はてなキーワード: ファイナンシャルとは
飯を食いながら仕事に対する愚痴とか雑談を少ししたあと、将来不安ですよね~な流れになったと思ったら
いきなりファイナンシャルプランがどうとか、年収一千万にしたいとか語られて
複業(複数やるからこの字らしい)しないと勝ち組になれないとかアドバイスをもらった
そして小奇麗なおっさんの画像を見せてきて「僕は縁があってこの人からいろいろ学んでいます。この人は○○にある高層マンションの一番上に住んでいます。僕らもこんなふうになりたいと思いませんか?」と
最後に、今度そのおっさんの家に行って学びにいかないかと誘われたが、どのようなことをしているのか聞いてもあやふやな答えしか返ってこなかったので「考えておく」と返事をして解散した
そいつは一月3万~5万入ってくるらしい
なんなんだこれ・・・
いや、これ、マジな話だったのか?そこまでマジで突っかかってくるって?
突っ込まれること予想出来なかったの?
みんなが皆、
「だめな嫁、もっと自己啓発ライフハックでもう起業しちゃう?みたいな嫁じゃないとだめだよなー
もしくはブログで月10万位簡単にアフィで稼げるのにそんなんこともしないなんてー」
みたいに反応してくれると思ったの?
で、なんでもいいけど、
お前の言い方的に、そこは一時的な住処でなくて、少なくとも子供が大きくなるまで位は住むつもりで「ファイナンシャルプランニング()」してるんだよね?
そんな長く住むような場所に、決まった後に嫁はグチグチ言ってるわけだよね?
何も直接的な喧嘩とかしてない状態ですでにそういう状態だ。
少しでも何かあったら嫁はそれを言い出すでしょ。
お前が何かヘマした時には徹底的に文句を言い出すよ。
その位は簡単に予想出来るよね?
契約した翌朝にこんなことを言われた。
子供もできて今の家が手狭になったこともあり、
週末を利用して、物件探しに出かけた。
初めて見た物件だが、思いの外条件が合致したので、即日契約した。
全て思い通りというわけではないが、客観的に見ても悪くない物件だと思う。
こんな風に書くと、その場のテンションで購入したように見えるが違う。
3か月ほど前から、5件くらい回り、当日はさらに5件ほどまわり、
そのうえで、最終数件まで絞り込み、
確認のために、再度、内見を行った。
将来的に払っていけるのかどうか、子供の学費、老後の生活費も不足しないか
十分に検証した。
かつ、「今回の時期は見送る。」という選択肢も十分に話し合った。
そして、お互い結論を出した。
で、契約に至る。
契約後は、一方的な契約破棄は無理ということもお互い知っている。
何回も確認した。
「あれだけ話し合ったのに、後から文句言うこと」については腹立たしいけど、
前文でもあるように、「全て思い通りというわけではない」なので。
確かに俺の給料でローンを払っていくけど、
俺が働けるのはあなたが家事やって、子供の面倒も見て、財布の管理もしているからですよ。
表題の言葉には、「でも、あなたのお金だから私は文句言えないわ。。。」が隠れている。
実際に「あなたの城だね。」とも言われた。
いいえ、「あなた」と「私」の城です。
今後、あなたとやっていく自信がなくなってしまわないかと危惧しています。
会社でいい歳して主体性のかけらも無い万年平社員の面倒を嫌というほど見ています。
それを家でもやるのかと。。。ウンザリ
幕末ともなれば穀潰しを遊ばせる余裕も世情も無く、結局のところ彼は糊口を凌ぐ為に己の才能を切り売りした。
どうやら武に纏わる技芸はさほど優れたものではなかったようだ。さりとて彼には商売の才能はなかった。
しかし彼には類まれなる発想と、稀有な才能があった。
それは、勘定をし、その勘定結果がどのような未来を描くか、どうすれば違う未来を描けるかを、説明する才能だった。
今で言う、ファイナンシャル・プランナーである。
彼が歴史に名を残したのは単なる偶然でしか無く、江戸の醤油売から東北の豪商に至るまでそこここの日記や書付にその偽名が残るのみである。
