はてなキーワード: キャンパーとは
ほのぼの力:10 キャンプ:8 女の子かわいい:8 意外とストーリーがある?:7 総合力:7ぐらい
どんなアニメ?→「友達がいるのにあえてぼっちキャンプをするような女の子がスープを飲みすぎてキャンプ場のトイレに駆け込んだりするアニメ」
まず最初に言っておくべきことは1つ。
女の子が可愛いことをアニメに求めているかどうかが視聴継続の分かれ目になるであろうということ。
女の子が可愛いからこのアニメはいいアニメですと言えるかどうかでこの作品の価値の大部分が決まってしまうだろう。
しかし、このアニメが女の子の可愛さに頼っただけのグダグダアニメかと言えばそうではない。
このアニメは「キャンプの良さ」を言葉にして語らずして画面で語ることが出来ている。
孤独のグルメが、ただ食事を食べるだけのことの素晴らしさを、無理に言葉にせずキャラクターの態度によって示すあのノリだ。
わざわざ寒空の下でキャンプをすることの何が面白いのかを主人公は語らない。
すす臭さや手間暇のかかる焚き火なんてやらなければ寒さで凍えて本を読むことすら困難になるようなキャンプ場になんでやってくるのかを口にはしない。
11月に寒空の下で布団もかけず昼寝をする少女。
まさか、こんな強キャラじみたキャラがただのポンコツだとは……。
主人公よりもキャンプ慣れした怪物だと思いきや、まさかただフラフラして迷子になっただけのポンコツだとは……。
強烈な脱力と共に現れた彼女は、主人公たちの街に来たばかりだと自己紹介をする。
キャンプをまたしよう。
次に何が起きるのかがうっすらと見えてくる。
この感覚だ。
そして、場面は切り替わり登校の風景に。
通学路を少女たちが登っていく。
ふと意味ありげに現れる2人のキャラクター、口から飛び出したのは「ビバーク」という単語。
登場キャラクターそれぞれが持つ「キャンプ観」が一話という短い時間にテーブルの上に並べられた。
ダウナー少女のぼっちキャンプ、キャンプ初心者とのキャンプブートキャンプ、ベテランキャンパーによる苦行系ガチキャンプ、皆でワイワイやるゆるキャンプ、このアニメが描こうとしているキャンプの種類が多種多様であることが1話の段階で明かされるのだ。
次はどんなキャンプが待っているのか。
このワクワクはとても大切だ。
こちらはこの多様な手札をどの順番で切ってやろうかと言わんばかりのこのアニメの態度は実に視聴意欲をくすぐるものがある。
そして何より私がこの作品で評価しているのは、時間の流れのゆるさだ。
遅いが決してその時間は薄くはない。
爽やかな秋の空の下で綴られる日常系深夜アニメにはとても大切だ。
ましてそれが、キャンプという非日常系の日常を扱うのならば不可欠といえる。
それをこのアニメはきちんと携えて我々のもとにやってきた。
良いアニメだ。
ゲームキューブ版から3DSまで律儀に村の住人を続けている。楽しいからね。
そこまで期待していた訳でもなく、ポケ森もちゃっかりダウンロード。
数日遊ぶうちに、こんな記事を目にした。既に読んだ御仁もいるのではなかろうか。
【「どうぶつの森 ポケットキャンプ」は、シリーズの魅力である“スローライフ”を“労働”に変えた】
http://jp.ign.com/animal-crossing-app/19707/feature/
これ、納得する部分も多い反面、ポケ森が"スローライフ"を"労働"に変えた、というよりは
ポケ森…というよりもソシャゲ特有のローコンテクストで直接的でメタメタにメタな設計が、どうぶつの森というゲームスタイルの「暗黙の了解としての労働」だけを「前面に押し出してきた」という表現のほうがしっくり感がある。
一体どういうことかといいますと。
ポケ森は本家シリーズに比べて無粋なほどにメタすぎるのである。一番わかりやすいところでいけば、【なかよし度】とその上位次元の【キャンパーレベル】の概念たちだろう。
