えーっと…そういうことではなくて…。
デリヘルを利用したんだが、プレイ開始数分後、乳首あんまり感じないっていうし嬢の秘部を指で愛撫しようと触ったら「痛っ!!」って言ったもんだからすぐにやめたのだけど、それでテンションがガタ落ちしてしまったのか、まだまだ十分時間が残っていたにもかかわらず以後のプレイを拒絶されてしまったのだよ。
痛い思いをさせてしまったことは自分の落ち度ではあるが、わざとではないし、痛い(痛そうな)ことを避けてプレイを続行することもできたはずなのに…。
いずれにしても自分の触り方がヘタクソだからこうなったわけだし、正直わざわざお金を払った相手にすら拒絶されるとは、「テクニックがない」「金をもらってもなお相手にする価値がない」とダブルパンチで男としての自信も自尊心も粉砕されてしまった。
っていうだけのこと。
おーいでてこーい
仮面ライダーに限らず、なんとか戦隊とか、ウルトラマンとかも全部観たことがなかった。
僕の場合は別に親が厳しかったとかではなく、単純に観る習慣がなかっただけの話だった。
僕もそれなりにオタクなので、人気があるのは知っていた。
でも特撮ってよく分からないし、タイトルが多いし、実写だし、あと独特の文法がある気がするし、大人になってから観るとなるとよほどのきっかけがない限り、着手するのは難しいことのように思う。
多くの人に愛されているということはおそらく面白いのは間違いないのだけれど、やはりどこかで子ども向けだし…と思っているところがあったのかもしれない。
食わず嫌い…とまでは言わないけれども、やっぱりなんとなく敬遠してしまっている節があった。
その日は突然訪れた。
いつか観ようと思ってアマゾンプライムのウォッチリストに入れていた「仮面ライダーOOO」を突然観始めた。完全になんとなくだった。
作業用BGMにでもしようと思っていた。
思っていたのだ。
ビックリした。
作業がてら観るつもりだったのが、観がてら作業をする勢いになった。
映司が、アンクが、比奈が、後藤さんが、伊達さんが、人々が成長していく様子があたたかく、嬉しかった。
キャラクターがいつのまにか大好きになっていて、最終回付近ではいい歳して泣いてしまった。
それから1年ほどの間にクウガからビルドまでのタイトルを全部観た。アマゾンズも観た。
何度も男の子の心がくすぐられ、それ以上に人間としての心がゆすられるのを感じた。
僕はこれまでヒーローに馴染みがなかったので、ヒーローって常に正しいものだと思っていた。
仮面ライダーを観た今、案外そうでもないのかもしれないと思っている。
主人公サイドにはそれなりにまっとうな感性を持った人間が多いが、別に仮面ライダーが全員が全員平和のために戦っているわけではない(これも視聴前の僕が勘違いしていたポイントだった)。
例に挙げるのはズルい気もするが龍騎なんて「永遠の命がほしい」とか「恋人を救いたい」みたいな理由で戦っている奴らもいたくらいだ。それは正義ではないかもしれないが悪でもない。
表が善なら裏が悪というわけでもないのだ。そんなに単純なものではなかった。
漠然と思ったのは「これを観てきた子どもたちはどんなふうに育ったんだろう」ということである。
もしかしたら大人になってからのほうが感じ取る要素が多いのかもしれない。それほど大切なことが織り込まれている。
男とか女とかではなく、人間として相手を慈しみ、共感し、影響しあう関係。
大切な人が大切に思ってくれる自分も大切にしなければならないと自覚すること。
そばにいてほしいと願うこと、自分の目の届かない場所でも構わないから笑っていてほしいと願うこと。
たくさんのものを失い、背負って、それでも進まなければならない使命。運命。
正しいこととは何か。人間とは何か。生きるとは何か。
子どもの頃だったら気が付かなかったこともたくさんあるだろうと思った。
現に名前は知っていても触ることすらなかったくらいだし、仮に当時の僕がこれらを観ていても今みたいには理解できなかっただろう。
でも多分それでもいいのだ。きっとそれでも面白い。
大人になっていろんなことが分かるようになって、読み込んだらさらに面白い。これが良い。
