はてなキーワード: とりことは
不審死事件にぞっとした。
http://anond.hatelabo.jp/20090814111007
http://anond.hatelabo.jp/20091028101027
この事件に関して、「ぱっとしなさそうな外見なのになぜ?」という声を、私の回りで特に女性から聞く。普通の一人の男に愛されて満足できる女たちは、美しさが男をとりこにする最大の手段だと思っている。
私には、はまってしまい、死に至った男たちの気持ちが少しわかる。セックスだ。正確にいえば気持がともなっていると男が勘違いするセックスだ。セックスしているときには、顔は関係ない。男は馬鹿だから自分に頼り切っていると見える女に見事にはまっていく。俺自身がそうだった。
あまりなまなましく書いても、気持ち悪いと言われるだけだろう。ネット関連のオフ会で知り合った女がいた。外見はぱっとしない。足はきれいだった。からだとからだの相性は最高だった。女も私に頼ってくるしぐさをみせた。感激した。正直、はまった。しかし、次第に私以外の男の影がちらつくのに気づいた。なんともいえず、複数、ちらつく。正直、俺の女になれと口に出していった。しかし、それでも他の男の影は濃くなるばかりだったので、会うのをやめた。
心配なのは、妻だ。そんなことはないと信じたいが、変な男につかまったのでないことを祈るばかりだ。
今後どうなるんだろう。
お疲れ様、頑張って!と言うしかない。
腐敗堕落した自民党を立て直すには彼のような元気と勢いが必要。
しかし、今回の反自民、民主党の旋風でもろくも崩れてしまった。
それに、三重第2区は民主党、中川正春さんの強固な地盤。今後10年は、崩すのはなかなか難しい。
特に、生まれも育ちも三重県ではないところが、田舎者の人にとっては「よそ者」に映る。
せめて、奥さんの実家や出身が三重だったらよかったけれど、違う。
彼の魅力は、一度会えば、とりこになること間違いなし。瞳の奥から炎が見えるくらい元気がいい。
ただ、非常に残念なのは、一度決めたら、舵を切ることが出来ない点。
しかし、自民党の強さはもうない。
特にネガティブキャンペーンをした反動がきている。
えっ自民党? あの批判だらけのネガティブキャンペーンをして、宗教政党の公明党と組んだところでしょ。
しかも、政権時代に無駄遣いばかりして日本を疲弊させた党で、「(相手候補は)女性を売り物にして選挙をしている。顔で政治ができるのか。バカな選挙を押しつけられている」と言った森元首相がいるところでしょ。
しかも、この森元首相は、比例で復活して自民党にまだいるし。そんな自民党はちょっとねー。
彼がそういう党にいることが、非常にもったいない。
今回の集票で大活躍した創価学会員の人たちは、自民との連携取りやめで、公明党の候補者が出てきたら、そちらを応援するかもしれない。
議員になれるチャンスは自民への奇跡の風が吹くか、比例上位に登録してもらうか、参議院選挙の三重県候補者として参議院選挙で勝つしかない。
しかし、参議院選挙の候補者として自民党から公認を取るには、かなり根回しが必要。
民主党に勝てる候補者として自民党県連から認知されるかどうかがカギ。
残念ながら、彼には地盤も看板もない。お金もない。あるのはやる気だけ。
今後の挨拶周り、雨の日、雪の日、風の日の毎日の辻立ち。政策勉強会などの開催。
とりあえず、自民党候補者として頑張ったことは鈴鹿市民、亀山市民も認めている。
自民党を離党し、城内実氏のように、無所属でがんばる方が、民主慣れしている市民に浸透しやすい。
参議院選挙では無所属議員として、隠れ自民党候補者戦略をするのも手。
三重県知事、鈴鹿市長、亀山市長で全国に名をとどろかせれば、国政へ進出するチャンスも出てくる。
総理大臣への道も一歩から。
期待している。
でも、今回の選挙で、彼が民主党だったら、本当によかったのに。
比例で拾われたし、彼なら民主党の前原さん(自民寄り)の考えに近い。
ぶっちゃけ、兵庫9区から無所属で出ていれば十分勝てた候補。残念。
