はてなキーワード: 日向市とは
1月26日 手帳取得 2級 → 3級
2月5日 安倍洋子死去
2月6日 大雪
2月11日午前 広島駅前のホテルに向けて発砲 にちりんシーガイアの中のババアと、乗車吏員が対応
2月12日
2月13日 門川市のホテルへ みほが対応 ドラモリの横を縣が自転車で走っている
2月15日 富美山のかわらに遊びに行っている
2月24日 9時57分に、小池甚勝が夢枕に立つ
2月25日 バクサイに東大入試の問題を書き込まれ 消防士のまっぱなど5名が対応 東大入試
30分に業務妨害をしている
2月26日 おおぬきにいる。 ヘケェが車両から降りてきて坂を駆け上がり暴行をする
こっちは変わらねからな、とその場で言う
2月27日
3月1日 UNO-ai ホテルへ ヘケがみほをAIで清崎葉子にして対応
やる気満々で来た、などという チア
3月7日 とりやまあきら死去
3月13日
3月25日 佐藤たかひろの家に金を返せと言いに行く まりんの母親が対応し、6000円ずつ分割でという
3月30日 門川市のホテルへ UNO-ai105号室 みほが対応
4月5日 通院
数学の証明の技術は次の種類があるが、私は専門家ではないので、全てを知っているわけではない。幾何学をするといいですよと言う風に阪大の富田先生から教わった。
(1)必要最小限の隠れている補助線を引くとただちに答えが見つかる。
(2)補助線を一本引いて出来る。
(3)例えば Induction and Contradiction のように、大昔に発見されていた鉄板だろうと思われるようなもので一見使えそうにないときに使用できる。
他に、特例的な発見と言ったものがあるがまだ議論されていない。
(1)定理は作業中に発見した。しかし、 (3)に該当するものは発見できなかった。 宮地先生は、補完によって出て来るといってますが、 補完定理も、特例的な奴になると
次に、次の事項をこれから強制する。 日向市に住んでいてエロ落ちしているらしいけれど、延岡西高校に、 末永祐治という数学の先生がいた。その者に言わせれば、そんなものは
教えていない。 有村芳郎はバクサイにいて、 ~よ、が口癖である。
警察が強制しているから、 私と、 里見先生や田辺先生が会うことが実現しないようになっている。
法の実質は、暴力による強制であり、 法自体が フィクションという人もいるが、 フィクションを強調しているだけで、フィクションではない。 法はただ法である。
フェミニストや初期のオタクというか昔からのオタクが「表現物は影響する」などといろいろ語っているが、タイトルの通り、言動を見てると信用できない。
別に「表現物は影響を与えない」とか言いたいわけじゃないよ?あの人たち自体が信用できない。
なんで信用できないかっていうと「あの人たち差別はダメっていうけど男性差別したいんじゃね?」っていうのを感じてしまうから。
それを感じたのが、https://togetter.com/li/1879085で言われてるツイート。
日向市のPR動画、「海、似合ってないね」などの言葉が男性に対してのルッキズムじゃないのか?って指摘にたいしてこんなツイートが返ってきた。
相変わらず頓珍漢な解釈してるなあ・・・仮にもベテランのサーファーが、他人様に向かって「海、似合ってないね」などと言うわけないじゃん・・・
もうひっくりかえった。びっくりした。あれはオタクの内なる声だってよ。
こんな発想できるんかと驚いてしまった。
あれだけ宇崎ちゃんやらなんやらにはストレートな反応しか示してなかったのに。
俺はこの動画が差別だとか、すぐ撤回しろだとは思ってないけど、確かに「デブは価値ない」みたいな解釈もできるよな、差別に反対している人、ルッキズムに反対している人の考えを当てはめるとこれもおかしいってなるよな、と考えている。
でもでも、そういうのすべて取っ払って「これはオタク君の内省だから自己反省。ルッキズムじゃない」ってなるんだよね。
(この動画を作った人は俺たちに反省しろ見たいな自己啓発セミナー的なことやらせたいの…!?って考えたんだけど、これも頓珍漢な解釈になるんだろうなぁ)
どうしても、「自分の嫌いなものにはあれこれ理由をつけて否定するけど、自分の好きなものにはあれこれ理由をつけて擁護する」と思ってしまう。
もうネトウヨなんて言わずにこういう人たちは「自分の信じる者にのめりこみ切っちゃって抜け出せない人」って言ったほうがいいのかもね…
id:ruin20である。自分のIDが出ていたのでいっちょ噛みしておこう。
