はてなキーワード: 東北とは
ケンミンショーとか見たことないけど東北のウィーンってただの自称じゃないの
モーツァルトやベートーヴェンのような偉大な音楽家がこの地で活躍したわけでないし
日本を代表するようなコンサートホールや楽団もなければ音大すらないし
他に取り立てて取り柄のない田舎が義務教育レベルで音楽に力入れてるだけで
はーいみんな!「東北のウィーン」って郡山のことだよ!みんなの調べる手間を省いてあげました。ちなみに俺も今調べて知った。なんでそれ書かないのかねこの増田。いじわるなの?
数ヶ月前にケンミンSHOWで東北のウィーンが取り上げられていて思い出したので書く。
東北のウィーンでは街全体が音楽に力を入れており、特に合唱が強い。小・中・高で合唱コンクールの全国大会常連強豪校がそれぞれある。校歌を混声3部合唱にしちゃう学校もあるくらい本気だ。番組で紹介されたように、合唱サークルも多く夜の公民館では歌声がよく聴こえる。
東北のウィーンに生まれ、小学生〜中学生の時は音楽の授業といえば合唱だった。リコーダーや木琴等の楽器に触れる合奏はほとんどなかったと思う。
合唱が当たり前の環境で、合唱に関しては音楽の先生方はどの先生も本気で取り組んでいたと思う。でも、音痴で歌が下手な自分にとっては苦痛だった。
授業中に歌のテストがしょっちゅうあり、クラスメイトの前で1人で歌わされる。上手い子は褒められるが自分みたいな下手は皆の前で先生から罵倒されたり嫌味を言われることが辛かった。音楽の授業のある日は消えたくなった。クラスメイトからの白い目が怖くなった。
合唱の大会といえば、NHK合唱コンクール。通称Nコン。人数が少ない小学校だったため、4年生〜6年生は全員強制参加で練習させられていた。「Nコン金賞!!打倒!全国大会常連〇〇校!」と書かれたスローガンの前で毎日毎日練習されられたが結果は毎年銅賞(参加賞)。Nコン地区予選には全国大会常連校も勿論出場するが、めちゃくちゃ上手い。自分の学校と明らかな差があるのに、その違いを先生は説明してくれなかったし「ひたすら歌え」な練習だった。
ちょうどその頃は声変わりもしていたが、配慮もされずうまく歌えないことをよく責められた。名指しの居残り練習もよくあった。
小学校を卒業し、中学は合唱部に入らなければ回避できると思ったら大きな落とし穴があった。クラス対抗合唱コンクールだ。
合唱が当たり前の環境だったからか、クラス全員が本気になっており、歌が下手な自分を責める人間が音楽教師だけでなくクラスの女子も加わった。皆の前でヒステリックに責められ一時期は女性不信になった。歌が下手だから口パクにするともっと責められる。どうすりゃいいんだ。東北のウィーンでは音痴には人権などなく、クラスの居場所もなくなっていった。
高校は市内ではあるものの校内合唱コンクールと部活のない進学コースの私立高校に進学。美術と音楽と書道は選択制だったため、迷わず美術を選択し音楽からようやく逃げられた。
卒業後は関西の大学に進学。ふとしたことで音楽の授業の話になり、他の学校は授業で琴や三味線、ギター演奏をしたり、クラシック音楽を聴いて作者の背景を学んでいたことを知って衝撃だった。生まれが東北のウィーンだっただけで毎日毎日合唱漬けだったが、これって異常だったんだなと初めて気付いた。
社会人になった今でも歌うことがトラウマでカラオケのお誘いは断っている。音楽そのものが嫌いになっていたが、遅ればせながらOfficial髭男dismやミスチルを聴くようになり歌詞の凄さや演奏技術を感じられるようになった。楽器演奏をやってみたくてギターの音楽教室に通い始めた。練習して曲が弾けるようになった時に「これが自分のやりたかった音楽だったんだな」と気付いて講師の前で泣いてしまった。音楽って歌うだけじゃなくて他にも色んなアプローチがあったんだね。
野球に力を入れている学校でも、全校生徒が野球をするわけではないのに、なぜ合唱だけは全員に強要しているのだろう。合唱が好きな人や得意な人はどんどん取り組めばいいが、苦手な人にまで強要しないでほしかった。授業も合唱ばかりに偏っていたが学習指導要領としては問題でないのだろうか?歌が下手で音痴な自分にはあの街は脅威だった。
音楽に力を入れるのはいいが、力を入れれば入れるほど適正のない子供の逃げ場が無くなる。自治体は偏りのないフラットな教育を子供達に提供してほしいと願わずにはいられない。
日本の開会式は先進国の中でダントツのワーストだろう、葬式やったやん
パリの開会式のテーマは誰が見てもわかるしド派手で魅力だっただろ?これが先進国だよ
上級国民が利権貪ったらハイそこでお仕事終わりー残りの予算で適当にやっといてじゃあないんだよ(しかもコロナ禍の東京インフラを圧迫だけはする)
ただ、日本はダントツのワーストだけど他国や特定の信仰を侮辱する内容では無かったよね。そもそも選ぶなよだけど、障害者差別野郎やナチス野郎の問題は取り除かれたし
多様性を貫き、すべてバカにしてるから C’est l’égalité, n’est-ce pas? と言われても、もっと穏便にお願いしますってなるな
派手良かったけど、見てて気持ち良くは無かったよ
どっちがマシかは難しいね
国の威信を示せたか?テーマが明快か?なら、なんで聞いたんだレベルでフランスだけど、侮辱表現とオリンピック周辺で起きている弱者排除にはドン引きなのよね
もし日本の開会式が、表面的でない東北支援をちゃんと含んでいたら、消去法で日本を選ぶこともできたけど、そうじゃないし、