今からでも遅くない、三重を卒業して、城内実氏のように4年浪人し、出身の兵庫から無所属から出てもいいと思う。
学生時代の仲間は、みんなそう言っている。
ていうかギフテッド(特にこういう論理知識偏重系)なんか初期は知識を入れられるものを与えたら放っておいてもがつがつ吸収してくだろ。そういう生きものだし。
むしろ集団生活に突入してから、周囲との軋轢で人間性が叩き潰される方を心配すべき。
元増田みたいに「あ、この子まわりより出来る」って親が気づいてフォローに回ってくれればそれでだいぶ軽減されるけどね。
知人にひとりこういうタイプがいるが、他人への共感能力がはんぱなく低い癖に頭良いから相手の考えてることの推理は出来て、一見コミュ力が高いみたいに見える。
でもほんとの内情としては共感でもなんでもなく複雑な人工無能に近いから他人と話した後はいつも疲れ果ててる。
それを身内がわかってやれりゃいいんだけど、まあ自分と違う生きもののことなんかなかなか共感も理解してやれないもんだし、結局いつでも可哀想な感じになってる。
こいつが一番苦手としてるのは、論理を踏み越えて自分に関わってこようとする血縁で、しかも血が濃ければ濃いほど怖がってる。要は両親。
男女平等論が唱えられて、そういうムーブメントを支持しないと異端!みたいな風潮が出来て、かつマーケティング(笑)の結果女性をとりこめばなんでも売れる!みたいな商流が横行して。
はっきりいうと、それが癌。だって↑イコール男(の支配)からの解放、(少なくとも精神的に)独立、を指すわけだけど経済的な独立を真に目指してたどり着いたのはそのうち何割なんだろう?
一方で男は、独自の世界観と価値観をニュートラルに薄めることを強いられ、町にはフェミニン(笑)な空気で薄められた思想、行動、文化、建物、食べ物、生活習慣が浸透した。
これは、譲り合いの結果生まれた世界。しかし女性が譲ってきていることはなんだろう?
何も譲らず、権利だけを声高に主張して、そしてそんなワテクシ達だけど養ってねというのは甘い。
ミクの4分33秒が4万以上再生されていることから思いついた釣られエントリでした。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1088800
「脱構築」とかびっくりです。wikipedia見たけど難しすぎてわからんかった。
あと、思いがけずブクマついたので以下蛇足。
年寄りが感動しやすいのは、世界が永続する安心感ではないと思います。(自分が死んだあとの世界の存続に思いをはせるくらいヒトが優しいと思えたら、私はもっと幸せなのですが。)
単純でエゴイスティックに、音による刺激+子どもというアイテムとその言葉を使って、追憶という麻薬を味わっているのです。
これは音楽の楽しみのひとつで、うまく年を重ねると経験が音楽をより豊かなものにしてくれる。
年寄り×じゃなくてうらやましい。むしろ「その引き出し少し分けてくれ」という気持ちです。
今日の「スーパーピアノレッスン」を見て、その気持ちをまた新たなものにしました。シフすげえ。
あと「言葉は飛び道具」は、うまいこと胸を打ち抜いてほしいという気持ちもこめて書きました。
時々頭を打たれて頭痛がやまないことがあるので、マジ勘弁してほしい。
個人的には旋律と言葉が「ピッタリ」であることは、歌モノの音楽に最低限要求したい。
そしてできれば「ピッタリ」を越えて、言葉ではとりこぼしてしまう「何か」を感じさせてもらいたいものです。
自分のスイッチを調整しろという話かもしれませんが、これは譲りたくないところ。
元増田のお詫び云々は読んだけど、満を持して釣られたつもりだったので、かなりガックリしました。
ちなみに私はできれば生演奏、ピリオド楽器でお願いしますという古楽原理主義者の端くれです。まれに金をもらって歌います。
ボーカルは楽器です。ボーカロイドの技術は「歌唱」の秘密を解き明かしてくれるのではないかと期待しております。
…なんだかなー
友達に私の1日を話したら普通にバカにされたので、ムカツイて増田で公開!!
