イスラム教徒を全員国外追放して入国させなければイスラム教徒によるテロなんて起こらない。精神病患者を片っ端から逮捕して僻地の収容所に放り込めば精神病患者による凶悪事件なんて起こらない。粗暴な子供を早めに「処分」しておけば少年犯罪も防げるかもしれないし、ロリペドを殺して回れば少なくともガチのロリペドによる犯罪なんて起きないかもしれない。
でも、そんな社会は間違っている。この社会では、実際にその人が何をしたかが問題にされるべきだ。テロをしてないイスラム教徒の入国が拒否されるのはおかしい。人を傷つけてない精神病患者が予防拘禁されるのはおかしい。それと同様に、子供に手を出さない小児性愛者がまるで犯罪者であるかのように扱われるのはおかしい。これはそういう話でしょ。
性犯罪者は、性癖ではなく、手を出したことによって処分されるべきだ。被害者は本当に気の毒だと思うし、その立場からは、こいつをもっと早く捕まえておいてくれたら、と願うのも当然だろうけれど、それでも究極的には、私たちは自由主義という原則を捨てるべきじゃないと思う。
そういう暴力的な劣情を普段から非難してないと、「性癖は人それぞれ」と認められているからこれは行ってもいいことだ、と勘違いされかねない。
まあ、そういう意味で、「実際にこの漫画に描かれていることをやったら犯罪なので絶対に真似しないでください」という注意書きは必要だろうと思うよ。こういうのがちゃんとガイドラインで徹底されるようになるといいね。
コスプレ強要を嫌がる奥さんのその理由は「性的に乱れてしまうことへの羞恥」ではなくて
「こんな変な服着たくない」とかそういう理由じゃないの?
個人的には、あの手のコスチュームって大抵デザインが変だったり安っぽかったりで
性的に乱れるどころか「こんな変なもん着てる自分ってバカっぽくないか…」と萎えるものが多い。
いやひょっとしたら元増田はすごく拘ってて質もデザインも優れた高級品を用意しているかもしれないけどさ。
(でもそれはそれで夫婦だと「こんなもんに高い金かけるんじゃねえ」と腹が立つ、なんて事になるかも)
「そういうヤツは山ほどいる」とか、「そういう人間は多い」とか、全く根拠なく言い放っても、憎悪の方向が自分と一致してれば無批判に乗っかって正義感を堪能できるのがはてなのほほえましいところ。
人としてこうはなりたくないねー。
理性的でありたいですねー。
そもそも子供の時セックスしたがってたやつなんて男も女もいっぱいいただろw
合意関係なく刑務所ほり込みまくる各国政府の対応見たらわかるだろw
あのですね
「今まで問題視すらしていなかった要素を、
ただ悪目立ちするものだからという事で途端に取り上げて問題化するのはおかしいという話で
現に今それに類似した「手口」を使用した作品を提示しても問題にしようとも思わないわけでしょう?
俺は表現の自由を常々主張しているが、一元的内在制約説(+αは若干ある)的な「公共の福祉」に基づく表現の自由の制約は当然あると思っている。だから
元の増田やid:kamayan1980がどう考えていたのかはわかりませんが、私はゾーニングや年齢制限なども表現の自由への制限だと思ってます。
なので、許されない表現などないというとき、それは単に創作物の作成だけでなく流通への規制も一切ないという意味だと考えています。
真面目に表現の自由を主張している人でそこまで主張している人はまずいない(実は1人心当たりがなくもないのだが)。
満員の劇場で”劇場が火事だ!”と叫んで逃げ出す人々を生み出すことも現代アートです、と主張することは不可能ではないが、この場合は劇場への業務妨害が当然に成立するし、
創作物において、実在の事件で無罪になった人を犯人扱いしたことが名誉毀損罪になった事例は存在するが、公共の福祉における当然の制約だと思う。
現代の社会で、アダルト物や暴力表現が過激であるものがゾーニングされていたり年齢制限がかかっているのは、そういったものについて自由な流通は許されないと大多数が考えたからですね。
違いますか?
実のところ上で書いた例と比較した時に『有害だから子どもにエロ・暴力を見せたくない』というのは本当に内在制約と言えるのかは若干の疑問がある。
俺は子無しであるが、流石に子どもに無制限にエロを見せても良いとは思わない。ただ一方で、『エロを見せることは本当に子どもの発達に有害なのか』という研究はおそらく存在しない。というか流石にそんな研究は人道上許されないのは明らかだ。
この場合、子どもの成長への実際の害というよりも「子どもにエロをできれば見せたくない・ある程度コントロールしたい親の権利」との衝突で年齢制限がかけられていると一応俺は思っている。(規制の実態がそうなっているか、はまた別)
単純に考えて欲しいんですけど、「許される」派の人たちは深夜番組でCGのスナッフムービーが流されても問題ないと思ってるんですか?
テレビで、というのは若干の疑問がある。それはどうしてもTVの電波は有限のリソースだから(新聞や雑誌は商業的に成立するかどうかを抜きにすれば無限に存在することが可能だが、TVの電波は無限ではない)ある程度のバランスは必要になるとは思う。
ただその上で、増田は、気に入らないならチャンネル変えれば良いじゃないかと思う。
この例え自体現実味がないから考える価値がないというのであれば、かつて放送されていた深夜のアダルト番組がなくなったのはどうしてだと思ってますか?
「許されない」とされたからじゃないんでしょうか?
少しでも許されないと考えたものは存在を抹殺しようとする人がいて、そういう人による炎上を恐れたことによる商業的理由じゃないかな?
で、タイトルにも少し書いたけど。
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規制派「お前は子どもがレイプされるエロマンガを一切の制約なく流通させて子どもが見ても良いと思っているのか」
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この会話はフィクションだがこれに近い流れになることは多いし、実際に
自由主義(自らの自由と同様に人の自由も最大限尊重する)的な意味での表現の自由を主張する人に対し、自由(一切の制約なし)の意味だと受け取る規制派とのすれ違いがこの手の問題の根本にあるように思う。
ほかの分野も5年もかけたら古くて仕方ない気がする