「仏教」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 仏教とは

2024-03-08

死ぬこと」の言い換えってめっちゃあるやん

永眠

他界

入滅仏教っぽい)

昇天キリスト教っぽい)

崩御人物限定

なんなの?

そんなにタヒ意識したくないの?

anond:20240308180158

肉まんを食べるとかコーヒーを飲む?そんなもの幸福基準にしていたのか。つらくなるわけだ。

言っておくが、ドーパミンオキシトシン放出幸福と捉えるようでは、仏教で言うところの四苦八苦に振り回され、安息にたどり着くことは絶対に無い。

ヤク中と一緒だ。満足は次の枯渇を引き起こす。得れば、もっと欲しくなる。

アラン幸福論には「警察署書類仕事に追われているあの男は幸福である。次の仕事が絶え間なくあり、休むヒマがない。能力を発揮し、過去未来への恐怖一切から解き放たれている」という主旨のプロポがある。

彼は恐怖は病気であると述べ、幸福を得る方法について考察した。

幸福はショウケースの中の宝石ではないというのも、その本の受け売りだ。幸福は外部から与えられるものではない。

ま、過労で鬱になってるかどうかの区別は、文面から不可能だけど。

anond:20240308122737

日本人馬鹿から宗教観がまったくない。

ご飯を食べるときいただきますごちそうさまで手を合わせる→仏教

神社に参拝で手を合わせる→仏教

御冥福をお祈り仏教じゃない

2024-03-04

anond:20240304165825

そのへんはね~。現代において仏教が廃れる、まさに原因だね。 

 

そもそも仏教は、生きることは、生老病死、即ち苦しみであると説いている。

これね、「生きていると、老いや病や死という苦しみがつきものですよね」ではないんですよ。

生も苦しみなのだ。生きてるだけで当然苦しい。苦しいのがデフォ

そこは近代以前において説明不要なのよね。貧しいし、人権とか無いしさ。

なので仏教ってのは、苦しみしかない現世をいかに乗り切るか、という話をしている。

これは、いわゆる伝統宗教は、だいたい全部そうなのだキリスト教イスラム教も、いまめちゃくちゃ苦しくても死後は天国に行くって話が基礎だし。

 

ところだが、俺ら実際、生きていて苦しいか? 

ハッキリ言って、そうでもないんだよ。

何か我慢して苦しみをのりきったり、将来の天国に期待をかけたりする必要は、必ずしも無い。

だって今が苦しいとしても、それってのは、例えば金さえ手に入ったら解決してしまったりするんだ。悟りかいらねぇし、悟りよりも積み立てNISAのほうがはるかに救済に近いのよ。

しかもだ、なんなら老・病・死さえも、適切なタイミングで来るなら、この現代において苦しみではない。解決策ですらある。性欲に悶々とするの面倒くさいからさっさと枯れたい人たちがいる。今の人生が苦しいから、安楽死を望む人たちがいる。なんつーか、生の苦しみの質が変わってるんだよね。人生が50年から100年になって、終わりは突然くるものではなく、いつかくるものになった。90近くなってボケてしまう予定が既に立っているならば、その前に死んだ方が楽という考え方が確かに芽生えている。

 

その状態で、誰が、伝統宗教を信じるか?という。

現世が苦しいですよね? 悟りを開けば苦しみが取り除かれますよ?

いや、別にそれほど苦しくはないな。っていうか苦しみが無いだけの人生を100歳までやるほうがかえって辛くない?

みたいな。

信者数が減って当然の状況ではあるんだよね。

からもう従来の意味での宗教を信じる人は、世界からどんどん減っている。イスラムだけ名簿上は増えているが、それは発展途上国人口増が効いているだけで、欧州に出てきたイスラムの子供とか、産油国新世代とか、どんどん信仰おざなりにしていってるから

anond:20240304165825

ちょこちょこダンマパダ読み進めてるけど「一つのことに執着して万事疎かになるようではダメ」くらいに捉えて読んでるよ

仏教研究してるわけでもないしね

anond:20240304165825

本当は100味わえる幸せ10程度しか味わえてなかったんじゃね?だとしたら残りの90分を味わなかった。その分だけ人生損してないかな。



仏教はよく知らんが、ブッダとの目的意識の違いがその疑問になっているのでは?