どうぶつのおねがいを叶えるとお礼がもらえて【なかよし度】、【キャンパーレベル】が上がる。ポケ森はこの連続だ。
もちろん、本家シリーズでも【なかよし度】はある。たくさん話しかけたり、お使いを聞いたりすれば上がる。どうぶつがより親密な話題で話してくれるようになったり、おうちに招かれたり、最終的には遺影にしか見えないポートレート写真をくれたりする(最後はポケ森にもあるよね)。
でもこれ、隠しパラメータなんだ。決して絶対的な達成度が数字で分かるわけじゃない。(裏を返すと、この子は一番最初からいるから一番仲がいい!みたいな相対的なパラメータはなんとなく想像できる)。
ポケ森ではこれがいちいちいちいち出てくる。おまけに会話の流れに乗っかってこない謎の仲良しプレゼントなるものもくれたりする。メタい。
ポケ森のどうぶつに近づくと彼らが欲しいものが吹き出しに出てきたり、果物を落とすと再収穫できる時間が表示されるのも実にメタだ。
生活をたのしむ、というコンセプトにおいてメタはある種の急所みたいなものだ。メタが出てきた瞬間にゲーム臭さが出てきて萎えちゃう。
たとえば、ゲームキューブのどうぶつの森では「セーブ」ではなくて「きろく」という言葉が使われるし(まあ、レポートとか冒険の書、あるいはパパとの電話と同じような遊び心)
リセットボタンを押したならば、リセットさんなる登場人物が現れて、リセットはしてはいけない、このどうぶつの森にそんなものは存在しない、と怒鳴り声交じりの説教を数分間吹っ掛けて帰ってゆく。
どうぶつの森とは本来そういうゲームだ。徹底的にメタを排除し、非現実的なモチーフながらも世界に没入させるスキルに長けたゲームだ。
ポケ森と本家版を質的に比較すると、ゲームとして行う行動に大差はない。
魚を釣り、虫を採り、果物を拾い、売る、買う、返す。同じだ。一次産業的で非集約的な労働だ。
それならば、なぜポケ森を「ディストピア労働ゲー」と評する声が大きいのか。
簡単だ。労働の「強制」であり「義務」がポケ森のデザインだからだ。
本家の労働は「任意」であり「権利」だ。これが本家とポケ森の違いだ。
本家では何をしてもいい。かわいい顔立ちをしたどうぶつに貢物をして遺影をもらってイエーイするのもアリ。
社畜と化し速攻で借金を完済し、邸宅箱庭ゲー然とした遊び方をしてもいい。一日中釣りキチをしたっていい。
どの遊び方をとってもそれは本質的には労働でしかない。獲物をタヌキかアルパカに売りさばかないと何もできないからね。
でも、この「目的としての労働」を楽しめる人が「本家」どうぶつの森のターゲットだったのではないだろうか。
……
一方、ポケ森にとっての労働は、【なかよし度】と【キャンパーレベル】を向上させるための「手段」でしかない。だから、ポケ森のイメージは作業であり労働と捉えられるのである。
別に批判する気はない。基本無料のソシャゲってそういうシステムだもんな。そういうビジネスモデルに乗っかった「どうぶつの森」としてはいい線だと思うけど、「どうぶつの森」としては決して楽しいものじゃない。
そもそも数量的でメタな目的のために、黙々とおもしろくもない作業をやるタイプのソシャゲが好みじゃないからこういう感想になるんだろうな。
多少ミリオタが入ってるのて軍艦女の子のゲームを楽しくスタートして、最強の空母機動部隊だ!とかにこにこしながら遊んでたけど、3-2-1にウン100回入らなきゃ行けないとか、数十分おきに練習航海させなきゃいけないようなソシャゲのシステムには馴染めなかったので、
執務室にいる吹雪ちゃん(Lv33くらい)は2年ぐらい待ちぼうけをくらっている。健気なのに。
やってる間ずっと楽しくないとゲームじゃねえ!つまらん!というソシャゲ音痴の考えでした。
