下には片側4車線の甲州街道で気づくと歩道橋はかすかに揺れ、上は首都高で天井高は3メートルくらい。
今地震が来たら放り出されて甲州街道の上で車に轢かれ、さらに首都高が崩れてくるんだろうな~と
毎回おしっこを漏らしそうになりながら渡ってる。
「この世界の片隅に」について。まだ見てねえけど、いい映画なんだろうなーというのは何となく感じる。
ただ、それをめぐってこういう言論が飛び交うのにはつくづくウンザリするなあ…。
http://togetter.com/li/1048335
ここにはどうも「反戦」という概念が戦時中には「なかった」とか思い込んでる人が一定数いるようで、それこそ鳥肌立つ。それじゃ憲兵さんや特高は何を取り締まってたんだよ。大正から昭和初期に言論を取り締まられてた人たちが何を唱えていたか、当時の雑誌を少しでも見てみればわかることなんだが。図書館に行けば復刻でもなんでも見られる時代だよ。見て確かめたのかよ?
何より、大昔に死んだうちのひいじーちゃんは、右翼の大物ともつきあいのあったそれなりの医者だったそうだが、戦時中酔っぱらって「こんな阿呆な戦争を誰が始めたんじゃ!負けるに決まっとろうが」とか叫んで警察のお世話になったことが何度かあったそうだ。ばーちゃんは子供のころひいばーちゃんから「お父さんはちょっとお仕事で遠くに行っていてねえ」とか言われて、「お医者さんも遠くに仕事に行くんだ」と素直に信じていたらしいが、戦後になって「実は」と笑い話に聞かされたんだと話してくれた。そういう話は別に普通にあるんだよ。それこそ「普通」に。ばーちゃんは、日本は神国だから戦争に負けるわけなんてないって信じてた普通の軍国少女だったらしいけど、そんなばーちゃんの日常も、そしてひいじーちゃんの「警察のお世話」も、同じように戦時下の「普通」の一コマだったわけで、なんでそれが無かったことになるのさ。
だからさあ。なんつーか「反戦イデオロギーうぜえ。コノセカ万歳」って唱えるのはいいけどさ(個人的には名作(かもしれない)映画をそんな目線で賞めたくないけどそれは人の勝手だからまあいいけどさ)、悪いけどそれが「イデオロギーうぜえ。アート万歳」って意味で言ってるつもりなら、その「反イデオロギー」主張だって十分に偏ったイデオロギーであり、すでにあなたの頭の中で歴史のねつ造が始まってるってことは知っておいて欲しいね。少なくとも、うちのひいじーちゃんのような人の存在をなかったように得意げに話されると、ちょっとムカッとくるわ。
だいたい、宗教とかマルチにしても、ふだん「宗教/マルチなんて」って言ってる連中をはめるのが一番チョロいのなんて常識だよ。右翼でも中道でもいいけど、自分のもってるその感覚が、左翼と同じく一つの「イデオロギー」であることを十分自覚した上で、左翼を批判するなら批判してほしいやね。それができない人は、ほんと、その手の人間の手にかかればチョロく騙されるんだから。自分はイデオロギーから自由だ、とか思ってる時点ですでにあんたはイデオロギーに染まってるんだから。
あ、言っとくけどオレは左翼だからね。でも、あんたたちは(特に中道を自認する皆さんは)、イデオロギーに関わらず、その意見が正しいか正しくないかを見極めることができるんだよな? オレが左翼であるか否かに関わらず、オレの意見自体が正しいかどうかを冷静に判断してくれるだろう? それが事実であることを心から期待しているよ。
看護師さんに「聞こえるようになってよかったですね」って言われた夜、もうこれ以上良くならないのかと怖くて眠れなかった。
「ストレスですか?」と病気の原因を尋ねられるたびに、自己管理を責められているような気がして息が苦しくなる。
「これは聞こえる?」と自己流聴力検査をしてくるひとは一人や二人じゃない。心配、または興味であって悪意でないのはなんとなくわかるのに、どうしようもなく落ち込む。
