はてなキーワード: テンプレートとは
まず、意味あるの?って何なの?意味ないと死ぬの?意味があることによって、何だ。君の人生に大きく影響するのかね?
だめだこれじゃマジレスじゃないな。
にゃんとー。
小学校と中学校には本当にいろんな奴がいたと思う。記憶がおぼろげな事と、そんなに深く考えていなかったせいか、はっきりとしたことは言えないが。目に見えるはっきりとした格差が存在したと思う。学校に真面目に来ない不良というのがいた。もちろん真面目に来ないというのは文字通りの意味で全く学校に来られない訳では無い。パフォーマンスだったんだなぁと思う。そうやることで自分は特別だ、とまではいかないとしても、当たり前であることから逃げていたんだと思う。たいていの家庭の親はそんなのを認めないから、結果的にそうなっているのは、放任されている子供ばかりだった。改造制服を着ているのも決まってそう言う生徒だった。完全に一種のテンプレートである。ただ先生の言うことを全く聞かないわけでもないし、学校でのべつ幕無しにけんかをしているわけでもない。一種のファッションみたいだった。そう言うファッションみたいなものの中に、茶髪にする事、ボンタンをはくこと、ルーズソックスを履くことと同じように勉強をしないというのが存在していた。下手したら自分は普通じゃない。という自己肯定の中には勉強をしないと言うことが含まれているのでは?と思う程度に。
少し見方を変えるとそれはそれで帰属意識じゃないのだろうかと思う。勉強をあくせくやるのはスマートではないという空気はあったし、そもそも真面目というのはあまり好まれるレッテルでは無かった。そんな中で、不良とかやんちゃとかいうレッテルの中にいればそこまでカッコワルイという感じではなかった。そんな中で彼らも彼らなりにそういう空気を敏感に感じていたのだろう。しかもそういうグループ内で勉強をしているだなんてことはとても信じられない行為であっただろう。
脇にそれた。本題に戻ると、勉強に意味があるかと感じる様な層はそもそも勉強をしようという動機付けは皆無であるように思われる。しっかり勉強をした方が得だという空気は高校に入ってからであったし、地方の進学校程度ではその中でも十二分に諦めてしまっている人間はいた。現在の小学校、中学校がどのような状態であるかは知らないが、おそらく上で述べた、
は解消されていないであろう。そもそも中学程度までの学習は一般教養ではないのか?と感じる。
そして一番酷いのは現在の新卒の雇用状況を全く知らないまま義務教育を終える事だ。中学の学年主任の先生が中小企業を揶揄する様な話をしていて、その頃新聞の赤旗と朝日により少々左に染められていた、自分には信じられなかった。今考えるとある程度は正しい事をいっている気がする。(というかほとんど正しい)
全力でマジレスしてみた。
はてブより失敬
上限18歳は勿体無い。せっかくならその流れで密着して、大学の単位の取り方、サークルの選び方や、就職後の上司へのゴマのすり方まで、オールベネッセはどうなのよ
上司へのゴマのすり方…のノウハウはさすがに無理だけど、大学生活にいたるまで…の情報ならサポートしてるよ
今は違うかもしれないけれど、という前置きありで
その中身とは「次に受験する人のサポーターになりませんか」というもので
大学のカリキュラムや、大学生活について、テンプレート化された用紙へ回答したりする
これがうまい。大学生になったら高い教科書を買わされることが多かったし
手書き1通で図書券1000円もらえて、ちょっとした小遣い稼ぎになってた(ひと月に数通の微々たる物だけど)
もちろん相手へは匿名…だけど自分の後輩になるかもしれないと考えると気合が入る
今は多分ネットとかあるからこういうサービスは消えてそうだけど
地方在住で他県の大学を受験しようと思ってる人にとってはすごくありがたいシステムだったように思える
塾もねえネットもねえ吉幾三の故郷レベルに住んでた自分もこのサービスを利用してたからそう思うんだけどw
それとは別に教材として届いた「日本全国大学図鑑」みたいなのは、学校にあるものより参考になった
男女比率とか、学校への満足度、在学生の一言コメント(「学食はカフェテラスです ○○学部・女」とかいう)……もう見てるだけでワクワクですよ
受験生が一番必要としてる情報は偏差値ではなく、「この大学に入りたいから勉強するぞ!」というモチベーションなのであって、ベネッセはそれをよくわかってたんだね
汚いなさすがベネッセきたない
ターゲットの、非常に細かい心の機微までバカにしない理解&商品への反映の積み重ねが、自社の強みの一つだと考えているんじゃないかなぁ?ベネッセは。