幅広い人脈を築いた結果得られたものが何だったのかも、どこの誰だったのかも結局判らない。
しかし、大店の影にその人ありと実しやかに囁かれた風聞は、今も色褪せることのない伝説として語り継がれている。
分を弁えよ、ではない。
人が贅沢を夢見たり、買えなかったものが買えるようになるのは良いことだとした。
一定の石高を常に保証される武士にとっては、倹約を旨とすればその分貯まる。
武士にとっては、勤めを果たすことが上向く方法だからだ。後は倹約しか無い。
しかし、町人や商人は異なる。己の才覚で事業を行う必要があるからだ。
ケチケチと貯めるばかりでは、生活は全く変わらず何のための商いか分からぬ
しかし、稼いだ分を使ってしまってばかりでは、商いを大きくすることは出来ぬ。
こう、説いたのである。
すると、分相応な使い方は出来ないが、使え、と言っていることになる。
これはどういうことか。
貯めてばかりでなく使え、使ってばかりでは貯まらぬ。
そして、その加減は余人にも当人にも図りがたし。
だから、そもそも無いものとして考え、ある分を使えば良いと、こう伝えられている。
これは意外なことに好評だったようだ。
元々宵越しの銭は持たない気っ風の良さを心情とする江戸っ子以外にも、粋や趣味には金がかかる。
これを抑えるのではなく、存分に使えと言うわけである。
大圓朝の芝浜と偶然にも結果は同じことを言っているわけであるが、後世の創作を加味すると、村田の方が時代を先んじていたと言えよう。
使うと言ってもここでは、無かったものとした貯めた分のことである。
そもそも無いものとして生活せよ、とする場合、言ってみれば稼ぎよりも貧乏になれ、と言っているのと同じである。
誰しも貧乏よりは裕福が良い。
程度はあれど銭金があって困ることは少ない。
だから、如何に使うかを考え、決してあるものとして勘定してはならぬ、それは無いものだ。
なぜならば、使い処が別にあるからだと、こう言っていたようだ。
この使い方指南こそが村田の真骨頂であったようだが、商売の正に秘伝とも言うべき部分の事で、手に入る資料の中にはさほど面白い事由は残されていない。
さて、よほど複雑なものでもない限り、商売の基本は数を数えることになる。
いくらのものを、いくつ仕入れ、手間賃をいくら払って、いくらで売る。
この管理ができなければ店の維持も難しいが、といって、数を数えてピッタリに合わせるだけではそれこそ丁稚にも出来る仕事である。
まず数を数え、その数を増やすのか減らすのか、増やせばいくら儲かり、減らせばいくら損するのか。
安く仕入れ高く売れればそれが一番良いが、なかなかそうはいかない。
小さな損に怯えず、最後に儲かる為には使うことを恐れるなと、指南していたようである。
どうやら、村田は積み上げて説明するのが好きだったようである。
これは、昨今の結論から話せという風潮からすれば迂遠に聞こえるが、相手には伝わりやすかったようだ。
無いとはいえ実はある、だから理由をしっかり考えて手をつけるな。
使い処を考えるのであれば、損することを恐れず最後に儲かるようにせよ。
こう話していけば、ではどうすれば儲かるのか、と、儲かるためには貯めねばならぬということが前提として相手に伝わっている。
先に述べたように、実際の使い方指南は、秘伝として秘されてしまい、伝わっていない。
しかし、その大本の考え方自体はどうやらこういうことのようだ。
大風呂敷を広げるだけ広げてしまい、その穴だらけでボロボロの風呂敷の穴を、繕って埋めていけ、
小さく着実に繕っていけば、いずれ大きな風呂敷が完成すると、こういうことのようだ。
商売の形態は大きく変わり、今となっては古臭い考え方でもある。
しかし、こと家計に関しては、今も村田の教えを活かす部分は大いにある。
ボーナスでご褒美を買っても良いだろう、
偶には飲みに行くのも構うまいと、
