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2018-05-03

北国の情

暮れなずんだアスファルトの端に一輪の草 

母校への道のりを見えないうちに曲がる

かたすみの重しのようだったきみも今や子をなし

丘陵をくだる包む霧雨は人を拒んであますところなく

降りたとばりの果てにまたたきを見る

これ北国 

2018-04-25

過呼吸

その日僕は、様子見のために会社が新しく立ち上げたバルに立ち寄った。

オープン前のまだ穏やかな時間

いつものようにSが近寄ってくる。

彼とは新規事業部に移る前からの付き合だ。

新しく入店した2名の女性スタッフを紹介したいのだという。

1名はすでに履歴書確認していたのでなんとなく人物像を描けていたのだが、もうひとりを見て口から心臓が飛び出そうになった。

Kと名乗るその女性は、僕がまだこの会社ペーペーだった頃に猛烈な恋心をいだいたZに生き写しのようだったのだ。

少し鼻にかかる声、長い手足を更に大げさに振り回すようなリアクション、育ちの良さから来るであろう無自覚に人を見下ろすような言葉選び、そして時折、吸い込まれそうなほど大きな瞳で時が止まったかのようにこちらをじっと見つめてくる癖までも、何もかもが同じだった。

しかし、いくら生き写しのようだとしても初対面の見ず知らずの女性だ。

準備運動もなしに階段を一気に駆け上がったかのような鼓動をさとられないように冷静に挨拶を交わす。

ただ、そうやって話せば話すほど、彼女は隅々までもZと同じだということがわかった。

あれから15年が経とうというのに、まさかこんなに胸が苦しい思いをすることになるとは思いもよらなかった。

そんな時唐突に、Sからそろそろねぎらい食事に連れて行って欲しいと提案を受ける。

この男は全く無神経なところがあるが、今日に限ってはその無神経さが染みるほどにありがたく感じた。

「それならば今日の閉店後はどうか。たまたま予定が空いている。」

そういうとSは早速その場にいる人間に予定の確認を行い、かくして閉店後、すぐ近くにある居酒屋テーブルを囲うことになった。

はすむかいの、Kとの視線が直接交わらない位置に座ると、僕は周囲にさとられないように改めて彼女を観察した。

Zの娘なのではないかと疑わなかったわけでもないが、聞けば23歳だというKの年齢を考えるとそれはあり得なかった。

15年前、Zはまだ19歳でしかなかったのだから

僕を含め、まだあってから日も浅いであろうバル従業員たちに対しても、Kは喜怒哀楽を隠すことなく誰にでも等身大ストレートに交わっていた。

世間に出たての、恐れることも疑うことも知らなかったZと同じ、見ている人間をどこか心配にさせるほどの天真爛漫さに、もう若くないはずの自分の胸の奥にある甘酸っぱい感情が刺激されるのがわかった。

こちらが感傷に浸っていると、Sがこそこそと耳打ちをしてきた。

聞けばキャバクラに行きたいのだが一緒にどうかということらしい。

ある種悶々とした気持ちを引きずったまま妻子の待つ家に帰るのも気が引けると小声で承諾すると、Sは唐突に皆に向かって叫んだ。

「お前ら!次はキャバクラ行くぞ!」

よせばよかったという後悔と、別に自分がそういうところに出入りすることをKに知られたから何になるのかという自問自答に挟まれながらふと顔をあげると、なぜかKは目を輝かせながらSを見て「わたしも行きたい!」と言い放った。

Sは当然のようにそれを受け入れると、Kに加えてもうひとりの新人と、店長であるDを含めた5人でキャバクラに行くことが決まった。

すでに終電も終わっている。ここかはらタクシーに乗らなくてはキャバクラに行くことは出来ない。

Sと新人女性2名、自分店長に分かれて2台で2つ隣の駅までタクシーを走らせる。

タクシーから出ると、Sはなれた様子で客引きに声をかけて早々と値段交渉を始める。

それを待っている間の悪さをさとられないように、残りのメンバーとは当たり障りのない仕事の話を交わす。

いよいよ交渉が成立し、客引きに連れられて店へと入ろうとすると、Sがニヤニヤとしながらこちらに近づいてきた。

「値切って安くさせたのでよろしくおねがいしますね!彼女らも喜んでましたよ!」

こやつ、女性の手前断れないだろうと支払いをこちらに押し付けようとしてきたらしい。

酔いも手伝ってか、この一言で完全に頭に血が上った。

「ふざけるな!どうしてお前はいつもそうなんだ!自分根性見直してこい!」

自分もいつもなら社長が一緒でなければこういった場所はいかない。

お金が勿体無いという以上にそれほど興味がないし、社長と一緒にいく理由も、社長は男同士が腹を割って話すのに必要儀式だと譲らないからだ。

居酒屋で耳打ちしてきたときから、Sは全てを計算の上だったのだろう。

しかし、Sは怒鳴られて悪びれるどころか横目でこちらを一瞥して舌打ちをしただけでその場を去っていってしまった。

怒りにまかせて身を翻し駅前タクシー乗り場へと向かうが様々に渦巻く感情を引きずったまま家に帰る気にはなれずに、しかたなく気持ちが収まるまで立ち飲み屋で過ごすことにした。

