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はてなキーワード: アナクロとは

2013-07-29

http://anond.hatelabo.jp/20130729121439

この現代おい名称で個人を識別しようっていうのがアナクロなんだと思う。

同姓同名についてはどう対処するんだ。

結婚して姓が変わることについては?

ユニークであることを保証したければ、国民総背番号制にしないと解決しない。

2013-07-08

子供レベルの「左翼」の釈明を潰しておく

http://anond.hatelabo.jp/20130707231436

第1の理由は右翼も真っ青

第1の理由は、日本社会に対する批判はそれが「われわれの問題」であるから行っているのだ、というもの

外国の出来事については「よそ様の問題」であってわれわれが口をはさむべきことではない、というわけだ。

(われわれ自身のことについてはともかく)他人に対して不寛容な態度で接するべきではない、との価値判断も背後にあるものと思われる。

まり、「よそはよそ、うちはうち」「他人に優しく、自分に厳しく」である

1a.そんな括りに誰がいつコミットしたのか

この理屈や発想はものすごく国家主義的で笑ってしまう。

心にもない言い訳のためのでっちあげとはいえ、

左翼が持ち出す理屈ではないと思う。


たまたま同じ国や社会に住んでるとか同じ民族に属してるだけの他人に対して

民主的な代表ですらないあなたがたが自己同一視して「われわれ」などと括る、

そして他の国や社会民族の成員と異なる責務を強いる、つーのは

括られる方・強いられる方にとって正当な扱いだろうか?


アナクロ右翼のおじいさんが

「われわれ大和民族の義務として」等と言いながら

何かよその国や社会民族やと隔絶した義務を強いてきたら

あんたら左翼はそれこそ顔真っ赤にして狂喜しながらおじいさんを叩くだろう。

(俺だってもちろんおじいさんに従う気はない。)

「われわれ」の理屈はこのベタ右翼のおじいさんと同レベルである


1b.「われわれ」は騙り放題

そもそもあんた達が本当に「われわれ」なのかすら怪しい。

単に、中国韓国側にアイデンティティを持つ(肉体的なことか精神的なことかは問わず中韓ナショナリスト

国対国の意識の上から日本を攻撃したり弱体化させるために、

「味方」になりすましてる者ではないとどう証明するのか。

残念ながら、韓国人にはそれぐらいするような頭のおかしナショナリストは居るし

日本人に成りすましてばれた韓国人というのもばれただけでも大量に居る。


そしてここで、

「われわれの問題」という物の言い方は結局

そこでの発言権のあるなしが属する国や社会民族で判定されるものだということが露呈する。

左翼じゃない俺から見てもどう考えてもやばい


それがフェアでまともな言説・批判であるなら、

発言者に特定の国籍なり住民票なり出自なりを必要とするわけはない。

(詐称・僭称とは言え仮にも左翼を名乗る人達にこんな講釈したくはないんだが…)

苦し紛れ言い訳だとは言え「われわれの問題」なんていうヤバい理屈を持ち出しちゃう奴は、

自称に反し左翼ですらないのがはっきりしている。


脂汗を垂らしてそんなへんてこりん言い訳するぐらいなら

ちゃんと差別することなくどの国もフェアに扱う方がよっぽど楽である

左翼」の人達にはそれが出来ない・したくない秘密事情があるのだろう。

あなたがたには、中韓の悪い部分が周知されるのは不快もしくは不利益なのだ


第2の理由は正直ではある

第2の理由は、一部の国に対してのみ妥当するものだが、当該国の憂慮すべき現状を招いたのはわれわれなのだから受忍はやむを得ない、というもの

2a. 不公平の合理化は無理です

話にならない。

完全に民族差別のものです。ありがとうございました。

また、中国にせよ韓国にせよチベットなりベトナムなりで凄惨虐殺性犯罪をしており

中韓はそれら被害国にどのようなスタンスで接しているだろうか。


しかしまあ、1個目のへんてこりん理屈に比べれば

これこそがよほどあんた達の本心に近いんだろう。

日本人であるというだけで罪人たれ

永遠に我々の言い掛かりに付き合え

と。


2.b 過去に学ぼう

中韓の「偏狭」なナショナリズム日本の侵略がその形成に大きな影響を及ぼしており、

われわれがこれを批判しても感情的に受け容れられないのは当然である

われわれとしては中韓の人々が自分の問題としてこれを克服するのをまつべきだ、というのである

そのように彼等を精神病みたいにいうならば、

半世紀治らなかったものに同じ治療法を続けて快癒を期待するのは狂気だ。

しろこれまでの日本の態度は彼等の病状を維持もしくは悪化させるものであったと認めなければならない。


では別の治療法はどのようなものが有力視できるか?