私は朝型の人間で早寝早起きを意識して実行しています。まず寝る前にベッドの横に本を数冊置いときます。それで4時位に起きて無理やり本を読み始めます。気にしてることは目覚まし時計で起きずに自然に起きることですね。後、7時間は寝たいので21時には寝るようにしています。それから、7時半に家を出ますので、それまでの間に本を読んだり、メールを返信したり、ブログを更新したり、RSSで皆様のブログを読んだり、ipodにいろいろ録音したりをこの4時から7時半の間にルーティンを済ませてしまいます。
なぜ朝かというと、集中できること、それから頭が適度にボーっとしているのでクリエイティブな考えができるし、タイムプレッシャーがかかってスピードも上がるので結局効率よく作業をこなせるからです。まあ、冬は寒いのですぐストーブをつけてコーヒー入れて、チョコを食べるw そこまでしたら完全に起きて集中モードに入れます。最初のうちは起きてすぐ本読んでいると2度寝したくなって目が閉まっていくかもしれませんが、なれていくとすぐ集中して本の世界に入っていけます。
それと、さっき少し触れましたがipodを毎日使用しています。種類は一番小さい1Gの5000円位のを使っていますが、要領はこの位で十分です、なぜなら、毎日中身を空っぽにして今日聞く分だけ新しいのを入れて使っているので要領の大きいのは宝の持ち腐れになりますし、故障したら凹みますしコストもかかります。それで、何を聞くかといいますとポッドキャスト、オーディオブック、youtube、ニコニコ動画、市販のCDなどです。ポッドキャストは「聞く日経」「読売新聞」などのニュース系と村田製作所が運営している「サイエンスサイトーク」。これはありとあらいる専門家を招いて質問するポッドキャスト。後は、お笑いも聞きます。好きなのはバナナマンのバナナムーン。それからクラシックも週1回くらい更新されるので聞いてます。オーディオブックは最近聞いてないですね、金銭的問題で・・・しかもハズレだと聞くのキツイですから、有名な人のとかベストセラーしか購入しないですね。日本のオーディオブックは全然ニッチですから良いものがありません。アメリカみたいに車社会の国ではメジャーですけど。それから音声だけですがyoutubeやニコニコ動画からもipodへ入れて聞いてます。私の好きなのは、「博士も知らない日本の裏」水道橋博士と宮崎哲弥さんが専門家を呼んで3人で話す番組。「ミランカ」というネット配信番組なので地上波では放送できない過激発言もバンバンでるところが好き、ってか宮崎さんが好き。
後はニコニコ動画から「J-wave growingreed」。内容はV6の岡田准一さんがいろんなジャンルの専門家を一人呼んできて質問する1時間ラジオ番組。後は、ダウンタウン松本さんと作家高須さんの「放送室」。ナイナイのオールナイトニッポン。、後は音楽も取り込みます。好きなジャンルはクラシック、ケルト音楽、テクノかなぁ。まあこんな感じでとりこんだのを通勤の車の中で聞いています。往復で約1時間。
それから8時ちょいに会社について着替えて9時まで本を読みます。昼休み時間は1時間あるので前半の30分間社内弁当をニュースを見ながらみんなで食べます。それから歯を磨き残りを本読んだりブログを見たりしてます。注意してることは満腹感の時に読書をすると眠くなるのでヤバイっと思ったららブログに切り替えたりして眠気を覚ましながら読んでいます。でも最近は昼寝は良いと聞くので5位寝る場合もあります。現在の会社は17時定時に終わりますので家に着くのは18時位。それからは趣味の時間ですね。この時はできるだけブログとか読書はしないようにして、芸術鑑賞的なことをするようにしてます。芸術鑑賞といってもネットからテレビを見るだけですが・・・今はリアルタイムで見なくても後から自分の好きな時間に見れるのがとても便利ですね。だから、日本ドラマは好きで結構みています。後は「情熱大陸」「プロフェッショナルの流儀」「爆門学門」。爆笑問題が専門家の研究室に行って質問する番組。
