はてなキーワード: ピカドンとは
イギリスが世界初のプログラム内蔵型コンピューターのコロッサスを作って稼働させて
アメリカがマンハッタン計画で天文学的予算でピカドン作って、余った予算で諜報員用の特殊作戦クロスボウや現代でさえ特殊部隊で使われてる戦闘用ダガーを作ってた頃
お金も資材も避けない日本の研究者や技術者が作れたものと言えばタンポポコーヒーと電気パン、竹槍に竹で作ったゴミみたいなボウガンだけだ
あるのはどうしようもない根性論と絶対王政末期のフランス並みの格差社会だけ
現代社会の日本ならまだしも、戦前戦中なんて北朝鮮のプロトタイプみたいな社会だった国にのどこにそこまで魅力があるんだろうかと思う
小学校で見せられたなあ、1年生の時、体育館の大スクリーンで。
顔の皮がぶよんと剥がれて骸骨になる(うろ覚え)ところでアッて思って、それ以降ずっと目と耳を塞いで下を向いてた。
心臓がバクバクして吐きそうになって、それ以降おしまいになるまで顔を上げたり、耳を塞いだ手を外したりできなかった。
耳を塞いでても音が入ってくる恐怖に対抗するために、頭の中で鈴木あみのBe Togetherをずっと歌ってた。
終わったときみんなはすげーとかやべーって言ってたけど、私はビートゥギャーザビートゥギャーザと震えながら呟いていた。
そんなことしたせいで、そのあとBe Togetherを耳にすると原爆が落ちてくる恐怖でパニックに陥るようになってしまった。
そして当時中学生だった祖父は、6日から1週間の内に広島市へ入市した。
これは父から聞いた話であり、私が祖父から直接聞いたのは「広島の原爆で二次被曝したから手帳を持ってるよ」だけだった。
多分子供に話す内容ではないと思ったのだろうが、祖父の死後、やはりどうだったのか気になった私は父親に聞いた。
1945年8月6日、広島県にある祖父の通っていた中学校(中心部のでは無いらしいが調べてみても分からなかった)の校長・教職員・生徒は、
陸軍学校の掃除という事で集合し、広島の中心地へ向かった。だが、9人だけは違った。
そこには祖父も含まれていた。祖父はその時、何らかの事情で行く事が出来なかった。
他にもスイカを食べ過ぎてお腹を壊した生徒や、寝坊した生徒など祖父を含めて9人が行かなければいけない大切な仕事を休んでしまった。学校側もお怒りだったらしい。
だが結局、その9人を置いて広島市内に向かった全員が原爆によって亡くなった。生き残ったのは事情で行けなかった9人だけだった。
広島市に爆弾が投下され多数の負傷者が発生したという話を聞いたのは8月6日の夕方だったらしく、中心部から来た宅配屋(?)の話を聞いたそうだ。
祖父は学校の生徒の事が気になってか、ただ興味本位だったのか、とにかく原爆投下から一週間以内には、自転車で中心部へ向かった。
広島市中心部に入った時、目の前の水平線に敵戦闘機による掃射の様な光景が広がっていたのを見て祖父は危険を感じた。
だが、敵戦闘機のエンジン音や、近くに居る人達に緊迫感が無かったのを見て不思議に感じた祖父がよーく見てみると、
それがいつもは見えなかった広島湾だった事が分かった。陽光を受けてキラキラ光る海面が、
建物が消えた広島市内のずっと先に写り、それが敵戦闘機の掃射と似ていただけだった。
どこまでも続く荒野と、その先に見える広島湾に驚いた祖父は自転車を走らせた。
中心部に近づくにつれ、路肩にまとめられていた遺体が道の真中で放置されている状態を目撃した。
祖父はその遺体に近づくと、カエル達がその遺体に這っている所だった。(食べていたのかは分からない)
遺体に群がるカエルを取り除く事しか出来なかった祖父は、とにかくそのカエルを潰したり引っぺがしたりして少しでも供養になればと
遺体を見つける度にやっていたそうだ。が、自転車を走らせても走らせてもその光景が海の方まで続いていたそうだ。
祖父にとっては原爆はピカドンではなく、カエルだった。実際の原爆の炸裂の瞬間は見ていない祖父は、原爆はどうだったのかと聞かれても
このカエルの話しか出来なかった。更に原爆を目撃していないんだから被曝はしていないという感覚だったのか、40歳半ばまで被曝手帳をもらう事は無かったそうだ。
生き残った9人の同窓会の時に二次被曝してるんじゃないかという話になり、被曝手帳をもらえるのではないかという事で診断した所、
二次被曝している事が分かり、被曝手帳を正式にもらったそうだ。
そしてこの他8人はどうなっていたのかというと、特に強烈なのがその内の1人が暴力団系に進んでしまっていたという話だ。
というのも同窓会に現れたその1人は、黒い車のドアを部下に開けさせ降りてくる所を目撃し、言われなくても分かってしまったという。
祖父はその人にこう話しかけたそうだ。
祖父『せっかく原爆から生き残ったのになぜそんな道に進んでしまったのか』
その人『そうするしか無かった、俺にはこの道しか残ってない。』
祖父『まだやり直せる。亡くなった彼らの事を考えて道を歩もう。』
その人『いや無理だ。もうこれでしか生きていくことは出来ない。すまん。』
そのまま同窓会のこの会話を最後に何年も顔を見せる事が無かったそうだが、ある日の新聞で、その人が暴力団同士の抗争のさなか