僕には子どもがいないけれども、きっとこういう作品って、大人になる前の人間が観て、その人間を育てる人間が一緒に観るものなのだと思うから、きっと子どもには子どもなりの、大人には大人なりの楽しみ方がある。
そうできるように作られている。少なくとも僕はそう思った。
現に僕だって、観ている最中何度もつらくて泣いた。クウガとか、アマゾンズとか、ドライブとか。
しかしその何倍もの回数、登場人物の愛おしさのあまり泣いた。龍騎とか、Wとか、オーズとか。枚挙にいとまがない。
かなりみっともないが、たくさんの人間の人生の欠片を受け止めてきたのだから、多少の痛みは仕方ない。
令和が始まって、ゼロワンからはみんなと一緒に観ることになる。
老若男女みんなで日曜の朝からツイッターに集まって、あのキャラ良い!とかあの展開エモい!とか言ってる空間こそが平和そのものだ。
ヒーローにあこがれ、愛する人間の一人に、僕もなろうとしている。
自分もネタバレ否定派だけど、気になる作品は前田有一の批評記事を読んでから映画館に行くようにしている。
最近は更新が滞りがちだけど、作品を楽しむために最低限必要な心構えや前提知識をネタバレの心配なく仕入れられるのでお勧め。
評価点も大きく外れないので適度な期待値で鑑賞に臨めると思う。
今作で言うと↓を事前に読んでいなかったらストーリーの粗さが気になって楽しめなかったかも。
https://movie.maeda-y.com/movie/02229.htm
この映画は、ゲームをやりこんでいることが鑑賞の前提となっているような荒っぽい編集がなされており、様々な省略箇所を自分のゲーム体験で埋めなくてはならない。
私は今入れあげている横浜の男は好きだしきっと彼も私のことは好きなのだろうとは思っている。
しかし私は男を見る目がクソほどもないので、どうやらそいつはやばい奴だから辞めといた方がいいらしい。
その男の話をした大切な友人には3日くらいかけて懇切丁寧に「そいつは辞めとけ」と説得されたが「でもね」と言って抵抗してしまった。メンヘラの不毛な恋愛相談ほどくそだるいものはないと思うのに根気よく付き合ってくれた友人は本当に優しい。大切にしたい。
そして今日ついに妹にも「その横浜の男は辞めた方がいいと思う」と真剣に進言されてしまった。複数人に言われると実は本当にそいつはやばい奴なのかなという思いが増す。
友人も妹も会ったことは無いはずなのにどうしてやばい奴と言うのだろう。最初会った時にだまくらかして連れ込まれている点だろうか。その時点で普通の人はないわーと言って切ってしまうのだろうか。
でも私のこと好きって言ってくれた。付き合いたいって言ってくれた。ついでに言うと他に女もいないって言ってくれた。その時点で私の中では100点満点である。どうしてダメなのだろう。
だから、友人が辞めろと言うから、やばい奴なのかなと思うから、だからもう会いたくないし別れたいと思うのだが(まあそもそも付き合ってはいないのだが)、別れる文言を何と言ったらいいのか分からないのである。
私が一方的にブロックされたら超絶悲しいから、だから無言でブロックはしたくないの。
「私はあなたともう会いたくないの、ごめん。本当にごめん。」これが限界だろうか。こう言い捨ててブロックしようか。だって好きではあるから「私はあなたのこと好きではないの」とは言えないしなぁ。
送れるかなぁ…。送りたく無いなぁ。深夜の勢いで送った方がいいのか。このままずるずる会った方がいいのか。やはり勢いで送ってしまった方がいいのか。
メンヘラ辞めてえなぁ。友達がいないのがいけないのかなぁ。そうやって何かのせいにするのがいけないのかなぁ。
次こそはもっとまともな人と付き合いたいなぁ。どうしたらいいのかなぁ。真面目に仕事していたらきっといつかうまくいくかなぁ。そう信じて明日も仕事しよう。
たぶんもっとたくさんいる
知人全てと縁を切った。
寂しくないと言えば嘘になる。
だけど、これでようやく、(平日の日が昇っているうちを除き)ストレスのない生活が手に入った。
何を考えているかわからない他人のことに一喜一憂する必要なんてもうない。
ただ日銭を稼ぐためだけに働く、じわりじわりと自殺するような日々。
これこそ、私の幸せだったんだ。
もっと早くこうするべきだった。