FacebookにせよTwitterにせよ、収益化の原動力はユーザ行動解析だったりするわけだ(彼らがオープンソース化に積極的なのは、インフラ技術が差別化の源ではない、という面もある)。
まぁ、あとはガチャだが、どちらにせよ現状では高木先生の逆鱗に触れるようなものしかないよね。
そんなわけで、それらに代わる第四のマネタイズモデルを思いついた人は、ぜひ近藤さんに教えてあげると良いんじゃないかな。あればだけど。
今後はてながどうなるかは分からないけど、一つ希望したいことがあるとすれば、故伊藤計劃氏のダイアリーがこの先も保全されることを望みたい。
それは、エントリを全て魚拓しろ、という話ではもちろんない。彼の生前に書かれたエントリは、当時の「はてな」という生態系を構成する一部でもあるわけで、そこから切り離して文章だけをアーカイブしてもあまり意味がない。
「ふたば二次裏でまとめられていた、中高生のための100冊」シリーズの外伝的ネタ
『夢渓筆談』 沈活
宋代中国に書かれた古代中国科学史を研究する上での必読書だけど
今俺たちが読めば民明書房気分を味わえる名著だし仲間に入れてくれよ
小学校6年生の病弱な子がすごくよかった
『糞尿大全』 柳内伸作
とにかく世界中および歴史上のありとあらゆる糞尿に関する事柄をまとめた本
なるほどそんな事がと頷かせながらも
日常においてまったく役に立たない無駄な知識が!!
読んでると
腹が
減る
読書を始めた
あの
頃に
ホモホモしたり百合百合したり、大興奮間違いなし!
つい盛り上がってしまいパンツを脱いでしまったが大後悔!
『ダークライン』 ジョー・R・ランズデール
『ゼーガペイン 忘却の女王』 日下部 匡俊
言わずと知れたゼーガシリーズの外伝
先輩も出るよ!
ようぐそうとほうとふ!
ようぐそうとほうとふ!
ようぐそうとほうとふ!
『ニンギョウがニンギョウ』 西尾維新
あと拳銃は右手で
『ちびっこ吸血鬼はミステリーがお好き』 アンゲラ・ゾンマー・ボーデンブルグ
汚職に直接関与する事件のみならず副次的な殺人すら隠蔽せねばならぬことにうんざりした
アレクサンダー・マッケイはなんとか政治的な判断を相手に促しつつも事件の過熱化を防ぐために奔走するが
関係者よりも力を持つ上院議員とのコネを繋いだところでマッケイは殺害される
『異常の門』 柴田錬三郎
例によって「夢殿ウタタ」という名前に一癖ある主人公が、エロゲ展開とシリアス路線を並行して、物語の謎を解きあかしていく
主人公を助ける強力な右腕、ルートから外れたヒロインのひどい始末、クライマックスの盛り上がりという、シバレン小説の醍醐味が一冊で味わえるのでおすすめだ
『死ぬことと見つけたり』 隆 慶一郎
厨侍が厨性能で唯我独尊状態
娘の黒髪おっぱいは必読
1ページ目からやっぱり常人とは違うと思い知らされる
独特の人生観が貫かれてる傑作
『永遠も半ばを過ぎて』 中島らも
-永遠も半ばを過ぎた。わたしとリーは丘の上にいて、鐘がたしかにそれを告げるのを聞いた-
(書評1)異性との交際、学問への精進、肉体の鍛錬、
そんなものとは無縁な大学三回生の物語
まるで「」の活躍(?)を見るようだった
(書評2)来るべきハッピーエンドを目指したいけどそんなのは軟派だと世を拗ねてみるけどやっぱりなんとかしたい、という
まさに大学生「」というべき男が主人公
一緒に「夜は短し歩けよ乙女」も読むと幸せになる気もする
いもげの100冊がいもげの1冊になり兼ねない恐怖の書
急に読みたくなった
冴えないおっさんが若い女性に誑かされたりするよ!