でも部分的にはお友達が全員どうぶつの森をはじめたような楽しさがあるから、当分は除くんだろうけど。キャンパーレベルは12。そろそろしんどい。
自分は72時間限定の120円の課金をとりあえずしたが、まあ課金要らなかったなって
周りに一緒にやる人がいて、ツイッター経由でフレになったり、情報交換しながらわいわいやってる
例えばなんだけど、このゲームのこの要素がクソ!ってところがあったりする
それで辞めるかっていうと、そんなことはなくて知り合い同士で
「ここクソじゃね?」「わかるwwww」みたいなやり取りをして自分たちでガス抜きしてるから
すぐにやめよっかってならないんだよね
課金要素についてはまあ嫌ならしなければいいんじゃね?しなくても十分遊べるし
この騒動、まるで自明のことであるかのようになかのひとよの責任を問う声があるのが怖い。
例えばキャンプ場でキャンパー同士が暴行したとしたとしてキャンプ場に責任があるのか?結局なかのひとよが気に入らないから拡大解釈して罪をかぶせようとしている風にしか見えない、まるで共謀罪のようだ。
なかのひとよは典型的な「出る杭」であり和を尊重する日本では粗を探されがちだ。そしてまた「表現者」であり「見えてる人間」であり「口先だけでなく動く人」である。
そういう人が活動すると望むと望まざるとにかかわらず多くの人を巻き込み、手の平にのせてしまう。
気付いたのは、世の中の大人たちは手の平に乗せられた、と感じると激怒する人が多い、特にプライドの高い人間はそうであるようだ。なんとなくネットで叩かれる理由が理解できた気がする。
ブラックボックス展には連日長蛇の列が出来ていた。ネットで杭を打つことに必死な人たち、ご立派な価値観を持つ彼らが企画を立てたらどれくらいの列をつくることができるのかな、なんてことに思いを馳せたりする。
軽井沢のキャンプ場で女子会キャンプやるので参加者募集みたいな貼り紙を見た。
そこのキャンプ場のオーナーと話しをしたら近ごろ女のキャンプが流行ってるらしい。
道具を一切持たずテントも張ってもらえる姫キャンプなる集いもあるそうな。
そんなイベントキャンプが行われてるのは整備されたキャンプ場だろうし、行動範囲とは被ってないんでまあ関係ないかなと思って無関心でいた。
山で縦走しててのテン泊ならまだ理解出来るんだけど、日程的にやむをえずとかじゃないのに、女がわざわざソロキャンプをする意味がわからん。
まさか「キャンプをする人に悪い人はいない」とでも思ってるんだろうか。
車中泊やユースハウスでも大して費用は変わらないだろうに、なんでソロキャンをわざわざすんの?
一昨日、久しぶりのキャンプに行った。ツレと一緒だったんで、普段の行動範囲とは別の奥多摩のテン場に泊まったら、次の日の朝テン場がざわざわしてた。
連休中で家族連れも何組かいたし、ファミリックな雰囲気のテン場だったんだが、不穏な空気。
テン場には女のソロキャンパーがいた。本屋で見かけたランドネの表紙に載ってそうな服で、目立ってた。頭にハチマキの巻き方でインディアンみたいな紐を巻きつけた。ツレが言うにはヒッピースタイルらしいがよくわからん。
騒ぎの中心はその女キャンパーで、前日緊張で眠れなかったんだと。そんで具合が悪くなったんだと。緊張で眠れなった理由は隣のテントの男(大学生ぐらい?)が怖かったんだと(実際は何も遭ってないようだがジロジロ見られたり、足を見られたりしたと言っていた)
不審者扱いされた男が実際のところどうだったのかは誰も知り得ないことだったので、女の証言のみで男が窮地に立たされていくのがわかったが、管理人が女をなだめてなんとかひと段落した。
男はすぐに荷物をまとめて発った。
実際のところどうだったのかはわからない。でも彼女が怖いと感じる体験をしたのは事実だろうから、これに懲りてソロキャンやろうなんて考えないといいな。
濡れ衣ってこともあるしね。