めっちゃ影響受けているといえばそう、それを外に出しているかと言うとno
去年の今ごろの時期に隣の席のクラスメイトが死んだ。事故だったそうだ。
クラスメイトと言っても特に仲が良いかった訳ではなく、話したこともほとんど無かった。
クラスメイトの死は先生から告げられた。私はただ自分の机に視線を落として教卓に立つ先生からの通達を聞いていた。クラスメイトのすすり泣く声の印象が鮮烈に残っている。
それでも結局、クラスメイトの死がその頃の私にもたらしたものは人は死ぬんだという事実だけだった。
人が一人死んだというのに劇的なことは起こらなかった。物語の中の話ではないから当然だけれど。しいて変わったことといえばその日から私たちの教室のメンバーが一人減っただけだった。
しかしそんな些細な違いは簡単に馴染み、やがて私の日常となった。空いていた隣の席が気になったのは初めの1週間。それからしばらくしての席替えの時に席も撤去され、いよいよ私は何も気にしなくなった。
今思い返してもその後クラスメイトのことを思い出したのは出席簿にまっすぐ引かれていた打ち消し線を見た時くらいだと思う。それぐらい私にとってどうでもいいことだったのかもしれない。
なんで今こんなことをぐだぐだ書いているのかと言うと、本当にたまたま思い出したからでしかない。そういえばあの時ここで愚痴ったなと思いここを見たらたまたま今日と同じ日付だったのも関係していると思う。少なくとも書く気になった決定打はそれだ。
ただしそれ以外にも理由がひとつある。私は何となく悔しいのだと思う。クラスメイトが死んだことが悔しいのではない。人が死んだらもう何も無く、後世に何も残らず、関わった人間も含めて消えていくということが悔しい。
きっとここで書くことで何かが変わったりすることは無い。
いつだったか地球上で人は数秒間に一人死んでいると聞いた。きっとその程度の出来事でしかないのだと思う。そうしたもの一つひとつに心を砕いていたら、きっと今を生きてる私たちは潰れてしまう。
そういう風に考えているというのに、私はやっぱりクラスメイトの死が、その存在が、私たちの日常に何も影響も与えていないことに悔しさを感じている。
まあ、そんなことよりもクラスメイトの死を悼まずこんなことを考えている私が1番嫌な奴かもしれない。
🧍♀️ 🧍🚚 「僕は死にましぇん」