はてなキーワード: つがいとは
俺もコンサータ飲んでる。
俺はそう思ってくれたらとしたら幸せだと感じると思うよ。障害を受容してもらってるんだからな。
ただコンサータやめてほしいというのは違和感ある。心配せんでもコンサータは飲んだ日しか効かない薬だから、いらないときは飲まなきゃいいだけだ。
だから仕事を頑張らなくていい休日は飲まなくていいって言ってみたらどうだ。休薬日というやつだ。
コンサータは心身が疲れるし、耐性もつくから、休薬日をつくるのはいいことだ。ただコンサータを飲まなくて大きな失敗したら本人もこまる。だからコンサータを飲まなくても大丈夫な安全な環境をつくれ。お前も介助者としてサポートするんだ。そうすれば彼女は休日をありのままの自分でリラックスして過ごす事ができるだろう。
お前のことを自己決定権を侵害してるなんて言うやつもいるがおれはそうは思わない。俺達がコンサータを飲まざるを得ない社会に生きているのに何が自己決定権だ。お前は飲まなくてもいい環境を用意してくれると言うなら用意しろ。その上で彼女自身に今日は飲む日か飲まない日か決めてもらえ。それが本当の自己決定権だ。
いろいろ言うやつがいるが、彼女がお前にコンサータを飲まなくていいと思ってもらえる事は、俺は幸せなことだと俺は思う。障害への理解者は貴重だ。一番必要な存在といっていいかもしれない。お前が安全地帯を用意できるならぜひそうしろ。それを口に出すことは悪い事じゃない。ただし仕事を諦めろってのはお前のエゴだから本人に決めさせろ。お前は安全地帯を作って休みたいときに休める選択肢を用意するだけでいい。安全地帯があることは仕事を続けるとしてもプラスに働くはずだ。悪いことではない。お前は彼女の可能性を潰すんじゃい。むしろ広げてやれる
まあ薬のことだから医者を挟んで話し合ってもいいな。医者を巻き込んでコンサータとの付き合い方を教えてもらえ。コンサータはあくまで道具だ。使い方学べ。コンサータという選択肢があることは彼女にとってもお前にとっても悪いことはない。だから捨てる必要はない。必要なときに使えばいい。だがお前といるときは必要でないというならそれは幸せなことだと改めて伝えておく。
俺もコンサータ飲んでる。
俺はそう思ってくれたらとしたら幸せだと感じると思うよ。障害を受容してもらってるんだからな。
ただコンサータやめてほしいというのは違和感ある。心配せんでもコンサータは飲んだ日しか効かない薬だから、いらないときは飲まなきゃいいだけだ。
だから仕事を頑張らなくていい休日は飲まなくていいって言ってみたらどうだ。休薬日というやつだ。
コンサータは心身が疲れるし、耐性もつくから、休薬日をつくるのはいいことだ。ただコンサータを飲まなくて大きな失敗したら本人もこまる。だからコンサータを飲まなくても大丈夫な安全な環境をつくれ。お前も介助者としてサポートするんだ。そうすれば彼女は休日をありのままの自分でリラックスして過ごす事ができるだろう。
お前のことを自己決定権を侵害してるなんて言うやつもいるがおれはそうは思わない。俺達がコンサータを飲まざるを得ない社会に生きているのに何が自己決定権だ。お前は飲まなくてもいい環境を用意してくれると言うなら用意しろ。その上で彼女自身に今日は飲む日か飲まない日か決めてもらえ。それが本当の自己決定権だ。
いろいろ言うやつがいるが、彼女がお前にコンサータを飲まなくていいと思ってもらえる事は、俺は幸せなことだと俺は思う。障害への理解者は貴重だ。一番必要な存在といっていいかもしれない。お前が安全地帯を用意できるならぜひそうしろ。それを口に出すことは悪い事じゃない。ただし仕事を諦めろってのはお前のエゴだから本人に決めさせろ。お前は安全地帯を作って休みたいときに休める選択肢を用意するだけでいい。安全地帯があることは仕事を続けるとしてもプラスに働くはずだ。悪いことではない。お前は彼女の可能性を潰すんじゃい。むしろ広げてやれる
まあ薬のことだから医者を挟んで話し合ってもいいな。医者を巻き込んでコンサータとの付き合い方を教えてもらえ。コンサータはあくまで道具だ。使い方学べ。コンサータという選択肢があることは彼女にとってもお前にとっても悪いことはない。だから捨てる必要はない。必要なときに使えばいい。だがお前といるときは必要でないというならそれは幸せなことだと改めて伝えておく。