ブッダ若い日に酒池肉林贅沢の限りを尽くし、「満足は渇望を生む」的なことを悟ってそのループを断つために修行を始めた……みたいな話じゃなかったか子供名前もひどいもんだし

増田は「幸せの感得」、ブッダは「感情の平安の獲得」が目的から、ズレを感じるのは当然じゃないかなあという仮説。

まあ、苦しむ日があっても、トータル幸せならいい!ていう考えなら、それもそれでいいと思うよ。

anond:20240304165825

私も同じこと思ったよ。だから仏教はいまいち好きになれない。

執着してこそ人間じゃないのか。

そこから離れられれば楽になるってのは認める。

ブッダの言うように執着を持たないことが本当に幸せなのか?

例えば、犬を飼っていたとする。当然犬に執着する。ずっと一緒にいたいし、出かけていれば早く犬に会うために帰りたくなるだろうし、病気になったらこの世の終わりが来たかの如く絶望するし、死んだら悲しみのどん底。つまり執着してる。

この一連の流れがあることを知っていながら、次の犬をまた飼う。死んだらとてつもなく悲しいことを知っていながらね。何故なのか?

答えは、犬と一緒にいる時間がとても幸せからだ。神様が与えてくれたその幸せ時間満喫するためとも言えるかもしれない。そして神様が与えてくれた寿命が尽きる時が別れの時だ。それはとても悲しいし言葉にはできないレベル

では執着がなければどうなのか?犬を飼いました、家に犬がいますかわいいっす。でも執着してないから。病気になったとしても、「そんなこともあるよね」と。「だって生き物なんだもん」と。亡くなりました、「そんな事もあるよね、生き物だから」と。

犬とずっと一緒に生活をしていて、こんな考え方になれるかどうかは別として、仮にこのような考え方になれたとして、それって幸せなのかなと思う。だってこれってあまり好きではないと言う事じゃね?と言う事は、本当は100味わえる幸せ10程度しか味わえてなかったんじゃね?だとしたら残りの90分を味わなかった。その分だけ人生損してないかな。

ブッダはこうも言ったとされている。この世は虚しいと。何故虚しいのかと言うと、死んだら全てがパーだからだ。もちろんそうかも知れない。死んだら全てパー。しかし生きている時間を少しでも幸せにしようと努力し、そして幸せを感じる事は無駄ではないんじゃないかな。

ちなみに仏教勉強をしていると色々な説があって、微妙に違ったりする部分があるし、なんなら僕自身解釈が間違っている可能性もある。ただ、仮に僕の解釈が正しければ、ここに書いたような疑問を持ってしまう。

2024-03-03

anond:20240303104236

昔でもそういう人には出家という抜け道があるよ

あと仏教解脱して生まれてこなくなることを目標にしてるんじゃなかった?

2024-03-02

anond:20240302215333

マジ卍、畳、仏教みたいに流行りが生まれ地域では廃れたのに周辺の後進国には残るやつか

anond:20240302052803

日中韓インド東南アジア諸国仏教圏ではあるが、一つの文化圏と言えるかといえば別だろ?

日中韓儒教の影響が強いし、インド東南アジアイスラムの影響や欧米列強植民地支配の影響が文化に色濃く出ていて、とてもじゃないが一つの文化圏とはいえない。

同様にヨーロッパ圏もギリシャローマ以降の分化や他地域他文化から侵略の影響が大きく、1つの文化圏と言えるかは微妙

2024-02-24

仏教坊主が肉食わないってやつ

元々の仏教は肉食禁止されてなくて、中国での布教過程道教思想が混ざって肉食(殺生)禁止になったって聞いたんだけど違うの?

時代が変わればその辺は変わっていくもんなんじゃね?

anond:20240224020921

相手の頭を撫でるのは文明開化以後に流入した西洋文化

ごく基本的ことなのだが、仏教国では相手の頭に手をやったりしない

仏教では、人間の頭には仏神が宿っているとされているからだ

なので、例えばタイで現地の子供の頭をなでたりするとその子の親から猛烈な抗議ないし制裁を受けることになる

ひるがえって異世界ファンタジーは、そのほとんどがいわゆるナーロッパと呼ばれるヨーロッパモデルとした世界舞台なのだから頭を撫でるシーンがあっても何も不自然なことはない

から、これからはそんなシーンが出ても気にせず異世界作品を楽しんでくれ

まあ、ここに書いたことは全部ウソなんだが

2024-02-22

日本迷信を色々お教えください

こんにちは外国人として、日本人のスペースに入って失礼しますが、

日本語の授業を取っています期末試験から教科書から習ったトピックの中で一つ選んで発表することになりました。

宗教的迷信の発表したいと思っているんだけど、日本迷信はあまり知らなくて。。

もちろん、インターネットで調べられるけど、日本人日常知識から学びたいから、ここに聞きに来たんです。

有名も有名じゃない迷信は知れば、できれば、この三つの質問に答えてください。

.

