はてなキーワード: ロゼッタストーンとは
よーしだいたい分かった。
〜〜十年後〜〜〜
母「そうよ。あなたもお父さんみたいな立派なブクマカになりなさい」
増田「いやだ! ぼくは弱きを挫き、強きに便乗する最低最悪な匿名ダイアリーの増田になるんだ!!!」
母「……ブワッ(号泣」
増田「!!? どうしたの? ママ、泣いてるの? なにが悲しいの???」
母「ば、ばかね……ママが泣くワケないじゃない……グスッ(増田……立派になって……やはり血は争えないわね……」
〜〜千五百十九年後〜〜〜
増田星人「これが我々の先祖の記録を記したロゼッタストーンか……お、メッセージの解析が完了したようだな」
ロゼッタストーン解析機「ギギギ……内容……ハ……」
増田星人「内容は?」
"名前を隠して楽しく日記! ようこそ、はてな匿名ダイアリーへ!"
〜完〜
これを書いた増田だが、ただ殴り書いただけなのにちょっと反響があってしまって責任を感じている。
http://anond.hatelabo.jp/20150513013343
だから今回はちゃんと俺の言いたいことが伝わるようにまとめてみたよ!
あ、タイトルは注目を集めるためにつけただけで、本気でそう思っているわけではなので悪しからず。
本気ではないが、半ばそう思っているけれど。
俺はナルシストだ。
そして品がない。
育ちも悪いしコミュ障だし、人の気持ちもわからんしデリカシーも無い。
見る度に、チックが別れた女房と息子に会いに行くシーンと、インデペンデンス号が墜落するシーンと、ハリーの自爆間際の走馬灯とで3回泣く。
俺の読書体験を要約すると、『スレイヤーズ』にハマって呪文詠唱覚えたり『星の王子さま』に感動したり『それから』を読んで代助のガキっぽさに読んでるこっちが真っ赤になったり『キノの旅』を読んで1巻目のプロローグとエピローグ暗記したり『猫の地球儀』に号泣したり『世界の中心で愛を叫ぶ』に号泣した後で本屋に平積みされてる『ジョン・レノンにだまさされるな』をワクワクしながら手にとって20ページほど読んでそっと棚に戻したり『いちご同盟』に号泣したり『バトルロワイヤル』に号泣したり『殺×愛-きるらぶ-』に号泣したり『天使の卵』に号泣したり『アルジャーノンに花束を』に号泣したり『涼宮ハルヒの憂鬱』を読んでわけもわからず激怒したり『ゼロの使い魔』読んでルイズに恋に落ちたり『フルメタル・パニック!』に号泣したり『とらドラ!』に号泣したり『永遠の0』に号泣したり『生贄のジレンマ』に号泣したり、まあだいたい号泣している。
こうして振り返ってみると読んでる本に脈絡ないなと思う。
ふらっと本屋で20ページぐらい立ち読みして、面白いなと思った本を買って読むからだろう。
あとは気分で話題になってるのを読んだりする。
テレビで『風立ちぬ』やったらしいから原作読んでみようか、とか。
夏目漱石とか太宰治とか川端康成とか谷崎潤一郎とか、国語の教科書に載ってるような文豪の作品も気が向いたら読んでみたりする。
ゲーテとかシェイクスピアとかカフカとかも、読んでみたことはある。
その中で、この人の書いたものは全部読まなきゃダメだ!って思わせてくれたのは秋山瑞人だけなんだよな。
『イリヤの空、UFOの夏』を読むと、
「ぼくは笑わない」
榎本の瞳の中に、どこか臆病な光が滲む。
「なぜそう言い切れる」
何度読んでもここで泣く。
これこそが文学だと思う。
さて、自己紹介もすんだところで俺の陳腐なブンガクロンの話でもしようか。
俺がむかっ腹が立って仕方がないのは「読書を教養を蓄えるための苦行と考えている人間」これに尽きる。
読書は面白いからするのであって、苦しむためにするわけじゃない。
ミステリが好きな奴は犯人探しにうんうん頭を悩ませるのが好きなんだろ?
重厚な哲学書みたいなのが好きな奴は、難しい話を読むのが好きだから読んでるんだろ?
読書が好きな奴にとっちゃ、当たり前だよな。
まさか、スタバでMac広げるノリで、ファッション感覚で分かりもしない純文学読んでる奴なんていないよな?
