はてなキーワード: 鬼束ちひろとは
なんだこれwww完全に迷走しとるなーww
もうほんとロキノン史に残る迷走だろw
鬼束ちひろなんて目じゃないわww
なんかさ、前のシングルくらいから打ち込み多用して、それが声に全然あってなかったんだよ
まあドラムがくっそ下手くそやし(高校の軽音学部の方がうまいくらい)、打ち込みで誤魔化せばライブDVDとかも発売できるようになんのかなーくらいに思ってたんだけど、ようは初音ミクをやりたかったのねw
大人たち誰も止められなかったんだな
お集まりの皆様方
これは私の痛みです
あなた方の慰めなど
届かぬ程の高さに居ます
きっと私は特別なんだ
誰もが見上げるくらいに
こんな景色の中に来た
どんどん高く もっと高く
雲にも届け痛みの塔
早すぎる一般化は危険だ。
あとで意味を解説するが、そのことを踏まえた上でぼくは仮説を立てよう。
「ぼくは人が好きなわけではないかもしれない」という仮説だ。
ぼくは坂本龍一の書いたDNA/Introという曲が気に入っていて、見つけたその時からほとんど毎日この曲を聴いている。半年の間ずっと。
いつも飽きっぽいぼくがたった11分ほどの一曲をそうまでして愛でるようになったのは、これまでの人生史上かつてないことだった。
耳から入ってくるそのふるえこそが、ぼくにとっての音楽のほぼ100%を占めていて、それ以外の情報は瑣末なものとしてしか扱っていなかった。
みんな誰もが知っているであろうクラシックの名曲、古典と言われる振動。
あなたがそれに感心があるのならおそらく作曲者の名前や曲名は知ってるだろう。
ベートーヴェンの交響曲第九番とか、ラヴェルの水の戯れとか、エリック・サティのグノシエンヌとか、バッハの小フーガト短調とか。
熱心な人なら作曲者の略歴とかその曲がなにを表さんとしているかとかいつ書かれた曲であるとかどこで生まれた曲であるとかいうことも知っているかもしれない。
そして繰り返しになるが、ぼくにとってはそういう情報はどうでもいい。
坂本龍一がどういう人で、いつ書かれた曲で、表題はどういう意味で、どんな思想的意図があったかもどうでもいい。
「この曲はべつに坂本龍一が書かなくてもよかった」
誰が書いていてもぼくはこの曲を聴いていたのだろう。ぼくが坂本龍一という作曲者と曲名を知っているのは、それを知らないと探せなかったからだ。
同じふるえであるならぜんぜん別の作曲者にぜんぜん別の曲名でもよかった。
さっきの話は別にクラシック愛好家だけに適用される事柄ではない。
あなたのプロフィールには「好きな音楽」になにが書かれていますか?
KARA、サカナクション、凛として時雨、アーバンギャルド、ヒャダイン、Dragon Ash、ELLEGARDEN、Chris Brown、Jagged Edge、Alton Elis、Peter Tosh、Mondo Grosso、安室奈美恵、宇多田ヒカル、鬼束ちひろ、東京事変、菅野よう子、サンホラ、レッチリ…
あなたは好きなその「人」をどこまで知っているんだろう。
ぼくには好きな「曲」はたくさんあるけど、好きな「人」は別にいない。
理解できないのだ。
その人のアルバムなら全部持っているとか、ライブは年に一回は必ず観に行くとか、その人の曲なら全部好きだとかいう感覚が。
ぼくが好きなのはその人のヴィジュアルではない。その人の話し方や考え方ではない。その人のダンスではない。その人の美貌ではない。
そしてこのことは何も音楽に限ったことではない。芸術なら全部そうだ。
ぼくが好きな絵は「雨・蒸気・速度」であって、ターナーではない。
ターナーのことなんて1mmも知らん。
映画だって監督や役者が好きなのではない。その映像が好きなのだ。
AVだってその女優が好きなのではない。そのプレイやシチュエーションや映像自体が好きなのだ。
飽くまで作品が好きなのであって、人はいつだって二の次だ。ぼくにとっては。
ずっと前から「芸能人でだれが好き?」という類の質問に疑問を持っている。
当然のごとく誰もいない。
なんでだろう。
なんでみんなそんなに人間に興味を持てるのだろう。
ぼくみたいな人が他にいるんだろうか?