これは歴史に学べるかもしれない。

中国にせよ韓国朝鮮半島)にせよ

歴史的に膨大な数の被侵略の歴史があるが

未だに粘着質な恨みを向ける対象は日本だけだ。


例えば中国についてはイギリスの、朝鮮については中国の態度にこそ見習うべきものがあるだろう。

2国とも、被侵略国が過去のことについてグチグチ言い掛けたら

きっぱり「過去のこと」「うるさいだまれ」という態度に徹している。


第3の理由は窒息するほど苦しい

第3の理由は、あらゆる問題について批判することが不可能である以上、「批判しないこと」が生じるのもやむを得ない、というもの

3a. 自分でも苦しさを自覚するようなことを書くのはやめたらどうか

誰の目から見てもあなた達「左翼」の態度は偏っていて

しかも偏り方にはあからさま方向性がある。

別にばれてないと思ってるわけではないだろう。

(ばれてないと思ってたら長々言い訳するわけもない)


例えばあなた方は並みの日本人に比べて大変中国韓国に詳しい。

それでいて、並みの日本人でも耳に入る程度の中国人韓国人による民族差別的な事件については言及すらしない。

たまたまリソースが有限だったので」?「手が回らなかっただけで他意はありません」?

自分も信じてない、小学生でも信じないような嘘を書くのはよせ。

世の中には「言うだけならタダ」なんてことは実は無い。

レベルな嘘や破綻した嘘で言い訳をする人間には軽蔑が積み重なっていく。

軽蔑とは軽視、蔑視だ。


3b.他の項と矛盾しあうようなものを3つ並べんなよ

1は「意図的日本差別的扱いするのだ、身内だから」で

2は「意図的日本差別的扱いするのだ、罪人だから」で

3は「意図的でない、リソースの不足だ」である


全部相互に矛盾してるが特に1,2と3とは1ミリも並存し得ない。

繰り返しになるが、思いつく端から言ってみればいいというものではない。

そんなことやってれば「ああ、並べてあるのは全部嘘で、真の動機を隠してるんだな」というのが

よりバレバレになるだけだ。


4.まとめ

以上、3つの言い訳はすべて論理破綻や強弁があった。

これらの無理矢理な説明よりももっとずっとシンプルに彼等「左翼」の動機や正体を説明できる仮説はある。

あくまで仮説だが例えば…

彼等は実はただの中韓側に属するウルトラナショナリストである

とか。

2013-05-11

作画オタク情報源について

http://anond.hatelabo.jp/20130510210114

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20130510210114

lost312

こーゆー人が「わかってる人」ってやつか。どこで情報得てるのやら。アニメーター担当箇所なんて、一般雑誌に載ってないよね?ww2013/05/10

ざっとケースを挙げると

過去仕事で目立つ作画をしていた人、有名な人だったら、ED原画クレジット名前があるのを見越して推測は可能。

インタビュー等で本人が言った。

③人づてに聞いた。

①は作画オタの教養主義たる所以です。

過去仕事ぶりからそのアニメーターの作画上のクセ・タッチ・影響元を脳裏にインプットしておき、すぐさまそれを思い起こして目の前の気になる作画とすり合わせる事が出来るか、にあります

例えば「この作画はかなりA氏っぽいがA氏の名前クレジットされていない、その代わりA氏に影響を受けたとされるB氏の名前が載っているので、おそらくこのカットはB氏の原画だ」とこんな感じで"推理"するのです。

絵そのもの作画監督完璧に修正されてても、動きのタイミングはその人の個性が残ってる場合が多いので、そこから推測や考察が出来ます

これが出来るか出来ないかが作画オタの資質というものです。

事情でノンクレジット名前が載ってない)って場合でもある程度は判別は出来るでしょう。例えばダイターン3の2話とか12話とか22話には金田伊功名前EDクレジットに一切無いけど、見りゃ解るでしょ。知らんって?

ただ「限りなくこの作品やってるに違いない」くても「確実にやった」かどうかまではわからないので、確定するまでは「かもしれない」「(推測)」などの言い回しをしてお茶を濁しておきます。(作画wikiなどの編集時において)

当然外す事も多いです。

従って主な情報源は②になります

WEBアニメスタイルの「アニメの作画を語ろう」(http://www.style.fm/as/01_talk/01_talk_top.shtml)などは情報源の宝庫です。

インタビュー受けてる自身の仕事の他に、「あそこは◯◯さんがやった」とポロッと漏らしてくれるので、情報は集めやすいのです。

雑誌に載ってないよねと言いますが意外と結構載ってるもんなんですよこういうの。

稀にノンクレジットペンネーム仕事もバラしてくれるのでありがたいです。

例えば『Sci-Fi HARRY』のOPスタッフは「絵コンテ・演出・作画監督原田慎之介 原画原田組」という謎の人物及び団体ですが、原田慎之介なる人物が大平晋也である事は作画オタなら誰でも知ってますし、原田組なるチームも橋本晋治小西賢一である事は本人達自分から喋っています立場名前を出しちゃいけないから隠すはずなのですけどね。(共通項として、みんな同時期にジブリの某作品にメインで関わってた人たちという)

そんなわけで②は確実なソースの根拠になる・・・と思いきや、本人の記憶違いもたまに有ったります。その場合、間違ってる事に気が付かないと作画オタは情報いつまでも鵜呑みに信じるしかないですが、訂正情報があった場合はすぐに検証してデータ更新しなければなりません。(出来れば、の話ですが)


それらに比べたら③はあまり無いですが、アニメーター界隈がいかにタコ壺状態であるか皆さんの想像する10倍以上は狭いものなので結果的に共有情報が多い→そこから意外な情報流出する、という事も多々あります

