昔はヤマトとか佐川でバイトして短期で金貯めてやりたいことをやる、みたいな話はあったけど
やっぱりAmazonはじめ各地が送料無料をやり始めて運送コストをとにかく減らして目に見えにくくさせ始めたのが問題のスタートなんかね
焼き物の町の観光地近くでカフェを開業したが、ターゲットである20代~40代の観光客は来なくて、ジジババのたまり場になってしまったという嘆きの記事を読んだ。
自分が市場リサーチをサボったせいでおきたことを、田舎のせいにしている浅はかさに呆れが止まらない。
そもそも、観光地ではなく【観光地の近く】と言うのがまず地雷。
自分はその場所を気に入って楽しく見て回ったかもしれないが、その時、本当に周囲に観光客はいたのか?
立地を決める前に、最低でも一週間はその場所の様子を見て、本当にコンスタントに一定数以上の観光客が来るのかを見定めないとダメ。
観光客が来ても、その人たちが100%自分の店に入って注文してくれるわけじゃない。
それが本当にあるのかも考えていないように見えた。
その記事では、カフェで使っている食器は特産品の焼き物を使っているというが、そんな店、観光地には掃いて捨てるほどある。
なんなら、観光地の飲食店すべてがそうしている可能性だってある。
観光地でやっているのと同じことを、観光地から外れた場所でやっても意味がない。
向こうはその観光地で何年も店を構えていられるだけの特色とノウハウがある。
そんな魅力的な店ではなく、観光地から外れた自分の店に客を引っ張ってくるだけの【何か】が本当に自分のカフェにはあるのか?
例えば友人に、自分の店だとは言わずに有名店と自分の店のどちらに行こうか迷っていると聞く。
自分の店は観光地から外れるため、その店を目的に行かなければならない。
どっちにするか聞いて、友人の八割以上が自分の店だと言えばまだ望みはあるだろう。
でも、そうじゃなければ無理。
店に魅力がなさすぎる。
だから観光客が来ず、うるさい若者がいないから、年寄りが寄り付くのだ。
多分目標額は達成できると思うが、「本当は100万円ではリターン商品費用で赤字が出る、借金ができる」と漏らしている
300万円集まればリターン商品つくりつつ掲げている目的達成も出来るので当初は300万を目標額にしようとしていたが、
流石に300万は無理かもしれないと怖気づいて100万にしたとのこと
設定した目標額に満たなければクラファン不成立として返金になり1円も入らないタイプのクラファンサイトのため
このペースだと300万は集まらないだろうな
このクラファンはクラファンサイトのビュー数で上位になっており注目はされているが、コメント欄は同じ人が連投してばかり
ごく少数のガチ恋が熱心に投資してはいるが、お金ができるたびに少額ずつ入れているだけで金持ちではない
ガチ恋の一人はTwitterやってるが、ギリ健気味の、稼ぎは少ないが妻も子もない実家暮らしなので推し活に全てを注げるタイプ
300万到達まで応援は難しそうだ
それでも彼なりに頑張っているのだろう、それに対してある人と仲間たちのコメントは辛辣だ
本当は300万なきゃ得にならない、そんなのはクラファンが振るわない最近になって出てきた話だ
100万を目標にして全ての金を捧げているだろうガチ恋へ「お前の返礼品で赤字になるのはマイナスなんだよ」と文句をつけているように見える
嫌ならクラファンなんかせずに働いてろ、お前ら実質無職みたいなもんだろ
借金を背負う不安について、ある人は「頭痛と吐き気が止まらない」「寒気と大量の汗が吹き出る」と嘆いている
たまにはいいこというやんけ
ここでいう判断がどういう意味での判断かはっきりしないが、株価見て売買決定するプログラムみたいなのは中身見たことあるわけじゃないが恐らく最終的には数値比較による条件分岐をしているだけなんで、判断を下してるといえば下してるがこの定義に従うとif文含まれてるコードのプログラム全てがAIになってしまわないか?
特に、これらの活動が他者の権利や自由を侵害し、社会に不必要な対立や混乱をもたらしている点について、以下に説明します。
多くのトランス活動家は、トランスジェンダーの権利を擁護することを目的としていますが、その方法がしばしば過剰であり、他者の意見を抑圧する形で行われています。例えば、トランスジェンダーに対する疑問や異論を表明することすら許容されず、「トランスフォビア」として一方的に攻撃されることがあります。これは、言論の自由や学問の自由を脅かし、健全な社会的議論を封じるものであり、民主主義社会における自由な言論の基盤を危うくします。異なる視点や議論の余地がある問題に対して、抑圧的な手法を用いることは、社会の多様性や寛容さを損なうものです。
トランス活動家の主張の中には、女性の権利や安全を直接的に脅かすものがあります。例えば、トランス女性が女性専用の空間にアクセスする権利を強く主張することが挙げられます。これは、生物学的な女性が安全な空間を求める権利と衝突する可能性があり、女性たちの不安や懸念を無視するものです。ジェンダーアイデンティティを尊重することは重要ですが、それが他者の安全や権利を犠牲にするものであってはなりません。このような活動が無批判に推進されることで、女性の権利が後退するリスクがあることは見過ごせません。
トランス活動家の中には、科学的根拠に乏しい主張を展開し、それを広く受け入れさせようとする者もいます。例えば、「ジェンダーは完全に社会的に構築されたものであり、生物学的な性別は無意味である」といった主張は、多くの科学的研究によって否定されています。性別には生物学的な基盤があり、それを無視することは、医学的および社会的な混乱を招く可能性があります。科学的根拠に基づかない主張をもとに社会の規範を変更することは、無責任であり、長期的には多くの人々に悪影響を及ぼす可能性があることを認識すべきです。
一部のトランス活動家は、過激なレトリックを用いて社会的対立を煽る傾向があります。例えば、異なる意見を持つ人々を「敵」と見なし、彼らを排除しようとする姿勢は、社会の分断を深める原因となります。このような過激なアプローチは、トランスジェンダーの権利の正当性を損なうだけでなく、より広範な社会的理解や共感を得ることを困難にします。人々が互いに対立するのではなく、共通の理解に基づいて問題を解決するためには、対話と妥協が必要ですが、過激な活動家たちはその可能性を閉ざしています。
以上のように、トランス活動家の中には、他者の権利や自由を侵害し、社会に不必要な混乱や対立をもたらしている場合があります。トランスジェンダーの権利を擁護することは重要ですが、それが他者の権利や社会の安定を犠牲にするものであってはなりません。冷静で理性的な議論と、すべての人々の権利が尊重される社会の実現が求められています。