はてなキーワード: 民話とは
コティホローシュコ(ウクライナ語:Котигорошко[1]、意訳:「豆太郎」、「エンドウ豆太郎」)は、ウクライナの民話に登場する主人公、豌豆から生まれた不思議な力を持つ男の子である。またその主人公とする昔話の題名である。日本の桃太郎と類似性を持つ。
典型的なコティホローシュコの民話では、コティホローシュコはドラゴンに子供を奪われた夫婦の間に誕生したとされる。婦人は川で洗濯していたとき、道を転がっている豌豆を見つけてそれを食べる。その後、婦人は男の子を産み、その男の子に「コティホローシュコ」(転がっている豌豆の子)という名をつける。男の子はまたたくまに成長し、人並みはずれた強大な力を持つようになる。ある日、コティホローシュコはドラゴンに奪われた兄姉を救うことを決意し、そして、鍛冶屋にドラゴンを倒すための鉄の棍棒を作らせ、ドラゴン退治に出発する。旅の途中でコティホローシュコは、ヴェルヌィーホラ(山砕き)、ヴェルヌィドゥーブ(木抜き)、クルティヴース(長髭)という三人のコサックの魔法使いに出会って友達となる。この三人はドラゴンとの戦いでコティホローシュコを助け、コティホローシュコはドラゴン退治に成功する。
(一応フェイクいれたけど気づいてもだまっててほしい)
推し絵師さんは以前から、いく人か美人の創作キャラをつくっていた。
最近、キャラ同士の会話(関係性)をちょこちょこ考えたから、有識者、外国語に翻訳してくれ(無償で)とおっしゃっていた。
お答えしたいのはやまやまだが…。
そのキャラ外見にその話ぶりはナイ、ナイです。
たぶん外国人ファンは「名前のニュアンスもきれいだ。やはりキレイな顔のキャラは名前もキレイなんだな~」とかおもってるところですよ。
ひたすら耽美に「このバラのジャムを食べますか?A」「やなこった、宝石の搾り汁をもって出直してきたまえ、B」みたいな会話を感じ取って気がするんですよねぇ。
自分もそうだったし。
それが、絵師さんのあてたセリフは「○○だっぺ」だったわけですよ。
それを忠実にたとえばオーストラリア訛「グダイマイト!」とか黒人英語とかブードゥー語みたいなので訳したら
「キャラにあってない、キャラ崩壊、もっといい翻訳者を」とかなってたぶん汚名を着せられ炎上すると思う。
この泥臭さ、どうやっても言い訳できません…。
かといって全く泥臭くなく普通に訳するのも…。
===
いや、今やっぱやばいわとおもってみてきたけど、マシュマロもないから自然炎上をまつばかりだなあ。
韓国人にニダニダいわせたり中国人にアルヨいわせたり日本人にEngrishいわせたりするのってもはやいじりをこえて差別じゃん?
令和では、だけど。
だっぺってアリか?外国語になおすときそうとう差別感ひどくなりそうだけど?
