はてなキーワード: 職人気質とは
妻が技術書を持って帰ってきた。
妻はウェブエンジニア、とは名ばかりのなんちゃってエンジニアである。
素人の俺が見てもわかるほどのナメた姿勢で、先進的な技術を学ぼうともしないし、仕事を受けるのも積極的だはないようだ。
学生の頃はむしろしっかり者に見えていたから、その変化に最初は戸惑った。
俺が彼女に遅れること一年、社会人になり、仕事の感覚を身につけていくと、彼女の仕事に対する姿勢が気になりだした。
そんな彼女に、俺はこの先生きのこるには〜といったことを何度も言った。
生業としてその職業を選び、携わる以上、情報収集から訓練まで常日頃からことなうべきだと。
でも、その度、喧嘩になった。
妻は、本当は仕事は続けたくない、でも、稼ぐ必要があるからと言った。
話がそこに至るに及び、養えるほど稼ぎのない俺は沈黙した。
遅れて社会に出た俺は去年ようやく彼女の年収を超えた程度。養うにはまだかかる。
なんとかという人が書いた本の訳本らしい。
アサラーと呼ばれる歳に差し掛かった彼女の小さな変化だと思った。
俺は嬉しくなった。いよいよやる気になったんだと思った。
でも違った。聞いたところ、彼女は上司に読むよう指示されたのだった。
経緯を聞いてすぐに不安になった。その上司の考え方が危険過ぎた。
その上司曰く、仕事は実戦であり、家での学習が訓練であるという。だから、闘いの準備は家でして来いと。
建前ではあるが、仕事のトレーニングは仕事の中でこそ行なわれるべきだろう。
なにも手取り足取り教えるというものでもないはずだ。定期的にチェックし、アドバイスを与えるだけでいい。
次に、仕事に対する動機付けが人によって異なることを無視している。
妻は稼ぐために働いている。動機はパートタイマーと大差なく、世界を変えたいとか、社会を良くしたいとまでは考えていない。彼女は春と秋の旅行を楽しみにしている。
そして、一番驚いたのは指示内容だ。
曰く、
“この本を読み、学べ(ここまではいい)。それに従い、働け。
本の内容や、私の指示を無視しても構わない。
ただし、上司である私の指示に従わない以上、上司として責任は取らない。“
これはチームをまとめながら、仕事をする人間の言うことだろうか? 俺はこの上司を否定する。
妻の上司は、自らの価値観を強いているに過ぎない。期待しているのは自分のような人間、または自分のように働く機械なのだ。
妻の姿勢に問題がないとは言わないが、前のめりでないだけでやることはやってるはずだ(なんだかんだで少しずつでも昇給してるし)。
優秀なプレーヤーが優れたマネージャーになるとは限らないと言うが、これがその典型なのではないかと想像する。
協働者として敬い、彼らの仕事に対する動機付けを理解し、その上に教育があるべきだ。そしてその上に実地がある(もちろん理想は、だけれど)。
妻の上司は、それらを否定し、読む本すらも強要し、紋切り型のエンジニアを作ろうとしている。
それを騙しすかしするための小狡さも、フォローするためのマインドシップももっていない。
かつて、その上司のチームにいた女性が、方針についていけなくて退職したと聞いた。
上司は、その女性の姿勢やスキルが足りてなかったと言っていたらしいが、実際は違うだろう。
その女性は、自分の人生を選択し、上司の機械になることを拒否したにすぎない。
妻には、姿勢について改善すべき点はあるが、それは自主的に行われるべきだと思う。言いはするが強いるものではない。
彼女は彼女の人生の中で、職業を選び、働く理由があってそこにいる。仕事は人生の一部だ。
彼女の会社が潰れそうでも、堪えて働くのか、さっさと辞めるのかは本人の選択だ。
俺は妻に、転職先を調べておくべきだと言った。
