家族仲は良く、とても大切に育てられて、不自由な思いはしたことがない
地方都市だけど、歴史が古く文化人も多く輩出している地域で、多様な文化にも触れられたし、大都市にもすぐ出られたので、小さい頃から博物館や美術館にはよく連れて行ってもらっていた
特に母親の実家が名家だったので、そっち経由で触れる文化の水準は高かった
能力的にも恵まれていて、小さい頃から勉強で苦労したことはない
コミュ障だけど見た目と成績が良かったお陰で一目置かれていじめられることもなく高校まで普通に過ごせた
収入は多くはないが、生きていくには十分だし、なにより安定している
人生で最初に好きになった人だけど、特にトラブルもなく仲良くなって付き合って、普通に結婚した
相性は最高で、喧嘩もしない
今は結婚して20年経つけど、やっぱり喧嘩しないし今も本気で好き
最高のパートナーだ
仕事は忙しくはなく、だいたい6割くらいの力でこなせる程度
それでも周囲よりは効率よくこなせていたらしく、すぐに特別な存在扱いされるようになった
おかげで礼儀とかよくわからないコミュ障でも咎められることなく、快適に過ごせている
妻は強い国家資格を持ってるので、いったん仕事を辞めて専業主婦になった
しっかり情報を集めて、じっくり話し合って建てたので、なんの不満もないいい家が建った
子どもたちは二人とも可愛くて賢い
塾には行ってないが、これまでのところ勉強で苦労したことは一度もない
子どもたちの手が離れた今は、妻も仕事を再開して、経済的にも安定している
こうして人生を振り返ってみると、何ひとつ苦労をしてないことがよく分かる
毒親に苦しめられたり、地方出身で文化に触れられなかったり、学校でいじめられたり、不登校になったり、就職できなかったり、受験に失敗したり、ひどい失恋したり、ブラック企業に苦しめられたり、夫婦喧嘩したり、子どもの障害に悩んだり、そういうドラマが一切ないまま生きてきた
苦労しなくてすんだのはいいことだと思うんだけど、なんか、こう、人間としての厚みが得られてない気がする
増田には色んな苦労話が描かれているけど、おれの人生には無かった
順風満帆で常に幸せで、辛かったことなんて本当に小さいことしか記憶にない
そして、これから大きな苦労に直面したら生きていけない気がする
親が認知症になるとか、会社が潰れるとか、妻や子どもが事故や事件に巻き込まれるとか、そんなことがあると耐えられない
トークン化市場の成長に対する需要の高まりは、デジタル経済におけるセキュリティ、効率性、アクセシビリティの向上に対するニーズの高まりに起因している。サイバー脅威やデータ漏洩の増加により、世界中の産業でトークナイゼーション・ソリューションの採用が急速に進んでいます。
世界がよりつながり、デジタル技術に依存するようになるにつれ、サイバー犯罪は増加の一途をたどっている。サイバー攻撃件数の大幅な増加により、2023年には3億5,600万人以上の被害者が出ると予想されている。日本のトークン化市場は大きく成長し、世界平均を上回る年平均成長率(CAGR)を示すと予想される。この成長の原動力は、決済システムの近代化、機密データの保護、進化する規制の枠組みへの対応に向けた取り組みである。
同地域におけるトークン化市場の効果的なソリューションに対する需要は、サイバーセキュリティを向上させるための政府の不正防止イニシアティブや各国特有のコンプライアンスによって促進されると予想される。「世界中でサイバー犯罪の脅威が高まっているため、日本の企業にとってサイバーセキュリティの重要性はますます明確になっています。トークン化は、機密データを侵害やサイバー攻撃から守る強力なセキュリティ対策を提供し、日本での採用と市場成長に貢献しています。
以下のリンクからすべての情報を見るには、ここをクリックしてください:https://www.sdki.jp/reports/tokenization-market/106156
普段あんまり電車乗らないんだけど今日久しぶりに電車で出かけた
途中乗り換え1回の往復路で計8回改札を通った
その際、改札に引っかかった人を5人目撃したが全員女だった
選べるときは女の後ろで改札を通らないようにしているが、やはりそれは正解な気がしてきた
めっちゃ影響受けているといえばそう、それを外に出しているかと言うとno
去年の今ごろの時期に隣の席のクラスメイトが死んだ。事故だったそうだ。
クラスメイトと言っても特に仲が良いかった訳ではなく、話したこともほとんど無かった。
クラスメイトの死は先生から告げられた。私はただ自分の机に視線を落として教卓に立つ先生からの通達を聞いていた。クラスメイトのすすり泣く声の印象が鮮烈に残っている。
それでも結局、クラスメイトの死がその頃の私にもたらしたものは人は死ぬんだという事実だけだった。
人が一人死んだというのに劇的なことは起こらなかった。物語の中の話ではないから当然だけれど。しいて変わったことといえばその日から私たちの教室のメンバーが一人減っただけだった。
しかしそんな些細な違いは簡単に馴染み、やがて私の日常となった。空いていた隣の席が気になったのは初めの1週間。それからしばらくしての席替えの時に席も撤去され、いよいよ私は何も気にしなくなった。
今思い返してもその後クラスメイトのことを思い出したのは出席簿にまっすぐ引かれていた打ち消し線を見た時くらいだと思う。それぐらい私にとってどうでもいいことだったのかもしれない。
なんで今こんなことをぐだぐだ書いているのかと言うと、本当にたまたま思い出したからでしかない。そういえばあの時ここで愚痴ったなと思いここを見たらたまたま今日と同じ日付だったのも関係していると思う。少なくとも書く気になった決定打はそれだ。
ただしそれ以外にも理由がひとつある。私は何となく悔しいのだと思う。クラスメイトが死んだことが悔しいのではない。人が死んだらもう何も無く、後世に何も残らず、関わった人間も含めて消えていくということが悔しい。
きっとここで書くことで何かが変わったりすることは無い。
いつだったか地球上で人は数秒間に一人死んでいると聞いた。きっとその程度の出来事でしかないのだと思う。そうしたもの一つひとつに心を砕いていたら、きっと今を生きてる私たちは潰れてしまう。
そういう風に考えているというのに、私はやっぱりクラスメイトの死が、その存在が、私たちの日常に何も影響も与えていないことに悔しさを感じている。
まあ、そんなことよりもクラスメイトの死を悼まずこんなことを考えている私が1番嫌な奴かもしれない。
お前も70歳を超えれば分かるようになる
引き算の使い方がよく分からないのが俺なんだよね
お、ルッキストやん