若いころアニメーターさんと知り合いだったっていうようなロートルオタクブログツイッター等で思い出話的に「実は・・・」と話してくれる事も多いです。

後は作画オタ系のブログや作画@wikiと、2chの作画を語るスレですかね。前述したように作画オタの基本は教養主義なので、腐っても鯛と言わんばかりにコミュニティ崩壊してても割りと語る時は語れるし情報は転がっているものですよ。よく分かってないフリして(ここ重要)「◯◯って□□だよね?」などとわざと間違った情報を出して聞いてみると「ちげえよXXに決まってんだろそんな事も知らないのかこれだからニワカは・・・」「ちなみに□□は△△だしXXは●●なんだぞそれぐらい調べとけカス」と鬼の首取ったかの勢いで色々教えてくれます

で、そこを上澄みだけすくい取って知った気になっていれば、id:TM2501みたいな作画オタぶって他のオタ連中から一歩リードしてるつもりになってその実ニワカ以下のモノ知らず一丁出来上がりってわけです。


こんな感じで、作画オタク世界ってものすごくアナクロなんですよね。

超能力か何かで誰の仕事か当ててるなんて事はまったく無いんですよ。

創業時からの熟成ソースを継ぎ足し継ぎ足しで現代まで受け継いでいるような存在。そこに義務感や使命感、そして優越感を持ってる厄介なヤツら、それが作画オタクです。


最近ブクマを荒稼ぎした寒天プールの人(http://sajiya.blog89.fc2.com/blog-entry-312.html)も、そういった作画的教養主義の荒波に揉まれてきたからこそこういう記事が書けるんですよ。id:TM2501と違って。

この人、「自分は作画オタじゃない」と言ってますけど、作画オタ間での同族嫌悪全然珍しいものではありません。こいつらなんか一緒にされたくないと思ってる作画オタ同士は多いですよ、本当に。



追記:

■関連記事

アニメ業界の話(メモ

http://anond.hatelabo.jp/20130520105912

作画崩壊厨と『鉄腕バーディーDECODE』の思い出

http://anond.hatelabo.jp/20130520234923

2012-12-10

http://anond.hatelabo.jp/20121209211742

公共事業が悪いとはいわんけど、アナクロ土木脳は困るな

建設業界にカネは落ちるけど、社会保障必要な層には届かない

日本ではすぐ地価がバブって、土地持ちにザクザクカネが流れる

むかしと違って単純労働者の給料も低いし外国人労働者も多い

かといってすぐに高度な技術は身につけられない

2010-08-30

ホメオパシーの次は「無農薬野菜」「地産地消」を疑おう

ホメオパシーについては、あまりのトンデモぶりに、

学会朝日による反撃が始まった。

それはそれでいいのだが、であれば、

例えば「無農薬野菜」とか「有機野菜」というのは、

健康面・寿命面で統計学的に有意なのか?

農水省キャリア官僚の某掲示板での投稿

http://6506.teacup.com/0120320354/bbs

ホメオパシーは論外だが、有機無農薬農産物もある点これに似ている。

>というと怒られそうだが、英国政府で調べたところ、有機無農薬農産物

>食べ続けた人と一般(慣行)農産物を食べ続けた人を比較しても、健康

>違いは見いだせなかったとのこと。

>規模や期間等議論はあり得るが、有機無農薬農産物健康にいいかと

>聞かれたらどう答えたらいいのだろうか?

>いまだ健康への優位性は見いだせていないとしか言えないということだろう。

>それなら、そんなものを政府が推進するのはホメオパ医療並みと

>いうことにならないか?各位のご感想は?

農水省は、疲弊した日本農業の進むべき道として

無農薬減農薬農法による高付加価値農業」をイメージしているようだし、

そういう農法でないと海外農作物に対する競争力は確保できないのだろう。

しかし、純医学意味合いにおいて、

無農薬農法・減農薬農法での食生活は有意に健康増進する」という

科学エビデンスが得られているのか、と言えば、

自分不勉強なのかもしれないが、得られていないのでは、と思う。

エビデンスご存知の方いれば教えてください)

民間レベルや「あるある大辞典レベル

無農薬だと健康に『なんとなくよさげ』ですよね~」と吹聴する分には

罪は軽いが、公的セクター農水省などが

無農薬作物を政策として推進する」のであれば、

それは政策説明責任を伴うのではないか?

あるいは「地産地消フードマイレージ運動」や「食育」なんかも同じ。

素人考えでは「地産地消環境にも健康にも優しい」と早合点しがちだが、

松永和紀「気分のエコには騙されない」によれば、

「下手な地産地消は、かえってエネルギー使用量を増加させる」とし、

「特定地域食材に偏った食生活は、土壌蓄積重金属などの悪影響を受けるので、

 逆に健康を害する恐れがある」と看破している。

要は、農水省の「地産地消運動は、「地域活性化」という経済対策的側面は兎も角、

「省CO2」「国民健康増進」という観点では、積極的に進めるべきエビデンス

乏しいのでは、と思えるのである。

更に、文部科学省までが、その尻馬に乗って「食育」なんて概念を展開している。

これって、「水伝」を道徳教育の場に展開したようなアナクロ感を

感じてしまうのだが。

2010-01-18

宮崎正弘の国際ニュース・早読み

ttp://www.melma.com/backnumber_45206_4731661/

(読者の声1)民主党の「外国人地方参政権法案」が議論になっていますが、それはまだ序の口です。というか、それはほんの露払いにしかすぎません。

民主党小沢鳩山らがたくらんでいるのは、在日外国人日本人以上に優遇する「外国人住民基本法」の制定です。

この「外国人住民基本法」は、「外国人参政権法案」や「人権擁護法案」等を包括する在日外国人の「権利の章典」のような基本法(一種の憲法)であり、在日外国人を徹底的に優遇する基本法です。