こうみるとなんか専門家系が多いです・・・でも専門家の人たちって100%ポジティブなんですよね。情熱大陸とかみるとモチベーション上がるし、社会勉強にもなるので末永く続いて欲しい番組です。それで9時位には寝ます。寝付けない時は難しい本を読んで眠たくなってきたら、意識して呼吸しながら寝ます。
これが私の平日の1日なのですがどうでしょうか?まあこれが全部毎日うまくいくわけではなく、飲み会や ipod故障などイレギュラーなことが起きるので、その辺はうまいこと対応しつつ時間を無駄に使わない生活を意識しています。今の科学では70歳くらい前後が健康年齢とされています。私の場合残り45年くらいしかないので時間を大切にして効率よく使うことが何より大事かなと思います。だから何かを待っているときや誰かを待っている時にボーっとするのは考えられないことで、すぐ本を読みます。それと、テレビやタバコ、アルコール、意味のない飲み会などは控えて確固たる目標に向かって時間を大切に使いましょう。
ポール・マッカートニーがまた日本に来る(一九九〇年)そうだが、よく来る気になったものだと思う。
ポールはご存知のように大麻所持で前回の来日時、何日間か拘置所入りになったすえ英国へ帰された。
拘置所にはいったことのある友人の話では、日本の拘置所では、大小便をするたびに
看守に報告して便器に水を流してもらわねばならない。小便のときは、「便水!」と叫び、大便のときは、「ロング!」
と叫ぶのだという。そういう話を聞いていたので、拘置所のポールはどうしているのだろうと案じていたら、
新聞に、「ポール、”ベンスイ”と叫ぶ」という記事がのっていた。これには笑った。
ところで、当時の世論というのははなはだあいまいだったように思う。
これが日本人のタレントの大麻事件であればマスコミは飛びついて、「芸能人の甘え」だの
「芸能人の思い上がり」だのとクソミソに叩く。が、相手はそこいらのタレントではなくて、元ビートルズの
ポールマッカートニーなのである。日本人の論理としては、ポール・ファンの女の子の、
「ポール、かわいそう」というものから、せいぜい「日本に来る以上、日本の法律は守るべきだ」くらいの、
はなはだ歯切れの悪いものだった。
しかしはっきり言ってあの事件は、日本という国が世界中に対して露呈した「国の恥」なのである。
あの事件のときにマスコミは世界の趨勢と学術的な根拠に立って、大麻云々を語るべきだった。
事実間題として大麻取締法というのは、高校の校則に「股火鉢を禁ず」
という条文が残っているのと同じくらいのアナクロ法なのである。
我々は小さな頃からマンガや読み物で、
といったような表現を見聞きして育っている。
また日頃の情報の中でも「人間やめますか」といった政府広報に行く先々で接するし、街を歩けば大麻の絵のポスターがあって、
「見つけたらすぐ届けましょう」みたいなことが書いてある。そうした情報が頭の中でゴチャゴチャになって、
こうした情緒的な固定観念を論理でつき崩すのはむずかしい。事実僕も何冊かの資料を読むまでは、そうした観念でもって
大麻を見ていた。ただ僕の場合は「それが悪だから興味がある」といった反応である。
たいていの人の場合は、自分が悪に加担していない、そのおかげで安心する、という自己安全弁のために悪というものを必要とするのだ。ところが、悪の放つ匂いにひかれて大麻のことを調べてみると、これは非常にガッカリする。
大麻というものには、害毒もなければ取り締まるべき理由も何もないのだ。以下にそれらの要点を述べてみる。
資料としては主に第三書館の『マリファナ・ハイ』『マリファナ・ナウ』『ドラッグ内面への旅』
『チョコレートからへロインまで』などのシリーズ及び『麻薬ロードを走る』『FIX』などの反麻薬犯罪の書を並行して読んだ。