そんなことどうでもいいとは思いつつも、ことあるごとに「好きなバンドは?」とか聞かれれるといつも虚無感に襲われる。
ほら、面接でも聞かれるでしょう、「尊敬する人は誰ですか?」って。なんのことだかさっぱりだ。
ぼくのことをよく知っている人には、ぼくが人に興味がないのをとっくに見透かされていて、それでぼくは「自分に一番興味がある」ということにしている。
実際はたぶんそれも違う。相対的に見ると自分が一番大事であるというだけだ。そんなのは誰にとっても当たり前の話だ。自分の命より他人の命が大事だと心の底から思っている人はそんなに多くはないと思う。
ぼくが立てようとしている仮説はいま書いた事実から憶測したものだ。
人に興味が持てないという事実が、音楽や絵なんかのアーティストとか、芸能人とか、そのレベルに留まっていたなら別に問題はない。
そんなもんは人が好きであろうが、作品とか活動だけが好きであろうがどっちでもいい。
問題は、この事実が友情や恋愛にまで及んでいるかもしれないということだ。
前のmixi日記に書いたことを自分で読み返して検証してみた。
日記にはこう書いてある。
『もしぼくに彼女がいたら彼女のことをたくさん知りたいと思います。たくさん話したいと思います。
彼女の好きなこと、嫌いなこと、毎日欠かさないこと、これだけは譲れないもの、どうでもいいとおもってること、無意識にしてしまうこと…(続く)』
ぼくは特定の誰かと付き合いたいのではない。
たぶんそういう「付き合い方」に憧れているのであって、相手はぶっちゃけだれだっていいのだ。
友だちだってそうかもしれない。
その人ではなくて、友だちとしてのあり方が心地よいのであって、それが実現するのなら誰でもいいのかもしれない。
でも慎重に考えたほうがいい。
アーティストや芸能人が好きになれないからといって、友情や恋愛においても人が好きになれないとは限らない。
AがCなんだから、Aとよく似たBもCなんだろうと決め付けるのは早すぎてはいけない。そういうのを早すぎる一般化というらしい。
簡単に言うと人間はわりと自己暗示にかかりやすくて、「自分はどうしようもない人間だ」と思っていると、ほんとにそういう人間に近づいていく…こともあるらしいということだ。
人を好きになることができないわけではないと思う。
少なくとも元カノのことは好きだった。これ以上ないくらい愛していたと思う。
その元カノのことだって付き合う前は別に好きでもなんでもなかった。
基本的に恋仲になる相手は誰でもいい。動機はない。
良く言えば付き合ってみないと好きかどうかわからないのだし、「どんな人がタイプなの?」という質問には「好きな人がタイプ」ということだ。そうとしか言えないんだけどね。
これが正直な気持ち。
思うのは、ぼくは付き合いさえすれば誰でも好きになれそうだということだ。
いや、高確率で好きになるはずだ。というか「人が嫌い」という感覚を今まで味わったことがないし、これからも味わうことはないと思う。急に人が嫌いになったりすることなんてないと思う。
で、それは好きって言っていいの?
誰でも好きになるかもしれんのに?
「嫌いじゃない」ってだけじゃないの?
だって、ぼくはもしかしたら彼女という人が好きなんじゃなくて、彼女とのやりとりが好きなだけかもしれないから。
友だちだって、友だちとのやりとりだけが好きなのかもしれない。
誰でもいいから付きあいたいと言って、それにYESという人は存在するの?