人は自分がどれだけ使っても良いかを客観的に知り、それを見極めるのが酷く難しい。
高収入でも貯められないのは、その人が自堕落であるというよりも、使い方を知らないからだと言える。
余ったぶんを貯金しようという考え方では、貯められないというのは良く聞く話である。
勤労者に対して天引きで貯蓄を促すというのは、財形等で政府が主導した手法でもある。
結局、分相応が難しいのであれば、元々給与が少ないものとして考えるのが良いわけだ。
貯めるのが目的なのではなく、使い処を考えろということなのだ。
そして、しっかりと考えた使い処があれば、今月の呑み代に窮して手を付けることは無い。
逆に言えば、手をつける程度の使い処は、余りしっかり考えたとは言えないのだ。
ここが、昨今の風潮とは一線を画すると言える。
村田は、まずは数えよとは言わなかった。どうやらどんぶり勘定の相手もしていたようである。
家計簿をつけて家計を見直すのは、もっとずっと後のことだと、つまりはこう言っているわけである。
家計簿をつけるのが目的ではない、無駄を見つけて節約することだ、というのは良く言われることである。
村田は、手順としてそれは後のことだと言っているのだ。
無駄を見つけて節約するのは、無いものとして考えた残りで自由にやりくりすれば良い。
最初に、何に使うかをしっかり考え、それは最初から無いものとして意識から外せと、繰り返し言っているのだ。
そして、単純に今欲しい物を考えよとも言わなかった。
大風呂敷を広げよと、こう言っている。
欲しい物のために我慢するのは馬鹿げていると手を付ければ元の木阿弥なのだ。
これは、大風呂敷を広げるだけの甲斐性がなければ、貯める必要がないという突き放した目線でもある。
日々の生活に事欠く人間に、夢を描け無いものとして貯めよと言っても虚しく聞こえるのは重々承知の上だろう。
享楽に行き、明日路傍に倒れるとも已む無しという無宿人も多かった時代だ。
これは現代でも変わらない。
小さくとも庭付きの一軒家で犬と子供に囲まれた幸せな家庭を築きたい、今は何もかも欠けている。
その夢を描くには、何が足りないのか、何を足してどうなればそこに辿り着けるのか。
無いものとして考え、ある中で使ってやりくりをする。
まずは夢こそが大切であるのだ。
村田惣右衛門という商人は、夢を描く手助けをし、それを現実に落としこむ手腕が鮮やかだったのだろう。
現代にも通づるそのファイナンシャルの考え方は、まず夢ありきであった。
夢を見つけ、具体的な道筋を立て、その手段として帳簿を使う。
帳簿を使って無駄を探るノウハウを伝授しても、無駄に使ってしまっては何にもならない。
最後までお付き合いいただいた読者諸兄におかれては、
http://partner.hatena.ne.jp/setsuyaquest
でホッテントリに上がってくるブログのことごとくが見るに耐えないと感じてしまう。
それでも下痢腹きのことか、カレーがぜいたく品とか「いやその行為で溜まる心的肉体的ストレスと、将来上げられるであろう年収と、天秤つりあってなくね」とか思う。(スーツのやつにいたってはもはや節約じゃなくてただの中二病)
保険見直しの解説テキストを作ったりしてたので、ファイナンシャルプラン()については一般人よりは知ってるつもりだけど「家賃下げろ」「年収上げろ」「公的補助は使え」くらいが最適解なんじゃねーの。欲しいものがあったら適切な銀行に借金しろよ。
誰かを尊敬するよりも、もっと損得を考えて生きよう。
二宮金治郎は、薪を背負いながら本を読んでいた。
学校に銅像があったからといって、舐めてはいけない。
あの銅像は、体よりもむしろ薪が大きく見えるようにつくってある。
ちっちゃいのに、一生懸命がんばってるね? なんて、見くびるにもほどがある。
当時でそれほどとは。現在でも十分通用する巨漢だ。
まさに、神に選ばれし男。
「ファイナンシャル・リタラシー」などと、吹き込まれた呪文をそのまま唱えるやからがいる。