まず第一に、大麻というものには一切害毒がない。アメリカの諮問機関が数年にわたる調査の結果、
マリファナに関する大部の報告書を大統領あてに提出している。その他、公的学際的なレポートも多数存在するが、
内臓系統への弊害、精神的なものへの弊害、肉体的精神的依存性など、すべて実験とリサーチによって否定された。
大麻有言説には以上のものも含めて8つの論点があるが、その中で否定派の一番大きな支えになっていたのは
「踏み石理論」と呼ばれる物である。これはつまり大麻に害がないとしても、
この大麻を始めてしまったものはより強い刺激を求めヘロインやコカイン、LSDなどに移行していく、というものだ。
この踏み石理論すらも大統領へのレポートでは完全に否定されてしまったのだ。この「踏み石理論」はたしかに一見説得力がある。
しかし現実の数字はそれを否定している。
それは当然のことなのだ。人間というものは常に強烈な刺激を求めてエスカレートしていくわけではない。
たとえば酒を例に取ってみる。踏み石理論でいくと、一度ビールを飲んだ人間は、
さらに日本酒、ウイスキーー、ウォッカヘとエスカレートしていくはずだ。が、現実にはそんなことは起こらない。
僕などは大酒で肝臓をこわしたほどの酒飲みだが、飲むのはいつも日本酒だった。
ウオッカなら日本酒の三倍のアルコール度があるが、だからウオッカをとはならない。
踏み石理論が通用するのは大多数の中のごく一部の人であって、それすらも原因は「物」ではなくてその人個人の「精神的欠落」にあるのだ。こうして学術的に有言論が否定されてしまうと、アメリカという国は対応が早い。
今、アメリカの州法ではほとんどの州が大麻所持を解禁している。罰則のある州でも、販売目的で大量に所持していた場合で、
それに対する罰も日本でいえば「立ち小便」に相応する扱いのうなものだ。
ヨーロッパでも動向は似たようなものだし、デンマーク、スペインなどは全面的に解禁している。
インドでは数千年にわたる大麻吸飲の習慣があるから、州立のガンジャ・ショップで大麻を売っている。
そんな情勢のもとでポールは逮捕されたのだ。世界中の人が首をかしげて日本を見ているにちがいない
「しかし、法律は法律だ」と言う人がここでたくさん出てくるだろう。ところが、もともと日本には大麻取締法というものはなかったのだ。大麻を吸うということ自体がほとんどなかったわけで、一部の木こりなどの間で「麻酔い」という言葉があった程度だ。
大麻取締法敗戦後GHQの押しつけによって成立したものである。このときもほとんど検計らしきものは何もなされずに立法されている。つまり本家本もとではとっくの昔に悪法となっているものが日本ではいまだに生きている、というこなのだ。
こんなもので検挙されて一生を棒にふる大学生や若者がたくさんいるわけで、その理不尽さの度合いにおいて大麻取締法は
現代の「お犬さま」条令である。歴史の流れを見てくると、理不尽な法令というのは山ほどある。
かつてのヨーロッパではコーヒーが禁止されていた。煙草もそうだった。違反した者は死刑にされた時代もあった。
近いところではアメリカの禁酒法がある。そうしたアナクロを我々は笑うことはできない。大麻を持っていたせいで刑務所に入れられるのも、コーヒーを飲んでギロチンの露と消えるのも本質的には同じこなのだ。
個人を侵犯する悪法は変えていかねばならない。悪法であっても法は法だ、というので守る姿勢というのはわかる。
現に僕自身、をこわすほど酒は飲むが、非合法のドラッグはいっさいやらない。悪法にひっかかるのがくやしいからである。
ただ悪法を変えたいという意志はある。変えるためには「時代の空気」というものが絶対に必要だ。
我々がコーヒーを飲み煙草を吸っているのも、この「時代の空気」が根拠のない法を駆逐してきたからだ。
この空気を作るためにこうしてひとつひとつ誤解を解いていかねばらない。
コーヒーにしろタバコにしろ大麻にしろ、悪法にはひとつの共通した点がある.
