2009-01-19

音楽歴史を求めることが見られなくなっているので全文引用http://d.hatena.ne.jp/taninen/20070203/p1

<h3>[]音楽歴史を求めること</h3>

      • 先に断っておくと、僕自身も音楽学部で学んできた身で、音楽について論じたり大学で教えたりもしているけれど、西洋音楽史の専門ではないし、研究教育についてもかなり異なるスタンスを持っている。件のリストの前口上に対しても結構異論がある*1。しかしここでは僕個人の意見は脇に置いて、あれが一種の教養として求められていることを汲んだ上で、それがどういうものなのかを考えたい。

      • まず、例のリストは「名曲百選」のようなものではない。それならそれでもっと吟味のしようもあるだろう(僕は関わりたいと思わないが)。そうではなくて、挙げられた曲は音楽リテラシーを培うための、言わば「例文集」として集められていると考えられる。

        • それがどういうことかというのは、音楽ではなく文学で考えた方が分かりやすいかもしれない。まっとうな現代文の授業なら、作品の本文だけ読ませてそこから何か汲み取れ、というような乱暴な教え方はしない。

          • テクスト自体をきちんと読解することは大事に違いないが、その作品を「読めている」と言えるためには、それよりずっと多くの知識が必要となる。それが書かれた時代や社会言葉の使われ方やものの考え方を抜きに、その文章が何を表現するために書かれ、またどうしてそのような文章になったのかを云々することはできない。

          • 言葉は使われるものだ。当然、人によって使い方の違いがある。その違いに敏感になることはいろいろな場面で求められるが、特に歴史というのは、その距離を測るための重要パースペクティヴになる。

          • 文学に比べれば意識されることが少ないが、音楽でもそのような歴史主義的な想像力を働かせることができる。あのリストが音大生に対して求めているのは、簡単に言ってしまえば「歴史の引き受け手になること」だ。

            • 楽譜として残っている作品演奏される際の表現のあり方については、考慮すべきことがあまりにたくさんある*2のでここでは踏み込まない。しかし作品(に今触れられること)が歴史の産物である以上、歴史想像力は多かれ少なかれそこに介在している。そういうことに無頓着であること自体、ある種の特異なスタイルをなしてしまう。

            • 音大で音楽史を教えるということは、以上のような歴史的な想像力を育ませるということを使命の一つとして負っている。そのための楽曲リストが作成されたのは、学生にそういう意識が足りないという危機感を物語っている。しかし、それは単に「音楽家たるもの名曲をたくさん知らなくてはいけない」というのとは別の話だ。(その是非はともかくとして)クラシック演奏家のエートスとして歴史主義を維持していくこと、それがあのリストには込められている。

            • ここまではあのリストが音大生向けであることを踏まえての話だけど、音楽を聴いて楽しむ立場に対しても、やはり歴史主義的な考え方を当てはめることはできる。

              • 端的に「音楽を楽しむ」という時、その楽しみ方の内実についてはあまり意識されない。特にこんにちでは、音楽はそれ自体でオートマティックに楽しませてくれるものとみなされるか、あるいは好みの問題で片付けられることが多いように思う。

              • しかしながら、音楽歴史想像力を求めることは、かならずしも後者イデオロギーに回収されてしまうわけではないかもしれない。つまり、「端的に楽しむ」と思われている現象にも、ある種の歴史性が関わっていると考える余地絵は充分にある。

                • これ以上は話が大きくなり過ぎるので別の機会に回したいが、一つだけ挙げておくと、「作品が帯びている歴史性」とは別に、「人が経験の蓄積として築いている歴史性」について考えていかないといけないだろう。

                • はてなブックマークでの受け止められ方(元のコンテクストとのギャップ)に関しても思うところはあるのだけど、もういい加減長くなったので、それはまた気が向いたら。

                *1クラシック音楽の用語や概念が万国共通語としての地位を確立しているという認識は、パラダイムとしてはすでに過去のものになりつつある。むしろ、その思い込みを押し付けることで見えなくなっていた概念の複数性・ローカル性をどうやって掬い取っていくかというところにこそ、近年の問題関心がある。すでにクラシック音楽の語法を身に付けた音大生の意識を高めるための方便としてなら、そのアナクロさも理解できなくはないけど。

                *2楽譜のエディションの問題、演奏家の系譜の問題、解釈スタンスの問題、演奏スタイル自体が持つ歴史性の問題、レコード化の影響などなど。演奏論は音楽学の中でも後手に回ってきた領域だけど、多分これから盛り上がる。

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