これを担当・推進しているのは民主党アナクロ左翼議員円より子ですが、法務大臣千葉景子社民党党首の福島瑞穂らもこれを強くバックアップしています。公明党共産党も当然、加担するはずです。

 この「外国人住民基本法」の法案を読めば、常識ある日本人なら唖然とするでしょう。どんな外国人でも3年または5年以上日本に滞在していれば(不法滞在者も含めて)、参政権はもとよりあらゆる行政サービスを受ける権利があるとしており、さらに遡って年金戦後補償なども受けられる上、二重国籍取得も可能となります。

パスポートがなくても自由な出入国を保障しなければなりません。また外国人日本公務員になる権利まで定められています。さらに「自己言語を使用する権利」が規定されていますから、他の条文と組み合わせれば、日本社会では支那語や朝鮮語による表示が必須となり、日本社会日本語が通じない社会となる可能性が大です。

地方自治体にも、そうした外国人優遇を具体化した条例を制定することを義務づけています。やがて在日支那人在日韓国人警察官日本人を取り締まるのも時間の問題となるでしょう。

 しかもこの法案にいう「外国人人権審議会」は、日本人に対する弾圧言論統制をおこなう機関です(もちろんそのような明文規定はありませんが、いずれ細則や省令で実態がハッキリするでしょう)。

人権擁護法案にいう人権擁護委員会が、ここでは「外国人人権審議会」という名で、形を変えて盛り込まれているのです。これが日本人抑圧機関となることは火を見るよりも明らかです。これは、日本列島が「外国人には天国」「日本人には地獄」となるような法案なのです。(「支那人」などと発言したら早速「外国人人権審議会」に拘束されるかもしれませんね)。

【「外国人住民基本法案」のPDFファイル(↓)】

ttp://www.pusan-jchurch.org/gaikokuzinkihonhou.pdf

 この法案には、在日外国人の権利が、考えられる限り網羅されており、わずか23条の条文の中に「権利」という言葉がなんと70回以上も出てきます。ところが「義務」はわずか2回しか出てこない。しかもその義務たるや日本側の義務であって、外国人側の義務ではないのです。

外国人の義務については一言も規定されていません。なんと外国人に都合のよい法律でしょうか。

外国人スパイ工作員奨励・優遇・楽園化法案といっても過言ではありません。

 それもそのはず、この原案をとりまとめたのは「外登法問題と取り組む全国キリスト教連絡協議会」という怪しげな団体。公安当局の見方では、これは在日大韓基督教会ダミー団体のようです。

 民主党は一体どこの国の政党なのでしょうか?

 なお、「外国人参政権」は民主党マニフェストからは外されていました。

つまり国民公約した政策ではないのです。もちろんこの「外国人住民基本法」も同様です。小沢政権を取ったら、バカな国民を尻目に、一気に実現したいと考えていた法案なのでしょう。

確かにこれは、韓国人支那人にとって「天国のように住みよい日本」を造るための「日本改造法案」です。小沢が言うように「これは革命だ」ということなのでしょう。

 韓国人支那人を、かくまで優遇する小沢の真意はどこにあるのでしょうか?

日本人からは表現の自由を奪い、外国人には全ての自由と権利を与え、日本人にとって住みにくい日本をつくる、という日本人を舐めきった法案です。小沢の両親は戦前日本帰化した在日朝鮮人だったというネット上の「噂」を信じる人も増えることでしょう。

 小沢円より子に「外国人住民基本法案とりまとめを急げ」と指示しているそうです。「外国人参政権」の次には、この「本命」が控えているのです。日本人大衆はそのために政権交代を望んだのでしょうか? 

小沢独裁を許し、無能宰相をのさばらせ、在日外国人日本人以上の権利を与えるために。

   (池田一貴)

2010-01-13

民主党はお花畑だけど、自民党アナクロ化には驚いた

政権を握っていた頃は靖国参拝とか改憲とかはナアナアだったのに、今になってそれを前面に押し出してくるという姿勢が分からない。ナアナアだからこそ支持されてきたのに。これじゃアナクロだよ。現実主義政党はもうどこにもないのか?

アレか、何か派手なマニフェスト言わなきゃならないと思いこんじゃったのかしらん?

2009-10-26

東京海上火災日動は、女性を活用する意欲があるだけまだマシでないか?

ネタだが、「ちきりんの日記」で、東京海上火災日動が

女性営業職を活用する」と社長号令で動いていることについて、

「今更そんな動きをしているなんて、アナクロ昭和な感じ、遅れまくっている」と

批判されていた。

しかし、当方の感覚としては

「遅れているかもしれないが、社長がそのような動きをする会社は、まだマシ」と

感じてしまう。

仮に女性営業職なり総合職を一切活用しないで、そして「今後も活用するつもりがない」

会社があったとしたら、その会社東京海上火災日動と比較したら、ちきりん女史は、

どちらを評価するのか?

