いつ以来だ?メシ抜きでゲームしてたら夜になって、さすがにやばいと思ってメシ買いに行ったの…。らんだむダンジョン以来じゃねーか?— 三沢文也@こっちは本気で遊んでるんだ! (@tm2501) 2015, 6月 30
材料:木綿豆腐300グラム(216キロカロリー)、もやし100グラム、ベーコン4枚スライス1パック(56キロカロリー)、丸美屋麻婆豆腐辛口(62キロカロリー)、豆板醤大匙1、テンメンジャン大匙1、水180グラム、水20グラム
・丸美屋のレシピに従い、水180グラムをなべに入れ、丸美屋の麻婆豆腐のもとを入れる
・沸騰する前に豆板醤とテンメンジャンを加える
・なべに豆腐を加えて、上にもやし、ベーコンをのせ、ふたをする
・もやしに火が通るまで煮込む
・なべをかき混ぜて、とろみを全体に行き当たらせる
・ふたをして煮込む
そうしたら「お前とならどこでもうれしいよ」っていって提案しないわけ。
私だって、正直どこでもいーよ。一緒にいられたら楽しいからね。
でも二人でどこでもいいって言ってたら話が進まないじゃんか。
それで提案したら、仕方なく惰性で付き合ってくれてることになるの?
自分から告白して、幸せする!大事にする!って宣言してくれたから
私も好きになろうと、ずっといいところを探して見つけて、好き同士になれたはずなのに。
こんなのってないよ…。ひどいよ…。
こうしてファッション化することを、気持ち悪く思う人は少なからずいるでしょうし、実際に僕も、「またそんな、流行りに乗っかったようにアイコンだけ変えて、とくに何も調べたりはしないんでしょ? そんで2ヵ月後には元のアイコンに戻してるんでしょ?」と、疑っています。
https://note.mu/katsuse_m/n/n5735a1299d6d
何故なら、友人たちのFacebookのレインボーアイコンを見て、当事者である僕は涙が出たからだ。
1週間後に元のアイコンに戻しても全く構わない。
僕は、その意思を一瞬でも感じられた事がこんなにも嬉しい。
それなのに、この方は、発信者の本気度を問う真面目すぎる人で、当事者の気持ちは見えていない人なのだ。
僕は、日々誰にも疑われず、セクシャルマイノリティであることを隠せて生きている。
いつも表情には出すこと無く、隠れ蓑のスキマから飄々と小さな発言の矢を放ちながら、いつも観察している。
小さな発言をリトマス試験紙にして、「打ち明けられる人」であるか試しているのだ。
だから、今回友人たちのレインボーアイコンを見て、すごく嬉しかった。
周りから見ていてもわからない、本当は受け入れてくれる人がこんなにたくさんいたんだなと初めて気付かされた。
なんだ。日々観察していても、僕は何もわかっていなかったのだ。
気付いたら僕は画面の前で泣いていた。
それを「ホワイトバンド」のようにファッション化することは、認知させる意味では手っ取り早いのでしょうが、はたして本当の理解につながるのかは不明です。
それでもきっと、アイコンを変えた彼らには、彼らなりに周りに伝えたい「何か」があるのだろうし、また、それをたまたま偶然受け取った誰かが、今度は偽善ではなく、本心として、制度や国や、誰かを変えるために動き出すかもしれないじゃないですか。
そう考えたら、偽善であれ、行動することは大切なんじゃないかと、そんな風に思うのです。
LGBTの性差別問題は、ホワイトバンドの貧困問題のように、(大抵の)誰にとっても正しく見えることとではない。
正しいと思っていない人たちは、例えファッションであろうと、意味が分かっていればレインボーアイコンにすることはない。
別に本当の理解をしてもらえなくてもいい。本気で動いてくれなくても良い。
貧困問題のように具体的な行動を必要としているんじゃない。軽い気持ちで構わない。
僕たちは、ただ自分の友人たちが、自分の事を「否定していない」ことを、知りたくて仕方なかった。
『彼らなりに周りに伝えたい「何か」』の価値は、アイコンを変えた本人たちには、上手く感じられないかもしれない。
しかし、そのメッセージは、近くの隠れた当事者たちに底知れない勇気を伝えている。
少しの間だけでもレインボーアイコンにしたり、「俺は否定していない」という一言が見られるだけで、
あなたの友人にも混ざっている7.6%のLGBTの当事者たちは、僕と同じように涙を流すかもしれない。
みんな、ありがとう。
それでも、君たちの反応が変わる事が恐くて、まだ上手く言うことができない僕を許してほしい。
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参考
http://www.dentsu.co.jp/news/release/2015/0423-004032.html
LGBT層に該当する人は7.6%(2012年調査では5.2% ※3)と算出されました。
※3 前回調査からの増加理由としては、調査手法の変更、社会環境の変化や関連情報の増大によって該当者の自己認識に影響があったことなどが想定されます。
これな、20代前半だと解りにくいけど、30過ぎたぐらいで明暗がはっきり分かれてくるのよ。