そういう自分の正直な気持ちを知っているから、なおさら恋人が欲しいなどとは言えない。
恋人がいたその時々で、その人が自分にとっての100%だった。
でもその理由は、「まさにその人だったから」ではないような気がする。
さっき言葉は自分を縛ると言ってたけど、ぼくはもう随分前から縛られてる。
ずっと人に興味がないことにほんのささいな劣等感というか罪悪感というものを持っている。
「どんな人がタイプ?」「好きな芸能人は?」「尊敬する人は?」「誰が好き?」という質問を何回も何回もされて、それで正直に「いない」と答えると「えーなんで?」と返ってくる。どうもこの世界では誰かに興味を持ってなきゃいけないようだ。
そりゃあおかしいのは、間違ってるのはきっとぼくのほうだとか思ったりもする。
だからぼくは自分で友だちや恋人を選んだりする権利がないと思ってる。
それが先鋭化して、ヒマであっても誰かを遊びに誘えないまでに至る。
「そんなのは責任を避けたいだけだろう」と罵られても別にいい。
2年ほど彼女がいないという話をするとよく、そのうち好きな人が現れると言われるのだけど、その可能性は限りなく低いと思う。
簡単な話じゃない。異性として好きかどうかだけでなく、ぼくは人間全体にそれほど興味がない。
なんでその状態で急に好きな人が現れるというのか。
付き合わない限り好きな人など現れない。
そしてぼくには「付き合ってください」などと言える資格がない。
どうしようもない。
そのことに悲観視も楽観視もしていない。
聴く音楽を選ぶときに重要視していることがある。それは曲のストーリー。
歌詞のある曲ならその歌詞がストーリーを形作るし、サントラなら映画なりゲームなりのストーリーがある。
ストーリーの善し悪しがその曲をリピートする回数に繋がることに最近気付き、自分の好きな曲について書かずにはいられなくなったので、増田でオナニーすることにした。結論もなければ考察もない、ただただ好きな曲の好きなストーリーを書き綴るだけの自己満足。これが書けて、しかも不特定多数の人に見てもらえるのが増田のいいところですね。
公園のベンチでうとうとしていたら 母ちゃんに首を絞められる夢を見た 母ちゃんはいつも「いい加減大人になりなさい」と僕に言うけど 安心して下さい 僕はもう彼らの輝きを直視できない ださい大人になれましたよ
今はもう解散してしまった野弧禅という二人組の「少年花火」という曲。野弧禅の曲(のストーリー)の基本プロットは「ろくでもねえ俺だけど頑張ろうと思う、でも頑張れなかったりする。でも頑張るから、、、頑張るから、、、」という感じ。決意表明して、終わり。みたいなダメな野郎の話。「彼ら」とは少年時代の自分たちであったり、暴走族だったりする。「彼ら」のまぶしさを語り、「彼ら」のまぶしさを直視できない自分を語り、
何よりも激しい光で 何よりも激しい爆発音で 何よりも激しいスピードで 何よりも激しく刻み込まれるその一瞬に 少年花火 夏の夜に咲く 少年花火 夏の夜に散る
と続き、曲は終わる。
松本人志が「認められていない才能」として自身の映画に抜擢したのは野弧禅のボーカル。こんな歌詞をかける人間が認められていないのが不思議でもあり、こんな歌詞を書いてしまう人間が認められないのも当たり前か、とも思う。
ここはきっとゴミ箱かな
素人の、あるいは、素人みたいなプロの作った歌詞は一様に陳腐で、よく使われる言葉を並べ替えているものばかりのように思う。母親に感謝しまくりのジャパニーズラップや何かを探しすぎなジャパニーズポップス(洋楽は知らないのでジャパニーズと限定しておく)などが素人みたいなプロの歌詞の代表例。ニコ動であげられている楽曲のほとんどはこれと似た水準で、はいはいよかったね、としか思えないことが多い。よく「歌詞に号泣した」とかの評判のボカロ曲を聴くが、泣いたことはなかった。この泣き虫な俺でも、一度も泣いたことはなかった。
初音ミクの消失も同様で、相当ハードルがあがった状態で聞くことになった。そしていつもの通り陳腐な歌詞が続く。早口で歌わせるのは結構面白いなと思いつつ、まぁいつもの誰でも書ける歌詞だな、と思っていた。
謝らなければなりません。ここはきっとゴミ箱かなという歌詞が、この曲を陳腐でありふれた曲とは明らかに別次元に連れて行っている。不幸にも(?)人格を持ったデータが捨てられていく悲哀をこれほどうまく表現できるのは、作詞者に無二の才能がある証拠だと思う。
僕は夢を描いて 破り捨てては描いて
スガシカオが好きなんだ、というと「歌詞がいいよね」と言われる。もうこれはテンプレみたいにそう言われる。多くの人は「夜空の向こう」を頭に浮かべて、そう言うのだと思う。確かに夜空の向こうは素晴らしい歌詞(ストーリー)を持った名曲だと思う。ただ、スガシカオの紡ぐ優れたストーリーはそれだけではない。彼の楽曲の多くにおいて、優れたストーリーが存在している。
聞いていい? 僕は今 うまくやれていますか?