それは「国家が法でもって個人の領域にまで踏み込くる」ということである。
これに対しては意外なことに、ジミー・カーターが大統領時代に名言を吐いている。
つまり、ドラッグに対すはの健康の悪化をもって最大のものとする。国がそれ以上の罰を課してはならない、というものだ。
つまり、大酒を飲もうがヘロインを打とうが、国はいっさい手出しをしない。そのかわり、それで体が悪くなったり死んだりしても、
それはあなた個人の罰ですよ、ということだ。これは非常に明快で、卓越した意見である。個人の快楽にも苦痛にも国は介入しない。
ただ、その結果、他人や社会に害をなした場合は、これは法でもって取り締まる。国と個人の関係というのはこうあるのが理想だろう。
ただし、一方では、アメリカという国はいまの状態では「こうとしか言えない」のかもしれない。
この明快な論理はアメリカという病める国が、苦しまぎれに吐いた「きれいごと」なのはないか。
新聞を見ていたら、コロンビアのマフィアがブッシュ大統領の暗殺計画を練っている、という記事が出ていた。
アメリカ側は、威嚇のために軍艦を二隻コロンビアに横づけした。コロンビアという国はアメリカヘのコカインの輸出で成り立っている。このボスを制してコカインのアメリカヘの流出を断とうとしたものだから、国家規模の殺し合いが始まった。
一方では南アメリカ全体は、コカインが生む金で日本の車や電化製品を買っている。この衝突が鎮静しないと、
日本の商社もまた困るのである。ここに先のカーター発言を持ってくれば問題は何とか解決する。
要するに麻薬そのものに関する取締法を一切なくしてしまうのだ。そして正常のルートでコロンビアのコカインをつける。
これをやられると、麻薬を資金源にしている世界中のギャングは、ちょうど禁酒法がなくなったときのような大打撃を受ける。
大半は正常な企業の形態をとって、利潤は減るが普通の「商売」をせざるを得なくなる。
暴力団の力は弱まり、一見すべてはうまくいくかのように見える。だが、子供たちはどうなるのか。
現にいまアメリカやイギリスでは小学生がへロインを打っているのだ。問題はとても複雑でむずかしい。
アイマスMADのことを語るときよく言われるのが表現の幅を広げるための技術の革新で、これを語る時には決まって抜きとかエフェクトとか用語が頻出する。
そこには初めはただ単にステージで踊っていたアイドルを、その動きを切り貼りして別の音楽とシンクロさせたり、編集ソフトで作ったエフェクト効果やらアイドルのダンスをステージから切り抜いて、背景を自由に書き込んで肉付けしたりして、PVとしてどこにでも出せるような映像を作るという、今まで中心にあった狭義の意味でのアイマスMADの文脈がある。
現在ではそうした技術も高い水準に達していて、抜きの技術は公式側の援護もあって効率化され、AEなど使ったプロ級のエフェクトも専用サイトで共有化されようとしている。ここにおいては一部の人間の技術向上ではなくてそれが広い範囲で共有化されたということがわりと重要で、新人Pでも過去の時代と比べると格段のレベルの動画を上げることができた。
技術の向上によってPVの表現の幅が広がったという意義もあるけれども、むしろ「技術の向上」ということ自体にロマンを感じてしまうような内側の推進力のようなものがあって成り立っていた部分があった。
一方で抜きは765コマンドが出てしまったり、エフェクトも水準に達してしまって、3D背景ですらばりばりできるようになってる現在、技術が天井に達してしまったのではないか、そうするとこの文脈が成り立たなくなってくるのではないか、そうなると動きとして停滞してくるんじゃないか、などと心配していたが、よくよく考えてみるとこの技術向上の文脈は、アイマスSPの発売によって、ようやく今まで故意に見逃されてきた「箱○モデリングの限界」にメスを入れる段階に達するのではないかと考えた。
PV系動画はダンス時の顔の表情のバリエーションが足りなくなってきた感じ。 - とつかしね☆なの。(仮)
本物のPVと見まごうほどのハイクオリティな作品が出るほど、(俺の目には)まさに今言った「人間とアイマスキャラの違い」が気になるようになった。
特に上で書いたような明らかに公式曲に無い雰囲気の曲を使うとき、背景や演出やダンスが曲にマッチすればするほど、その薄笑いの顔が気になる。
気になる。
俺だけ?
