そんな負の連鎖に加担するのも不幸だよね
長い上にオチもないけど…
いろいろと育児準備に追われる中、先月、市の両親学級にも参加した。
近所に住むママパパが自己紹介させられるというなかなか居心地の悪い場だった。
どこかで見たことがある気がするけど、全く思い出せない。
そのママの反応をみても、知り合いというわけではなさそうだ。
でも、その顔にものすごく見覚えがある。
1ヶ月ずっとモヤモヤしていたが、ふとした拍子に思い出して、
間違いなかった。3年前に某マッチングアプリで会話したことのある女性だった。
3年前、独り身の寂しさから意を決して、そのマッチングアプリを使い始めた。
とりあえずまともそうなプロフィールの女性には片っ端からいいねをしていった。
気持ち悪いと思われるだろうが、そしてプライバシー的にどうなんだと思われるだろうが、
いいね同士になった女性とのやりとり、プロフィール、写真などは全部スクショをとって保存していた。
言い訳をさせてもらえば、多数の女性とやりとりをしていると誰が誰か忘れてしまうし、
やり取りの最中にプロフィールや画像をまっさらにする女性もいたりして、
どんな人とやり取りしているのかを忘れないようにスクショしておく必要があった。
(これを期に、全員のデータを削除した。今思い返しても自分が気持ち悪すぎて吐きそう)
当時、その女性は東京に住んでいて、自分は都内までほど近い埼玉に住んでいた。
お互いのいいねが成立して、会話を始めたが、自分がチキンだったから結局会うこともないまま
そのうちどっちも何も話さなくなった。
そのときの写真や、会話の中で教えてくれた名前が、完全に両親学級のあのママと一致していた。
あのとき、東京と埼玉でバラバラだった二人が、それぞれ結婚していて、
未練があるわけでもないし、だからどうこうということもないのだが、
ふと、この人と一緒になる人生ももしかしたらあったのだろうか、と思った。
選ばなかった選択肢、というか選ぶつもりもなかった選択肢だけど、
もしその選択肢を選んでたら...ということをぼんやり考えさせられた。
結局、自分はマッチングアプリからリタイアして、職場で恋愛結婚したけど、
彼女はあそこで出会った人と結婚したのかな、なんてことも考えたり。
こんな妄想はもうここで吐き出しておいて、終わりにしようと思い、この日記を書いた。
そういえば両親学級の日の夜、
妻がその女性のことを「あの人とはママ友になれそうな気がするなあ」といっていた。
そうだな、昔はあの人とは仲良くなれなかったけど、今は下心ないし、仲良くなれるのかもなあ。
きのう土曜日
朝5時半くらいまで起きててそのまま朝飯くって薬飲もうと思ってたけど寝てしまった
11時くらいにめっちゃきつかったけど起きて薬飲んだ
ひざのかさぶた剥がれたあとに水ぶくれできてるとこ、水曜に整形外科いって2,3日後にまたきてって言われて土曜が3日目だから行った
スーパー行く
おなかがすいてなんかちゃんと食べたい気分
ミスターマックス行く
興味そそられてメニューのぞくとコメ系セットで800~900円して、フードコートなのに高いなあと思ってやめた
あ、前にドラッグストアで150円でかったのが100円で売ってた
買わなかったけど
と珍しく思った
朝食べてないのもあるけど
帰りにまた別のスーパー寄ったけど弁当とか見てもいまいちピンとこない
帰って袋麺の焼きそば作って食べた
2時間くらい昼寝
スネークマンショーでそんな話があったな
白い巨塔新版、「大学病院では患者はモルモット扱いされる」って言葉、入れてきましたね…
モルモットになれるっていうのは、名誉なことだっていうのは分かってほしい。何の価値もない自分が、それまで治療法がわかっていなかった病気の試験的な治療法のサンプルになることで、未来の誰かが助かるかも知れない。
先天性心奇形持って生まれて、日本で数十番目の実験的な根治手術のサンプルになって、根治した自分はそう思って生きてきましたよ?
自分が手術を受けた病院は2001年に心房中隔欠損症の女の子の手術で、医療ミス裁判沙汰になり、自分を執刀した先生も名誉教授剥奪されてしまった。白い巨塔のように、当時だいぶニュースになったよ。先天性心疾患の最先端の研究をやってる大学病院で何が、とね。2001年には、僕の病気は別に大学病院じゃなくても治せるようになってたし、あれで去っていった患者も多いと思う。
それでも、自分は、今でもその大学病院を去ることなく、自分を手術した大学病院に新幹線で通って年一度の精密検査受けてます。なぜかって?
僕は、僕の病気を持って生まれて、根治手術を受けて生きながらえた、この国では初期のサンプルだから。僕の病気は手術しなきゃ幼児で死ぬ、手術でも根治手術でなくて延命のための姑息手術だと30代で死ぬ。僕自身が、手術の何十年後かの影響を知るための貴重なサンプルであることを自覚して生きてきた。僕と同じ病気を持って生まれる人は二千人に一人。
医学に限らず、学問はデータがないと意味がない。大学病院というのは、何十年前でも研究に有用な患者のカルテは保存してくれてるもので、実際、当時のカルテがとってあるのは見ている。
僕が、死ぬまで、毎年あの大学病院に通い精密検査を受け続けて、僕が生まれた時には試験段階だった根治手術の予後が、評価できるようにすること。そして、二千人に一人の確率で毎年生まれてくる、僕と同じ病気の子の治療に少しでも役立つデータをため続けること。それが、モルモットに生まれた者の責務であり、責務を果たすことがモルモットに生まれた者の矜持なのです。
でもそういう人って、結婚にしがみつかず、自分で自立して生きていけてる人だと思う
同僚のシンママなんて、国家資格取ってイキイキしながら婚活してるし
本当に楽しそうだよ
「ご本人様以外にはご案内できません」と言われたら1回で引いて欲しいな~と、いつも思ってます。
「旦那(妻)は忙しくて・・・」から始まり「私が全部管理してます」「夫(妻)の名前で登録してますけど、実際に登録したのは私です」、「妻(夫)なんだから教えて下さい」、「一般的な範囲内でいいので教えて下さい」
等々言葉を変えて10回も20回も聞かれ、ひどいと暴言を吐かれながら30分近く拘束されたりしますが、お伝え出来ないものは出来ません。
特別に、今回だけですよ?とか、そういうのもまずありません。いくら電話口で粘っても、オペレーターとあなたがお互いに疲れてストレスが溜まるだけです。
はーほんとつかれるわー つかれたわーねこもみたいわー ねこいないわー は~~~! 郵便物に「本人以外から連絡もらっても何も答えられないよ?」って敬語ででっかく赤字で書いといてよ弊社ぁ~~~!!
正確に言うと、「とにかく見ろ!」みたいな論調のオススメが嫌だ。
オススメした側にそんな気がないとしても「俺がオススメするんだから面白いだろ?」という意識を感じてしまう。
面白い俺という人間を構成する作品だぞ、つまらないお前にそれを教えてやってるんだ、と。
オススメされた作品を見たら感想を言わなきゃいけないような気がするし、
たとえ作品が自分に合わなかったとしてもマイナスな感想は言いづらい。
そもそもオススメされた時点でハードルが上がるから期待以上の喜びを得づらい構造になってしまう。
「言い訳ばかりして勧められた作品をいつまでも見ない奴はダメ、出来る奴は即消化してる」みたいな論もあるけど、
新しい作品を見るには時間もかかるし、腰を上げる精神的コストもかかる。