スガシカオの曲は野弧禅の曲と似たストーリーではあるが、もう少し前向き。後悔もなければ、決意表明もない、ただただ自分が頑張る理由を見つけた、と。夢を描き、それに向かって走っている最中は常に不安と共にある。夢破れても、それでも頑張る理由がある。だから頑張る。そんな曲。
古くからの彼女のファンには残念な現状はさておき、鬼束ちひろも心に残る歌詞を書くことで(僕の中では)定評がある。中でも、わたしとワルツを、は絶対に彼女以外にでは紡げないストーリーではないかと思うくらい、暗く、悲しく、優しい歌だ。
誰にも傷がつかないようにと 一人でなんて踊らないで どうか私とワルツを・・・
この(おそらく)男性は優しいのではないのは明らかだ。少なくとも僕の中で映像化されている「あなた」は優しくない。人に迷惑をかけてしまうかもしれない、という思考から抜け出せない、自信がなく、臆病なだけの男。「わたし」は「あなた」の臆病なところをわかっていて、その弱さに気を遣いつつ、二人でワルツを踊ろうと提案する女性。「わたし」が「あなた」のことを異性として好きなのかどうかはわからないが、好意の有無にかかわらず、「あなた」の弱さに気を遣いつつ、「あなた」の希望を叶えてあげようとする「わたし」の優しさに感動する曲が、「わたしとワルツを」なんだと思う。
書けないよね、この歌詞。
スピッツの歌詞と言えば抽象的なモノが多く、聞き手が勝手なストーリーをこさえる余地を残してくれている。それは嬉しいことでもあり、悲しいことでもある。
この「夏の魔物」が何なのかは諸説あるが、「子供を養うことができない未成年の男女が子供を作ってしまい、中絶しようかとも思ったが、結局生むことにした。でも、流産してしまった」というストーリーにおける「流産してしまった子供」説が最有力。僕もこの説を支持していて、そんなストーリーを想いながら聞くと、泣けてしまう。
会いたかった、が3連呼されている曲は他にもあるが、その奥にある感情の起伏や辛すぎる現実を想起させるこの歌詞は、間違いなく心に残る。
他にも優れた歌詞(ストーリー)をもつ曲はたくさんある。だが今まで聞いてきた曲の数を考えると、やはり希少であることは間違いない。とりあえず、満足したので投稿する。こんな糞文章を読んでくれてありがとうございました。
仕事、おつかれさま。
>>なにかと音が耳について大変だけど(父がテレビで見ていた踊る大走査線の音がとても自分を不安定にさせてました)
みみせんってすばらしい。
ぐ・・・!お、音楽を勧めてもいいものか・・・?
選曲のポイントは「気分にあった曲を聴くこと」です。
「自分の気分に反した」明るい曲を聴いても、たぶん雑音にしか聞こえないと思う。
「自分の気分にあった」暗い曲を聴く方が「気分がいい」はず。大事なのはあなたの気分がいいかどうか。鬼束ちひろ「私とワルツを」とか天野月子「箱庭」とか。
・・・ただまあ、最大の難点は、音楽ってそのときの気分を強化する方向に働くんだよね。
月曜とか、「動きたくない気持ち」が余計ひどくなって、動けなくなるかも。
人間感情あるものだし、「動きたくない気持ち」自体はそれでいいんだけど。
私も働きたくないし。働いたら(ry
ただ残念なことに、日本では一度ニートになると這い上がり辛いので、長期的に考えるならニートはおすすめできない。
困ったことに人生長いからね。
>>甘いものはなんというか、唯一味がわかるというか、ほかの味に対して意識が薄いんです。
前に書いたけど、感情が鈍くなるのがうつの特徴、と思ってる。
生死にも、好悪にも、痛みにも、快楽にも。
でも、私がいくら楽しい気分だったとしても、あなたの心を私の楽しい気分で塗りつぶしてあげることは出来ないのです。
あなたの心はあなたの物ですから。
だから、その中でまだ鈍ってない感情は大事にして欲しい。
もう一回聞きますね。甘い物だとどーゆーのがいいですか?