(書評1)エロ面白い
(書評2)それ近くの図書館で高校の時に見つけてな…… 何度か借りて一年くらい使えた
二巻、三巻は男の子も多くて実に「」向きだよ
『神秘の島~ミステリアスアイランド~』 J・ヴェルヌ
ほぼ何もない状態での無人島サバイバル
海底二万マイルと実は繋がってる
『肖像画、馬車』ゴーゴリ/平井肇訳
神絵師になれるかもしれない才能を持った若き絵師「」が
悪魔のような肖像画に出会ったために破滅の淵へ追いやられる「肖像画」
のどかな農村で繰り広げられるホラ話と、それによって大恥をかく「」ちゃんが出てくる「馬車」の二編を収録
神絵師を志してる「」ちゃんは、「肖像画」の方だけでも読んでおくいいんよ
『ショスタコーヴィチの証言』 S・ヴォルコフ
長年真贋が論議されてきたが今ではほぼ偽書ということで確定している
ただ全部が嘘じゃなくて半分くらいは真実じゃないかというのが現在の評価
スターリン支配下にあったソ連の芸術家がどういう立場にあったかが分かる
あとアネクドートとかそういうので面白い
『私の一世紀』 ギュンター・グラス
20世紀百年、それぞれ一年につき一編の短編が収められた連作短編集と長編の間の何か
WW1を振り返る五年間がレマルクとユンガーの架空対談に費やされているという時点で
ドイツスキッヒにはたまらないだろう
『キッチン』 よしもとばなな
名前は聞いたことあるけど、あまり「」が読まない本だと思う
だけど地味に面白い
今でも通用する小説だと思う
自分の趣味に没頭する話
400ページくらいの本編に脚注が400くらいある
『かえるくん、東京を救う』 村上春樹
かえるくんいいなあ
いいなあかえるくん
白痴の人妻と「」がキャッキャウフフするお話
孔子は詐欺師ぺてん師パラノイアであることを文献引きまくって描く
呉智英推薦
『りかさん』 梨木香歩
WW2後イタリアの田舎で友達の妹とキャッキャウフフする物語
自殺した中学生の肉体に、天使が記憶喪失の魂を入れ直して第二の人生を生き直させるお話
キャッキャウフフあり、青臭い中学ドラマあり、少年の心を忘れない「」にお勧め
オチのカタルシスは語りつくせないのでぜひ一読を
『ガルガンチュワ物語』 ラブレー
世界一お下劣な文学と名高い
ケツの拭き方が24通りも載っているのでメルターの「」には必携の書
もう60近い年齢の方がメイドさんの小説を書いてると思うと時代ってのはすごいなと感じる
途中からエロ小説 とってもライトな読み味でいい
前者は20世紀における数学大事件の一つであるフェルマーの最終定理の証明を、数学の歴史に沿って、数学が苦手な人にも分かるように説明された良書
後者は楔形文字からエニグマから量子コンピュータまでの暗号と数学と人の歴史をこれまた専門外の人でも楽しめるように書かれた良書
「本当は怖いグリム童話」を怖いところを薄味にしてラノベに仕上げたような作品集
作者は流血とかが苦手らしいのでそういうのはぼやかした表現とかカットとかしてある
『楽園の知恵』 牧野修
お気に入りは「逃げゆく物語の話」
人型の物語再生機の面々が当局による弾圧から逃れようとするお話でせつない結末が待ってる
『シグナルとシグナレス』 宮澤賢治
鉄道本線の信号機シグナルと、軽便鉄道の信号機シグナレスの恋物語
鉄道の信号機の擬人化恋愛モノというまさに「」風の尖ったセンスに脱帽すること間違いなし
「ピタゴラス派の天球運行の楷音です」って台詞が大好き
『バルタザールの遍歴』 佐藤亜紀
それくらいハズレなし
男の子同士の友情を、少年サイドと中年サイドから迫った「飛ぶ教室」は人気が高いね
エーミールも好きだが、続きのないこちらを推そう
魔性の女に会ってにんとかかんともならなくなる話
人がいっぱい死ぬ
カルト専門ジャーナリストが幸福の科学の本を読んでたら突然偉人が乗り移ってきて…
大川隆法の著作をパロって
大川が偉人が乗り移っていったと書いている内容を著者に乗り移った偉人が批判する
タイムリーな本なのに絶版
『寄生虫実話』
自分の息子の首を切ったお母さんにインタビューしに行く話
『ワルの恋愛術 ワルな男は3秒で女を虜にする!』 内藤詛人
恋愛指南書という「」からもっとも離れたところにある本だが、
心理学者である著者の語るテクニックは心理学の実験や理論を基にしており
そこいらのホストの書いた本よりも興味深く、真実味にあふれる
また、作者が前もって宣言している通りわかりやすい口調で書かれており
心理学入門書としても楽しめる良著
表紙のメイドさんや挿絵がかわいらしい
「私の記憶は80分しかもたない」
事故で記憶容量に80分のリミットがついた天才数学者の爺さんと、そのヘルパーの女性、そしてその息子通称ルートが数式によって親密になってゆくお話
数学嫌いの俺でもすらすら読めた
数式が「美しい」ってのを肌で実感できたのは初めてかもしれない
『百頭女』 エルンスト
「あの猿に聞いてごらん――百頭女って誰なの?