幸い病気はほとんど完治に近いし、当然聴覚障害の認定は下りない。
わたしはもう、ただのすこし聞き返しの多い女だと思う。
さかんなのかなと思ってたけど
最初に要旨をまとめると
・貧困家庭では娯楽のためだけのコストとしてNHK代は受け入れがたい
・貧困家庭でもスマホは必要なので、最低限必要な情報はそちらから入手できる。
・NHKの存在が公共のTVを潰している。災害時の連絡網としてのTVを潰している
・NHKがなければ、もしくはスクランブル化すれば、民放は貧困家庭に対し、通信量のかからない高画質動画メディアとしてアピール可能=NHKは民放から顧客を奪っている
どうも、貧困家庭です。
派遣の一部では、日々の勤怠連絡にスマホ必須という社会になってますので欠かせません。
仕事の選択肢を広げるためにも、娯楽にも使えるスマホが月1000円。
TVを買うだけならランニングコストはそう高いものじゃないんですが、月1000円以上のNHK代は重くのしかかる金額です。
それに見たいのはNHKじゃなくてどこの曲でもいいのでニュースや音楽番組、旅番組なんです。
1日の間でTVを見るのはわずかな時間。しかも娯楽としてのみ。スマホで情報取得はそれなりにできる、となると貧困の中での取捨選択としては、TVの優先順位を下げざるを得ません。
月1000円。そんなのがあればすき家の混ぜのっけ定食が3回食べれる、温泉に2回入れる、くりかえし読める本が買える。貧乏人としてはけっこう贅沢できます。
最近、職場でTVを見る度に、ああ、TVがほしいなあと思っていますがその度に、NHK代がかかるから…と諦めている状況です。
公共放送を自称するNHKのせいで、公共の放送であるTVの視聴を阻害されるなんておかしな話だと思いませんか?
NHKが契約者のみのスクランブルにしてくれれば、私はTVが見れるんです。
NHKは災害時の放送を引き合いに出して、スクランブル化を拒んでいたと記憶していますが、
NHKのせいでTVをあきらめ、災害時にTVを見れない家庭は増えている現実はどう見ているのでしょうか?
NHKが存在しなければ、スクランブル化してくれれば、災害時に民放を見ることが出来ます。
NHKが嫌でTVを捨てた、諦めた人々という機会損失を放送業界はどのよううに考えているのでしょうか?
NHKのせいで、民放各社は大きな機会損失を被っているのではないでしょうか?
NHKが存在しなければ、民放の無料TVは、Youtubeなどに対し、無料で見れる、通信料のかからない高画質な動画娯楽としてのアドバンテージを発揮出来るはずです。
一人暮らし、スマホだけで暮らすような若者にはとてもありがたいメディアになるのではないでしょうか?動画を見るとあっという間に通信量がパンクしますので…
そんなわけで、民放各社でNHKに圧力をかけ、スクランブル化をするか、NHKを民放化してしまえば、インターネットに対しTVというメディアの少しの復権と、マスの獲得が見込めるかと思います。
貧乏人といえど、数が集まれば社会の流れになります。広告収入の元になります。最近はトランプ現象でTVの、メディアの凋落が叫ばれていますが、私はそんなことより、TVがみたいなと思ってます。TVが見たいと思ってる貧乏な大衆を世論のコントロールのためにも、広告収入のためにも活用してみようとは思いませんか?そのために障害となるのがNHKです。
ただ、民放は視聴者を増やし、世論やブームを作り、広告収入を増やすのが仕事ですから、いずれは放送業界のガンであるNHKをどうにかしない限り、今後も視聴者層は狭まっていくと思います。
無料なら喜んで見たいという私のような人、結構いると思いますよ。
民放は無料で放送してんのにNHKのせいでTVという存在が有料になってる問題。真に公共放送を取り戻すためにもどうにかしてほしいものです
Daisaku Yamamoto