チーム運営で最も悩む点は、多様な人間の背景と目的を可能な限り成果に向けしめ、ミッションを達成することだと思うが、彼女の上司は機械化することで悩みをないことにしている。そんなところにいるべきではないと。
あれだな。終身雇用は、論理的というか、理想的には美しいんだが
職人気質で何十年の技術を(文系は営業スキルに読み替えて)というわけではなく、単に技術力よりも社内政治というのが、どこの会社も共通した内情だろうから。
論理的には美しいが1つの会社に一人の社員が、定年までいることのメリットが 本人はともかく、社会的(社会全体)には殆ど無い。
という結論なのかね。
本来は、長い年月の経験の結晶が!とかなんだろうけど、そんなもん、社内政治(派閥の論理・縦割り)の前に吹き飛ぶし
村社会化することで、中途採用からの、スキル吸収が行われない。という事も考えると
客が食べ終わった弁当ガラは誰が片付けるのか。
誰がお茶を出すのか。
君なり、他の食べ終わった奴がやればいいんじゃないか。
なんて言い訳にならないよ。
詳しくは伏せるが、一般にクリエイターと呼ばれる商売をしている。
チーフ、レギュラー、アシスタントという序列があって、
修行期間を経て一人前になっていく、職人気質の仕事だ。
1シーズンに何度か、仕事の流れでお客と弁当を食べるのだが、
若いアシスタントの食事のスピードが遅くて困る。
食事は落ち着いてゆっくり食べるのが人間らしい、とは思う。
昼の休憩時間も取らせてもらえないで客と飯を食うのは
労働基準法に違反している、というのもわかる。
しかし客より食べるのが遅いのは躾がなってない事であり、
それが公然と行われるのでは
我が社がそれを許しているという事になってしまう。
若いアシスタントがやらなければ、
客が食べ終わった弁当ガラは誰が片付けるのか。
誰がお茶を出すのか。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20121107/239157/
↑を読んだ。
悪貨が良貨を駆逐するって言葉がまっさきに浮かんだ。
あと、本物を知らないってことは必ずしも不幸じゃない。
本物を知ってればより幸福になるかもしれないけど、そのぶん、知らなかったことで満足できていたレベルで満足できなくなるから不幸になるともいえるからだ。
一言で言えば舌が肥えることの弊害もあるよねってこと。
激しい価格競争とデフレの中で、比べるまでもなく低品質・低価格のものしか知らず、それに満足してしまう人が増えるのは当然といえば当然。
世の中の大多数がそういう仕組みになるのも当然。
ただ、サービス提供者側でも職人気質の人は絶対にどこかに残るだろうから、↑の筆者みたいな少数派はそこに行けばいいだけの話。
自分が少数派だということを理解してれば、↑みたいな見当違いの少数派の主張を多数派にぶつけることがどれだけ無意味かわかるはずなのに。
女は損だと正直思う。
男女が平等に扱われる世の中になった今。でも子供を生めるのは女だけなのだ。それは絶対変わらない。大きくなって夢を持ち、18才になり社会に出て仕事を始める。夢を持つ人間こそ仕事をはじめた時の感動は大きい。私の場合、毎日楽しくてたまらなかった。25才などあっという間だ。でも世間ではそろそろ「結婚とかは?」といわれ始める。男も女も変わりなく夢をもち仕事をしていて、男はまだ仕事でひよっこ扱い、これからまだまだやれるのに、女は出産へのリミットが始まる。
自分が30才で産んでみて、丁度良い年齢だったと思う。育児は予想より大変だ。自分の母親をなめていた。子供三人育てるって、ほんと大変。リアル24時間働けますか?状態だ。妊婦で子育て、これほどリスキーなことは他にないと思う。