実家暮らしで親と同居したまま都心部の企業に就職して、正社員でボーナス貰ってたら、男でも女でも、よっぽど派手に遊ばない限り30歳で一千万ぐらいの貯金は普通にある。
それで結婚したら2人合わせて2千万だ。結婚早々、それを頭金にローン組んで、マンションでも買いましょうかっていう話が出来る。
首都圏で頭金2千万では、それでも人に自慢できるような物件が買えるわけではない。まぁ、人並みの生活が普通にできる、というレベルだ。
これに対して、地方出身者は、首都圏の場所にもよるが少なくとも毎月8万ぐらいは普通に家賃で消えていくだろ。1年で約100万、10年で一千万が家賃に消える訳だ。それ以外に公共料金とかもかかる。一人暮らしだと外食が増えがちなので、その出費もかさむ。30過ぎても貯金がほとんど無いとか珍しくも無いよな。
そんなんで無理して結婚して子供が出来ても、あちこち習い事に行かせるとか、私立の学校に通わせるとか、厳しいだろ。見える未来が全然違うわけ。
つまり、地方出身者が東京に出てこようと思ったら、親がぽんとマンションの一室を買ってくれて家賃払わずに生活できるぐらいの資産家じゃなかったら、そもそも土俵にも乗れないって事なんだよ。
互いに三十路も越えた兄妹だがもう何年も話していない。
兄は親を無下にしてきたしそういう姿に心底呆れてもう他人以下と思うことにしていた。
わたしは家を早々に出て一人で暮らしていたから、いい歳して実家に寄生し働きもしないニートの兄がつくづく気に入らなかった。なにより憔悴していく母親がかわいそうでならなかった。
昨年、母親から朗報が届いた。「お兄ちゃん、就職するって」と。安堵した。これで大好きな両親がのびのび生きていける。あの疫病神は去ったと思った。現に今年の正月に帰省した時は本当にのんびり過ごせた。母親も、なんだか若返ってキレイになっていた。
ああ、なのに、縁を切ったと思っていた兄から連絡が入った。「職場が近いから来い」と。
こわい。超こわい。
なによりそんなこという人ではなかった。他人を見下し家族をないがしろにしているひとがまさかたかが妹に連絡するものか。
ああ、こわい。でもお兄ちゃんが連絡をくれたのは嬉しい。でもこわい。また蹴られるかもとか思うと超こわい。
なんで年上のきょうだいってこんなに怖いんだ。
以前の職場は18時までで、残業がなくてもすぐ帰る雰囲気でなかったから18:30くらいまでだらだらして、それからまっすぐ帰っても家につくのは19時ごろ。
今の職場は17:15までで、仕事がないときはダラダラしていられる雰囲気でないから、すぐ帰る。
自宅まで10分くらいだから、途中でスーパーとかで買い物をゆっくりしていっても、18:30くらいには自宅についてしまう。
寄り道しなかったら18時まえには帰り着く。
夜が異常にながい。
僕、個人としても庶務めいたことに関して細かな要求をされないためには
軽いキャラでいることが得だと感じているので、自分が重要だと感じる仕事以外は正直遊び半分でやっている。
つまり、かなり意図的に「あいつやればできるけど、おちゃらけてるのがなぁ」っていう評価を作り込んだわけだ。
一方でしょうもない庶務、例えばExcelの自動計算ですむような作業を手作業でやること、5時に帰る派遣さんに一切仕事をふらないことに美徳を感じる人がいる。
それで、僕もあえて仕事に手を抜いてみた。
要は今までよりも効率を悪く、周囲に怒りをぶつけながらはたらいてみたわけだ。
まぁでも長くは続かなかった。正直にいってかなり馬鹿馬鹿しいんだここまでレベルを落として仕事をするのが。
そこで、この中道を行くような働きかたを探しているんだけどこれがなかなか見つからない。
どうしたもんかなぁ。
騒いでる人達がいる。
その人達は何を基準に乗りやすいとか乗りにくいとか言ってるんだろうか?
SEO業者とかもそうだけど、何も根拠が無い物を勝手に決め込んで
例えばはてなはこれまで一回たりとも「3ブクマ付くと新着に乗る。」なんて事は言ってない。
基準を一切明らかにしていない。
仮にこれまで3ブクマで乗る、に近い基準だったとして、単にそれが変わっただけだったら?
その辺、実際確認出来るくらい事象を見てどうこう言ってる人は居ない。
そのような騒ぐブログはもはやSEO業者みたいな詐欺まがいのものやら規約違反とも言える様なアフィブログだけなので、
ある意味、Googleの正しいアップデート同様、はてなも正しいアップデートによってそのようなクソブログをピックアップしずらくした、ということではないだろうか?
つまり、この様なことで騒いでるブログは低質で最低で害でしかないもの、ということだ。
騒いでる人は自ら害あるブログだ、と表明してる、ということだ。
わたしが行きたいところを提案して、食べたいもの、やりたいことを決めて、
向こうはなーんにもしない。
それでいて、「俺は彼女の思い通りにさせてる。甘やかしてる。」などと思い込んでいるんだろう。
その行きたいところ、食べたいもの、やりたいことって
別にどれも、好きで決めてるんじゃないんだよ。
どこでもいい
なんでもいいって二人で言ってたら埒があかないから仕方なく決めてるだけ。
向こうはもう私に気持ちがないのはわかってる。
こんなくず男でも、まだ好きなのだ。