妹はいないので、父と母と私、三人で食卓を囲み、シチューを食べる。
そんな団らんのひとときが、休み明け、明日から頑張ろう!の源になる。
この和やかな雰囲気を、私は大切に思っている。
同年代の連中が惚れた腫れたでキャーキャー言っているのを横目に、私はひとり、料理やお菓子作りに精を出していた。
友だちが全くいなかったわけじゃないけど、自分から交流を広げようとはしてなかった。
数少ない親友に彼氏ができたとき、自分を置き去りにして彼女がどんどん可愛くなっていくのを見ていた。
変わったね・幸せそうだね・ガンバれ!とか言って、顔では笑っていた。
でも心は、ドラマの登場人物を演じている自分と、それをテレビでぼーっと眺めている自分に別れたみたいだった。
大学生になって、同性の友人に、彼氏いないの?って聞かれたとき、いません、って答えたら、
「あー、最近『いい出会い』が無いんだねー。わかるー」ってリアクションを返された。そういうことがよくあった。
出会う気もないし。
他人ごとなんだよね。
自覚があったし、それが許されてると思っていた。趣味はお菓子作りから、お裁縫、服作りに広がっていて、日々発見があった。視界が開けて、新しい世界がどんどん広がっていった。
自由に生きて、私は幸せなんだ。
何がいけない?
でも状況が変わったのは、2年前くらいから。
「アンタ、『いい人』いないの?」と、母が聞いてくるようになった。
大学出たての頃は、そういう空気はまったく出してなかったのに。
2年前に妹がいなくなった。
未来につながる可能性は、私一人に絞られたことになる。
以来、母は、帰るたびに聞くようになった。「アンタ、『いい人』いないの?」
いないよw
って答えると、「そう。『いい人』が見つかるといいね」と優しく返してくれる。母には私にプレッシャーをかけようという意識はない。
レモンティー淹れたけど、角砂糖はいくつ入れる? お風呂沸いたけど、アンタ先はいる?
みたいに。
「アンタ、『いい人』いないの?」
社内の飲み会から、送ってもらったついでに二人で飲み直す、という機会もよくある。
でも、最近は何かと言い訳をつけて、早めにその場を離れることにしてる。
ある同僚と酔って意気投合した事があった。彼は取り立てて魅力があるわけじゃないけど(失礼な言い方ですけど)、仕事ができて物腰が柔らかい、いわゆる”いい人”で、
恋愛対象としてみてたわけじゃないけど、その夜は二人で酔っ払って、一緒に笑い合った。
心から楽しめていたと思う。
でもその後、無理矢理ホテルに連れ込まれそうになった。
「いやです!」って振りほどいたら、「ごめんね、本当にごめん」といって開放してくれた。
けれど、次の日職場に行ったら、もうこれまでの関係は消えてた。
仕事で教えてほしいことがあっても「ちゃんと教えてあげられなくて、ごめんね」、改めてこちらから食事に誘っても「その日は忙しいから、ごめんね」、
何かあるごとに謝るようになってしまった(以来私は、彼のことを心のなかで「ごめんねさん」と呼んでいる)。
そういうことは一度や二度じゃない。
上司に誘われた事もあった。人気のないところであまりにしつこくて、怖くなった私が泣いて振り払ったら、逆に説教された。
頭をてっぺんまで真っ赤にしてまくし立てる内容は、大体において支離滅裂だったが、いくつか覚えてる。
「酔った女を口説くのが男の仕事なんだよ」「俺のせいにするな。男はこういう風に生まれついているんだよ」「そんなことだからいつまでたっても独り身なんだぞ!」
友だちに相談したら、その友だちの環境ではそういうことは無いらしい。
彼女のほうが見た目は美人で、ずっと女性らしいから、私の職場がおかしいだけなんだろう。
「でもその職場を選んだのは君だよね?」と言ってくれた友だちに対して、私は押し黙ることしかできなかった。
私は顔が日陰のくせに、胸が割りと大きいから、変な虫がよく寄ってくるのかもしれない。こっちはわたしのせいじゃないよね。
会う度に髪の毛が白くなっていく母をみて、このままでいいのかな、と思うことがある。
もういっその事、ハッキリ、「私には男と付き合う気も、結婚する気もないんだ。ごめんなさい!」って言い切ってしまえば、あとは丸く収まるかもしれない。
母は、別に孫が欲しいわけじゃないと思う。
私に幸せになって欲しいだけだ。
でも、中学生だった頃から父と付き合っていて、そのまま一緒になった母には、一人で生きる自由も、幸せも上手く理解できないのではないか。
そう思って、悩む。
悩むだけの価値が、あるつもり。
ロバストに生きるコツ。
ロンダ組がまともな結果なんて出さねーからだろうが、アホかお前は?