おろかだ。オマエが成功することはない。
あれは、キヨサキ印の「ラットレースゲーム」(ボードゲーム)を売るための、宣伝に過ぎない。
キヨサキのおかげでラットレースから抜け出そうと決心した? バカが。
むりだよ。
キヨサキの本を読まずとも、「ラットレース」が何かはわかるよ。
『チーズはどこへ消えた?』を読めばよい。
成功するためには、ネズミでも小人でもなく、二宮損得にならなければならない。
その条件は、すなわち、
「知力」「体力」「時の運」だ。(配合割合は、2:3:5)
なにより、運のないやつは、まったく成功できない。
損得損得、二宮損得。
その心は明鏡止水。
まさに、神に選ばれし男。
ちょっと前まで、IT土方(っぽい雑用係みたいな奴隷)やってた。
鬱になって辞めた。
半年無職だった。
ぶっちゃけ今の職場、周りは頭のユルそーなねーちゃんばっかりなんだが、
彼女達は将来のこと(キャリアパスとかファイナンシャルプランとか)なんて
なんにも考えてなくて、しかも大したスキルもなくて、
欲しい物を買ったり、美味しいご飯を食べたりするのを楽しんで、
友達とたくさん話をして、とてもいい笑顔を見せてくれる。
これはなんだ?
「だって社員さんからの説明がないからしょーがないじゃん」
「その時によって違うんだから毎回聞かなきゃわかんないじゃん」
え?
え?同じ事を2回聞いたら殺されるんじゃなかったの?
自分で調べてどうにかしない人間には生存価値がないんじゃなかったの?
知らないこと、分からないことは罪じゃなかったの?
めちゃくちゃショックだった。
価値観や考え方が違うってのは、こういうもんなのかと衝撃だった。
いま、自分のキャリアやスキルはどんどん価値が失われてるんだろう。
だけど何か違う世界を見た気がしている。
洗脳が解けたんだろうか。
やっと欝は治ったんだろうか。
いま連休を前に、
「どーせ休んでも何もすることねーしアノ仕事進めといた方がよくね?」
じゃなくて、
「やったあ!連休だよ!何しよう!?みんなは何するの!?」
って気分にやっとなれた。
ああ、自分は死ななくてもよかったんだなあ。
みんなにも楽しい事がありますように。
08年第四四半期のGDP成長率マイナス3・3%。34年ぶりのダウン。
しかしこの12・7%という数字は08年第四四半期のGDPのマイナス3・3%を通年に直して、こうなるだろうと予測した数字であり、あまりにもおどろおどろしい。
英紙ファイナンシャルタイムズはちなみに「日本、GDP3・3%ダウン」と報じているだけで、通年予測の数字を行間に小さくしか用いていない。ウォールストリートジャーナルもこれに同じ。
日本のマスコミだけが、なぜか意図的にトップの見出しに深刻な数字を用いているように見える。市場はところで、まったく反応せず2月16日の株価は28円下がっただけである。
私が、家を買ったときの知識から、まだ買ったことのない世代の人に言うと
いまの政局では、住宅ローン減税のメリットを生かせないので、あまり買わない方が良い。
具体的な話は、マンションのモデルルームのでいいからFP(ファイナンシャル プランナー)に相談したほうが良いですよ。
1.他人をむげに白痴などと見下ろさない。 人を見下ろすと言っているの本人は自慢のつもりだが、周囲から見ると逆に品格のない人と自分の品が下がってしまう事があるので、避ける表現かと思います。
2.『べき』という単語は相手の感情を逆撫でし、正しい意見でも通らない事があるので、やんわりとした表現を使って相手に考える余地を作るのが良いかと思います。
あんた、物言いに険がある。
彼女が怒ったのも当然。彼女だって色々考えてベストとは言えないまでも、なんとか妥協できるところで決定したはず。
それをいきなり全否定したんだからな。彼女が自分の人格を全否定されたと思ったのも無理はない。
そういうところに借金したのは家族やあなたに金のことで迷惑をかけたくなかったからじゃないのかな?
だから、あなたは最初に「何でも遠慮せずに相談してくれていいんだよ。俺は君を責めたりしないから」と言えばよかったんだと思うよ。
まあ、そういうことが言えるキャラじゃなさそうだし、実際言えなかったんだから仕方ないけど。
そのうえで
には同意。
金融教育というと、勝ち組が自分の子供にファイナンシャル・セミナー通わせてるのがニュースになったりして「格差社会の見本」的な扱いがされてるが、実際には負け組や下流の人々こそ金融や経済の知識が必要だと思うんだよね。無知に付け込んで負け組からさらに搾り取る「下流食いビジネス」がここまで広まってるとね。
そして、下流の人が無知すぎる(ように見える)から、中流以上の人は下流の人の苦しみを「自己責任」で片付けてしまいがちで、あまり救済の手を差し伸べようって気にはならない。
下流が下流であるがゆえにさらに食い物にされて、格差がどんどん広がっていくって状況に歯止めをかけるためにはやっぱり義務教育に金融教育を組み込む必要があると思う。
格別高度なことを教える必要はなく、おこづかい帳をつけさせてみるだけでも効果はあると思う。現在ではこれすら各家庭の自主性にまかされているようだ。
読み:にほんのかんりょう
日本において行政の中枢をになう中央省庁なかでも上位の役職にある人々を指す。通常、国家I種をパスし、キャリアとして入省した人々である。彼らは出世競争により一部が高級官僚となり、最終的に一人の事務次官を生む。さらに、その経験者から各分野のトップが生まれる。基本的に東大法卒である。
内閣官房副長官(事務担当)は各省庁の官僚トップが出席する事務次官等会議を主催する、官僚の頂点の一つである。慣例的に旧内務省系の事務次官経験者から任命される。
司法を司る国の機関は三権分立の精神により独立性が高い独自の体系を持ち、法層界の頂点を形成する。
他省庁と違い他国にて活動する外交官にはさまざまな特権が与えられ、また、国内の政治力もおよびにくい。さらに、大国の大使ともなれば政治家に勝る発言力が生ずる。
独特の地位をもつ。
あまり、テレビの構造について詳しくないので調べていたんだけど
なかなかおかしいなと思うところがたくさんある。
免許が必要であり、電波利用料を支払う必要がある。
なぜなら、基地局単位で支払うような仕組みだからである。
結果的に携帯電話事業者が電波利用料の実に90%以上を支払っており
放送に関しては1%に過ぎない。
このようなおかしな状況では、
もっとおかしいのは、このテレビ放送のスポンサー料を支払う窓口は
電通オンリーであるから、スポンサー料の大半は電通になだれ込む。
最終的に、スポンサーが支払った料金の10%以下しか、制作会社に入ることは
これでは面白い番組はできないし、どうしようもない。
そこで、少し面白い方式を考えてみた。
どうだろう?公共財である電波を時間帯ごとに競争入札制度にしてみたら?
さらに、公共財である電波に流したものに関しては「オープンソース」のライセンスのようなものを適応し、
これをもってしても制作会社が1次請けになれば、十分にペイできる構造に
することができる。
この入札で得た金を現在のテレビ局などの放送装置を持っている会社に
支払い、ファイナンシャルリースの形で最終的に総務省の管轄にする。
この仕組みを導入したとしても、
現在のテレビ局がもつ制作会社が当初はほとんど時間帯を入札で手に入れる
しかし、十分な規制緩和によって
次第にこの構造は崩れるようになる。
インターネット上で制作会社の一次請けを募集できるサイトがスポンサーに
放送自体がすべてとまることはない。
さらにBPOを正式な第三者機関と各自治体のもつ免許失効および停波などの
権力を持たせれば、公共物である電波は一時的に特定財源になり、
次に一般財源とすることができる。
殿様商売が終わり、ガチンコでスポンサー獲得をしなければならなくなる。
また、放送したもののライセンスは公共物になるため
なぜ、一度公共物を通じて提供されたものを再び見ることが
違法にならないといけないのか。
なぜ、垂れ流されるという苦痛を支払う国民に
一切の還元がないのか。