30才で出産しようと思ったら、それより前に恋人がいなくてはならない。仕事が充実し始める30前に恋愛して結婚のこと考えて仕事して。ここで旦那選びに失敗したら、そこで人生は一度終わる。それまでに面倒なことにならない旦那を選べる能力も持っていなくてはならない。男は別に良い。好きな仕事だけしてれば良いのだ。精子にあるリミットは卵子や出産ほどシビアではない。それに世に言う「ハズレ」の女性を引いても離婚すればいいのだ。親権は女性にいく。女はハズレ旦那を引いて妊娠出産したら、仕事は一度辞めなくてはならないか、格下げをされるし、給料も下がる。そこから一人で子供も抱えるのだ。
夢を持って成人して、一度の失敗が命取り。それが女だと私は思う。
男だってそうだと言われるかもしれないが、親権は女にいくのだ。子供を育てるのは、一度妊娠出産で収入が不安定になる女だ。親権を持たない男が、子供が熱だして仕事中に呼び出されるか? ノロにやられて一週間子供と仕事を休めるか? 男はそんなことない。仕事してれば良いのだ。どっちも仕事して生きていかねばならないなら、男のほうが楽だろう。
どう考えても、どの選択肢をとっても男の方が楽だと私は思ってしまう。
でも私はそんな子育てをしたくない。人生は自分の力でいきるから楽しいのだ。
人の金で無駄使いしても楽しくなどない。
私がこういう信念を持っているから、当然息子にも次の子もそう育てる。願わくば職人になってほしいと思っている。
手に職、それが一番人生を楽しめる。
まあ私も旦那も職人気質なので、大丈夫じゃないかなー…と期待はしているが。
好きな人ができて子供も産みたくなるかもしれない。それはマイナスでもプラスでもない。それが君の人生になると伝えたい。それが良い悪いじゃない、それも含めて楽しんで生きていける方法を、力をつけてほしい。
そういうこだわりって、フランスとかにもありそうなイメージあるけどな。
それよりも、大衆食堂での真面目な接客が例にあがっているように、そういう接客への素晴らしさは日本独特だと思う。
外国のスーパーだと、レジ打ち同士がしゃべくりながらレジを売ってるし、窓口業務も、どれだけ並んでようがマイペースに自分のところに来た仕事をこなすだけ。
長蛇の列ができてようが休憩はきっちりとる、とかね。
でも、それはそれでいいと思うんだ。
最低限の仕事をしてる彼らを、何で我々が責められる?
これで普通なんじゃない?
ところが、学生時代とか、ちょっとバイト好きの女の子とかが、あこの接客はなってないだの、アフターケアがなってないだの、店員見てぶつぶつ言うことなかった?
ああいうのが俺には滑稽でならなかった。
君は真面目に接客できるのかもしれない。でも、それって標準じゃないんですよ、あなたが批判してる人だってちゃんと働いてますよ、って。
しかし、そういうこと言う人がいるっていうのが、日本の偏った習慣であって、素晴らしき部分でもあるんだなと思う。
俺みたいな、外人だって最低限やってんじゃん、みたいなやつが増えると日本の良き風習が途絶えるのかな。
韓国や中国のニュースがあるたびに、民度が低いなって書き込むやつがいるけど、日本があの国を見下せるほどの民度じゃないってことくらい、ほんとはみんな薄々わかってると思うんだけど。
はてなに集う奴らって、こんなのばっかだな。
・若くて、
・パソコンに詳しく、
・科学を信奉し、
・インターネット上にある知識には無闇に詳しいが、逆にネットに載っていない知識は欠損していて、
・リーダー気質でも兵隊気質でも(ライン)なく、職人気質(スタッフ)で、
・数字でものを考える癖があり、
・合理的で、無駄が嫌いで、
・かといって人間味は浅く、話していると考え方がシンプルで深みがなく、
・バカな奴、知識の劣る奴は軽蔑の対象であり、
・シニカルで冷笑癖があり、