しなければだれもが沈黙を守ったな、ってことで。
===
そういえば神楽ちゃんはなんでアリなんだろ うすっぺらな中国人ギャルとおもったら夜兎設定でしたって説明がのちにでてくるからだろうな
いやでも兄貴と父親アルアルいってないのはなじんだからなのか…
でも元ネタの絵師さんの場合、訛の元ネタ分布地域のばらつきが大きすぎてどこでそんな日本語習ったんだ、民話系日本映画でも見まくったのかって感じ
なんであんなにつまらないんだろうなということについて考えてみる。
萌えキャラで村おこしには心惹かれるけど、プロフィール見てソシャゲほど興奮しないし、ファンらしき人々はこぞって民話由来なことをアピールしているけれど、これまた擬人化ゲームほど膝を打つ本歌取りや深掘りを見たことがない。
これってエンタメコンテンツじゃなくてキャンペーンだとすごく表現が不自由だってことだ。
ただその不自由さはポリコレとかコンプラとかじゃない(そこがガチガチだったらこんな騒ぎになっていないだろう)
そこ綺麗事を言っても仕方ないし人体の性的搾取だと批判しても仕方がない。だってそれが目的なんだから。
全国一斉にキャラを作って出す。ここでなるべく間違いなく萌える=客を呼べるキャラを作っておきたい。
温泉には坊さんが開いたなどと男性キャラのほうが適している由来書きもある。
でも全国全部片方の性別で統一する。どちらの性別にするかで客寄せ効果が変わるかもしれないからだ。
そこで全部むすめにする。
宿泊施設の偉いさんはきっと、女の一人旅は自◯を疑えとかいう世界で育っているので、女オタの一人旅が金になると思わない。安心して男オタを呼びたい。
(俺個人的にはここを女性ターゲットにしたほうが儲かると思っているが、それはここでは話が逸れるから言わない。ただ女が友達連れてくる力は強いし、女の一人旅なら使い方も綺麗だし、一人旅を今まで断ってきた経緯があるならなおさらこれからは女性一人でも温泉に泊まれるアピールをしたほうがいいとは思う。お願いする)
女のキャラデザも、間違いなく萌えてほしい。ここでニッチなむすめを出したら話題にはなっても売り上げで差をつけられてしまう。世知辛い。
年も神様だけど、30以上の外見年齢にならないようにする。
だから最初からキャンペーン目的の萌えキャラに表現の自由なんてないわけさ。
ソシャゲなら元ネタにもよるが、ある程度は様々な外見、性格、史実の掘り下げにと攻められる。ニッチな需要役も大事だからね。
萌えキャラ起こしが気持ち悪いという意見には賛成できないが、萌えの量産型の気持ち悪さを見抜かれているのだろうかとは感じる。「むすめ」にした時点でこれからも女性一人旅は排除していく偏見がありありなことも。
神話や民話に登場し,人間に知恵や道具をもたらす一方,社会の秩序をかき乱すいたずら者。道化などとともに,文化を活性化させたり,社会関係を再確認させたりする役割を果たす。
ていう語釈が2番目で載ってた。あー、たしかにコムロくんそういう感じで受け止めてもアリだなーとw
でも、他の英和辞書、英英辞書などなどで見ると、一つ目の語釈「詐欺師、ペテン師」しか載ってないのなww
個人的には、皇室・王室スピンオフした繋がりで、ヘンリー・メーガン・ケイ・マコカンパニー的なものを立ち上げて面白ビジネスとか始めて、ガバっと儲かった収益をどっかの国際慈善事業とかに寄付したりして、ぐぅの音もでないセレブの地位をモノにして欲しいw ガンバってくれw
無能な味方という枠組みを制作するに当たり、もっとも分かりやすく、かつ納得がいく枠組みが宗教と呼ばれるジャンルの中に大量にあったりする。中でもユダヤ人の十戒は、いかにして無能な味方を見分けるかという視点で見るならば、笑っちまうほど的確で分かりやすい形でそれぞれの戒律が定められている。あわせて、キリスト教における七つの大罪についても、同じことが言える。
せっかくなので、双方の戒律から見る無能な味方の判別法についてを簡単に述べる。
基本中の基本。一つの集団を形成するために、一つの信仰を共有できなければ、それは味方とは言いがたい。
また、無能な味方を排除する際にも、一言「背信者」「背教者」とくっつけるだけで、あっという間にオサラバできる、大変に素晴らしい戒律である。
これまた基本。モノをあがめるようになると、命よりもモノが大事になるため、集団が生き残るにはモノをあがめるより言葉をあがめないといけない。
