「限界効用」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 限界効用とは

2015-10-10

青二才理系人間だった世界線があるらしい

これ自分理系寄りの人間のつもりで書いてるよね。経済学部卒なのに経済学程度で必要とされる数学すら理解出来ず、初歩の初歩たる限界効用逓減の法則価格弾力性を取り違えるなど理系センスが壊滅的に無いことを露呈していたはずだがいつから自分理系寄りの人間だと思いこむようになっただろうか。やっぱり三沢文也のtwitterは別の世界線の青二才が書いているのではないだろうか。青二才SF

2015-07-11

http://anond.hatelabo.jp/20150711163259

国語全然体系化されていない学問っすね。

ただのフィーリング

日常生活で見たことな難解な論理的文章情緒豊かすぎる小説センター試験でよく見ますが、

あれを鍛えることは90を100にするレベル限界効用は低いですね。

漢文古文っている?

本読んでた方が意味ありますな。

http://anond.hatelabo.jp/20150711160301

なるほど。考えさせられる意見でした。

ちょっと考えてみたけど、てにおは は個人的には、日本語を100マスターする

上での残り30だと思っている。

いわゆる 日本語でおk? とか 日本語で説明する = てにおは をマスターするである

すると、それが限界効用的にコストフルだと思う。

てにおはむちゃくちゃでも伝わるものは伝わる。


日本人だと、ていおはがむちゃくちゃ = その他教育も大体おろそか = 論理構造なっていない人が

多いということに繋がりやすいと思うが、論理構造を説明する上で、てにおはは手段しかない。

動詞形容詞名詞、あとは文章メッセージがしっかりしていたらそれをくっつける複雑な

接着剤。こんなものは、おまけ。

個人的には、英語をこれだけ長いこと教育している国で英語サバイバル言語として

教えられない、あるいは、仮説思考的にどんどんjump in していくのが大切ってことを教えれないのは

このへんの完璧主義

(いいほうに完ぺきだったらいいけど、実は別にゴールに向かう上での完璧さではない

 ところでの枝葉末節と幹を切り離せて考えられない、ただの過剰主義と一緒なのでは?)

"日本語" もできていないのに英語ができるか!? という言説

個人的にこの言説、ずっと、どうしたらいいんだろうと思ってきた。

個人的には、同時並行をすると、どちらかがおろそかになるという意味なのだろう。

非常にセコい言説だ。

日本人なら100%近くの日本語説明能力を獲得できるはず。

それができると次にいけるという、非常に強い”もっともらしさ”を持っているが、

実はそんなところにたどり着いている人はいない。

しかし、とてももっともらしい。なんとなく納得してしまう。

しかし、100%の日本語を話せる”気”になっている人はいるが、

本当にそんな人はいるのだろうか。

時に図を使い、表を使い、それでもわからない、という事が日本語でも余裕で起こりうる。

大体日本語をそんなに”極める”ことに日常意識をはらっているような関心の強い人間

同時並行的に英語学習できているだろう。

大体の日本人日本語なんて80、もしくは70%ぐらいしかコンプリートしていない。

70→80に持っていく暇があったら同時並行で英語勉強することのほうが限界効用的には

高いはずだ。

そういった事をわからない、もしくは英語、無学習人間に限ってこのようなことを言う。

jump in 、仮説思考といった発想ができないのだ。

個人的には、語学習得スる際に、文脈で不確定性の中で切り拓くという思考自体

そもそも脳を鍛えてくれる活動で、日本語stick している暇があったら激しくこちらの

方が頭に効く。

漢字をたくさん覚える限界効用と、英語を仮説思考的に運用するプロセス限界効用

どちらがいいのだろう。少し考えればわかると思うが。

こういった謎の完璧主義こそがどんどん仮説思考ですすめないといけない語学

英語をどんどこ阻んでいるバリアなのだが、

そういったステレオタイプはなぜ存在して幅を利かせるのだろう。ばからしい。

2015-02-04

http://anond.hatelabo.jp/20150203222601

  • 効用って具体的に何?それって人によって異なるんじゃないの?
  • それが逓減するという根拠は?
  • 家族のために頑張ったとき効用って何?それも人によって異なるのでは?
  • 家族のために頑張ったら限界効用が逓減しないという根拠は?

http://anond.hatelabo.jp/20150204001647

からそもそもミクロとしてじゃなくて対象を個人の人生として見た場合

プロスペクト理論は使える理論じゃないから

↓消しちゃった返信のための追記ね。

プロスペクト理論ライフサイクルを追っているわけではないだろうに。

限界効用の低減は、個別商品と個人との関係においてはまず成り立つんだよ。

2015-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20150203214646

自分利益のために自分が頑張るのならば、限界効用が低減し、コストベネフィットが同水準に達したときに、もう何かしようという気にならなくなる。

サイコパスならば、自分のために他人を頑張らせるので、限界効用関係なくいつまでも他人から搾りとるだろう。

2014-12-13

政治学立場から見た投票に参加しない層の存在意義 <2014>

前回2013年投稿したエントリーの加筆版。

投票しないと非国民扱いされるらしいので、昔、政治学講義でならった学説をいくつか紹介しようと思う。

(その1)投票による効用が少ない。

投票することによる限界効用が逓減しているという説。この種の人々にとって投票に参加することで得られる効用の増分は少ない。投票することで効用が下がってしまうことすら有るだろう。若者世代間格差を訴え投票参加を促すことは効用存在提示する試みと言える。(無党派層が怖いから)雨で寝てればいいのにという政治家発言も雨降りのなか参加するほどでもないという有権者性向を巧みに利用したと思うと合理的である

※前回のエントリーで、経済学を知らない人に「効用」を金銭的価値利己的な利益勘違いして批判されたのだが、ここでの「効用」とは経済学用語のそれである。例えば、自分には痛みのある政策であったとしても社会がよりよくなるならば、ある投票者にとっては効用があると感じる可能性はある。つまり自分自身の金銭的利得だけをさすのではない、いう点に注意。

今回の選挙で言うと、自分にとって重大な争点が無いという点も、投票行動に対する効用を低下させる要因である

また、小選挙区制により、多数の無効票が発生する点にも注目したい。

(その2)現状に満足=政治成功

現状の政治に満足しているため、投票に行っていないという説。この説によれば投票率の低さは、ある意味では日本の政治一定成功を収めていることの証左といえる。あまり問題が多い社会だと、投票率は上昇するだろう。それ以上に問題があると暴動デモになる。

(その3)政治的無関心過激派に対する緩衝材である

過激な政治行動に対する緩衝材となるので政治的無関心にも一定メリットがあるとする説。みなが政治に熱心な社会は、本当に平穏健全社会だろうか。考えてみてほしい。渋谷をうろうろする右翼クルマ国会前の反原発デモインチキくさいアメリカ大統領選挙の集会。みんなが政治に参加する社会なんて怖いだけじゃないだろうか。つまり政治的無関心は過激な政治行動を起こす層に対するクッションとして作用しているのである

(その4)白票または棄権という意思表明

意思表明には多種多様方法がある。「最低でも白票を入れて意思表明しろ」という意見もあるが、それはそれで一種の価値表明である。参加しないことで行われる意思表明もある。

(その5)宗教的信念によるもの

宗教的信念により、一切の党派には与さないという考えにより投票しないグループ存在する。

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