教父さまみたいに彼は答えるだろう――百頭女をじっと見つめるだけで、わしにはあれが誰なのか分る。
ところが君が説明を求めるとそれだけで、わしにはその答えが分らなくなってしまうのじゃ。」
絵本を模して、コンピューターや二進数の原理をわかりやすく説いた本
あちらこちらにジョークをちりばめユーモラスに書かれているが、内容はいたってきっちりとしているので
全く判らない素人にもお勧め
絶版なので図書館を探すこと
『銀河旅行』 石原 藤夫
ロケットの基礎原理から化学エンジン、原子力エンジン、反物質エンジンの各特徴と、なぜ化学エンジンでは銀河旅行が出来ないかなどの、宇宙機に関する基礎的な物理がわかりやすく解説されてる。
SF要素をふんだんに盛り込んだヒロイン達に振り回される学園もの
一巻は良かったんだ一巻は…
倫理とか意識って何なんだって話をつきつめてく話。
シノフサの先輩の人で、こないだ亡くなりました
『ふわふわの泉』 野尻抱介
ゼロからの世界構築でありつつ、どこかで見た(聞いた)ような気がするので決して障害にならない
アニメで見た「」もぜひ読んでほしい
911から七年
何が起きて世界がどうなったか
僕の良く行くサイトの人たちはわかっている感じがする
でも、あまりにも当たり前すぎて、わざわざわかりやすく言語化する人は見かけない
パトレイバー2が公開されて、911があって、伊藤計劃の虐殺器官が発売され、そしてダークナイトが公開された
みんなきっと同じ文脈として理解してるはずなのに誰も語りたがらない
ここで簡単にまとめたいと思う
911が世界に示したことは現代社会では戦争に「前線」なるものは存在せず
人はいつでも隣人を殺せるという簡単な事実だった
「前線」
これが昔の戦争なら軍需施設を攻撃しないと意味がない効率の悪い攻撃だった
わざわざ戦意を挫くために教会を爆撃した国もあるがそれはもちろん特別なケース
しかし今の時代の戦争はただ単に破壊すること殺すこと自体が目的だ、対象は軍事施設に限らない
そこには兵士たちの前線も国境もなく内部から内部への攻撃が行われる
911以降アメリカはイラクに侵攻し現在も駐留していて毎月何人かは死んでいる
死んでいるのはウェストバージニアの貧民とグリーンカード目当ての外国人だが
それでも十分大きなコストをアメリカは払っている、なぜこんなことをしてるのか?
石油のため?いや違う、強制的に兵士たちの前線を作り出すことで本国を守っているのだ
テロリストがアメリカでテロを起こす難易度は以前よりはるかに難しい
単純にアメリカ人を殺すならわざわざ本国まで行かなくてもイラクに行けば殺せる
こうしてハマスのテロリストたちはアメリカによって飼い慣らされたのだ
「人は隣人を殺せる」
ちょっと前の秋葉原の事件、最近起きた反撃したら意識不明で傷害罪の事件
ダガーナイフが悪いだとか正当防衛なのに捕まえた警察が悪いとか言うけど根本的なことを見失ってる
通り魔は防げない、人は隣人をいつでも殺せる、駅のホームで、街中で、エレベータで、家庭で
本人が捕まる、あるいは死ぬ覚悟さえあれば人はいつでも隣人を殺せる
それを防ぐことは誰にも出来ない
ただ、そんなおかしい奴は何十万人に一人だから社会的リスクとして含めようというのが現代社会だ
交通事故の死者は道路と車を基盤にした社会の必要な犠牲と同じことだ
おかしな奴が車で轢き殺し刃物を振り回しても、学校で銃を乱射してもせいぜい3,40人しか殺せない
その程度では社会に与えるダメージは少ない、何年に一度は起きるただの不幸な事故ですむ
だがみんなそれを貴い犠牲とは思わない、防ぐことが可能な事故と言い張って社会が悪いことにする
みんな口に出すことが怖いのだ、人は他人を殺せるという当たり前の事実を
「ダークナイト」
ジョーカーは言った
俺の好きなものは「ダイナマイト、ガソリン、ガンパウダー、皆安いものばかりだ」
人を殺すのに必要な火薬の量は僅か2g程度で十分らしい
これが命の値段、確かに安いものばかりだ
多額の費用と高度な教育を受けた人間を使役して失敗作の毒ガスを作るよりよっぽど効率が良い
ダークナイトはこの時代がテロという国家対組織の戦争から個人対社会の戦争に移行したことを示している
バットマンは個人で強大な金の力をもって戦いを挑むがジョーカーは違う、ただ一つ狂気だけをもって戦う
もちろんジョーカーにも仲間はいるが顔の無い雑魚ばかりだ、同志とは違う
ジョーカーはたった一人で国家より更に強大な社会に戦争を挑んだ末に敗れた、バットマンではなく市民に
だがこれは映画だ、私達はジョーカーに、狂気を超えた本物の正気に勝てるのだろうか
僕は怖い、満員電車が怖い、街の人混みが怖い、暗い路地が怖い、大きな建物が怖い
自分が殺される僅かな確率におびえているんじゃなくて、だれかがそこで戦争を始めたら、たった一人で戦争を始められるという
世界がこの簡単な事実に気がついてしまったら、モヒカンの徘徊する、あるいは感情を抑制する未来が待っている気がする
それが一番怖い