ここからが、集団に害する無能を見分ける機能に深く関わっていく。
恐ろしいことに、ユダヤ人の祖先はやたらめったら権威を振りかざすやつが味方にいてはいけないということをン千年前にすでに喝破している。
休めるときに休めないと、休んじゃいけないときに休まなければならなくなるため、こういった人間が味方にいるともしものときが怖い。
家庭環境がゴタゴタしている味方なんてのは、どんなに有能であったとしてもいずれボロが出るという話。
当たり前。でも、別に生存競争を否定するわけではなく、実際、ユダヤ人は決してホロコーストされ続けるような弱い集団ではなく、普通に、神の名の下にジェリコの戦いで住民の虐殺を行っていたり、数回にわたって行われた中東戦争で圧勝していたりする。もっとも、味方を殺すような存在が集団内にいていいわけがない。
昔も今も、恋愛というやつぁ人間関係のゴタゴタに直結するものであり、そういった感情を上手く制御できない連中を身内に飼ってしまうと、後々面倒なことになるという話。
これも当然。しかし、味方うんぬんという話以上に、敵に対しても同じである。これは、敵でも第三者でも、恨まれて当然の行為を禁ずる大変重要な話である。そして、そもそも、身内に泥棒がいたら全ての信用が失墜する。
同上。身内に嘘つきがいて、周囲の人間に信頼してくれとお願いしても、それは無理てえものである。
宗教が集団の話なら、これは世間の話。なんやかんやでアホみたいに利益ばかり追い求めれば、それは恨みを買う要因になるわけで、隣近所とゴタゴタ起こすやからを身内に入れてはいけないという話である。
やけに生活観のあふれるユダヤの十戒と比べて、キリスト教の七つの大罪は、完璧に戦時中、もしくは争乱に特化したつくりになっており、飢饉や疫病、戦争といった中世暗黒時代のかほりあふれる、無能な味方の割り出し方法となっている。
主君、および味方のトップ以外、戦争中、最も忌避すべき味方の第一位。自分が世界の中心と思っている味方が多くなればなるほど、作戦の遂行能力及び継戦能力の維持が難しい。
これまた、戦争中では忌避したい味方。戦争ではなくて、個人を見るようになってしまうと、徐々に大局観が失われていく。
喜怒哀楽の一つの感情であるため、これはいたし方ない部分もあるにせよ、これを抑えられる味方についていきたいのもまた事実。
これは、戦争以外の全ての生活においても言える話。怠惰な味方と一緒に成功を得るには、戦場以外の場所ならば普通の味方の4倍以上の努力が必要になる。これがもし戦場だったら、味方の怠惰のおかげで真っ先に最前線に送り込まれる。
これも戦争も含む全ての生活において言える話。もう一個、もう一人、もう少しという感情を抑えなければ、戦場では無様な死に直結し、商機では大損に突撃することになり、特に飢饉の場合、集団全体の死の可能性が高まる。正直なところ、飢饉の場合は、強欲な人間は殺されても仕方がなく、実際にそういった排除の論理は多くの民話に残されている。
これは、完璧に飢饉に関する集団内の排除の論理に直結する。いくら才能にあふれ、カリスマがあり、集団内に良い影響を与えたとしても、飢饉の際に暴食する人間は、集団全体の死に関わるため、やっぱり殺されても仕方がない。むしろ、飢饉などという非常事態に、才能やカリスマ、良い影響などといった話はまったく関係はなく、いかにして全員で耐え忍ぶかが重要になるため、耐え忍べない連中はどうしたって排除される。
上記のように、無能な味方には様々な要因が存在するが、基本的にたった一つの要因しか持ち合わせていないなんて話はまず無い。むしろ、2つも3つも悪徳やら罪を持ち合わせているような場合が多い。しかし、世の中は大変に困ったもので、七つの大罪のほかに七つの美徳と呼ばれる有能な味方の条件に合致する要素があり、そういった要因が複雑に絡まりあって人間が出来ている以上、そういった複雑な連中をいかに上手く制御していくかが、上に立つ人間にとって必須の技術となる。
忠義、希望、勇気、純潔、慈愛、純愛、友情、誠実、知識、正義、分別、節制、貞節、自制、寛容、勤勉、忍耐、親切、上品
・・・七つどころの騒ぎじゃない。けれども、一応、全て過去に七つの美徳に含まれたことのある要因である。ちなみに、味方が持っていて果たして有能かどうか微妙な要素もいくつか見え隠れするけれど、逆に言えば、それに反する悪徳を有していたら、とてもじゃないが目も当てられないという話がほとんどであるため、希望や純潔、上品といった要素が含まれるのも仕方がない。
