「あげつらなった」も字書きさんとしてはどうかとおもいます
つづき
・「時間がない」
・「字が苦手」
そのくせ注文が多い ←?急に注文されたケースになった
・「何万字以上」
・「ここの表現は」
字書きが(おなじ字書きに?)それを言えば
あ~ここまででだいたいわかった感じがあるのでもういいや
自宅で長く激しい揺れを体感し、すごい地震だったな、震源地は関東のどの辺だろうとTVをつけると、何と「東北」とでかでかとテロップで映し出されていた。
私の実家は福島県にある。慌てて親に電話を入れるも当然ながら全く繋がらず、連絡が取れたのは結局地震から3日が経ってからだった。
その後も色々と大変なことは大変だったが、家自体は津波による被害はなく、近しい親族も友人も全員無事だったので周囲に比べれば幸運な方だと思う。
それでも、震災(と原発事故)は地元を一変させてしまった。避難によって子どもは減ったし、親戚の家は立入禁止区域になった。畑には除染後の除去土壌が山のように積まれている。線路がないので帰省に使っていたスーパーひたちも走らなくなった。
こうした体験を経て、私はぼんやりと何か地元の役に立つことがしたいと思うようになった。
進学したはいいものの特にやりたいこともなく、将来を決めあぐねていた自分にとって、地元貢献というのは耳障りがよかったのだと思う。浅はかにもほどがある。
折しも研究室配属の時期であり、ちょうど震災復興支援に関連する研究を開始した研究室があったことから、迷わずそこを希望して卒業まで研究に打ち込んだ。
就職先も当然、研究テーマと似たようなことをやっているところにするつもりだった。
しかし就活を始めてほどなく気づく。ないんだよね。復興支援だけをやってる民間企業なんか。
ほとんどはメインでやってる事業があって、そのノウハウが復興支援にも使えそうだからやってみているだけ。当たり前だけどそんなんばっか。
で、面接で御社の復興支援事業に興味があって~と言うと必ず聞かれるのがこれ。
「それはあくまで弊社の多岐にわたる事業のひとつであって、君の希望するところと違う部署に配属される可能性も十分ある。それでも頑張れますか?」
気づいた時点で就職をやめて、博士課程に進んでテーマを究めばよかったんだけど、残念ながら私にはその度胸がなかった。
金がない。科研費はもらえるかどうかも分からない。博士修了後は行く先がなくてワープアまっしぐらかもしれない。
そもそも博士になれるだけの力が自分にあるのかどうかも自信がない。
研究室にポスドクがいてその悲惨な状況を目にしていただけに、勇気が出なかった。
結局前述の質問には「はい!いつか希望部署に行けるまで地道に経験を積んで頑張ります!」とかなんとか無難な答えをしてメーカーに就職を決めたわけだが、予想通り配属先は全く関係のない部署だった。
そして就職して数年。異動の気配、全くない。
修士卒の女の二十代は短い。この数年の間に結婚して、子どもも産んだ。
やりたいことをやれる会社に転職しようと思っても、子持ち女(時短勤務、出張不可)を採用してくれるところは少ないだろう。
これから子どもの教育費はかかるし家も買う。今さら大学に出戻って博士課程をやるのも難しい。
幸か不幸かうちの会社は福利厚生が手厚くて給料も良く、働くこと自体に関しては何の不満もない。
ただこんなはずでは…という気持ちをずっと抱えている。
書いていて過去の自分の思い至らなさを認識して恥ずかしいけれど、全く地元に貢献できないままに8年も経ってしまったというモヤモヤを吐き出したかった。
恥ずかしいなと思ってた
人にも言えないし
でも人に言う必要なんてないし、恥ずかしいと思うことが最も恥ずかしいことなのだと気がついてひとりでめちゃくちゃ楽しんでやろうという気持ちになった
あれは単に新海が下手こいただけだぞ。何でも時代性のせいにするな。
ねこ様そう思うようにするよ。ありがとね。
解読しながら読まなければならないので、大変。
私は長年字書きで女性向け界隈にずっといるのだが
最近、特にツイッターが同人活動に本格的に必要になって来たころから
絵描きと字書きの明確な差が顕著になってきたと思うようになってきた。
同じジャンルにいても絵描きは絵描き様とありがたがって持ち上げねばならず
字書きや読み専買い専はたてついてはいけないという、なんとなくのルールがある気がする。
字書きとしてやってきて思うのはその中でもヒエラルキーがとにかく低い。
神字書きと言われる人もいるだろうが、絵描きから比べたらいないに等しい。
同じ二次創作者ではなく感想&よしよし要因、もしくは便利に使える買い子や企画の場合は都合よく使える財布。
そんな扱いが溢れている。
せっかくなので書き直してみた。
常々思っていたのだが「絵描きと字書きの扱いの差」が釈然としない。
それと同時に「絵描きと字書きの扱いの差」がさらに顕著になってきたように思う。
同じジャンルで活動していても絵描きに対しては「絵描き様」とありがたがって持ち上げねばならない。
字書きや読み専、買い専は楯突いてはいけないという不文律があるらしい。
個人的な感想だが、字書きは読み専、買い専と比較してもさらにヒエラルキーが低い。
中には扱いの良い「神字書き」と呼ばれる人もいるだろう。
しかし持ち上げられている絵描きの人数と比べればゼロに等しい。
同じ二次創作者としてではなく
として扱われがちだ。
力尽きた……。
「明確な差が顕著」などの意味の重複が多い。
文章を水増しする癖があるのでは?