以前ちきりん女史は日清食品管理職研修女性の参加を前提としていない、と批判していた。

いい機会だから、日清食品内に、女性総合職管理職が「そもそも存在しているのか」、

そして「今後は活用するつもりがあるのか」確認してみればいい。

少なくとも、「女性管理職も、総合職も、いずれもゼロで、今後も活用するつもりが微塵もない」

という一部上場企業を、当方は1社知っている。

2009-10-20

http://anond.hatelabo.jp/20091020061931

子供手当てと高等教育無償化って、別に中年以上を対象とした政策ではないと思うのだけど。中年以上の人間子供の養育・教育なんか半ば以上終わってると思うし、そもそもこれらの政策の主眼は、そういう親世代に対する負担の軽減というよりも、その子供達が持つ潜在的な人的資源価値を高めるための投資じゃないのかしら。(まあ、親世代に対する効果を狙っていない、ということはないだろうけどね)

それと「施し」「開発」なんて言葉で括って現代政治を捉えるのはちょっとどうなの。国民福利厚生教育水準を高く保つことは、同時に将来の先端産業の発展可能性を高め、その消費者を生み出すことでもあると思うのだけど。何でそんな二項対立の構図で政治を捉えているのかが皆目見当が付かない。元増田が考える「開発」って一体ナニ?申し訳ないんだけど言ってることが凄く前近代的な印象を受けるよ。

今更国家主導の産業経済政策を称揚するが如き言説をするところもそうなのだけど、元増田政治に対する意識が非常に保守的というか、アナクロな部分があるように思う。正直、あんまり同意できないなー。例えば、かつてのシグマ計画みたいなことをやられても「開発(笑)」みたいにしかならんし、その手のミクロ経済産業振興は民間に任せろよ、と。市場がまともに機能してないような国じゃないんだから。

あとこの辺、

民主主義における選挙では、頭が悪い人間をたくさん集めることすなわち勝利なのだ。(頭の良い

人間は、機会がある度に判断して誰を支持するか考えなおすので信頼がおけないが、無知人間

一度支持と決めたら「支持すること」が目的にすり代わってしまうことが多々ある、あるいはそう

導きやすいのも都合が良い)

定量的にこの主張を裏付けるような研究・文献があるようなら教えて欲しい。

正直、そんな単純な動きで政治を測ることができるなら、自民党はあんな大敗を喫することはなかったと思うのだけど。

政治を理解する上では、そういう俗っぽい政治観は捨て去った方が賢明なのではないかしら…。

あれかなあ、何か凄いネタマジレス感も漂うのですが、元増田のご意見はどうですか。

2009-05-30

無能だな

電話番号とか、住所聞くのに何度も聞きかえすんじゃねーよ

普通は一回普通に言っただけでOKかどうか判るだろ

なんでそんなアナクロなんだよ

郵便局

2009-01-19

音楽歴史を求めることが見られなくなっているので全文引用http://d.hatena.ne.jp/taninen/20070203/p1

<h3>[]音楽歴史を求めること</h3>

      • 先に断っておくと、僕自身も音楽学部で学んできた身で、音楽について論じたり大学で教えたりもしているけれど、西洋音楽史の専門ではないし、研究教育についてもかなり異なるスタンスを持っている。件のリストの前口上に対しても結構異論がある*1。しかしここでは僕個人の意見は脇に置いて、あれが一種の教養として求められていることを汲んだ上で、それがどういうものなのかを考えたい。

      • まず、例のリストは「名曲百選」のようなものではない。それならそれでもっと吟味のしようもあるだろう(僕は関わりたいと思わないが)。そうではなくて、挙げられた曲は音楽リテラシーを培うための、言わば「例文集」として集められていると考えられる。

        • それがどういうことかというのは、音楽ではなく文学で考えた方が分かりやすいかもしれない。まっとうな現代文の授業なら、作品の本文だけ読ませてそこから何か汲み取れ、というような乱暴な教え方はしない。

          • テクスト自体をきちんと読解することは大事に違いないが、その作品を「読めている」と言えるためには、それよりずっと多くの知識が必要となる。それが書かれた時代や社会言葉の使われ方やものの考え方を抜きに、その文章が何を表現するために書かれ、またどうしてそのような文章になったのかを云々することはできない。

          • 言葉は使われるものだ。当然、人によって使い方の違いがある。その違いに敏感になることはいろいろな場面で求められるが、特に歴史というのは、その距離を測るための重要パースペクティヴになる。

          • 文学に比べれば意識されることが少ないが、音楽でもそのような歴史主義的な想像力を働かせることができる。あのリストが音大生に対して求めているのは、簡単に言ってしまえば「歴史の引き受け手になること」だ。

            • 楽譜として残っている作品演奏される際の表現のあり方については、考慮すべきことがあまりにたくさんある*2のでここでは踏み込まない。しかし作品(に今触れられること)が歴史の産物である以上、歴史想像力は多かれ少なかれそこに介在している。そういうことに無頓着であること自体、ある種の特異なスタイルをなしてしまう。