・身なりやファッションなどには興味がなく、
・思いやりがなくて、
・「身近な他者への貢献」に対する情熱はなく、
・自分勝手で独善的で自分が一番物事をよく理解していると思い込んでいる、
・しかし、事実は異なっているから周囲の人間への影響力が低い、
そんな人間が多いよ。
「身近な他者」には冷たいが、「社会」をよくしたい、「社会」を変革したいという気持ちはあって、この文章もそのために書かれたのだろう。
でも、彼等の考える「社会」は抽象的なものであって、身近な隣人の集合体である具体的な社会ではない。
“情”が欠損している人が多いのは、毎日、指先通りに動くパソコン画面ばかりと、接しているからだろうか。
これへの理由として「収入がない(格差が増大した)」「バブル期を経験した人が意見している」という考えが度々持ち上がる。確かにそれもあるかもしれないけど、もしかしたら生産への敷居が昔よりぐっとさがったからというのも要因にあるかもしれない。
最近ではクオリティの高いものを望まなければこれといった専門知識や投資がなくてもクリエイティブな生産が可能。自分の依存する価値観を金銭やそれで発生する財産の取引ではなく別のスキルへ移し変える人が増えただけなのではないか。
職人気質を求められる仕事が多かった時代と比較しても現代人は結構「何でもできる」環境が揃っている。だからひとつの事にこだわる必要がない。
職人気質は認めるが、問題はそこじゃなくて18歳を「人生の早い段階」と見なすかどうかだよ。
元or横増田にとっては、18歳が右も左も分からない子供だという事だし、俺にしてみれば、その年齢で立派にひとり立ちしている(あるいはしようとしている)人間を知っているという事だ。
そして「描く未来は完璧な一枚絵じゃなくてはいけない」という思い込みの未熟さだ。
どんな人間も、社会を、そして何より自分自身を100%客観的に掌握する事なんかできない。
だからこそ、将来を描く事は大げさに言えば100歳になったとしても完璧にはできない。
描いた将来は、日々変化すると思う。
何時の間にか違うものになっていたりもするだろ。
何枚も描けるのも、若さの特権だと思う。
けれど、最初から「描かない」人間はそれさえも判断できない。
18歳という年齢は、けして「描かずに済む」年齢ではないはずだ。そして未熟なりに、描いていけるはずだ。
少なくとも、18歳のビジョンを、ろくでもない、あるいは未熟で無駄だと笑えるのは、ただ流されて、描く事もできなかった(しなかった)人間ではないと思うが。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BE%BE%CB%DC%BF%CD%BB%D6
まあここまでは普通
「笑いの天才」と称される事もある。
確かに天才と称されることもあるな、うん。
自身もそうでありたいと願いドラマ出演等のオファーは全てNG。例え浜ちゃんの友情出演で出る事があっても、必ず松っちゃんらしさを出すという。
いやこれ「全てNG」じゃないじゃん。後のフォローがかなり苦しいぞ。
おいさっきの「全てNG」はどこ行った。職人でありたい気持ちはどこ行った。
松ちゃんらしさを出してドラマをコント風に仕上げ、ドラマの設定で中居正広と漫才するシーンでは、数年ぶり(深夜特番ではあるがゴールデン枠での話)に漫才を披露する等、松本人志は芸人でありタレントではないと職人気質なスタイルを貫く。
「数年ぶり(深夜特番ではあるがゴールデン枠での話)」って意味わからねぇよ。
いや深夜番組では漫才披露してたけどゴールデンじゃしてなかったよ、ってことなんだろうけどそれ「数年ぶり」って言わねーから!
大体数年ぶりに披露したら「芸人でありタレントではないと職人気質なスタイル」になるのかよ!