無能な味方という枠組みを制作するに当たり、もっとも分かりやすく、かつ納得がいく枠組みが宗教と呼ばれるジャンルの中に大量にあったりする。中でもユダヤ人の十戒は、いかにして無能な味方を見分けるかという視点で見るならば、笑っちまうほど的確で分かりやすい形でそれぞれの戒律が定められている。あわせて、キリスト教における七つの大罪についても、同じことが言える。
せっかくなので、双方の戒律から見る無能な味方の判別法についてを簡単に述べる。
基本中の基本。一つの集団を形成するために、一つの信仰を共有できなければ、それは味方とは言いがたい。
また、無能な味方を排除する際にも、一言「背信者」「背教者」とくっつけるだけで、あっという間にオサラバできる、大変に素晴らしい戒律である。
これまた基本。モノをあがめるようになると、命よりもモノが大事になるため、集団が生き残るにはモノをあがめるより言葉をあがめないといけない。
ここからが、集団に害する無能を見分ける機能に深く関わっていく。
恐ろしいことに、ユダヤ人の祖先はやたらめったら権威を振りかざすやつが味方にいてはいけないということをン千年前にすでに喝破している。
休めるときに休めないと、休んじゃいけないときに休まなければならなくなるため、こういった人間が味方にいるともしものときが怖い。
家庭環境がゴタゴタしている味方なんてのは、どんなに有能であったとしてもいずれボロが出るという話。
当たり前。でも、別に生存競争を否定するわけではなく、実際、ユダヤ人は決してホロコーストされ続けるような弱い集団ではなく、普通に、神の名の下にジェリコの戦いで住民の虐殺を行っていたり、数回にわたって行われた中東戦争で圧勝していたりする。もっとも、味方を殺すような存在が集団内にいていいわけがない。
昔も今も、恋愛というやつぁ人間関係のゴタゴタに直結するものであり、そういった感情を上手く制御できない連中を身内に飼ってしまうと、後々面倒なことになるという話。
これも当然。しかし、味方うんぬんという話以上に、敵に対しても同じである。これは、敵でも第三者でも、恨まれて当然の行為を禁ずる大変重要な話である。そして、そもそも、身内に泥棒がいたら全ての信用が失墜する。
同上。身内に嘘つきがいて、周囲の人間に信頼してくれとお願いしても、それは無理てえものである。
宗教が集団の話なら、これは世間の話。なんやかんやでアホみたいに利益ばかり追い求めれば、それは恨みを買う要因になるわけで、隣近所とゴタゴタ起こすやからを身内に入れてはいけないという話である。
主君、および味方のトップ以外、戦争中、最も忌避すべき味方の第一位。自分が世界の中心と思っている味方が多くなればなるほど、作戦の遂行能力及び継戦能力の維持が難しい。
これまた、戦争中では忌避したい味方。戦争ではなくて、個人を見るようになってしまうと、徐々に大局観が失われていく。
喜怒哀楽の一つの感情であるため、これはいたし方ない部分もあるにせよ、これを抑えられる味方についていきたいのもまた事実。
これは、戦争以外の全ての生活においても言える話。怠惰な味方と一緒に成功を得るには、戦場以外の場所ならば普通の味方の4倍以上の努力が必要になる。これがもし戦場だったら、味方の怠惰のおかげで真っ先に最前線に送り込まれる。
これも戦争も含む全ての生活において言える話。もう一個、もう一人、もう少しという感情を抑えなければ、戦場では無様な死に直結し、商機では大損に突撃することになり、特に飢饉の場合、集団全体の死の可能性が高まる。正直なところ、飢饉の場合は、強欲な人間は殺されても仕方がなく、実際にそういった排除の論理は多くの民話に残されている。
これは、完璧に飢饉に関する集団内の排除の論理に直結する。いくら才能にあふれ、カリスマがあり、集団内に良い影響を与えたとしても、飢饉の際に暴食する人間は、集団全体の死に関わるため、やっぱり殺されても仕方がない。むしろ、飢饉などという非常事態に、才能やカリスマ、良い影響などといった話はまったく関係はなく、いかにして全員で耐え忍ぶかが重要になるため、耐え忍べない連中はどうしたって排除される。