余談だけど、その大学図鑑で某新興宗教大学は、満足度が100%、コメントも絶賛の嵐で、高校生ながらに「うわっ…」って思ってた
たいていは「校舎が古い」、「駅から遠い」、「構内が広すぎて原チャ必須」などのマイナス意見も入る
他のミッション系、仏教・神道系大学は普通の大学と同じように評価されてるのに、なんか気持ち悪かった
ベネッセが宗教的な何かと関わっている?という憶測は多分違っていて、
あ、「教育」か…
女性が喋るテンプレートっぽい台詞が全部ダメ。というか、女性の関節無理な方向に力入りながら「イクーッ!」っていうアングルも超萎える。
そもそもさ、セックスしてるとき、女性が何か喋ると、大抵は萎えるぞ。
耳元でこっそり「気持ちいい」とか「今のよかった」とか、せいぜいそれぐらいだろ。
二次は、AVを更に支離滅裂にしたような、何というか実際に口に出すとものすごく萎えるような台詞が多い。
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そんな俺が認める数少ないエロ漫画家は、町田ひらく、しのざき嶺、さらだまさき、エビオス、などなど。
テンプレ的な表現を使わなくても第一級で頑張れるはず。そういう人いるんだもの。
何故テンプレ的、実際にやられると萎える的な表現にしちゃうのか。
以前聞いた話だと、編集がそういうのを求めているという。女性は全部口に出して「それがいい」とか「あっ、そこだめ」とか「いく」とか、何から何まで全部口にしないといけない、という編集さんが多いらしい。
それっていいのか?
そのうちしゅべすたみたいに台詞で画面6割埋まるぞ。
学部ではずっとレポートは手書きで、大変だった。何が大変って、ボールペンで手書きなものだから間違えたら修正テープ。修正テープをいままでどれだけ使ったことか。それから、再提出になったら間違ってる箇所は修正しちゃいけなくて、新しく書かなきゃならない。ほんとに大変だった。無駄な意味で。こんなことやってる間に他の大学生はもっとちゃんとした勉強してるんだろうなあとか思っていた。ということでそういう点から、それぞれのメリット・デメリットを書いてみる。
とかだろうか。他にもいっぱいあった気がするけれど、最近あんまり手書きで書かないので手書きに対する抵抗が薄れている気がする。とある流体の実験中にあった、みんなが関数電卓で計算してホワイトボードに書きまくるっていう「人間エクセル」がいままでで最大の無駄だと実験で感じたことを思い出した。あれはほんとお笑いだったなあ。
http://blog.tatsuru.com/2009/07/16_1121.php
これを呼んで流石にひどいだろと思ったので。
そういう人間でも、どこかに帰属していない限り、生きてゆくことは苦しい。
その場合、「平和主義者になる」というのはひとつの選択肢である。
世界的な政治単位に帰属することについては要求される資格は何もない。
そして、世界市民という巨大な集団に帰属する代償として、平和主義者に求められるものは何もないのである。
ゼロ。
平和主義者にはどのような義務もない。
好きなときに、好きな場所で、好きな人間を相手に、気が向いたら、平和主義者になることができる。
私は平和主義者だ。私は世界市民だ。私は人類全体の利益をあらゆるものに優先させる。人類の利益を脅かすもの、無辜の市民の平和な生活を踏みにじるものを私は許さない。
などということをぺらぺら言い立てることができる。
その代償として要求されるものは、繰り返し言うが、ゼロである。
真正の平和主義者であることを証明するために「今、ここ」でできることは何もないからである。
平和主義者は国際関係について熟知している必要がない(アメリカ大統領の名前を知らなくてもノープロブレムである)、もちろん外交内政についても、歴史についても(政治思想史についてさえ)、無知であることは平和主義者の名乗りにいささかも抵触しない。
むしろ、そのような外形的知識の裏づけなしに「いきなり平和主義者」でありうることの動機の純正さが尊ばれる。
一方、平和主義者はしばしば「自分が信じる規範」は「すべての日本人が当然に共有せねばならないこと」であるという不当前提を採用しているので、論争においてほとんど無敵である。
彼らの論争術上のきわだった特徴は、論理的な帰結を無視して自分の個人的理想を現実における施策に直結させることである(「ダメなものはダメ」とか「人殺しは悪いことでしょ」「誠意を持って話し合えばどんな人とでも理解し合える」とか)。