というか要するに元増田のは「承認欲求」だな。
承認欲求だけで世の中動いてるとは言わないが社会においては非常に大切な動機の一つ
他の欲求と違って、気付き難いのと、日本人は承認欲求をその国民性ゆえに恥ずかしいものだと隠したがるから、あまり認識されていないが、現代の仕事や生活においてこの欲求は大変重要なものとされて注目されてる。
承認欲求といっても他者から承認を得るタイプだけでなく自分自身の承認を得たいタイプや他者から承認を得るといった中にもまた色んなタイプがあるが、何にせよ人間である以上これらの欲求を持っていないという人間はいないと思われる。結婚するのもある意味いつでも「ありのままの自分」を承認してくれる相手を得るという側面もある。
日本ではなんというか、「人が俺の仕事をどう承認するかなんてどうだっていいぜ。俺は俺の仕事をするのみだぜ」的な、職人的考えがウケるけれども、勿論、それはそれである種カッコよくはあるんだけど、だからといって承認意欲を否定する事はないだろうと僕は思う。
ほとんどの人が承認意欲を持っているかは分からないが(しかし、上記のような職人気質がウケるのは、皆やはりどうしても「承認意欲」というものを持っている事に薄々気付いているから故なわけだから、やはり持っているのだと僕は思うが)まあ証明しろと言われてもそんなことは無理だ。逆にほとんどの人が持っていないという証明も無理だが。
なんであれ、承認意欲というのはどんな場であっても(仕事であっても生活であっても趣味であっても)存在するし存在しておかしいものではない。一流のプロだって、「なんか、やってたら、友達にすごいっていわれたんで、俺は別に好きじゃないけどやってきた」みたいな人もゴロゴロいるわけだ。どのジャンルでも。だから「承認意欲を持ってるなんてクズだ」というのは、いいすぎだし、仮に自分が承認意欲が薄いタイプだったとしても、他者がたまたま濃いからといってそれを「クズ」とかなぐり捨てるという感覚は僕には分からない。そこまで自分を基準にする考えは分からない。そういう思考は、変な話同性愛者差別なんかに繋がるんじゃないのか?「自分と違った欲を持っている奴はクズ」という考えは。
一見客が立ち寄れない寿司屋のような、でも常連になると気前が良くなって行く感じ。
あら?私のサイズにあなたの頭を合わせなさい、なんて責めてくる感じだな。俺は好きだ。
友人に音楽関係者から航空関係、はたまた車業界にまで広いが意外に親友と呼べる人が少ない感じ。
audio-technicaはドラクエ的に「ここは増田です」と書いてある看板だな。
ERGOは結構おしゃれを気にしてる専門学生なんだけど、そのおしゃれが一般とかけ離れていて
よく親父に、外見よりも中身を鍛えろと説教されるタイプの若者だな。
AIWAはグループでも地味な奴なんだが、意外と凄い能力を持っていて
成績も優秀なんだが、グループ的にはいつも地味な位置に居る感じだな。
でも親分肌のソニーはAIWAの凄さに気づいていてAIWAの居場所が無くなりそうになった時
BEHRINGERは貧乏な家に住んでるのに皆の前では金持ちのふりをしている。でもみんな薄々気づいていて
腫れ物扱いしている感じ。初めて会う人はBEHRINGERの自慢話に驚いたりするが、段々本当の家庭環境に気づいて
でも責める事はできずにごめんなさいって感じだな。
私は今まで、どうして皆がオシャレに躍起になるのか分からなかった。
モデルとか芸能人がそうなるのは分かる。スタイルいいしかわいいし何でも似合うし金があるんだからそりゃ服のショッピングは楽しいだろう。
でも私は特別スタイルがいいわけでもないし可愛いわけでもないので、いくら服が可愛くても服負けしてしまったり着こなせなかったり、全く楽しくないのだ。
それだけでも分からないのにネイルアートなんてものまで出てきてますます分からなくなった。
ネイルアートて。こんな細かいの、一体誰が見るんだよっていう。こんな細かく頑張って花模様描いたって、写真とったら一つのドットになってしまうがな。やたらに可愛く凝ったつくりのアクセサリーなんかもそうだ。こんなもん誰が見る。皆男に対してオシャレしてるのかなんなのかしらんが、それなら絶対効率悪いだろ、こんなとこ街ゆく男は物理的に見えないだろと。他にも「かかとをすべすべにする」だの「ひざをつるつるに」だの「指先まできれいに☆」だのはぁああ!?細かすぎだろ…常考…と叫びたくなるようなものが同年代の子が読むようなファッション雑誌にはいっぱい書いてある。もう意味が分からなかった。そんな、コストに対してあまりにローリターン過ぎることをどうして皆やっていられるのか?なんなんだこれは?