Kに対して下心がなかったわけでもなく、見栄を張りたい気持ちがなかったわけでもない。

それをSに見透かされたような気がして、そんな自分に一番に腹が立ったのだ。

それがわかると今度は心底情けくなってしまった。

このままではどちらにしても家族に合わせる顔はない。

唐突孤独感に襲われると、そこから逃れるように8年前に別れたHを携帯電話アドレス帳から探し出して呼び出しをタップした。

である理由はなかったのだが、Hなら電話に出てくれそうな気がしたのだ。

しばらくの呼び出しの後、「どうしたの?」と訝しげな様子のHの声が聞こえてきた。

「すまない。特別理由があるわけではないのだけど、ただ、少し声が聞きたくなって。」

沈黙の後、彼女の口から出てきた言葉は意外なものだった。

「今から来る?」

Hとの付き合いは僕から一方的音信不通になって終わった。

色々とこうでなくてはいけないと押し付けてくる彼女が面倒くさくなったのだ。

何となく彼女もそれに気づいていたのだろう、数回の着信を最後に、一切の連絡はなくなった。

その後半年もせずに僕は、親同士の知り合いによる紹介でお見合い結婚をした。

仲人の方が二人をよく見てくれていたのか、お見合いから早々に意気投合し、半年で挙式、そこからちょうど11ヶ月で長男が生まれた。

結婚生活には満足している。

それまで見ず知らずだった僕に、妻は本当に良くしてくれている。

ただ、2人目の娘が生まれて4年。その妊娠以降、セックスはない。

お酒のせいで冷静な判断が出来なかったのかもしれない。

「30分あれば着きます。」

それだけいって電話を切った。

Hは8年前と同じ様子で僕を迎え入れてくれた。

相変わらず僕の服装や行動一つ一つに、こうでなくてはいけないと色々と注文をしてくる。

今なら笑って受け流せるが、これも半月も持たないだろうと心のどこかで考える。

テーブルをはさんで、何も生み出さない会話と発泡酒けがいたずらに消費されていった。

気がつくと時計は3時を過ぎようとしていた。

何も連絡をしないままでは妻に怪しまれる。

携帯電話を取り出すと、メールをうち始めた。

申し訳ない。少し飲みすぎてしまった。朝までSの家で休んでから帰ります。”