殺されたという記事を見て、父が「これはその人なんじゃないか」と指摘した時、祖父は頷くも無言でやりきれない顔をしていたそうだ。
祖父の話はこれぐらいで、他に強烈だったのは祖父の親戚の乗っていた漁船が爆風の直撃を受けて船長の体にガラスが突き刺さりまくって亡くなったという話で、
その後漁船で広島まで帰ってくると突然真っ黒焦げた人達の中から名前を呼ばれ、気付くとそれが親戚だったり、また近所の人だったりと
祖父の親戚は広島に集中していたので親戚の間ではこんな話をいつもしていたそうだ。
孫の私にこういった話をされる事は無かったが、話を聞いてみて、同じ級友含め学校生徒のほとんどがが犠牲になった中で
生き抜くという事は非常に辛かった事だろうと思う。でもそれでもやりたかった職に付いていたそうだし、こういった話をする事もなく、
隣の芝生を見ろって話。
アフリカやイスラム国の毎日何人か何十人か飢餓やテロで死んでる。
第二次世界大戦の時だって中国や東南アジアの戦場には一切触れないのに
従軍慰安婦が捏造だと分かった途端、我々は被害者だと掌を返し、
にも拘らず、自分たちが行った事への謝罪や贖罪を感じる事はない。
「知る権利」の拡大解釈と「報道の自由」「言論の自由」を掲げては
毎回ピカドン被害に遭った人やその家族にプライバシー無視して徹底取材を敢行する。
戦時中は、政府に逆らえないと前置きしておいて、日帝は最強だ!アジアのリーダーだ!みたいな事
吹聴してきた癖に、戦後は一転無かった事にさえしてる。
こういう二枚舌は本当に嫌いだ。
テロに屈しない。
それは良いけど、テロに屈しないための措置がこれまで取られた事なんてなかった。
原爆落とされたのに、今度はどうすれば原爆落とされずに済むかとか、どうやって平和的に解決していくとか
そんな当たり前の解決策を民間に丸投げして、政府もマスコミも延々保身的な事しかしてないのは何なんだ。
そうした状況下で、オウムの事件でたった13人しか被害が出なかった事を喜ぶべきなのに、
空気を読むという日本の悪しき伝統を守って結果、13人の被害者に焦点を当てて件のやりすぎな報道を行って
同情を誘おうとするマスコミ、でも待って欲しい。
そのような状況に追い込んだ張本人が、今度はオウム被害者と一緒になって被害を訴えるのか?
それは都合の良過ぎる話だな、と思った。
戦争するのはいつも国民で、自分たちは従軍しないけど、やたら戦争する事を煽る。
そのくせ戦争が終わると反戦派の急先鋒となって政府との戦いを煽る。
マスコミこそ最大最悪の諸悪の権化だというのに、オウムの事件も被害者感情を煽って
てめえらのペースに乗せたいって腹積もりなんだろうけど、一方で坂本弁護士一家殺害事件のように
国民の味方の情報をテロリストに売り捌いてるんだから、マジで害悪だよ。
手に取るように分かるよ。
原発事故の後、電力供給が復活してネットワーク機能が戻った際にまずやったのが、チェルノブイリとABCCの資料集め。
それらを斜め読みした後、公表されているサーベイメーターの値を論文片手に計算してみて、安全だと納得したわけだが。
そういった手間を掛けないで、「ピカドンの毒がー!」とか騒いでる奴の方が呆けてるとしか思えん。
ICRP勧告(LNT仮説)を元に政策は決められているんだし、政府の「この程度の放射能は大丈夫」には何も問題はないだろ。
まぁ、平成22年度原子力総合防災訓練を行ったのにもかかわらず、悪い選択を繰り返した政府はアレだと思うが。
むしろ、こっちの側から攻めたらどうよ?
「冷却機能消失という同様なシチュエーションで防災訓練していたにも関わらず、この様晒している政府の発表なんぞ信用する方がどうかしている。」と。
いや、それって「核兵器」だよね?「原子力発電所」じゃないよね?
たとえば9.11の映像を観たからって怖くて飛行機に乗れないってことある?爆弾テロが怖いからって花火も怖い?
「万が一」のときは、黒い雨が俺やお前の上に降るんだぜ。
マジレスすると降らない。黒い雨がなぜ黒いかというと煤煙のために黒いんだ。だから大火災の後には核攻撃の後でなくても黒い雨が降るし、原子炉事故では核爆発は起こらないから大火災も起こらず、従って黒い雨は降らない。
核はひとたび「万が一」が起こったら、一瞬に、無差別に、大量に、未来に渡って、人々を殺し、苦しませるんだろ。
恐くない?
そりゃ、潜在的なリスクは怖いよ。だから、問題はどれだけ丁寧に危機管理がされているかということに尽きるんじゃないかな。
放射線災害を度外視しても、大地震は「万が一」どころじゃない確率で起こるわけだし、他にも飢餓だの伝染病だの世の中には危険がいっぱいだ。個人的には、そっちの方がよっぽど対策の不備が目立って恐ろしいと思うけどね。たとえば地球温暖化とか新型インフルエンザの問題は、原発事故より高い確率でもっと悲惨な被害をもたらすリスクがあるけど、原発ほど徹底した対策が打たれているようには思えない(だから今頃大あわてしてるわけだけど)。話を核の災害だけに限定しても、原発事故よりも将軍様の暴発の方がよっぽど恐ろしい。
こんな夜中にこんなこと書いてるとだんだん怖くなってくるから嫌なんだが、結局は世の中は怖いということなんじゃないかな。どうあがいたって人間はいずれ死ぬんだし。たまたまその怖さが見えやすかったのがあなたにとってはまず原発だったというだけで。