いや、もちろん普通にマッチしてていい感じのPVもたくさんあるですよ。
でも!有名なアレとかコレとかですら!
アレちょっと怖いんだよ!
最新情報が日々注目されてるアイマスSPだけれど、その中でニコマス界隈でよく話題になったのが箱○のモデリングとの差異だった。たしかに携帯機であるPSPのスペックからか箱○版発売の衝撃ほどはないが、その分よく見れば後発であることもあって表情パターンが豊かだったりアーケード版に近い手触りのあるモデリングで、箱○版とは違った魅力がある。そしてこの両者のモデルの、こうしたバランスがすごくいいのだ。
今後このモデルを使ってアイマスMADを作ろうとしていく動きは出てくるだろうし、そうすればこっちのモデルのよさもニコマス内で広がっていくと思う。そうした時に何が起こるか。
先に言及したような形式の狭義のアイマスMAD以外でも、別の手書きで作られたアニメーションやらのPVや、アイマスの3Dモデルを作ってしまって広い意味でこれらをアイマスMADと言ったりしている。正直なところこっちの方が受けがいい。
これが従来のノーマルPVを編集して飾って光らせて抜いての狭義のアイマスMADを注目して作る/見るしている人が「ああやっぱり一般人には手書きのほうが受けるんだよね、やっぱりあれがああなったりそうなったりする技術の文脈が理解されてないと受けないんだよね」とかぶつくさ言ってるのを最近よく見るんだけど、こういう人達は「ゲームの中にいる彼女が本当の彼女達」という意識が前提にある気がする。
そうした中でPSPモデルと箱○モデルといった、バランスの良い優れたモデルが「並び立つ」というのはこうした絶対性を急激に相対化していくだろうと思う。
箱○モデルが絶対的な存在であり他のモデルがそれに追随するといった構図は崩れ、各3Dモデルは相対的に異なる魅力を持つ存在として受けいられていくだろう。
PSPと箱○モデルが相対的に優れているように、ユーザーの作った造形も「技術はすごいけど本家に比べたら」みたいな印象は以前よりもいっそう薄れていくだろうと思う。そうしていくと
一方で3Dモデルが複数共有されていくとなると、ノーマルPVを装飾していくという狭義の意味でのアイマスMADという言葉は徐々に衰退していくだろう。公式のモデルの絶対的な価値が失われると、一方にある公式モデルの限界ばかりが目についてしまう。
彼女達は創作者の意図における二次創作を目的として作られた存在ではないからだ。あくまで彼女達はゲームの中で踊っていることを目的として作られた存在であり、過去に作られたそうしたMADは、彼女達が別の意図で微笑んだことに対して、その外面をとりこんで、創作者の個人の物語に外挿したものであり、だからこそその笑顔は不自然なのだ。彼女はPCの画面の前のあなたに微笑んだのではなくて、目の前の、プロデューサー、それも「ゲームの中に存在している」プロデューサーに微笑んでいるのだ。アイマスMADの根幹にある不純さはここにあると思う。