そして、「はぁ、そうですか」と応じると、「だから憲法第9条は守らなくちゃいけない」「日本に軍隊なんか要らない」「無防備都市宣言に賛成してくれるわよね」という結論にいきなり導かれるのである。
これはきわめて知的負荷の少ない「論争」術であるので、好む人が多いが、合意形成や多数派形成のためには何の役にも立たない。
もう一つ大きな特徴は、平和主義者にはその立場を証明するための直接行動が要求されないということである。
家庭や会社でそれなりの敬意を得るためには、具体的な行動によって集団に貢献することが要求されるが、平和主義者は「領土問題」とか「外交問題」とか「防衛計画」とか、ほんらい政府が専管する事項を問題にしているので、個人としてはできることが何もないのである。
平和主義者は「人類皆兄弟」と幻想的な集団を形成しており、そのような幻想的な集団の中では、具体的に誰も彼に仕事を命じないし、誰もその貢献を査定しない。
だから、平和主義者は誰からも文句を言われない。
というように、平和主義者であることは行使できる権利に対して義務負荷がきわめて少ない。
商品交換のスキームで社会的行動の特質を考量する人たちが「権利が多く、義務が少ない」平和主義者・オプションを選好するのは怪しむに足りないのである。
グローバル資本主義の爛熟の中で、平和主義者の若者が組織的に生まれるのはそのような理路による。
現実主義者というのは、その逆の行程をたどる。
現実主義者は自分が今在る状況を理解し、自分が現に帰属している集団のパフォーマンスを高めることを配慮し、隣人たちに敬意をもって接し、今自分に与えられている職務を粛々と果たすことをおのれに課す。
そのような「場所」や「集団」や「隣人」たちの数を算術的に加算してゆくことを通じて、やがて「国民国家」にまで(理論的にはそのあとは「国際社会」まで、最後には「万有」に至るまで)「私の帰属する集団」を拡大してゆくことをめざすのが現実主義者である。
若い人たちにはできることなら現実主義者をめざしていただきたいものだと思う。
政治的なものであれ学術的なものであれ、何かの主張をすれば何らかの集団に帰属することになるのは当然です(本人が望むと望まざるとにかかわらず)。そして、それを「奴はほかに居場所がないんだ」とレッテルを張ることは実に簡単です。特に、ナショナリストといった「幻想的な集団」にレッテルを張る場合、そのレッテルの正しさはほとんど問題になりません(ナショナリストの具体例たる1個人を想像できないため)。
論争術についていえば、それぞれの政治的主張と議論の巧拙に相関がないというのは自明だと思うのですが。
学者とか評論家とかオタクとか、およそ何かを論ずる人々の大半に適用可能な優れたテンプレートとして、末永く保存されるべきだと思います。
フリーター生活を終わらせるため、
用意したものは、
勉強したことは、
・HTML(XHTML含む)、CSS、Javascript、フラッシュ(基礎的なことのみ)、
PHP(基礎的なことのみ)
・色彩検定
・MTとWP(基礎的なことのみ)
バイト先のパソコンにフォトショップとワードとエクセルがインストールされていたため、
こっそり勉強させてもらった。
イラストレーションや、Macは触る機会が得られなかったのでちょっと不安。
で、面接は大成功。準備したかいがあったなー・・
と思ってたら、面接官が時間があるなら社内見学しないか?って誘ってくれた。
凄く嬉しい。もう採用決まったようなものだ!と思った。
で、社内見学したんだけど、何か色々ひどい。
webデザイナー、ディレクターとされる人がHTMLの参考書見ながら打ってる・・
フリーソフトかよ・・ドリバを使うんじゃなかったっけ?・・
真面目そうな人と思ったらニコニコ動画みてた・・
最後に面接官が、
メイクで困るというには年をとり過ぎているけど、
眉毛の作り方で困っている。
ちょっと前は細眉が流行していたけどナチュラルな太さの整った眉毛の流行になって
元々の眉毛が太く濃いから助かったと思った。
が、額が広くちょっと出っ張っていて眉の周りの筋肉がはっきりしているせいか
眉毛をちょっと細めにすると地眉が生えていたところが青く盛り上がって見える。
コームで眉毛の長さを整え剃ったり抜いたりして形を整えてはいるけど
元々の一直線の形にしかならないからお化粧として手を入れて作っている感じがせず
なんかむさくるしい。
何件か床屋さんに行って眉を整えてもらったがどうも細くて地眉の盛り上がりが目立ってしまう。
http://anond.hatelabo.jp/20090526155652
増田氏、製品のメイン開発者であるにもかかわらず、費用を削りたい重役から、切られた。