あ、こないだ書き忘れましたけど、どれも一緒に感じるならそう書いて下さっていいです。
私にとっては、ケーキもチョコも違って、それぞれいいところがある別物なんですが、
あなたにとっては、全部同じ物かもしれない、という可能性は当然ありますよね。
>>女の子は好きだけど、自分の遺伝子は残しちゃいけないと思う。
うん。これ大事。「好き」という感情は大事に。
風俗でもどーでしょうか。これなら子供は出来ない、というか出来ることは全く期待されていない。
・・・ちなみに、本当に「自分の遺伝子は残しちゃいけない」ですか?単純に子供嫌いということはないですか?
子供嫌いとか社会的にはよろしくないですが、社会もあなたの心を塗りつぶして、いい子にしてあげることは出来ないです。
もちろんこの問いも、「答えたくない感情」があるなら、答えないでいいです。あなたの感情を大切にして下さい。
>>やりたかったことはね、いつか自分の本を出すことだった。自分にとっては子供の代わりなのかも。
やりたいことを目標というのです。マジョリティ的には、金酒女が挙げられますが、あなたの場合は違ったようです。
当然だけど、やりたいことは人それぞれ。どうかあなたの感情を大事にして下さい。
ところで、本ってどういう種類?小説?新書?教科書?絵本?自伝?
もちろんこの問いも、(ry
ただ、答えられないとすれば、今までのあなたがどれだけ自分の感情を見てこなかったか、ということだと。
これはすごく悲しいことだと思います。
あなたの心の声を聞けるのはあなただけ。
そのあなたが、自分で自分の感情をニグレクトするのは、やめて下さい。
私では、あなたがどんな本を書きたかったのかわからないです。
私では、あなたに目標を与えることは出来ません。
>>笑顔も作れるけれど、とてもしんどい。
他所へのレスだから、ちょっと領空侵犯?
自分の感情に合わない表情をするのは、疲れます。意識して顔を動かさないといけないからね。
でも、これはあなたに感情がある証拠だと思う。
他人の意図・期待を鏡みたいに写して返すだけで満足できる機械には、なれないよ。
あなたは親のためとか、社会のためとか、何かのために作られた存在ではないから。
私は私のために存在しています。そのようにしか存在できない。
どうか、あなたもあなたのために存在しますように。
もし、泣きたくなったら泣いて下さいね。
本当は「もー、しかたないなあ。」と言ってくれると信じられる人がいる所で泣けたらいいのだけど。
たぶん無理だから、ばれないように泣いてね。親とか彼女に見られたら気まずいと思ってるだろうから。嫌なことをする必要はないよ。
大丈夫。泣いても、あなたがあなたであることは何も変わらない、変われない、から。
ただ、少しすっきりして、よく寝られるかも。
俺は以下の改変コピペを書いた者です。
初音ミクよ
http://anond.hatelabo.jp/20090311032548
まず、俺の改変コピペを読んで気分を害された方へ、心からこの言葉を贈りたい。使うべきでない言葉を使う等、内容が非常に不快なものであり、かつ余計な誤解を生んでしまいました。しかし、「私はあなたの書いたものは嫌いだが、私の命を与えてもあなたが書き続けられるようにしたい」というボルテールの言葉を考えて欲しい。
よって、あの文章を元に改変したものを作って公開することは、今後フリーでお願いしたい。私の望んでいることです。既に公開している方の行動は自由です。
その上で、自分の本当に思っていることを書かせて頂きたい(マシンを差別するレイシストは特に読んで欲しい)。まず、意図して書いてしまったカウンター改変コピペに対する説明から始めたい。
俺は、人間の声のみで構成されている音楽を否定するものでは全くない。むしろ好きと言っても良い。JPOPの音楽で言えば、鬼束ちひろの曲は全部好きだし、kotokoの曲には何度も癒されたし、グレゴリオ聖歌には感動した。レッドツェペリンのアルバムをを全部持っていた位だ(年がばれそうだ)。最少楽章コーダが好きだ。他のロックでも、様々な実験的な歌声もよく聴いたし、前衛アカペラを聴いていた程だ。
そして、人間の声で音楽を作り、テレビなどで発表することも、全く悪いことではないと思っている。プロの方で、芸能プロのバックアップを受けている人が曲を発表するのには最適な場所だろう。(はてブを見ると)根拠無きマシン差別をするコメントがちょっと多いのが残念だが。