            • 音大で音楽史を教えるということは、以上のような歴史的な想像力を育ませるということを使命の一つとして負っている。そのための楽曲リストが作成されたのは、学生にそういう意識が足りないという危機感を物語っている。しかし、それは単に「音楽家たるもの名曲をたくさん知らなくてはいけない」というのとは別の話だ。(その是非はともかくとして)クラシック演奏家のエートスとして歴史主義を維持していくこと、それがあのリストには込められている。

            • ここまではあのリストが音大生向けであることを踏まえての話だけど、音楽を聴いて楽しむ立場に対しても、やはり歴史主義的な考え方を当てはめることはできる。

              • 端的に「音楽を楽しむ」という時、その楽しみ方の内実についてはあまり意識されない。特にこんにちでは、音楽はそれ自体でオートマティックに楽しませてくれるものとみなされるか、あるいは好みの問題で片付けられることが多いように思う。

              • しかしながら、音楽歴史想像力を求めることは、かならずしも後者イデオロギーに回収されてしまうわけではないかもしれない。つまり、「端的に楽しむ」と思われている現象にも、ある種の歴史性が関わっていると考える余地絵は充分にある。

                • これ以上は話が大きくなり過ぎるので別の機会に回したいが、一つだけ挙げておくと、「作品が帯びている歴史性」とは別に、「人が経験の蓄積として築いている歴史性」について考えていかないといけないだろう。

                • はてなブックマークでの受け止められ方(元のコンテクストとのギャップ)に関しても思うところはあるのだけど、もういい加減長くなったので、それはまた気が向いたら。

                *1クラシック音楽の用語や概念が万国共通語としての地位を確立しているという認識は、パラダイムとしてはすでに過去のものになりつつある。むしろ、その思い込みを押し付けることで見えなくなっていた概念の複数性・ローカル性をどうやって掬い取っていくかというところにこそ、近年の問題関心がある。すでにクラシック音楽の語法を身に付けた音大生の意識を高めるための方便としてなら、そのアナクロさも理解できなくはないけど。

                *2楽譜のエディションの問題、演奏家の系譜の問題、解釈スタンスの問題、演奏スタイル自体が持つ歴史性の問題、レコード化の影響などなど。演奏論は音楽学の中でも後手に回ってきた領域だけど、多分これから盛り上がる。

                2008-11-16

                大麻取締法を叱る

                ポール・マッカートニーがまた日本に来る(一九九〇年)そうだが、よく来る気になったものだと思う。

                ポールはご存知のように大麻所持で前回の来日時、何日間か拘置所入りになったすえ英国へ帰された。

                拘置所にはいったことのある友人の話では、日本拘置所では、大小便をするたびに

                看守に報告して便器に水を流してもらわねばならない。小便のときは、「便水!」と叫び、大便のときは、「ロング!」

                と叫ぶのだという。そういう話を聞いていたので、拘置所ポールはどうしているのだろうと案じていたら、

                新聞に、「ポール、”ベンスイ”と叫ぶ」という記事がのっていた。これには笑った。

                 ところで、当時の世論というのははなはだあいまいだったように思う。

                これが日本人タレント大麻事件であればマスコミは飛びついて、「芸能人の甘え」だの

                芸能人の思い上がり」だのとクソミソに叩く。が、相手はそこいらのタレントではなくて、元ビートルズ

                ポールマッカートニーなのである。日本人論理としては、ポール・ファンの女の子の、

                ポール、かわいそう」というものから、せいぜい「日本に来る以上、日本法律は守るべきだ」くらいの、

                はなはだ歯切れの悪いものだった。

                 しかしはっきり言ってあの事件は、日本という国が世界中に対して露呈した「国の恥」なのである。

                僕がポールだったら、二度と日本のような遅れた国には来ない。

                あの事件のときにマスコミ世界の趨勢と学術的な根拠に立って、大麻云々を語るべきだった。

                事実間題として大麻取締法というのは、高校校則に「股火鉢を禁ず」

                という条文が残っているのと同じくらいのアナクロ法なのである。

                 我々は小さな頃からマンガや読み物で、

                 「恐るべき麻薬とりことなった××は、いまや廃人と化し」

                 といったような表現を見聞きして育っている。

                また日頃の情報の中でも「人間やめますか」といった政府広報に行く先々で接するし、街を歩けば大麻の絵のポスターがあって、

                「見つけたらすぐ届けましょう」みたいなことが書いてある。そうした情報が頭の中でゴチャゴチャになって、

                大麻麻薬=悪」という固定観念ができている。

                こうした情緒的な固定観念論理でつき崩すのはむずかしい。事実僕も何冊かの資料を読むまでは、そうした観念でもって

                大麻を見ていた。ただ僕の場合は「それが悪だから興味がある」といった反応である。

                たいていの人の場合は、自分が悪に加担していない、そのおかげで安心する、という自己安全弁のために悪というものを必要とするのだ。ところが、悪の放つ匂いにひかれて大麻のことを調べてみると、これは非常にガッカリする。