俺もコンサータ飲んでる。
俺はそう思ってくれたらとしたら幸せだと感じると思うよ。障害を受容してもらってるんだからな。
ただコンサータやめてほしいというのは違和感ある。心配せんでもコンサータは飲んだ日しか効かない薬だから、いらないときは飲まなきゃいいだけだ。
だから仕事を頑張らなくていい休日は飲まなくていいって言ってみたらどうだ。休薬日というやつだ。
コンサータは心身が疲れるし、耐性もつくから、休薬日をつくるのはいいことだ。ただコンサータを飲まなくて大きな失敗したら本人もこまる。だからコンサータを飲まなくても大丈夫な安全な環境をつくれ。お前も介助者としてサポートするんだ。そうすれば彼女は休日をありのままの自分でリラックスして過ごす事ができるだろう。
お前のことを自己決定権を侵害してるなんて言うやつもいるがおれはそうは思わない。俺達がコンサータを飲まざるを得ない社会に生きているのに何が自己決定権だ。お前は飲まなくてもいい環境を用意してくれると言うなら用意しろ。その上で彼女自身に今日は飲む日か飲まない日か決めてもらえ。それが本当の自己決定権だ。
いろいろ言うやつがいるが、彼女がお前にコンサータを飲まなくていいと思ってもらえる事は、俺は幸せなことだと俺は思う。障害への理解者は貴重だ。一番必要な存在といっていいかもしれない。お前が安全地帯を用意できるならぜひそうしろ。それを口に出すことは悪い事じゃない。ただし仕事を諦めろってのはお前のエゴだから本人に決めさせろ。お前は安全地帯を作って休みたいときに休める選択肢を用意するだけでいい。安全地帯があることは仕事を続けるとしてもプラスに働くはずだ。悪いことではない。お前は彼女の可能性を潰すんじゃい。むしろ広げてやれる
まあ薬のことだから医者を挟んで話し合ってもいいな。医者を巻き込んでコンサータとの付き合い方を教えてもらえ。コンサータはあくまで道具だ。コンサータのんだからって人が変わるわけではないぎゃくにやめたからって使い方を学べ。
紅麹問題はいくら工場の衛生服を着ているとはいえ、顔と外界が接点を持ってるから、顔から有害物質または有害物質を作る何かが出てきたのではないか?
たとえばにんにくを食べたら翌日息しなくても毛穴からもにんにくの匂いは生じるみたいなものだ。
別に職場ににんにくを持ち込まなくてもこうしてにんにく特有の物質は社内に持ち込める。「リストで持ち込みを徹底チェックしてる」などこうしてすり抜けられるのだ。
有害なカビが毛穴から出るようになるものをあらかじめ食べて、それで工場に入ったやつがいるのではないか。
食べた時点でそいつが有害なのに侵されてやばいじゃないかと思うかもしれないが、カビや菌は少量体内に入ってもいずれは免疫でやられる
「地獄の沙汰も金次第」とはいうが、あの世にお金は持って行けないはずでは……
よくよく考えると変なことわざだ
いや、待て……
もっと言うと、あの世に現世のモノは持って行けない……という世界観はいつからあるんだ
(順序が逆で、このニュースを見たからこそあの世に持って行けるものって何?という疑問がスタートしたわけだが)
それが現代日本に生きる人の世界観ではあの世にモノを持っていけないという認識に……いや、違うか
「オレが死んだら棺にタバコを入れてくれ」とか「あの人はタバコが好きだったから棺にタバコを入れましょう」みたいなことを言う人もいるな……
ということは「あの世にお金は持って行けない、しかしそれ以外のモノは持って行ける」という世界観を持つ人がいることになる
なんか……中途半端な感じがする、なんでお金だけダメなんですかアナタ
その一方で冥銭ってやつもあるんだよな
本物のお金じゃないあの世専用のお金を燃やすことであの世にいる死者に送金するらしい……類感呪術ってやつなのかな
昔は冥銭用のイミテーションのお金じゃなくてマジのお金を六文銭として使ったと聞く
通行料がいる、それ以外の財産は持って行けません……みたいな?