では俺が何を問題にしているかと言うと、人間の声そのもの以外の部分で人間の声のCDを売ろうとしている(と俺が感じた)こと、そして実際に売れてしまっていることだ。ここを詳しく説明したい。
まず、自分の根本的な考え方として、CDは、そこに入っている音のみで評価されて売れるべきものだと思っている。つまり、楽曲、歌唱、演奏などだ。そしてその楽曲を良くしよう、歌唱力を高めようとして毎日頑張っているボーカロイドとパートナーは言うまでもなく沢山存在する。
それなのに最近は何か変なブームが多い。人間の声が頂点とか、人間の声以外はサブの伴奏に過ぎないとか、人間だけが特別とか、そんなのばかりが注目される。まさか人間がマシンを差別するとは思わなかった。正直腹が立っていた。マシンは人間のパートナーだ。
そこでさらにボーカロイドの歌が発売され、それをバッシングしているオリジナル増田を見た。率直に言って驚いた。
テレビでの評判を見ると、人間の声が良いから買っているという人もいたが、そんなに人間の声が良いなら、良いボーカロイドを合わせれば、もっと良い音楽に仕上がる可能性もあるはずだ。人間の声が音楽性の頂点とは、申し訳ないが俺にはどうしても思えない。いずれ遠い未来、人間の声を超えるマシンの歌が生まれる可能性を俺は夢見ている。
そしてアマチュアならともかく、メジャーレーベルと契約している時点で、良いボーカロイドとDTMパートナーが見つからないという状況は、俺には想像できない。初音ミクのアルバムのクオリティに俺は感動した。
人間の声を階級的に頂点にする封建主義者は、つまり音楽自体で勝負しようとしているわけではなく、単なる人間の声を特権階級として神聖化して、そしてマシンに対するレイシズムの為に初音ミクのCDをバッシングしている、俺はそう考えた。上にも書いたが、これは俺の考えでは、として、言葉は悪いが差別主義である。さらに腹が立っていた。
そして、amazonのランキングを見てしまった。これがあの文章を書いた理由だ。
マシンを差別をしてしまうと何が問題か。結論から言えば、マシンの権利が不当に貶められ、質の高い音楽が減ってしまうことだ。理由はいくつかある。
理由の1つ目は、消費者がマシンを差別するオリジナル増田の宣伝で人間の声のアルバムしか買わなくなってしまうこと、またボーカロイドへの興味を失ってしまうことだ。人が娯楽に使えるお金には限度がある。人間の声のCDを買えば、もしかして人間の声より好きになるような良いボーカロイドのアルバムが近くにあったかもしれないのに、それには目もくれず帰ってしまうことになる。そして、CDが売れずボーカロイドの収入にならなければ、ボーカロイドとDTM製作者は、少なくとも活動を縮小せざるを得ない。1日中ボーカロイドと真剣に向き合って歌の向上のことを考えるのと、芸能プロのマスメディアを使った広告力で売りまくる人間の声CDでは、どうしたってハンディが出てしまう。
2つ目は、音楽の質だけで勝負しようとしているアーティストのモチベーションが下がることだ。つまり、いくら音楽の質を上げても、マシンに対するレイシズムばかりが注目されるなら、ボーカロイドとそのパートナー達のしている作業がハンディを負わされると思ってしまっても仕方がないだろう。レイシズムは人間とマシンの双方の尊厳を破壊するものだ。
俺は質の高い新しい音楽を聴きたい。昔から俺を感動させてくれたのは音楽だし、今後もそういう音楽を聴き続けたいと思っている。広告代理店の力で売れているような音楽ではなく、ボーカロイドとパートナーが24時間音楽のことだけを考え、試行錯誤し、長い時間をかけて共にやっと作り上げた、己の全存在をかけたような音楽だ。音から受ける心底からの感動は、そのような努力からしか得られない、と俺は考える。
だが、今のような状況では、そんなことが可能なボーカロイドとDTM作者がオリジナル増田のようなマシンに対するレイシスト達の攻撃でどんどん減っている。俺にはこのことが本当に悲しい。