「誰にメールですか?」

Hの問に「あぁ、妻に。」とだけ答える。

Hも「そう。」とだけ答える。

しばらくの沈黙唐突に震える携帯電話。妻からの返信だった。

「わかりました。お気をつけて。子供の出番までには間に合うと、きっと喜びます。」

メッセージと一緒に、体操服を着た長男写真が送られてきた。

忘れていた。明日子供運動会だったではないか

子供の屈託のない笑顔に、急に冷水を頭からかけらたかのようにはっとする。

自分は今どこにいて、今まで何をしてきて、これから何をしようとしているのだ。

猛烈な後悔が押し寄せる。

涙で目の前はかすみアルコールを多分に含んだ血液は音を立てんばかりの勢いで回り始める。

周囲の音は一切が聞こえなくなり、ただただ息が苦しくなる。

いくら息を吸っても苦しさは増すばかりで、体内のありとあらゆるものが溢れ出ようと小さな口へと殺到してくるのがわかった。

身体の内部から気管が塞がれもう吐くことも吸うこともできない。

シャツの上から胸元をひっかきながら床に倒れ込む。

ここで死んでいく理由をHは妻にどのように説明するのだろう。

今日、僕がたどった道のりを妻はSからどのように聞かされるのだろう。

にゆときさえも後悔で終わっていく自分人生に、薄れゆく意識はどうしようもない情けなさと悲しさで滲むように満たされていくばかりだった。

ふと枕から顔をあげると、先程の息苦しさが嘘のように新鮮な空気身体へと流れ込んできた。

肩で呼吸をしながら逸る心臓が収まるのを待つ。

涙で目の周りがぐしゃぐしゃになっているのがわかった。

音色の違う穏やかな寝息が耳に聞こえてくる。

カーテンから差し込む光が、まだ夜が明けたてだということを教えてくれる。

僕は一度死ぬことが出来た。

後悔のない人生の終わりはきっとないだろう。しかし、家族をいたずらに悲しませることは避けることができるかもしれない。

まずはこのぐしゃぐしゃの顔をさっぱりと改めようと、寝室の扉を音を立てないように静かに閉じた。

2018-04-06

20歳に戻れたら

もし戻れたら

起業までの道のりをしっかり付けて運用をしつつ資金経験を蓄え始める

23歳に起業さら資金経験を積む。どんどん運用に回して「お金を増やすためのお金」を増やす

28歳くらいでモデルアイドルと付き合って結婚

だな。

30歳前に起業したけどもっと早くしておけばよかった。若いとき可愛い子と遊びまくりたかった。

自分会社はいいぞ。苦労もあったけど軌道に乗れば自由が多い。運営は任せちゃってもいいし。

一度きりの人生だもん。上を目指すべきだよ。

anond:20180406161340

2016-12-04

死の収容所へ 2

http://anond.hatelabo.jp/20161204224426

強制連行

 全ヨーロッパユダヤ人ドイツ領ポーランド絶滅収容所移送する−これは、途方もない作戦である遂行にあたっては詳細な計画、広域にわたって組織化された設備施設、そして輸送補給宿営のための大がかりな兵站機構必要だった。連行作戦にはドイツの広範にわたる政府機関組織が巻き込まれている。ハイドリヒが作戦の指揮を執り、1942年5月の彼の暗殺後はハイドリヒの後継者帝国中央保安局エルンストカルテンブルンナーがこれにあたった。あらゆるSS機関支配地域の様々な民間権威ドイツ国防軍、そしてナチ衛星各国政府連行作戦に動員された。特にドイツ鉄道組織連行されたユダヤ人集団絶滅収容所まで輸送する手段提供し、強制連行に加担した。次のことは特筆に値するであろう。何よりも軍隊鉄道必要としていたにもかかわらず優先順位を記したナチリストによれば、ユダヤ人鉄道輸送の割り当ては、軍隊のそれよりも優先されていたのだ。

 全ヨーロッパからユダヤ人連行するということは当然、5つの絶滅収容所に彼らが到着するということでもある。列車同士のブッキングを防ぐため正確なダイヤグラム必要となった。ダイヤグラムの組み立てにあたっては、それぞれの収容所絶滅施設能力考慮に入れなければならなかった。ガス室があるといっても全員を短時間でガス殺できない収容所列車を付けるわけにはいかなかったかである

 ユダヤ人連行秘密裏に進められたので、大がかりな隠ぺいと偽装工作が行われることになった。連行される人びとに対しては、東方のどこかへ労働に行くのだという情報が流されていた。このためポーランド在住ユダヤ人ソ連領内のナチ占領地域に連れて行かれるのだろうと考え、他国ユダヤ人たちはナチポーランド労働のために送られると信じていた。ナチは、嘘がほころび連行不審感や不安感を持たれないよう、念の入ったことをした。 連行の途中あるいは収容所到着後何人かに対して、故国に残した家族あてに葉書を書くよう強要したのだ。家族が受け取ることになる葉書にはこうしたためてあった−「自分たちは元気に生きている。ここはただの労働収容所で、快適だ」− 差出人は数時間後にはもう生きてはいなかったのだが。

 強制連行の手順と方法は大体決まっていた。連行が迫っているという噂が数週間前から広まることもあったが多くの場合連行命令は予告なしに突然執行された。連行される人びとに与えられた猶予はきわめて短く、2、3時間かあるいは数分だった。まず、ユダヤ人たちは家を出て指定された場所に集合するよう命じられた。集合場所は大抵駅の近くだった。所持品は手荷物以外許されず、彼らは自分財産ほとんどを置き去りにするしかなかった。手荷物の重さは一人当り10~15キログラム制限されることもあった。荷物の中身は主に衣服、炊事用品、寝具などだったが、そこには仕事に使うための道具類も加えられていた。働きに行くだけだと信じていたかである

 重い荷物を背負い、包みを抱え、子どもも年よりも、ユダヤ人たちは駅までの何キロもののりを行進させられた。年寄り病人が荷馬車やトラックで隣村から運ばれてくることもあったが、行進は基本的には徒歩だった。行進から脱落した者はその場で射殺され、歩けない病人や隠れていた者も同様に見つかり次第射殺された。複数の小規模ゲットーで同時に連行が行われた場合、それぞれのゲットーの人びとは一つの集団にまとめられることもあった。こうした集団の隊列は長さ数キロメートルにも及んだ。天候は考慮されなかった。凍てつく冬の雨の中、焼けるような夏の太陽の下、隊列の行進は絶えることがなかった。

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