一生働けないと思う
ここは日記書くとこやぞ
私の推しは今勢いに乗っている。はっきり言って本人が思っているよりずっと人気があると思う。最近新規層も開拓して絶好調だ。
いいこと尽くめのようだけど、彼の人気に対して何かとキャパが足りない。落選落選落選。倍率が高いはずなのに絶対に外れないアルファオタクツイッタラー。広がるオタク間の格差。
余談だが、アルファツイッタラーさんは「積んで入ってるんでしょw」みたいな毒入りマシュマロに「自力で当ててます!」と言い返してるけど、積むか死ぬほど名義持ってるか関係者と繋がってるかのどれかでしかないような参加率なので余計なこと言わない方がいいと思う。せめて良席自慢くらい控えたらいいのに。私怨です。
私は運がない。一般発売なんてそもそも存在しなかったりあってないような界隈だ。ここぞというときには当たるとか、諦めなければ回ってくるみたいな夢物語は少なくとも私にはない。落選落選落選。落選が続くと次こそは当たりそうな気がしてしまう。そしてまた裏切られる。
落選のお知らせが届くといつも死にたくなる。今死ねばこれ以上落選のお知らせを見ることもない。でも私が参加できない推しのイベントが開催されるのも嫌だから推しにも一緒に死んでほしい、むしろこれ以上キャパ不足の推しのイベントが開催されないために推しに今すぐ死んでほしい、とまで思うこともよくある。
落選という言葉が大嫌いだ。ただの抽選のはずなのに、選ぶという字が入っているせいで、「選ばれたオタク」と「選ばれなかったオタク」に二分される。「選ばれなかったオタク」になったときに、自分が何か悪いことをしたからオタクでいることを拒絶されたような気分になる。推しにとって私はいらないファンなのだな、と。オタクをやりたい意志はあるのに、それを運営から拒絶される。仕事やお金の問題ならまだ自分の理由だから割り切れるけど、条件は整っているのに運営から拒絶されたらどうしたらいいの。選ばれないオタクを拒絶するくせに、CDやらグッズを買えだなんて虫のいい話があるものか。こちらを拒絶してくる相手に金を使ってやる義理なんてない。
推しは気がきくので選ばれないオタクの存在に対しても触れてくれる。でももう疲れたよ。口で言うだけならタダだよ。「来られなかった人も応募してくれてありがとう」の一言だけじゃもう持たない。
推し本人も倍率が高いことを感づいているのか、もっとファンの皆が平等に会えるような仕組みを考えたいと言ってくれた。でもそれ実現するのかな。プラチナチケット煽りをしたくて仕方ないような運営だからそんなの無いだろう。倍率ゆるゆる後列ガラガラのイベントをやる覚悟がありますか?せいぜい落選率が少しだけ下がるくらいだろうな。
私は、今からあるかもわからない「平等に会えるような」イベントに落選することが怖くて仕方がない。もう落選したくない。「平等に会えるような」イベントにしたとして、なお外れたら一体どうしたらいいのか。推しは今は当たらないオタクの存在を認識しているけれど、その仕組みが実現したら、それすら当たらないオタクの存在なんて消え失せて、「選ばれなかったオタク」は「存在しないオタク」になる。
推しは大好きだし応援している。でももう落選の文字を見たくない。楽になりたい。
落籤という書き方があるなんて知らなかった。勉強になった。
どの地位にいても現状に不満はあるみたいだけど
結局、いつの時代も個人能力の問題に還元されちゃうからどうにもできん。
あと「男女」って言う「太郎」の歌でもきいとけ