1) 短く説明してください。

(でも、詳しい説明必要であれば、詳しく書いてもいいです!)

.

2) もしわかれば、どの宗教から来たんですか。

(仏教か、神道か、宗教関係なし、等々)

.

(これに答えなくてもいいけど、)

3) その迷信を信じるなら、どうしてですか。

.

よろしくお願いします!ありがとうございます

2024-02-19

お寺って祭り関係ないのになんで主催してんだろう

蘇民祭が終了するってニュース見たけど、あれってなんで寺が主催してるんだろ

仏教って祭り関係なさそうだし、あんなの煩悩みたいな祭りダメなんじゃないの?

袋を奪い合って取ったら幸せなるみたいなの、おかしいと思うんだよな

神社はまだ分かるんだよ、古事記からして歌って踊ってだし

でもお寺は違うだろうに

仏教なんだからもっとかに座禅とかするべきでは?

anond:20240219164855

生き方」というと人生の何にでも当てはまっちゃうけど

実際にはキリスト教仏教イスラム教儒教神道のあり方はまったく異なるよね

2024-02-16

anond:20240216093402

最初天使の輪表現創作者は宗教的意図をもっていたかもしれないけど、

後続では分かりやす表現方法だと単なるマネとして模倣表現されていった。

そうなった時点で宗教からは離反していて単なる記号になり果ててるんだよ。

キリスト教的な天使とは切り離され単なる無宗教の「天使の輪」という表現になり変わったの。

仏教由来の表現が一番身近で分かりやすいね

日本語の「世界」は仏教由来とされてるけど、当然99.9%の人はそんな意図をもってない、仏教から切り離されたワードになった。

知識」「塔」「分身

日常で使われる言葉仏教由来だったりするけど仏教用語なんて意識せず日常表現として元の用語から乖離していっただけ。

天使の輪が死人を表す漫画表現になっているのって変だな

人が死んでも天使になるわけじゃない、キリスト教世界観においても

この表現を多用している一番有名な漫画はおそらくドラゴンボールだろう

どこかで発想の飛躍があったのかな

気になるねえ、ぐぐりましょうねえ

天使に限らず聖人などを描いた絵画にも、聖人の後ろに光が差す表現が用いられたのだとか

天使に限らないのであれば以降は天使の輪じゃなくヘイローとここでは書くようにしておこう、ブルーアーカイブ風の呼び方

発想としては仏教の後光と同じか

まだ足りない

天使聖人を描いた絵画???漫画表現の死者を表す記号としてのヘイロー、間に挟まるものを探さないと

なんかこれだ!って情報がなかなかヒットしないな

勘だけど風刺画が間に挟まる気がするんだよな

天使聖人を描いた絵画パロディで、天使を例えば政治家差し替え風刺画みたいなのがどっかにあるんじゃないか

それが転じて死者の頭上にヘイローを用いるのが一般化したとか?