たわわには巨乳ヒロインが複数登場するが、そのうち、電車の中で会える女子高生のアイちゃんをわざわざ表象に選んでいる意図が抜けている。
元増田が無知なのか無知を装ってるのかは知らんが、アイちゃんが選ばれたのは『たわわ』のシリーズヒロイン、つまりは『月曜日のたわわ』を象徴するヒロインだからだ。
本シリーズは、Twitter上で、「月曜朝の社畜諸兄にたわわをお届けします」と銘打たれて始まった。当初は巨乳少女の水着姿が中心だったが、33回目にアイちゃんが登場する。それまでいいねは1万前後だったがアイちゃんは2回目の登場で2万いいねを稼いだ。作者も(アイちゃんを)「ちょっと気に入った」と述べており、アイちゃんを連続して描くようになる。2回目、あるいは3回目にはぼかしながらも「相手」が登場し、4回目にはスーツ姿の男性らしき人物がアイちゃんの視線の先に現れるようになった。
このように、アイちゃんはシリーズにおいて始めて連続して登場した少女であり、シリーズ飛躍のきっかけになったキャラクターであり、元々はただの巨乳少女を描くだけだった本作に「たわわな女の子と男性」という二者間の関係性を描写するという枠組みを導入したキャラクターなのだ。人気アンケートを取れば当然1位になるだろう。歴史的にもコンテクスト的にも人気的にも『たわわ』の顔であり、だからこそ広告にも登場した。「電車の中で会える女子高生だからアイちゃんがおすすめ」というまとめ方は本質を外していると言わざるをえない。私はここでハンロンの剃刀ということわざを思い出すべきだろうか? 難しいところである。
元増田が無知なのか無知を装ってるのか気になるところは他にもある。
40代以降が萌え絵についていけてなくて価値観がアップデートされていないとか、
上記の根拠として元増田はリスク認知について持ち出している。一定納得するところもあるが、リスク認知が文化的影響を受けるというなら麻薬に対する不安レベルがアメリカより日本の方が高くなるのは明らかにおかしい(当該論文の図4)。レイプの発生件数や発生率はアメリカやイギリスなど先進諸国とくらべて日本が圧倒的に低いと統計的に明らかになっている(※1)が、本邦フェミニストは日本が欧米に遅れた性犯罪大国かのように喧伝する。アメリカに比べて麻薬がまったく社会問題化していない日本の方がそのリスクを感じていたり、レイプ統計を合わせて考えれば実態を伴わないイメージだけで過大にリスクを感じているだけではないのか。
また、元増田はまったく無視しているが、歳を経るごとに『たわわ』に対するイメージが悪化していくのは、若い人ほどオタクに対する偏見やネガティブイメージがなくなっていくからだという点を見逃してはならない。オタクはもともと蔑称であり、宮崎勤事件を頂点に変質者・犯罪者予備軍として社会から差別されてきた。この事件は今40歳であればだいたい10歳ごろにそれを経験している。リスク認知に文化的影響があるというならオタクに対する偏見が社会に満ちていた時代を経験した世代かどうかを無視してはならない。
2010年に行われた調査では10代女性の50.9%は自分がオタクだと回答し、35~39歳の女性は17.6%に過ぎなかった。同調査においてオタクに対するネガティブイメージは10代だと29%だったのに対し、35~39歳は40.5%だった(※2)。自身がオタクである割合が増えればオタクに対するイメージも良化する傾向にある。別の調査元ではあるが、2020年の調査では自分がオタクだと回答した10代女性は86%に増加している(※3)。これらを踏まえれば「40代以降が萌え絵についていけてなくて価値観がアップデートされていない」はむしろ正と言える。
「電車の中の女子高生を性的コンテンツとして楽しむこと」と痴漢等の具体的な性的被害への危機感がリンクするのは、主に被害の実体験を持つ者だからである。
これもありふれた理由付けである。誰かの個別的体験に配慮して表現を規制するのであればあらゆる表現が規制されねばならない。表現規制しろとまでは言ってない、と言うのだろう。しかしこれもいじめではなくからかっただけ、と同じで攻撃者が好むご飯論法だ。
誰かの権利を抑制しようとするとき、そこにはフェアネスが必要だ。オタクや萌え絵を攻撃する連中にはそれがない。
“周囲の大人は痴漢に怒ってくれる、という信頼感を自分にくれた恩人である。” この信頼感の絶対量がもっと多い世の中だったら、たわわも問題にならなかったんじゃないのかな〜と思ったりする“