全く研究も何もしないの研究室に在籍だけするのはとても迷惑なんだよ。
だから、東大でもいいけど、もう、就職専用コースつくってやろうか?って教授たちが冗談で言ってるよ。
就職専門コースは研究室に所属させない、授業だけで単位上げる。授業料200万。
博士に進む、もしくは就職するにしてもきっちり研究を行ってその後その道の就職など、いずれにしろ研究をきっちり行う場合は
ただし、お情けで修論を認めたりはしない。
お前みたいなクソロンダがしゅうかつーとかほざいてたら絶対修了できないような(今でも本来修了できるレベルのやつはほとんどいないが)システムにする。
プログラムを書いた人がいるとする、完璧な人間などいないからバグが混入される。
でもバグが発生する。
しかもサービスインしてすぐに発生するならまだしも数ヶ月経ち、その人間は組織変更で別な部署に行ってからバグが発覚する。
この場合、バグを修正するのはその人間ではなく、そのプログラムをメンテすることを目的とする元の部署だ。
当然だ、人に仕事がつくのではなく、組織に仕事が紐づくからだ。
バグを入れた人間は当然ながら恨まれる。こんなしょっぱいコード書きやがってみたいなことを元の部署から言われる。
バグが修正されたらされたで修正した人から恩着せがましいことも言われる。
ただバグを入れた人間からするとその時にやれることはやっているし、こんなことまで言われなきゃいけない理由がない。
属人化しないため、責任を一人に集中させないため、コード技量を補完するためにやっているレビューやテストなのに、バグを書いた罪だけが属人する。
こんな状態だとチームでやっている意味なんかあるのかと思う。。
自分が思っているのは、誰かに属人させないためにレビューやテストをやっているなら同じチームに居るならバグが後々発生する事も覚悟してレビューやテストしろという事。
だいたいあってるじゃん。
他にも色々あるな。「楽しい仕事なんて無い」とか「与えられた仕事の中に楽しみを見出すべきだ」とか
「3年は辞めるな」とか、「**歳になったらダメ」とか、その他にも色々。
エイプリルフールは企業のサイトなども含めてもはやネット上では恒例のお祭り状態であり、今さら気合いを入れて嘘をつくことに新規性を見出せない。そこで、趣向を変えて、巷でよく見かける嘘にツッコミを入れてみる。ほとんどが非常に主観的な意見であることを念頭に読むべし。長文なので覚悟を。
はい、来ました、古典芸能レベルで繰り返されてきた嘘発言。別に「金で買えないものもある、それは愛だ」とか反論するつもりは無く、別アプローチから。この発言は「金でどうにかなる程度のことが私の世界の限界です」と言っているに等しい。発言者の世界が金で塞がれてしまっているだけ。
はい、ダウト。昔の若者が年上を尊重したのは、生きていくために必要となる知識へのアクセス方法が「先人に頼る」ぐらいしかなく、年上から色々聞かせてもらうことが有益だったから。今は年上から聞かせてもらわなくても色々な方法で知識は得られるので、尊重するメリットは少ない(無くはない)。そもそも「当たり前だ」って言い方がすでに思考停止の証拠。こういう発言をする年上とか、「苦労は買ってでもせよ」と言いながら笑顔で苦労を売りつけてくる人には気をつけた方が良い。
笑止。嫌なことを一生懸命我慢して耐えながら前進することをもって「頑張る」ことだと決めつけている人は多い。「頑張る」ってのは最良の結果に向けて努力することであって、我慢するかどうかとは別問題。逃げるのは悪いことではないし、時間が解決してくれる問題も多い。
まともに扱うのも馬鹿くさいレベルの嘘なので、↓のリンク先のコピペでも読んでくれ。
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51183524.html
個人的に、世の中が甘いってことを、全存在をかけて証明したいと思っているし、そういう世界であって欲しいと思っています。
ちょっと待て。本来ならみんなに使うハズのリソースを、問題を起こす生徒にだけ使っているのでは無いのか。教育を扱った美談には素行不良の生徒の更正をテーマにしたものが多すぎる。その影響を被っている真面目な生徒の損失は語られない。
これを嘘と言ってしまっていいのかは議論の余地あり。その感謝の正体は、自分が受けた嫌な思いを無駄だったと思いたくないだけの「認知的不協和の解消」です。それでも認められずその意見を主張するのも結構ですが、同じ行為を後進にするのだけは勘弁。体育会系の、自分が受けた理不尽を後進にも同様に押しつける伝統はこうして作られる。
それ自体がポジショントーク的な嘘。これを言う人は子供に「政治家の偉い人たちだって嘘をついているよ?」と素朴に問いかけられたら、どうするのでしょう。きっと無理矢理押し潰すのでしょうね。ドヤ顔で子供のわかりやすい嘘を指摘して悦にひたる大人は多いけど、次は彼らはもっと上手く嘘をつこうとするだけであり、伝えるべきは「嘘をなんかつかなくても良い」ということではないのか、と思う。
学生に勉強させたい気持ちはわからなくは無いけれど、大嘘である場合がほとんど。今からでも勉強すればいいだけの話。若い頃は未来に転嫁して逃げ、年をとったら過去に後悔して逃げ、結局今から逃げ続けているだけ。
相手のために何かを「してあげている」自分に酔っているだけ。自分のために生きろよ。何考えてんだ。
お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな、としか言いようがない。これも言っている本人は嘘だとは思っていないのだろう。ただ、無責任の極み。大切なのは、学生のうちしか遊べないような人生にならないようにするにはどうしたらいいか、ということだろう。私は大人になっても遊び続けます、と言い返せるぐらいの気骨があって良いと思う。
思いついた色々な嘘を扱ってみたが、まだまだいくらでもありそう。教育に関連する仕事に就いているので教育に関連するものが多くなってしまった。大人は無自覚に子供に嘘をつくものであり、それが現れたものだとご勘弁願いたい。
お前まだいたのかよ消えろ