うーん、あくま根拠のない憶測

こういうのは英語圏情報を探さないといけないな

一応、英語圏イラストで死者の頭上にヘイローがあるイラストはまあまああるっぽいが……

日本でもなんかドラゴンボール以前に死者の頭上にヘイローがある表現をした漫画いか

……手塚治虫がやってる気がする

あの人だいたい何でもやってるからな、あとで探すか

ってことはディズニー作品でもなんかあるような気がしてくるな

うーん、探し方が下手

wikipediaの「光輪 (宗教美術)」の「大衆文化における使用」の記述が少ないな

英語版だと……英語版の「Halo (religious iconography)」には大衆文化の項自体無いのか

うーんアメコミにもヘイロー使用あるかもだが、アメコミに詳しくない

調査頓挫する予感

ここまで調べたというメモ

なんかコレ!っていう本があれば読みたいんだが、この疑問をずばっと解決する文化史本は無いかもなあ

今週の『サチ録』、番外編15を読んだ結果

日記

---

ポップカルチャー宗教序論」という論文を読んだ

こういう路線で調べていくのがよさそうか

---

なぜ亡くなった人の頭上に「天使の輪」を描くようになったのでしょうかよろしく... - Yahoo!知恵袋

漫画記号表現としては昔からある定番スタイルですよね。 ディズニーアニメにも、ヨーロッパカートゥーン(cartoon)にも良く死者の記号として使われていますね。

http://www.cartoonstock.com/cartoonview.asp?catref=amc0009

ふーむ、やっぱり古くから定番なんだな

この回答者によるとディズニーでもやはり使用されていると

人間は死ぬと天使になりますか | ものみの塔 オンライン・ライブラリー

人間死ぬ天使になります

アリーロという,まだ7歳の幼い女の子が亡くなりました。悲しみに打ちひしがれた両親は,柩に横たわる白いドレス姿の娘を前に,ぼう然としています。慰めようとして,神父がこう言います。「神様は,天使をもうひとりお望みになって,アリーちゃんお召しになったのです。幼子の魂は,今ごろ,神様のみそば翼を広げて飛んでいますよ」。

死んだ人間の魂が天使になる,と信じている人は少なくありません。公式教理として教えられることはまれですが,映画テレビ連続ドラマでは,死んだ人が翼のある天使になって,生きている人を守る,という話がよく取り上げられます

あなたはいかがですか。愛する人が死後に天使になると考えておられますか。聖書は何と教えているでしょうか。では,天使本質について,また死んだ人の本当の状態について,聖書のものが何と述べているかを調べてみましょう。

うーん、「死んだ人間の魂が天使になる」という発想は無いわけではないのか

それが転じて天使ではない死者の霊魂的な何かの頭上にもヘイローが描かれるようになった?

ドラゴンボールの影響がどのくらい大きいか、気になるな

っていうかドラゴンボールつまみ食い的にしか読んだこともアニメを見たこともないんだよな

何より先に原作コミックを読んだほうがいいのかもしれん

---

天使とは何か キューピッドキリスト悪魔

天使と人の文化史

ここら辺の本があるいは参考になるか

だいたい最終章は「現代における天使がどのような姿で描かれているか」みたいな話題から、そこに期待が出来る

---

英語圏情報を探そうとしてもゲームの『HALO』ばっかり引っ掛かってやりにくいったらありゃしない

---

そうだ、『トムとジェリー』で爆死したトムが雲の上でヘイローつけた状態で不満そうな顔してるってオチエピソードがあった気がする

ネズミ取り必勝法』か、これ大好き

プレゼントボックスに入ったトムが針でめった刺しにされるシーンは涙なしでは見られない

オチはやはり爆死で……天使になってるな、これ

やっぱり「死んだら天使になる」って発想がポップカルチャーである程度一般的に表現されていたようだ

翼とヘイローがあってハープを持っている

ネズミ取り必勝法』は1944年11月23日に公開

---

ってことは

天使聖人を描いた絵画→死後に天使になる認識、またそれを表現したイラストアニメ天使ではなく単なる死者にもヘイローがつけられた

……か?

まだ足りないぞ

「死後に天使になる」って発想がどこから来たんだって

キリスト教教義だと死んでも天使になるわけじゃない、それはカトリックだろうがプロテスタントだろうがエホバだろうが他の何かであろうがだいたい同じだろう

ヘイローは聖なるもの加護を表すからどんな死者でもヘイローは頭上に表れる?

でもトムは爆死して天使になっとるじゃろがい

まだまだ調べないと納得できないな

---

ひょっとしたら演劇ミュージカル側の文化関係している可能性もある

死者を表現する記号として頭の上にヘイローをのっけた衣装を着ていた……とか、あるかもしれない

一応留意して調べる事

---

「池にコインを投げる風習はいから始まったのか?」みたいなテーマでおととい調べて日記書いたときは、その風習を有名にした「Three Coins in the Fountain」っていうアカデミー賞受賞作品を見つけたんだよな

これも同じパターン可能性がある

聖者記号としてではなく、単なる死者の記号としてヘイローを使った何らかのヒット作品があったので一般化したみたいなキッカケがひょっとしたらあるかもしれない

しかあんまりこの仮説に固執するのはよくないな、気長に探そう

あるとすれば19世紀後半以降くらいのはず

---

そうか、調べるポイントが二つに分かれちゃったんだなあ

①「死後に天使になる」という考えの源流を辿るルート

漫画表現で死者が天使となった描写漫画表現で死者に(翼など他の天使的要素抜きで)ヘイローのみが付与される描写となった転換点を探すルート

こりゃ大変だ、いったん追加調査ここまで

---

次にやる事

守護聖人絵画での描かれ方を確認する

→実は守護聖人の頭上にヘイローだけでなく、翼がはえているなどあったりするかどうか

:積んでるキリスト教入門みたいな本をさっさと読む

→なんもかんも体系的な知識が欠けているのが悪い

 →でもなー、自分の興味の向き先は「キリスト教教義はこういうものです」って知識じゃなくて「人々はキリスト教をこのように解釈して信仰していました」という知識なんだよなあ、基礎の勉強ってどうしても飽きちゃって

  →だとしても体系的な土台の知識が無いと何も始まらないだろ!