元増田は上記ブコメに感銘を受けたようだが、俺に言わせれば萌えフォビアのフェミニストにこそ信頼が置けない。月曜日のたわわ、温泉むすめ、宇崎ちゃん、境ホラ、のうりん、人工知能学会表紙エトセトラエトセトラエトセトラ。連中はいくつものコンテンツを燃やしてきたが、それを批判されると反論するのではなく論点を変えてやり過ごそうとする。たわわも最初は公共の場にふさわしくないという話だったが、日経新聞というブランドでやったことが問題視され、次は「見たくない表現に触れない権利」などというものが持ち出され、どちらも論破されると「日経新聞はUN Womenのアンステレオタイプアライアンスのメンバーだから守るべき」という話にすりかわってそれも論破されると元増田のように「講談社の意図が気になる」みたいのが出てくる。もはやいたちごっこであり、誠実さの欠片もない。広告だったことが問題なのであれば何故たわわ以外のコンテンツを燃やしたのか? 主張の一貫性などどこにもない。たわわのような表現によって性犯罪が増えるという統計的裏付けがあるならまだしも出てきたのがたわわのような表現があると不安になる女性がいるから、とか言うんだから話にならない。
萌えフォビアのフェミニストにフェアネスがないのは、ananSEX特集の駅ナカ広告や宮崎県日向市のCMをスルーしたり擁護したりすることからも指摘できる。これを引き合いに出すと決まって必ず「Whataboutismだ!」などと吹き上がる連中がいるのだが、ここで問題にしているのは社会を背景に表現を批判する者が持つべきフェアネスと一貫性である。萌えフォビアのフェミニストがオタクコンテンツを燃やすとき決まって必ず社会性をまとう。私が気に食わないからという理由で攻撃しても誰もついてこないからだ。だから「公共の場所に性的と感じられるコンテンツを置くべきではない」という論調になるが、それであれば渋谷駅の駅ナカで展開されたananのSEX特集の広告など真っ先に批判されるべきだろう。しかしそれをやってるフェミニストは見たことがない。けっきょく「私」が気に入らないから攻撃しているに過ぎず、それであれば「私はそれが嫌いだから私の見えないところにそれをやれ」と言われた方がよほど誠実に感じる。
フェミニストにフェアネスと一貫性があってもっと信頼感があれば言うことを聞く人も増えるだろう。だが今はその対極にいる。その事実をまっすぐに受け止めた方が良い。
※1:https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/64/nfm/n64_2_1_3_4_0.html
ルッキズムという言葉、最近はよく聞くようになったけれど何でも「ルッキズム」扱いして無条件に批判するのは
少なくとも「生まれつきか、そうでないか」「後天的な努力によって変えられるか、変えられないか」「それが個人の努力で変えられる範囲のものか、美容整形などが必要か」くらいには分けて考える必要があると思う
例えば私は漫画の『タコピーの原罪』の9話でヒロインである久世しずかが描いたようにくっきりとした二重だと語られ、
12話で高校生のしずかが周りから「凄い美人」と評された事には剥き出しのルッキズムを感じて嫌な気持ちになったが
でも最終話で高校生になったしずかが、元の時間軸と容姿そのものは変わっていないが
雑貨店でアイシャドウを買おうとして積極的にお洒落を楽しもうとしている様子には好感が持てた
生まれついての容姿による差別はまさにルッキズムそのものだけど、後天的な努力を見る事は必ずしもルッキズムじゃないでしょう
就職活動における顔の作り自体で採用を決める顔採用はルッキズムで悪だと思っているけれど
身嗜みとして髪をきちんとまとめているかとか、スーツが汚れていないかとか靴が綺麗かとかを見る事がルッキズムだとは思わない
女性がファッションやメイクを主体的に楽しむ事は必ずしも「ルッキズム」の範囲には括られないと思っているし
「男性差別を行う日向市サーファーCMは問題!」「女性差別は、女性に原因がある!男性差別と違う!文句は筋違い!」「たぬかなの170cm以下の男性は人権ない発言は問題ある!」 一週間で、これらを平気で口にできないと、「表現の自由戦士」は務まらない。
日向市サーファーCMには確かにルッキズムが含まれているが、だからと言ってこの動画が気に入らないわけでもことさら批判すべき動画でもないのに
なぜ何も問題のないCMを作った側や発表した側に何を抗議する必要があるのか