                大麻というものには、害毒もなければ取り締まるべき理由も何もないのだ。以下にそれらの要点を述べてみる。

                資料としては主に第三書館の『マリファナ・ハイ』『マリファナ・ナウ』『ドラッグ内面への旅』

                チョコレートからへロインまで』などのシリーズ及び『麻薬ロードを走る』『FIX』などの反麻薬犯罪の書を並行して読んだ。

                まず第一に、大麻というものには一切害毒がない。アメリカ諮問機関が数年にわたる調査の結果、

                マリファナに関する大部の報告書を大統領あてに提出している。その他、公的学際的なレポートも多数存在するが、

                従来の有害説はすべて現在では否定されている。

                内臓系統への弊害、精神的なものへの弊害、肉体的精神依存性など、すべて実験リサーチによって否定された。

                大麻有言説には以上のものも含めて8つの論点があるが、その中で否定派の一番大きな支えになっていたのは

                「踏み石理論」と呼ばれる物である。これはつまり大麻に害がないとしても、

                この大麻を始めてしまったものはより強い刺激を求めヘロインコカインLSDなどに移行していく、というものだ。

                この踏み石理論すらも大統領へのレポートでは完全に否定されてしまったのだ。この「踏み石理論」はたしかに一見説得力がある。

                しかし現実の数字はそれを否定している。

                それは当然のことなのだ。人間というものは常に強烈な刺激を求めてエスカレートしていくわけではない。

                たとえば酒を例に取ってみる。踏み石理論でいくと、一度ビールを飲んだ人間は、

                さらに日本酒ウイスキーー、ウォッカヘとエスカレートしていくはずだ。が、現実にはそんなことは起こらない。

                僕などは大酒で肝臓をこわしたほどの酒飲みだが、飲むのはいつも日本酒だった。

                ウオッカなら日本酒の三倍のアルコール度があるが、だからウオッカをとはならない。

                踏み石理論が通用するのは大多数の中のごく一部の人であって、それすらも原因は「物」ではなくてその人個人の「精神的欠落」にあるのだ。こうして学術的に有言論が否定されてしまうと、アメリカという国は対応が早い。

                今、アメリカの州法ではほとんどの州が大麻所持を解禁している。罰則のある州でも、販売目的で大量に所持していた場合で、

                それに対する罰も日本でいえば「立ち小便」に相応する扱いのうなものだ。

                ヨーロッパでも動向は似たようなものだし、デンマークスペインなどは全面的に解禁している。

                インドでは数千年にわたる大麻吸飲の習慣があるから、州立のガンジャショップ大麻を売っている。

                そんな情勢のもとでポール逮捕されたのだ。世界中の人が首をかしげ日本を見ているにちがいない

                「しかし、法律法律だ」と言う人がここでたくさん出てくるだろう。ところが、もともと日本には大麻取締法というものはなかったのだ。大麻を吸うということ自体がほとんどなかったわけで、一部の木こりなどの間で「麻酔い」という言葉があった程度だ。

                大麻取締法敗戦GHQ押しつけによって成立したものである。このときもほとんど検計らしきものは何もなされずに立法されている。つまり本家本もとではとっくの昔に悪法となっているものが日本ではいまだに生きている、というこなのだ。

                こんなもので検挙されて一生を棒にふる大学生若者がたくさんいるわけで、その理不尽さの度合いにおいて大麻取締法は

                現代の「お犬さま」条令である。歴史の流れを見てくると、理不尽法令というのは山ほどある。

                かつてのヨーロッパではコーヒーが禁止されていた。煙草もそうだった。違反した者は死刑にされた時代もあった。

                近いところではアメリカ禁酒法がある。そうしたアナクロを我々は笑うことはできない。大麻を持っていたせいで刑務所に入れられるのも、コーヒーを飲んでギロチンの露と消えるのも本質的には同じこなのだ。

                個人を侵犯する悪法は変えていかねばならない。悪法であっても法は法だ、というので守る姿勢というのはわかる。

                現に僕自身、をこわすほど酒は飲むが、非合法ドラッグはいっさいやらない。悪法にひっかかるのがくやしいからである。

                ただ悪法を変えたいという意志はある。変えるためには「時代の空気」というものが絶対に必要だ。

                我々がコーヒーを飲み煙草を吸っているのも、この「時代の空気」が根拠のない法を駆逐してきたからだ。

                この空気を作るためにこうしてひとつひとつ誤解を解いていかねばらない。

                コーヒーにしろタバコにしろ大麻にしろ、悪法にはひとつの共通した点がある.

                それは「国家が法でもって個人の領域にまで踏み込くる」ということである。

                これに対しては意外なことに、ジミー・カーター大統領時代に名言を吐いている。

                つまり、ドラッグに対すはの健康の悪化をもって最大のものとする。国がそれ以上の罰を課してはならない、というものだ。

                つまり、大酒を飲もうがヘロインを打とうが、国はいっさい手出しをしない。そのかわり、それで体が悪くなったり死んだりしても、

                それはあなた個人の罰ですよ、ということだ。これは非常に明快で、卓越した意見である。個人の快楽にも苦痛にも国は介入しない。

                ただ、その結果、他人や社会に害をなした場合は、これは法でもって取り締まる。国と個人の関係というのはこうあるのが理想だろう。

                ただし、一方では、アメリカという国はいまの状態では「こうとしか言えない」のかもしれない。

                この明快な論理アメリカという病める国が、苦しまぎれに吐いた「きれいごと」なのはないか。

                新聞を見ていたら、コロンビアマフィアブッシュ大統領暗殺計画を練っている、という記事が出ていた。

                アメリカ側は、威嚇のために軍艦を二隻コロンビアに横づけした。コロンビアという国はアメリカヘのコカインの輸出で成り立っている。このボスを制してコカインアメリカヘの流出を断とうとしたものだから、国家規模の殺し合いが始まった。