   →はい、おっしゃる通りです、すみません……

第一次世界大戦風刺画ヘイロー描写が無いか探す

第一次世界大戦1914年7月28日1918年11月11日、ちょうど探したい年代

キリスト教素養がない私がヘイロー描写を見たとき、それが宗教的な性質を持っているのかそれとも記号化したものなのかを区別できるのか?という点について考える

→やっぱり基礎の勉強しましょうね~

そもそもヘイローがあって翼があったらそれは天使とみなしていいのか?「天使」って何?「御使い」って何?何もわからない、調べる

→基礎(略

---

②についてだが「ゲームドット絵キャラが死んだことを表現するのにヘイローが便利で、ドット絵で翼を描くのが大変だったから省略された」という仮説を思いついた

流石にお話として出来すぎな気がする、この仮説は最終的に棄却することになりそうだ

しかし調べるとっかかりとしては魅力的

ヘイロー関係ないけど「ゲーム戦闘不能をどう表現するか?」というテーマを調べるのめちゃくちゃ楽しそう

棺桶幽霊化、ヘイロー付与etc……

また別の機会に調べよう

---

Heaven Cartoons」というジャンル風刺画があるらしい

画像検索してみるとなるほど確かに天国天使なんやかんやする種類の一コマ漫画

いつ頃から描かれているかちょっと調べてみたがなかなか難しい

Wikipediaの「カリカチュア」のページの「主な作家」の項に載ってる人の代表作を一つずつ見ていくしかない

---

星新一アメリカ一コマ漫画蒐集してそれについてエッセイを書いた『進化した猿たち: The Best』をkindleで購入

これにアメリカ一コマ漫画挿絵掲載されて……いない!

権利関係問題のせいかほとんど掲載が無くなってしまっているようだ

しか天国ものについてのエッセイは変わらず掲載がある

数少ない挿絵の作者は……Sidney Harris

漫画家としてのキャリア1955年から

うーん、トムとジェリーのほうが時代が古い

もっと挿絵を見たいか挿絵が載ってる物理書籍のほうを読まないといけないなこれは

---

Cartoon of the politics of the Second Empire (Bonapartiste Regime) directed by Napoleon III (Charles... | bridgeman images

やっとひとつ見つけた

ざっくり言うと政治家が天に召されている様子の風刺画1868年1869年?に描かれた、ってところか

翼があり、ヘイローもしっかり完備

トムとジェリー1944年よりだいぶ古い!

しかし余談だけれど死後4年後たってから風刺画が描かれていて不思議

なんか「天使になる」ってのは語弊があって「昇天するとき天使と同じ装いをする」という言い方の方が正確なのかもしれない

---

トムとジェリー以前のオールカートゥーンを片っ端から観ているが、天に召されるシーン自体全然見つけることができていない

ところでチャップリンの『キッド』に天使が登場するシーンがあった

翼だけ背中にあってヘイローなし

実写映画も調べる範囲に含まないといけないか

オールカートゥーンの本当に初期の初期は紙の漫画をそのまま映像化したようなやつだったから、漫画文脈だと思うんだけどな……

うーん、難航している いよいよ調査が行き詰まりそうだ

---

マーク・トウェイン天国建設の旅』という論文を見つけたが、これは読む価値がありそうだ

天国観の変遷について言及がある

絵やイラストとして描かれていなくても天国に行くとヘイローと翼とハープが通行証かのように与えられる認識は当時の人々視点で昔からあったようだ

18~19世紀文学作品天国描写しているものを探すべきだな

ここらへんは先行研究論文を探しやすそうだ

---

Elizabeth Stuart Phelps Wardという人が書いた『The Gates Ajar』という宗教小説アメリカ1868年刊行されめちゃくちゃ売れたらしい

当時の人々の天国観に影響ありそうに見える

その小説で語られた天国観は

In contrast with traditions of Calvinism, Phelps's version of heaven is corporeal where the dead have "spiritual bodies", live in houses, raise families, and participate in various activities.