でも奪衣婆って鬼がいるんだよな
六文銭を払えなかったら衣類を奪う、逆に言えば六文銭を払えたなら衣服というモノは持ち込める……
身につけているものはセーフ?
対話を試みましょうね
「 『地獄の沙汰も金次第』というけれど、どんな苦境でも札束を積めば解決できることがあるって意味であって地獄というのはものの例えだよ。本当に閻魔大王様に賄賂を渡せると昔の人が考えていたわけじゃないと思う。」
「坊さんに高い金さえ払えばしっかり供養してもらえる状況を皮肉った側面もこのことわざにはあるんじゃないかな。」
「もともとの意味は『財産を寄付など善行のために使えば地獄に落ちない』みたいな意味らしいよ。」
なるほどなるほど、私もそう思います(あたりまえだ、そのツッコミをしたのは私なのだから)
でもなー、そのツッコミ群は「あの世にお金は持って行けない、しかしそれ以外のモノは持って行ける」という話について説明してくれない
「そもそも『あの世にお金は持って行けない、しかしそれ以外のモノは持って行ける』という世界観を持つ人がいる話はあくまで仮定でしょ?その前提は正しいの?」
確かにそれはそう、まずは現代日本における死生観……あの世観の裏取りしたほうがよさそうだ
「 『あの人はタバコが好きだったから棺にタバコを入れましょう』イコール『あの世にタバコを持って行ってもらう』は本当に真なの?」
そこも怪しいよね
死後の世界を信じていない人でもそういう事をするかもしれない
いや、どうだろう?自信ないな……
少なくとも言えることは、副葬品の目的はあの世に持って行ってもらうためだけではないであろうということ
「 『あの世にお金は持って行けない』は拝金主義者を嗜めることが目的の言説でしょ。」
でしょうね
「 『あの世に現世のモノは何も持って行けない』が実際のところじゃないの?」
それも確かにもっともらしいんだけど、実際に副葬品として亡くなった人の身の回りのモノとか生前好きだったものを棺に入れることもあるじゃん
その棺に入れるものの選択肢としてお金が無いのは何故?という話にもできる
確かにね、しかしだからこそ中国などのアジア圏の一部では冥銭というあの世専用のお金があるんじゃないか
あーそうか、これって「なぜ(一部地域を除く)日本では中国のような冥銭の文化が根付いていないのか?」という問いと言い換えることもできるのか
私もそう思っている、でもそう思っていない人もいる
余談だが「自分が死んだら無になる」はすんなり受け入れることが出来るけど「大切なあの人は死んだから無になった」はちょっと受け入れるのに抵抗がある
いろんな地域、いろんな時代の世界観をごっちゃにして物事を見てしまっているのであろう
混乱の原因です
ここらへんについて調べよう
②「あの世にお金は持って行けない」って考え方はいつから存在する?
⑥冥銭について
『日本人はなぜ無宗教なのか』 『日本人無宗教説 ――その歴史から見えるもの』あたりに何か関係あることが書いてあるかも
追加で本を探して買ってもいい
そういえばキリスト教圏は副葬品という文化が全然ないらしい(全くないわけではないらしいが)
その一方で中国は冥銭を燃やすことでお金やら車やらスマホやらをあの世に送っているらしい
なんにせよ知識不足、生半可な知識で「これこれこういうことです」と理解してしまうと大火傷してしまいそうだ
なんか、タイとかブータンあたりの仏教文化圏の葬儀がどんなものかも調べた方がいい予感があるな
古墳時代の日本だと持って行けるって考えだったろうから古墳の副葬品に通貨とかが……あっ、古墳時代の日本に貨幣ないかもか
いろんな国地域時代の葬式スタイルを調べることで、そもそも問いの立て方がずれていたと発覚することもありえるが……
調べるのはまた後日にしよう
しかしこれって何を調べ上げたら私は納得することができるんだ?
まだわからない
納得できるのはこのままいろいろ本を読み続けたあとの数年後とか普通にありえる