                一方では南アメリカ全体は、コカインが生む金で日本の車や電化製品を買っている。この衝突が鎮静しないと、

                日本商社もまた困るのである。ここに先のカーター発言を持ってくれば問題は何とか解決する。

                要するに麻薬そのものに関する取締法を一切なくしてしまうのだ。そして正常のルートコロンビアコカインをつける。

                これをやられると、麻薬を資金源にしている世界中ギャングは、ちょうど禁酒法がなくなったときのような大打撃を受ける。

                大半は正常な企業形態をとって、利潤は減るが普通の「商売」をせざるを得なくなる。

                暴力団の力は弱まり、一見すべてはうまくいくかのように見える。だが、子供たちはどうなるのか。

                現にいまアメリカイギリスでは小学生がへロインを打っているのだ。問題はとても複雑でむずかしい。

                かといって日本大麻取締法がナンセンスなのも事実で、へロインと大麻を同次元で語る論法はまちがっている。

                とりあえずはポールがまた捕まらないことを祈っておく。  中島らも 「こらっ」 より引用

                2008-09-05

                http://anond.hatelabo.jp/20080905143844

                テキストブラウザで済むなら最初からテキストブラウザ使ってるわ、糞が。って思ったのも俺だけじゃないはず。

                Webサイトのローディングが数秒遅れただけで閲覧者数が大きく変動するという事実があるのに何をアナクロな事いってんだろう。

                2008-02-21

                http://anond.hatelabo.jp/20080222075422

                はてな真理

                かつて死刑囚松本智津夫は、麻原彰晃と呼ばれ崇められていた頃にこういうセリフを吐いたことがある。

                「私に対する疑念、それを煩悩と言う!」

                京都移転を表明した jkondo こと近藤はてな社長、および彼を支持してやまない者たちは、まさに松本が主宰していた「オウム真理教」のごとく行動しているように見える。

                jkondo および umedamochio が嬉々としながら行ったはてなアメリカ進出が仮に失敗だったとしても、誰もそれを責めるつもりはない。いやもし誰か責めたいという者がいるのであれば、今やアナクロニスティックな「日経ビジネス」の「敗軍の将 兵を語る」あたりで愚痴を開陳してもらえばよい。

                ところが、経営的視点から jkondo およびはてなの行動を批判する者は、はてな真理教の教義に反するとして信者から叩かれるという構図が一部作られつつある。そして信者の勢力が拡大するなら、はてなを支持しながらも臆せず批判を行う層は「ポア」の憂き目に遭うかもしれないというところまで来ている。

                はてな経営に関する議論は、言論の自由という基本的人権レベルレイヤよりもはるかに上方メタなところで語られるべきものだ。そこでは、現代の企業あるいはベンチャー経営に必要な新旧のノウハウの全てをもってして議論が尽くされるべきである。ましてやはてな利益を享受しているユーザであればなおのことだ。ユーザの批判は許さないというのは、まさにユーザを「ポア」する行為だ。

                はてなが、何らかの経営におけるパラダイムシフトを成し遂げようとしているのであれば、それ相応の成果ないしは途中経過を見せて欲しい。Google創業者であるセルゲイラリーは、最重要ステークホルダーである株主意見すら遮りつつ「俺たちに任せておけば心配ない」と言い放った。jkondo はそこまで言えるか?否、である。皆 jkondo が心配で心配でしょうがないのだ。

                はてなの将来に期待するからこそ、信者アンチという単純なくくりの下にアンチを黙殺あるいは「ポア」しようとするのではなく、はてなの持つビジョンを明確に説明してくれることを強く望む。

                はてな村という限定されたコミュニティの中で大勢の支持者に取り囲まれている安穏とした状況では、umedamochio の言う「キャズム」を超えるのは永久に不可能だろう。

                2007-11-17

                http://anond.hatelabo.jp/20071117115529

                電網時代の新人類はページめくるごとに別人格になってるってのは常識だと思ってたがまだ知らないアナクロ人間もいるのか。

                2007-01-31

                隙間から見えるなんだかグロい物

                厚労相の発言に仮に「機械」という単語が含まれてなかったとしても、「ある一定の年齢の女性しか子供は埋めない」っていう事実の表明は結構グロテスクだと思う。それが良いとか悪いとかの問題じゃなくて、そこは(少なくとも表面的には)今まで社会が触れないようにする方向に向かっていて半ば聖域化していた部分。だから、あえて切り込んでいくために角の立ちそうな言葉を選んだのかもしれないけど、まあ結果的に完全に裏目。

                それに、「少子化」という社会問題の解決を一個人の負担に落とし込むには、それなりに社会の中でコンセンサスが出来上がらないといけないのに、そういうのすっ飛ばして「役目の人」とか「頑張ってもらわないと」とかいった言葉が出てくるのはやっぱり違和感がある。

                それはそうと、ニュースの背景にふっ、とグロいものが見え隠れするといやーな気分になるよね。皇族男の子を産まなくてはならないとか、死刑制度を維持するためには死刑を執行する人が居ないといけないとか。共通して見え隠れするものにアナクロな感じがするのは(でもそれだけでは済まないような気がするのは)何でだろう。

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