カルヴァン主義伝統とは対照的に、フェルプス天国は、死者が「霊的な身体」を持ち、家に住み、家族を養い、さまざまな活動に参加する身体的なものである

とのこと(『The Gates Ajar』のwikipedia英ページより引用しdeepl翻訳

うーむ、おぼろげに流れが見えてきた気がする

カルヴァン主義の事よく知らないからそこは調べないといけない

マーク・トウェイン天国建設の旅』という論文序文あたりに19世紀半ば以降に天国もの小説流行ったみたいなことが書いてあったが、その一因はこの小説な気がする

なぜ流行たかというと南北戦争の影響やろなあ

---

そういえばこの日記メモには記述をしていなかったが、宗教美術におけるヘイロー写実主義の高まりによって19世紀までにほとんど衰退しているらしい

なので宗教美術において死者(例えば聖人殉職者など)にヘイローが描かれたものがあったとしても、カートゥーンヘイロー描写がその影響を受けているとはちょっと考えにくいのではないか

一度断絶しているのでは?という疑問を持っている

ヘイロー描写は一度衰退し、再び風刺画カートゥーンなどで記号として便利なので復活したという前提で調べている

あー、いや……この前提本当に大丈夫か?自信ないな

記号として復活させたとしても参照元は必ずあるわけで

19世紀アメリカで人々が見ることが出来た美術絵画はどのようなものだったのか?というのがわからないと正確なことは言えないな……

---

自分確認した限り、カートゥーンアニメで「死んだら天使の装いをして天に召される」表現をやった一番古いものは『トムとジェリー』の『ネズミ取り必勝法

オールカートゥーンを全て総ざらいして確認したわけではないかもっと古いのがあってもおかしくはない(アカデミー短編アニメ賞受賞作品すらすべて確認できていない)

キャラ死ぬ描写そもそも全然ねーんだわ

トムとジェリーがどんだけ過激なことやってるかって話ですよ

幽霊は沢山出てくるんだけどねえ

ネズミ取り必勝法』はアカデミー賞とる程度には人気だったので、カートゥーンにおける元祖でなかったとしてもビジュアルイメージ固定に大きく貢献したといっていいか

---

キリスト教教義では死者は天使になるわけではない、という認識があった(今でもそうではある)

19世紀半ばにスピリチュアル小説流行り、人々の天国観を変えた

→それは死後に霊的な体を持った死者が天国で現世と同じような生活を営むものだった

→死後に天使のような装いになる認識が生まれ

たまたま印刷技術の発展とタイミングが同じで新聞挿絵風刺画漫画などで聖人でもなんでもない普通の人の死者の絵が多く描かれるようになった

→死者に天使の装いをさせた風刺画、紙の漫画カートゥーンアニメビジュアルイメージが固定される(この時点ではヘイローと翼はセット、あくま天使など聖なる魂的な存在専門用語を適切に使う自信が無いので曖昧表現)と同じ装い)

日本キリスト教文脈無視された記号的な描写がされ、ヘイローのみで死者を表す記号表現となる

……という流れだという仮説を立てることが出来た

うーん、自信ない

18世紀以前に普通の死者も天に召されるとき天使と同じ装いをするという認識があった」と言える材料を見つけることができていない

印刷技術が生まれる以前だと絵画にそこらへんの人が天に召される絵なんて描かれないんだよなあ

探すとすれば厳格な宗教者が教義通りに書いた本でなく、人々を慰撫する目的教義からすれば不正確な内容が書かれた本みたいなのがあればあるいは……(というか、それが『The Gates Ajar』なのよ)

また、『The Gates Ajar』などの天国観を変えるイベントによって死者が天使の装いをするようになった、とある程度の自信をもって言えるような材料は正直見つけることができていない

しかし、とりあえず一定レベルで納得は出来たからこの疑問はクローズ

18世紀19世紀の米英のキリスト教史を調べないともうちょっと正確な認識ができるのだろうけれど、それは今後の宿題だな

西洋世界文化史キリスト教歴史は不可分だから体系的に勉強したい

2024-02-14

結局何を信じるかだよな

無宗教だと死ぬとき怖くね?

その点キリスト 仏教は怖くないように工夫されてるから正解だと思う

筋肉を信じてるやつもいるしヘビィメタルを信じてるやつもいる 様々

2024-02-04

anond:20240204165626

そもそも仏教は、教えを疑いなさい というところから始まるので。

100人仏教徒が居たら、100人結論があってもおかしくはない。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん