Yahoo!ユーザー 「働いてないくせにもらいすぎ。受給額を引き下げろ。不正受給を徹底的に取り締まれ。」
はてなユーザー 「そもそも最低賃金が低すぎる。労働環境を改善しろ。守るべき人(権利)を守るためならある程度不正受給が発生するのは避けられないこと。」
Yahoo!ユーザー 「生活保護の分際で旅行なんてとんでもない。携帯電話も贅沢品だ。」
はてなユーザー 「年に一度くらいの旅行もできないのでは健康で文化的な最低限度の生活を満たしていない。携帯電話はもはや生活必需品だ。」
中国経済が盛り上がっているとか、中国企業の先進技術の発展に対して……
Yahoo!ユーザー 「中国経済はまやかし。まだまだ日本の方が上。どうせみんな日本のパクリだ。」
はてなユーザー 「2位と3位とはいうが中国のGDPは日本の2倍もある。コピー品ですらどんどん高品質化している。大国すぎて日本は相手にされなくなっていくだろう。」
Yahoo!の連中は保守的、全体主義で、見当違いな「批判的なものの見方」をしており、都合の悪い事実を受け入れられず、問題の本質を見抜けていない。
ここ数ヶ月のことのように思われるのだが、エスノセントリズムという言葉をよく耳にするように思われる。人間多かれ少なかれ他者より優れていると思っていたいし、人間多かれ少なかれ他者より劣っていると痛感することもある。
この時期は新しい生活環境となりストレスが溜まりやすいように思う。自分は早くも五月病を発症しかけている。新しい環境に馴染めず、一歩引いて周囲を見渡さざるを得ない。すると周りの人間が皆馬鹿に思えてくる。皆、馬鹿、というこの二点に関しては少々誤解を招く恐れがあるので捕捉する。まず自分はさして頭が良いわけではない。このような文章をつらつらつらつらと長ったるくまどろっこしく書いている時点でお察しかと思われる。だから自分から見て全員、ではない。が、目立った言動が全て、というニュアンスで捉えて貰うのが的確かと思われる。馬鹿、というのは、浅慮である、くらいのニュアンスだろうか。自分でもなんと言っていいかわからないので、便宜上こう書いた。
自分でこのことをつらつらと書いた文章を不要な裏紙や日記に書き殴ったがどうしても誰かにこのことを述べたくてこの度こうして面倒くさいタイピングをすることになった。自分は今までそういった所に書いてきたので、整合性などがなく読みにくいかも知れない、これは自分の技量が足りないせいだ。
ここでそろそろ本筋に戻りたい。人間は万物の尺度である、などという言葉があるがあれは全くもってこの世の真理を捉えていると思う、所詮人間など自分の杓子定規でしか物事をはかれないのだ。自分が嫌いな相手を、相手が嫌いだと決めつけてはなしをする。あるAという人物が居て、彼とはたかだか数時間ほどのつきあいだが、それでももう既に彼が嫌いだと公言してはばからない人(流石にAの前では面と向かって言っていないが)にBがいる。BはAのこういう部分が(プライバシーに関わるので伏せる)ミンナ嫌いだというのだ。そのミンナの中にはA以外のその場にいた全てを指すので当然自分も含まれている。
残念ながら、私はBが嫌いだといった部分を逆に好いている。B以外のA叩きは個人の感性の問題なので同意することができるが、流石にBのこれにだけは閉口した。自分までそのミンナの側に入れられるのは溜まらなく不快であった。
ここでいうミンナ、というのは子どもがおもちゃ屋に行き、そこにある玩具を指さし、ミンナ持ってるから買って、というのと大して変わらないものなのであろう。そういったことは私も十二分に承知している。だからわざわざその発言の撤回を求めたりなどはしていない。
だが、その発言の裏には驕りがあるのではないか、と邪推してしまうのだ。自分の好きなものはミンナ好き、自分の嫌いなものはミンナ嫌い。そういう周りに対する言外の同調圧力のようなものを感じたのだ。
振り返ってみると今まで他人に同調し、和合し、他者の中で揺れる人生を過ごしていた。そんな自分が始めて感じた違和感である。何かここにあるのではないかと思ったときに出会った言葉が冒頭のエスノセントリズムである。人間多かれ少なかれ他者より優れていると思っていたいし、思っている人も多いだろう。そういったところから驕りが生まれてくるのではないか。現に自分とBが所属する集団は常にとある集団を劣っていると見なしている傾向がある。今までそれに疑問を抱かなかったことはないわけではないが、この一件を通してみると大きな疑問となって現れてくる。本当にその集団は劣っているのだろうか。確かにある部分では劣っているのかもしれない、だが、他の点では自分たちの集団より優位な点もあるのだ。それを無視して、劣っているとみなすことは単純だが愚直である。もう一度、自分と他との関係を見直す必要があるのでは無いか。
たぶん古参ファン以外のみんなが思ってることだろうけど、わたしはこの思考がとても強い。何か新しいコンテンツに出会う度にもっと早く出会いたかったなと思う。わたしの推しは1年前まで接近イベントをちょくちょくしていた、し、ツイッターのフォローバックも積極的に行っていた。だけれどこの1年でかなり有名になってしまい今後接近イベントをしない事を公表しているしフォローバックもしていない。たった1年なのになぜ出会えなかったのか。接近イベントに行ったファンを見かける度に羨ましいなと密かに思っている。新参の肩身は狭いがまあ仕方ない。わたしだって古参だったら新参の方を向いてドヤ顔ピースしたい。性格が悪い。だからこそ悔しい。今から沢山のお金をかける事は可能だけれど時間だけは戻せない。時間だけは大切にしたい。これからももっと早く出会いたかったと思いながら応援していくんだろうなって思います。これから沢山の応援しますね
一般的に、親や学校は子どもたちに「うわべだけではなく、内面まで優しい人にならないといけない」という教育をするもので、そうであるがゆえに、内面が優しくない自分に罪悪感を持ちながら生きている人は多いと思う。
実際のところ、内面ではどんなにゲスいことを考えていようが、他人から見て「あいつは優しい人っぽいな」って思ってもらえる人間になれれば十分ではないか。
去年流行りましたね、行った事のある音クラ(音ゲークラブイベント)ビンゴ
物の見事に関西と関東ばっかりが対象、東北から上はほとんど皆無と言っていいくらいリストに無い
弐寺や筐体の行脚では東北や北海道には行くのに音クラは行脚しないんですね
行った事の無いイベントに行きたいと言っておきながら、ハナから東北以北は対象にしてませんね
ガチで行脚勢としてのプライドがあるなら、もうちょっと日本地図をちゃんと見てくださいな
あのビンゴ、今見ても、中身が浅い
視野が狭い
うんちぶりぶり
北海道かせめて雪ふらないとこに行けばよかったな
うるせー増田で聞きたいんじゃ
連絡先も交換済みなんですが、この後どういうやり取りしたらいいんでしょうか?
「おつかれー、仕事どうだった?」とかいちいち聞くのもあれだし
ちなみに、2回目のご飯はOKもらって、あとは日にち決めるかんじてす
話したいけど、何話そう
うざいと思われるのはやだ、でも、繋がってたい