最近、「アメコミの多様性の方向性って、いわゆる『多様性の統一』(かみ砕いて言えば、おせち料理の具の多様性みたいなもの)じゃないの?」に対して「そんなことはない、アメコミにも日本の漫画並みの多様性がある」みたいな反論をする人々がいて、調べるとまあまあ、『最近は』色々な種類の漫画がみられるんだけど
ただ、これって調べていくとさ、別にアメリカのコミックに元々日本の漫画のような多様性があったわけじゃなくて、ようするに『日本の漫画を見たアメリカ人が「ああ、コミックでこういうことを表現していいんだ」と気がついて描き始めた』最近の動向のように思えるんだ。実際それ以前のアメコミには『ヒーロー系』と『(社会批判性の濃い)日常系』以外のものはほとんど見られない
つまり、そもそも(ポリコレ推進以前に)アメコミに多様性なんてあんまりなかったし、だからアメコミはフェミズムに基づく、表現を『さらに』不自由にする圧力を難なく受け入れたと
逆に、もし日本の漫画がアメリカにまったく浸透していなかったら、表現の場としてのアメリカのコミックはもっと悲惨な状況になっていたんだろうと