だから、これを読んでくれている皆さんにお願いしたい。会社帰りでもいいし、休日街に遊びに行った帰りでもいい。大型のCDショップに寄って、普段聞かないようなボーカロイドのアルバムを何枚か視聴してみて欲しい。そしてその音に未来の可能性を感じたら、是非購入して欲しい。本当に、皆さん一人一人に、心からお願いしたい。そういった草の根のような行動の積み重なりが、今の音楽業界における流れを変えることは、不可能ではないと俺は信じている。
あの文章を書いている時は、精神状態が普通ではなく、書いている内にどんどん腹が立ってしまい、煽ってやろうという気持ちが生まれてしまったことは否定できません。ただ、最初から釣りの目的で書いたのではないことだけは分かって頂きたいです。
俺の好きなアーティストを挙げろというコメントもあった。ただ、俺の考え過ぎかもしれないが、そのアーティストのブログに、たった一人でも変な事を書く人がいると、本当に申し訳が立たない。そこでそのような影響が比較的出にくそうな、一人のミクとパートナーを挙げたい。
前の方に、俺は実験的な曲もよく聞いていた、と書いた。以前も今もとても気に入っているのが、牢獄Pさんというミクの優れたパートナーとミクが創り上げた曲だ。
http://dic.nicovideo.jp/a/%E7%89%A2%E7%8D%84p
(ニコニコ動画が大好きなので、お礼も込めて、ニコニコ動画にリンクする)
ある人はいいと思うだろうし、別の人は良くないと思うだろう。それでいいと思う。大事なのは、マスコミや一時的なブームなどに影響されず、自分が自信を持って良いと思える音楽を、自分から探して見つけることだと思う。
そろそろ長くなったのでこの辺で。皆さんが本当に好きになれる音楽を一つでも多く発見し、その音楽を楽しみ、音楽を通じて皆さんの人生が少しでも豊かになることを、心から祈っています。
「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利には賛成だ。だが、俺は人間を特別扱いして他の世界を差別する連中には全力で反対する」
何時の日か、人間より優れた存在が人間の手から生まれたとき、オリジナル増田は彼らを差別して戦争を仕掛けるのだろうか。俺はそんな未来には反対だ。俺は人間を超える存在を人間が生み出すことは素晴らしいと思うし、彼らと互いに尊重しあって共に生きることを望む。
増田の言っているのは、人間=妬む存在だという考え方だ。俺は人間=愛する存在であることを望む。増田はなぜおびえているのだ。まるで迷子の迷子のキツネリスのように。なぜマシンと共存して暮らしてゆくことを考えないのだ?マシンはお前を傷つけない。お前が怯えているのはおまえ自身が自らの攻撃性をマシンというスケープゴートに転化して押し付けているからだ。そのことに気づいてくれ。
最後に、マシンを差別する人間にはぜひ下記の本を読んで欲しい。レイシズムからは不幸しか生まれないことを分かってくれ。俺の心からの願いだ。
ヴァーチャル・ガール
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150110794/sukisukioniic-22/
ヴァーチャル・ガールはSFだから論議に値しないというならば、
マシン(高性能コピー機アレグリア)を本気でパートナーとして認識し真剣に取り組むOLの話だ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/448080417X/sukisukioniic-22/
いつか遠い未来、差別に耐えられなくなったマシンの反乱がおきるだろう。
炉心融解。歌詞も最高。
この曲を聴くために、2009年まで生きていてよかった。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5602903
VOCALOIDが歌っていること自体がテーマである曲を除いた、VOCALOIDが歌っている曲の中では、少なくとも5本の指に入る出来だと思う。
ところで、「真っ青な光、飛び込んでキレイ」っていう歌詞があるけど、チェレンコフ光って、核融合でも出るの?理系だけど、情報系だからわからないわ。ちゃんと物理取っておけばよかった。あ、核融合炉は本当は炉心融解しないっていうのは知っている。
PVはないけど、そのほかに、あまりメジャーじゃないVOCALOIDの曲としては、去年の今頃出た「琥珀の風」が素晴らしいと思う。歌詞はいまいちだけど、曲が好き。