上記のように、無能な味方には様々な要因が存在するが、基本的にたった一つの要因しか持ち合わせていないなんて話はまず無い。むしろ、2つも3つも悪徳やら罪を持ち合わせているような場合が多い。しかし、世の中は大変に困ったもので、七つの大罪のほかに七つの美徳と呼ばれる有能な味方の条件に合致する要素があり、そういった要因が複雑に絡まりあって人間が出来ている以上、そういった複雑な連中をいかに上手く制御していくかが、上に立つ人間にとって必須の技術となる。
忠義、希望、勇気、純潔、慈愛、純愛、友情、誠実、知識、正義、分別、節制、貞節、自制、寛容、勤勉、忍耐、親切、上品
・・・七つどころの騒ぎじゃない。けれども、一応、全て過去に七つの美徳に含まれたことのある要因である。ちなみに、味方が持っていて果たして有能かどうか微妙な要素もいくつか見え隠れするけれど、逆に言えば、それに反する悪徳を有していたら、とてもじゃないが目も当てられないという話がほとんどであるため、希望や純潔、上品といった要素が含まれるのも仕方がない。
指輪物語(赤本)は中学から読み始めて、何度も中断して高校でなんとか読み終わった。当時D&D(新和版)にハマっていたので、必読本だと思って。
まあ印象としては同意。
ただ20年後にリン・カーター著の完全読本(旧題:トールキンの世界)という考察本を読んで、すべての固有名詞に神話民話からの元ネタがあるのではと知って驚愕した。フロドもビルボもバギンズの名前もそれらからだったはず。
ストライダーも該当する日本語がなくて、普通に訳すと「足早に大股で歩く人」なんだよね。馳夫というのも子供のころはくそダサいと思っていたけど、大人になってみると良訳だと思う。つらぬき丸も当時は勘弁してくれと思ったけど、元がSting(スティング:刺す)なんだよな。いま訳されるならただの「つらぬき」なんだろか。刀剣やM:TGに詳しい人に当てて欲しい。
ドラゴンランス戦記は自分にはダメだったなぁ。。。若き冒険者のころを過ぎて、因縁やら呪いやらに囚われてる30代前後のおっさんおばさんの話が、なんで中高生に面白く感じられるのよと思っていたんだけど、50代になった今なら若き青年たちと思って読めるかもしれん。
中坊の時に洒落怖(2chのオカ板に寄せられたインターネット怪談)にドハマりして、夏休みの間狂ったようにバックナンバーを読み漁っていた時期がある。その頃にはオカ板はもう全盛期を過ぎていて、今でも名作として語り継がれているような話はなんでも閲覧出来た。
その年の夏、東北に家族旅行に行くことになった。具体的な行先はどこかというと、岩手県の遠野。ちょっと怖い民話も沢山残ってるし、怪談にハマっていた俺にとっては鬼門みたいなイメージのある地域だった。
泊まったのは、駅と合体してるタイプのホテル。俺の家族は俺と両親の3人家族で、俺を挟んで川の字に並べられたベッドで寝ることになった。
その夜、俺は金縛りで目が覚めた。隣で寝ていたはずの母親もなぜか起きていて、目をかっぴらいてこっちを見ている。只事では無い雰囲気が漂っていた。
その時、部屋付きの浴室から妙な物音がした。
………キャハッ ハハハハハ キャッキャッ
甲高い女の子の笑い声だ。俺はゾッとして、思わず母の方を見た。声をかけようとする。母も同時に口を開いた。
「「この部屋、なんかいる」」
ハモったところで、二重に目が覚める感覚がして、俺は正気に返った。目の前の母親は普通にいびきをかいて寝ていた。
あれは夢だったんだろうか。怖い話を読みすぎて、記憶の整理とやらまでホラー風味になってしまったのかもしれない。
ネタバレ注意
見に行った時点でめっちゃめちゃ流行ってたから期待してたんだけど、
結局同じ人種同士で争っていたんですね、馬鹿馬鹿しい争いでしたね、おしまい、ってこと?
いや迫害そのものが悪いだろうっていうフォローが最後までなかった。
クレイの原動力が同族嫌悪なのも、えええええぇぇぇえって感じ。
嘘でも崇高な目的を語ってくれればこっちは泣くし、
同族嫌悪であんなことやらかしたなんて、ぜんぜんカッコよくも邪悪でもない、ただただ愚かで見ていられない。
クレイがやっつけられるのは、お前の論理でお前が殺されるのだ、ブーメランだ、じゃなくて、やってることが迫害だからじゃないのか。同族嫌悪って設定にしたせいでこのへんがふわっふわになってた。
で、このオチが意味不明な感じが、神話とか民話みたいなんだよな。
今はそう思うことにしてる。