はてなキーワード: オリンピックとは
オリンピックとフジロックの関係って仲間内でいち早く童貞卒業した奴とそれに追従する奴って感じするんだけどどう?
これは童貞仲間内での「俺ら女にモテるとかよりゲームとか漫画の話してるほうが楽でいいよな」的な空気と似ていると思った。
女性も彼氏が居ない仲間内で「私達、男とかどうでもいいのよね。こうやってしゃべって美味しいもの食べてればそれで」的な空気があると思う。
オリンピックを開催した事を批判する人も居ればオリンピックやったんだから帰省もしていいよねって帰省する人も。
これも童貞仲間内でいち早く童貞卒業した奴が出たときの「あいつ彼女作って童貞卒業したらしい。裏切り者だ」って空気に似てる。
そしてその後、ファッションとか気にして自分も彼女作ろうとする空気。
フジロックってそれだと思うんだよね。
フジロックレベルだと昨日今日で行くか決めるもんじゃないので、オリンピック前、またはロッキン中止の頃にはたぶん行くの決まってたはずだよね。なんとなくその時は色々ありつつも増田も容認してたんじゃないかと想像。
その後、昨今の感染拡大で再考が必要だったんだろうけど、そこの話し合いがこじれたんだろうなぁ。チケ代は返金できても宿代とかは微妙だろうし、友人5人との関係もあったりしたんだろうし、何が言いたいかと言うと江戸時代の五人組はよく出来た施策だったんだなということ。
フジロック出演の辞退は素晴らしい判断だ!オリンピックにはそんな選手すらいなかった!
コロナ禍を理由としてオリンピック参加をやめたプロテニスプレーヤーすら記憶のどこかに。
「有観客?そんな次元の話ではない」
今回のフジロック
「批判は引き受ける」って言うアジカン後藤は、具体的に、いつまでに何をするつもりなの?
お前らご意見番的なミュージシャンってさ、いっつも「考えていかなければいけない」とか、何かしてるっぽいことを言うのが大好きだけど、具体的に、いつまでに自分の考えをまとめてそれを公表して、それに基づく行動計画を実行して、一定期間の後に結果を公表して改善案を出してっていうことはしないよね?
お気持ちポエムを書き連ねて何かしたつもりになるのもまことに結構でございますが、自分たちの利益のためにフジロックでクラスター発生させるぐらいなら、偉そうに「オリンピックは地獄」とぬかしたことの下手な言い訳するのはお止しになっては如何でございましょうかね?
あ、念の為に言っとくけど、自分は五輪も甲子園もフジロックも全部等しく反対の立場なんで、ちゃんとアジカン後藤は人殺しの顔をするように。
オリンピックは無観客だっただろ定期
そんな先のオリンピックまで生きている自信がないわ
官も民も交流の冷え切った関係なのに、マスコミだけは日本より速報をバンバン放り込んでたのがオリンピックで印象にのこったこと。
パラリンピックでも、同じなんだろうな。
そして、誰でも書き込めるまとめサイトなんかだと、なにかにつけ隣国関連の書き込みがある。
あれだ。
韓国面におちるってやつだな。
あれがとてもうざい。
こんなところで書いているのは、まともに発言すると、自分が韓国を好きでも嫌いでもないのに、色眼鏡で見られることが分かっているから。
何も言わない。
何も聞かない。
関わりたくない。
俺はずっとアジカンが嫌いだった。
きっかけはリライトがヒットしたあたりからソルファ借りて一通り聞いたけど、「ナンバガイースタンを大衆向けに書き換えただけじゃねーか」という感想以上のものを持てなかった。
ナヨナヨしたメガネの変人がフロントマンやってるのも先人のバンドをなぞっただけのような感じがして嫌いだった。似たようなバンド、00年代ごろは鬼のように流行った気がするんだけども。
というか、アジカンが流行り出した頃はキューンレコード自体が丸ごと嫌いだった。キューンのバンドのやつら、どいつもこいつもアニメのタイアップばっかりやってヒット目指そうとしてるのが気に食わなかった。もっと曲で勝負しろや!タイアップなんかやるんじゃねえよ!って思ってた。
でも上記の感情、全部若気の至りだったよ。学生の身分で流行り物が全部嫌で、流行っているものに群がっている人間を見るのも嫌で、流行っているものに影響を与えているバンドだったりミュージシャンみたいなものを「今流行っているものはこいつらが先祖なんだぜ」って気持ちを雑にmixiに書き散らかして優越感に浸りたいだけの学生だった。
別に積極的な理由で流行り物に対して嫌っているわけじゃなかったけど、なんとなく右へならえでみんなが好きなものをみんなと一緒に好きになるのが嫌だっただけなのかもしれない。
でも自分でなんか曲作ろうとかバンド組もうとかなんかしようとかそういう感情も一切なく、ただ流行り物をdisるだけの腐った学生生活を過ごしていた。
その後就職して仕事をしていると大人になったからなのか暇がなくなってしまったからなのか、おおよそロキノン系ロックの細々したヒットチャートに一喜一憂することもなくなった。流行り物の曲も「こういうのが売れてる曲なんだ」っていうのを学習する機会として割り切るようになった。キューンが散々アニメタイアップでバンドをヒットさせようとしてたのも「生きるためにはまあしょうがないよね」ってなんとなく納得するようになった。後藤が原発関係でなんか言ってた時も「政治に口出せるほど偉くなったもんだねえ」「エレキでジャカジャカ電気使って音楽やってんのに脱原発エコロジー標榜してんのか」と内心冷めた目で、でもそういうことをTwitterとかはてブとかに書くこともなく淡々と生きていた。
https://note.com/gotch_akg/n/n6352512c4041
現場に積み上げられてきた熱意。そして、そこにある人生。一方で、自分がよく知る切実な思いとその活動が乱すかもしれない公共衛生。飛び交ういろいろな言葉を前にして、グワグワになっている。
だが、久しぶりのリハーサルのたかだか数時間で、自分が生き返ることも実感した。心の底から、これだ!という実感が溢れ出て、全身をめぐった。エゴイスティックな音楽への欲望が俺には少なからずある。
まずミュージシャンがmixiやアメブロじゃなくnoteで一言ぶち上げる時代の変化に驚いたけど、「オリンピックdisっておいてこの文章かよ」っていう原発のころとなんら変わらないダブスタな政治信条を見せられて、落胆と安堵が入り混じった感情になった。もうこの文章だけ読んだらオリンピックに出るアスリートが書いてんのかフジロックに出るミュージシャンが書いてるのかわからないもん。
まあ分かるよ。ライブなんてコミケやお祭りと一緒で現場で臨場感出さないと客は財布の紐を緩めない。運営もミュージシャンもそういうのわかってるし生活立ち行かないからライブやるんだって。でもオリンピックdisっといて自分のイベントについては日和った感想しか出てこないところが、やっぱり嫌いだなあって思っちゃった。
さっき安堵って書いたのはそういうことだと思う。自分がずっと嫌いだったものを改めて引き続き嫌いでいさせてくれる。
でもこの文章もソルファ聴きながら書いたし、意外といい曲多いのでYouTube Musicでアジカン、気が向いたら聴くよ。だから頑張ってください。