はてなキーワード: 七夕とは
00年台の半ばくらいからパークのスタッフ(キャストとか言ってるがまあスタッフ)に高齢者が増え始めた。10年ごろにはモスバーガーかディズニーかくらいに、暇を持て余した低賃金の年寄りがせっせと働く場所になっていて、コスト重視なのかもしれないがなんだか薄気味悪くなったなと思っていた。ディズニーランドって前はもっといい意味で浮世離れした殿様商売だと思ってたけど意外に人件費とかけちってて金ないんかなと思った。
同じくらいに、全く顔つきがディズニーの文脈とマッチしていないダッフィーがシーで売られ始めた。パーク限定なので客は喜んで買っていたが、本国ディズニーにお伺いを立てずにマネタイズできるルートを考えたんだろうなーという感じがした。
そのうちに、七夕イベントだとかいってミッキーが民族衣装を着せられて人力車でパークを駆け回り始めた。なんだこれ。こんなのディズニーじゃない。
ちょうどその頃中国のニセディズニーランドが話題になって日本では嘲笑するムード一色だったが、自分はこんなんミッキーを人力車に乗せて喜んでる日本人も同じじゃねーかと思った。
このころにはもう東京ディズニーランドはなりふり構わず謎の日本風アレンジをキメたパラレルディズニーワールド全開で推してきていた。
日本の文化とは違う、非日常がディズニーだったのに、いまやディズニーランドはくそローカライズされた謎のジャパナイズアメリカンとなりつつあり、元々のオリジナルアメリカンな空気を残していたカントリーベアーズや魅惑のチキルームが浮いたアトラクションになっていた。魅惑のチキルームはローコストでテコ入れされてスティッチになってしまった。
期間限定のアトラクションの変更点とかも、すごい手作り感があってしょぼかった。昔はハリウッドの超大作映画みたいな豪華さがあったのが、なんか小さい工夫で大きな効果!みたいに感じられて寒かった。
ハロウィンではどこから思いついたのか寒いオリジナルキャラが投入されて、それにオタク女子が群がり始めた。たしかにこれならでかい投資をしなくてもネタが増やせて、たくさん人を呼べる。でもそれディズニーパークの必要あるか??
結婚したくないけど結婚したい。しなければならないと感じて苦しい。
25歳あたりから、周りが流行病にでもかかったかのようにばたばたと結婚していった。
私も、子供の頃から当然のように結婚するのだろうと思っていたが、いつまでたってもそうならない。
いつしか祖父母や両親には、七夕に「私が結婚できますように」と願われるようになった。
「この人とずっと一緒にいる」と思える相手を見つけられた人達、そして一生の伴侶として選ばれた女性達に対するものすごい羨望を感じる。
彼氏がいないわけではない。むしろ大学生の頃からほぼ途切れることなく、数年ずつお付き合いしてきた。
でも毎回、この人と一生一緒にいるのは無理だ。となってお別れ。
本当に結婚したいなら婚活をすればいいわけだが、そこまでする気にはなれない。
正社員として働いて、決してお金持ちではないものの、趣味に使うくらいの収入はあって友達もいて1人でどこへでも行けて。結婚していなくても私の人生は十分楽しい。
結婚しても、正社員として働いていれば税の面でも何も得しない。特にメリットがないんだ。
こう言うと、「メリットとかじゃなくて、この人と一生一緒にいたいな、って思うぴったりの相手に出会えてないだけでしょ」と言われる。そうなのかもしれないけど、そんな人にどうやったら出会えるの?
唯一、子供を産むのであれば、結婚という制度は役立つのかもしれない。
でも産みたくない。
そもそも子供が苦手だし、妊娠出産で体はボロボロになるし、産まれる子が障害を持つかもしれないし、仕事も休まなければならない。
産んだ後も、どうしたって女側がメインで子供の世話をしなければならない。せっかく旧帝大を出て上場企業で働いているのにキャリアはストップ。
男は体も仕事も生活も何も変化しなくていいのに。やってられない。
結婚して子供を産んで、今の生活より幸せになるとは到底考えられない。
自分の老後の資金さえ不安な世の中で、子育てなんてお金のかかることをどんな心持ちでやっていけるのか。
みんなはどんな風に考えてそうしているのか、知りたい。メリットを教えてほしい。
「クリスマスに現金をねだる娘」を見て思い出したけど、子どもって意外と空気を読むところがあるものだ。
幼稚園の頃、七夕が近づくとみんなで短冊に願い事を書くのだが、「ピアノが上手になりたい」のような普通のお願い事以外にも「セーラームーンになりたい」というようなありえない夢を書く子も多かった。(歳がばれる)
一方で、月に一回の誕生パーティーでも誕生月の子供たちが前に出て将来の夢を話すのだが、その場では現実的な夢を話すと言うのが暗黙の了解になっていた。
一度、ある年少さんの子が「仮面ライダーになりたい」と言って、会場が大爆笑に包まれた事がある。
当時の私は、七夕にはみんな似たような事を書いているのに、お誕生日の子を笑いものにしているのを不思議に思っていた。
今考えると、みんな非現実的だとわかっていたからこそ、同じように非現実的な存在の彦星と織姫には叶わない夢を託し、自分のキャリアプランはそれはそれとして考えていたんだろう。かなりシビアだ。
クリスマスのプレゼントも、枕元におけるそこそこの価値のものをお願いするという暗黙の了解があったと思う。
素直に「現金が欲しい」と言えるお子さんはいい環境で育てられたのだろうし、かわいらしい話だけど、現金をもらえるなら現金でと思っている子どもは実は意外と多いんじゃないだろうか。
七夕の時期寒くなかった?!