世の中には少しはそんな奴いるんだろうけど、こんな所でまで文学にあーだこーだ言う物好きの中には居ないだろう。
だからこの文章を読んでる人は、俺の嫌いな人間じゃないはずなんだ。
で、なんで読書が苦行と結びつくかと言うと、いわゆる「タメになる名作」って奴が歴史の洗礼を受けて生き残った、古い小説になることが多いからだ。
古い小説には、現代に生きてる人間にとって見慣れない表現が多く使われている。
当時の人にとって「ぐいぐい読ませる美しい名文」の集まりが、読書経験の少ない人には、まるでお経かなんかみたいに見えてしまっているわけだ。
だから「教養の無い人間にとっての、教養のための読書」は苦行になる。
そして、少し本を読んでるってくらいの俺にとっても、やっぱり明治の文豪の書いた文章は、血の通ったものには見えないんだ。
俺の思考、心、俺自身を構成する言葉の一部とは思えないんだよね。
なぜならライトノベルは、俺の心を作っている言葉、そのもので書かれた物語だからだ。
俺の体の中にある思考や心を、本という形で取り出した物だからだ。
文学かじってるような奴らは、『不朽の名作』なんて小っ恥ずかしい妄想を本気で信じてやがる。
断言してやるが、そんなもんはこの世に1作品足りとも存在していない。
全て名作は朽ちていくんだよ。
それは、作品に込められたメッセージが古くなるのではなくて、俺達が読めなくなるんだよ。
俺達には手が届かない。
だからどんな名作だって、その名作の本当の味を味わうことはできないんだ。
ショパンがその手で響かせていたピアノの音色を、俺達が耳にすることはできないように。
失われてもはや取り戻せない。
だけど、俺達はその片鱗だけでも、味わうことができる。
きっと完全ではないが、味わえる。
だって、人の心には百年でも千年でも、最も深い所に変化はないからだ。
そう信じるに足る何かがある。
眩いだろう。
なんか胸がときめくだろう。
ナルシスティックな気分になるだろう。
何十年かしたら、今読まれているラノベは苦労なしに読めない物語になっていくのだろう。
教養のための本になっていくのだろう。
それでいいんだよ。
そしたらまた別の何かが読まれるさ。
そうして俺達は滅びていく。
俺達の感動は、俺達の号泣は、俺達のナルシスティックな情動は、受験生を一喜一憂させる国語の試験の点数に押しつぶされて消える。
俺達が滅びた後で、意識高い系のインテリ気取りが20世紀末から21世紀初頭にかけての文学として、読み解くのに苦労するものとして、ラノベを語るのだろう。
それがちっとむかつくってだけだ。
子供の頃から声優とラジオが好きだった。好きというか、それしか無かった。
何かスポーツに打ち込んだことも無く、趣味も長続きしない、飽きっぽい子供が唯一、熱が冷めずに続いているのが、声優とラジオ。
こんな人間が大学在学中にする行動といえば、ラジオ局への就職活動。
マスコミ関係は学歴フィルターで書類選考で落ちるのが関の山だが、必死の努力で筆記試験までたどり着けた。
だが、あまりにもレベルが高かった。いや、次元が違った。声優とラジオしか知らない三流大学の私には、まるでロゼッタストーンの暗号に見えた。
試験結果を待たなくても結果は判っていた。試験後、その日受けた放送局の大好きな番組をネットカフェで放心状態になりながら視聴した。
その後、夢は膨らむばかり、系列の専門学校も受けたが、中卒から入学可能の学校なのに受ける人材は一流大学の学生ばかり。倍率20倍の壁厚く、落ちた。
何度も夢破れているのに、まだラジオが死ぬほど好きだから、たちが悪い。
入社試験から月日が流れ、二つの事件が起こる。
一つ目は受験した放送局の携帯コンテンツで、内定を貰い入社できた猛者の日記を目にすることになる。
日記を読んであることに気づく、その人は受験した日に私が放心状態で聴いていた番組のスタッフになっていたのだ。
しばらく、その番組に投稿するのを辞めた。
二つ目は別の局のラジオイベントに参加した際、パンフレットを配っていて、パーソナリティーとスタッフの写真を掲載していた。
その中に、専門学校の集団面接で私の隣に座っていた、国立大学在学中と自己紹介していた青年の姿が……。
別番組でラジオマンになったことは知っていたが、私の好きな番組のスタッフになっていたとは、悔しくて純粋にイベントを楽しめなくなっていた。しかも、この番組はリスナーからイベント企画を募集していて、私は二年連続で企画を通している。
企画は採用されているからこそ、なぜ?企画は採用されているのに、、、と無情な気分になる。
同じ試験を受けた人がチャンスを掴んで憧れの場所にいる。
この状態になって、試験に落ちた時「"その辺"の学生より頑張ってるのに、、なぜ……」と嘆いた時に言われた恩師の言葉が反芻して蘇る。