……と思っていたのだが。
最近、分かった。
私はパロディ動画を作ったりフィギュアを作ったりするのが好きなんだが、それとファッション・美容が同じという事に。
「いや、そんなところまで拘っても誰も気がつかないだろw」と思いつつも、ディープ過ぎるネタを動画にこめたりする。ニコニコに投下しても誰も気付いてねぇwwwwなレベルでもどうしても拘ってしまう。フィギュアも、「いや、そんなところ拘ってもぱっと見たいして変わらんだろw」とか分かりつつも、どうしても指の角度に拘ってしまう。スカートの翻りに拘ってしまう。
美容やファッションも要するにそれなんだ。とある日突然分かった。
ネイルアートなんてわざわざ見せびらかしでもしない限り街行く人はまず気付かない。服だって相当拘ったってそもそも他人はそんなに見ていない。かかとやひざなんて勿論、アクセサリーだってたいして気付かれない。それを分かっていて、それでも拘りたいのだと。何よりも自分が満足する為に。自分が「ああ、美しく出来た!」と満足する為に。その対象が私のように「フィギュア」や「動画」ではなく、彼女達は「理想の自分」であるだけで、何も変わりやしなかったんだと。
「モテかわ服」なんていうのは要するに、動画で言えば「ニコニコでたくさんコメントがつく動画の作り方」みたいなものだし、フィギュアでいえば「賞賛してもらえるフィギュアの作り方」のようなものだ。「そんな、他人(彼女たちでいえば男)の事なんて気にしないぜ!」という人は服でも動画でもフィギュアでもいるし、気にする人だっているし、いても、自然なことだ(大抵はどっちか一つではなくどちらに比重を置くかの話だが)。「モテ服」なんていうといかにも媚びている感じだが、それは結局動画やフィギュアでいえば見てくれる人にどれだけウケてもらえるかってのを考えるのとたいして変わりない(逆にそれも媚びてるってことだ、って解釈でもいいが)。
あー、日本って国は、本当に男も女も、職人気質なんだなぁとつくづく感じた。
オタクと言い換えてもいいかもしれない。
どちらかと言うと男だけがそういうイメージを持っていたが何のことはない、よく考えてみればこの国の女は非常にオタク的じゃーないか。ここまでモデルでも芸能人でもファッション関係の仕事についているわけでもない、本当に単なる一般市民ほとんどがファッションに異常な拘りを持つ国があるか?日本女性がブランドのバッグを買うのも、「使うため」というより精神的には既に「コレクター」の域の方が近い。実用性有る趣味のはずなのに何故か実用性から遠ざかっている辺りが非常にオタク的だ。最初から非実用的ならまだしも実用的な趣味を非実用的にしてしまうとはこれはかなりのオタク気質。
友人たちの会話に参加した時、よく分からないファッション用語がポンポン飛び交っていくのを聞きながら更にそう思った。
これは我々オタクたちがアニメの話をしているのとたいして変わりないではないか。
そう考えた後、ファッションや美容がとても楽しく感じられた。
そうか。これは「理想の自分」を作る作業なのだ。完成図を予想して、それに近づこうとワクワクしながら作るあの楽しさ。その楽しさはフィギュアも動画も美容もファッションも同じだったのだ。なるほど、このマインドになると確かに下着にもいちいち拘りたくなるし、ネイルアートもしてみたくなる。「拘る」事自体が楽しくなってくる。ワクワクする。そして、完成したときの嬉しさ。楽しさ。達成感。何度でもそれを見ていたい感じ。皆に見せたい感じ。何もかも同じだ。
なるほど、だから皆先走って小学中学の頃からやけにオシャレをし始めたのか。なるほどね。今なら皆の気持ちが分かる気がするよ。