一方、フェミニストや社会学者がこのCMを素晴らしいと絶賛しつつ、このCMの男女を入れ替えたようなルミネのCMを差別だと激しく非難したので
当然まわりからは一貫性や基準、論理が問われるわけで、でもまともな回答ができないのは批判されるべきことだから、フェミニストの発言が主題となる
太って内向的な女性主人公がプライベートで海に来て陽キャのサーファー女性と出会いサーフィンを教えられて上達し結果的に体形的にもスリムになる
…という、テーマはサーフィンでなかったとしてもとにかく女性が女性に教えられて絆を育む、男を差し挟む余地のない女性同士の物語になる筈なんだ
それが何故か
仕事の場で女性主人公が男性上司からメイク云々でケチを付けられキラキラ女子と比較されて侮辱されそれに対する反応が「変わらなきゃ」という侮辱に対する迎合
https://togetter.com/li/1144087
過去にはこんなまとめもあったようだけど
ルミネのCMって男から女に対する失礼過ぎる言動と何故かそれにおとなしく迎合する主人公が批判されたんだと思うから
宮崎県日向市のCMにはそのどっちもの要素もなくない?と思った
日向市の方の主人公は最初でも最後でもサーファーの言葉に対し「ほっといてください」と言えて、良い意味で「変わってない」んだよね
ルミネのCMの方も「変わらなきゃ」の意味が「強くなって失礼上司をぶっとばせ」だったら多分賞賛されてた
例えばウクライナが昭和天皇をヒトラーやムッソリーニと並べた動画を上げた事に対して批判をするのは正当だと思うし
だから宮崎県日向市がPR動画として男性観光客の容姿を揶揄するルッキズムとも取れるような動画を上げた事が問題だと思うのなら
https://togetter.com/li/1879085
まとめのタイトルが
『『社会学フェミニスト「日向市サーファーCMの『海、似合ってないね』は、自分の心の声。他人の発言と感じるのはオタクの劣等感」』
なのが本当に不思議。
『宮崎県日向市は観光客の容姿を揶揄する動画を作っていた』とかじゃなくてさ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1879085
なんで今更5年以上前の動画の話題で盛り上がってるんだろう…と思って見てみた
https://www.youtube.com/watch?v=WsMU4OFnSeQ
男女逆にしたらどうかっていうと……どうだろうね?
ぽっちゃりした根暗な女子がスタイルの良いサーファー女子と出会い、サーフィンを教えられながら上達し
って、百合として萌える女性は普通に多そうな気がするしフェミニストからは特に叩かれないんじゃない?
もっとも取り方次第ではサーフィンをする水着姿を性的に消費しているという批判も出るかもしれないが、
どちらかというとそのちょっと前に話題になったブレンディのCMとの関係で
露出度の差でしかエロさを判断出来ない表現の自由戦士から「こっちは駄目なのにあっちはいいのか!」と槍玉に挙げられそうな気がする
https://www.j-cast.com/2015/10/02246862.html?p=all
この手のフェミ叩き話題では本当に思うんだけど、そんなにこの動画が気に入らないならばその怒りは宮崎県日向市に対して直接抗議しなよ
フェミニストの抗議は乳牛CMならブレンディ、宇崎ちゃんの献血ポスターなら日本献血協会、戸定梨香の交通安全PR動画なら松戸市に月曜日のたわわなら日経新聞にそれぞれ向けられてたでしょ
JK表現が男性の性欲を表現していて気持ち悪い→うんそうだね、終了
で終わる話やろ?なのにまだまだ燃料を追加したくなるのって結局、
JK表現が男性の性欲を表現していて気持ち悪い、こんなもんがあるから私達は苦しんだんだ、無くしてしまえ→は?
ってことやろ。
どんな思想でも主張するのは自由だから好きにしたらええよ?だけど"それ"って女性だけに認められた権利じゃ無いよね?
ムキムキイケメン表現が女性の性欲を表現していて気持ち悪い、こんなもんがあるから私達は苦しんだんだ、無くしてしまえ
も認められるべき。
しかし実際には
社会学フェミニスト「日向市サーファーCMの『海、似合ってないね』は、自分の心の声。他人の発言と感じるのはオタクの劣等感」
https://togetter.com/li/1879085
フェミニズムは男女同権では無く女権拡張だろって揶揄されるけど、「やられたからやり返したい」という復讐メンタルじゃいつまで経っても終わらん。