プログラムも、量を減らす為にテンプレートやらマクロやらが大活躍で、そもそもLinuxカーネルソースの中身を書き換えている部分もあったりして、相当な知識が無いと解析不可能だ。
更に引き継ぎ先は、その大手メーカーの新人に毛が生えた程度の若い人だった。
無茶だ。無理だ。引継ぎなんか出来るはずがない。
多分そのとおりだ。しばらく待っていれば、仕様変更や保守に対応出来ない元の会社から、戻ってこいとオファーがあるだろう。
そのときには、単価を3倍から5倍に切り上げて上げれば良い。
あなたは収入が増え、目先の経費節減に走った重役は、面目がつぶれる。
放っておけば相手が勝手に危機に陥って、あなたに助けを求めてくるんだから、こんなチャンスはなかなか無い。
だから、増田氏、これはチャンスですよ。
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俺はプログラマー。
長年、とある組み込みマシンのメインプログラマーだった。詳細仕様、プログラムの細部、それらは全て資料化されているものの、膨大な量と難易度の為、俺が居ないと回らない状態だった。
ところが、この不景気で、俺の雇い主の某大手メーカーは、とにかく外注を切る指示を出した。
引継ぎと言っても、そもそも仕様自体が多いので、1ヶ月毎日ミーティングしたが終わらなかった。資料は電子化されているが印刷したら電話帳ぐらいにはなるだろう。更にネットワーク機器で他装置との連携機能も実装していて、それらのノウハウなどはとうとう伝え切れなかった。
プログラムも、量を減らす為にテンプレートやらマクロやらが大活躍で、そもそもLinuxカーネルソースの中身を書き換えている部分もあったりして、相当な知識が無いと解析不可能だ。
更に引き継ぎ先は、その大手メーカーの新人に毛が生えた程度の若い人だった。
無茶だ。無理だ。引継ぎなんか出来るはずがない。
経費削減。
重役は経費しか見ていない。引き継げるかどうかは二の次なのだ。目の前の外注に発生した費用さえ浮けばいいのだ。
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蓄えはあるので、そうガっついて働かなくてもいいし、今の世の中、そう簡単に職は見つからない。
電話が鳴る。
以前、一緒に仕事をしていた会社だ。会わないか?との連絡。行く。
そこで改めて経歴やスキルなどを説明した。
その会社も今は仕事が無いが、仕事が取れたら是非という話だった。快諾する。
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今、殆どの仕事が「外注だから」という理由だけで切られている。そして殆どの仕事が「引継ぎ中」であるらしい。
そして引き継ぎ先は、やはり雇い主の若手社員。
そう、俺の前の仕事の引継ぎの際にあったデタラメ。あれは珍しい話じゃなかったんだ。
どの会社も、目先の事を考えてどんどん外注切り、引継ぎを若い社員に押し付けている。
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何か問題があったらどうするんだろう?
全て「未対応とさせていただく」で済ませるつもりなのだろうか。
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そう、日本語による細かなサポートだけが国内競争で唯一の武器だった日本のメーカーの武器が、今は無いのだ。
気が付く頃には、どうなっているだろうか。
等位 Coordinating Conjunctions
相関 Correlative Conjunctions
お悔やみの言葉
会話一般
(語学学習サイト個人的リンクメモ / Lists of Language Learning Links)
上記に当てはまるタイプは大抵質問の仕方も微妙だったりする。質問が下手な人は総じてこの業界向いてない。
質問するのが悪いんじゃなくて、そこに至るまでの行動や質問の質とかがな…。
特に本と学校については物凄いよく見る質問だけど、そもそもこの2つに関しては他人に聞くもんじゃないと思う。
あと追加条件で次の3つがある。
1は最初に挙げた1とリンクする。「知識がないから作れない」というのは理由にならない。
なぜならサイトの作り方なんて検索すればいくらでも引っかかるから。
逆に「何で就職したいと思ってるのにサイト作ったことがないの?」と問いたい。
静的サイトのネタが浮かばないなら、ブログテンプレートを自作してみることをオススメする。
EとFは後でも身に付くけど、一箇所でじっとしてられないとか、勉強が嫌いって人なら無理。