はてなキーワード: 高賃金とは
最低賃金は、本来労働者が持つ価値以上の給料の支払いを経営者に強いるものなので、かえって低賃金の雇用を減らし、労働者を失業させてしまう。
生産性の向上や、転職の抑止のため、雇用者は水準より高い賃金を労働者に与えがちである。そうした賃金上昇に吸収され、最低賃金の上昇は予想ほどの悪影響を与えない。
最低賃金の上昇は、短期的には低賃金労働者が担う産業を壊滅させるが、長期的には産業を高賃金のものへとシフトさせ、生産性を増大させる。
(アメリカに限った話だが)ここ40年間のインフレの影響で、実質的な最低賃金はかなり低くなっている。ある程度の最低賃金の引き上げであれば、予想される最低賃金の悪影響は顕在化しない。
2001年にノーベル経済学賞を受賞したマイケル・スペンスによってはじめて分析され、
例として、ある人が難関大学卒であったり、スポーツに優れていたり、字が上手だったりする場合、
その人が学力や体力や字の上手さにおいてだけでなく、人格的にも優れていると思い込んでしまうケースが挙げられる
(それらの事柄と人格的に優れているか否かは、ある物体の色と形が互いに独立の事柄であるように、互いに独立の事柄である)。
また、有名人やタレントを通じたCMや広告がその商品やサービスを
実際に使ったりしたことがないにもかかわらず良いイメージを与える。
それによって購入意欲を刺激したり、購入したりする。
一方、CMに起用されたタレントが不祥事を起こしたりすると、商品自体に何の不満も覚えていなかったにもかかわらず購入意欲が削がれたりする。
原文: Schumpeter blog: Angst for the educated(http://www.economist.com/node/21528226)
裕福な国の何百万人もの卒業生が、泣く泣く両親に別れをつげて、大学での新生活を始めようとしている。学生の一部は純粋な学問への愛ゆえに大学に向かうのだろう。しかし、ほとんどの学生は、大学で3年か4年過ごせば、そのために多額のローンを組むことになったとしても、実入りのいい安定した職に付ける見込みが強くなるのだと信じて大学に進んでいるのだ。
大人たちは常に「教育こそがグローバル化した社会で成功をつかむための最良の道だ」と子供たちに言い聞かせてきた。そしてこのお馴染みの話は次のように続く。ブルーカラーの仕事はやがてオフショアされるか機械化されてしまうし、中退したら金に困る一生を送ることになる、世を勝ち抜くのは学士号を手にしたエリートだ、と。これは証拠によって支持されている見解でもある。ジョージタウン大学の教育・労働力センターが最近発表した研究によれば「中等教育以上の学位を取得すれば、ほぼ必ず十分なリターンが得られる」という。学歴と収入には強い相関関係があるのだ。専門学位をもつアメリカ人の生涯賃金は360万ドルだが、高卒の場合はせいぜい130万ドルでしかない。さらに、学位を持てるものと持たざるものの差はますます広がりつつある。2002年の研究では、大卒は高卒の1.75倍の生涯賃金を得ているという結果が得られたのだが、今日ではこのプレミアはさらに大きくなっている。
しかし、過去というガイドは未来において役に立つだろうか? むしろ、私たちは仕事と教育の関係が変化する時代の境目に立っているのではないだろうか? 実際のところ、古いパターンが変わりつつあり、今は不況によって引き起こされている西欧社会の大卒需要低迷という事象も構造的なものに転化しつつあるのだと考えるべき根拠は十分にある。数十年にわたって多くのブルーカラー労働者を揺さぶり続けた創造的破壊の強風は、今や教育エリートにも牙を向こうとしているのだ。
大卒者の供給は急速に増大しつつある。高等教育統計によれば、1990年から2007年の間に、大学に進学する学生の数は、北アメリカでは22%、ヨーロッパでは74%、ラテンアメリカでは144%、アジアでは203%に増大したという。2007年には世界中で1億5000万人もの人が大学に通い、そのうち7000万人はアジアの大学に在学している。経済的新興国、中でもとりわけ中国は欧米のエリートに対向しうるだけの大学の育成にリソースを注いでいる。この新興国では、タタ・コンサルタンシー・サービスやインフォシスのような専門サービスを業とする会社も生まれつつあり、これらの会社は新卒生を世界クラスのコンピュータープログラマやコンサルに育て上げている。詰まるところ、富かな国の最優秀層は、より少ない賃金で沢山働いてくれる貧しい国の最優秀層と競合しつつあるのだ。
同時に、教育を受けた労働者の需要のあり方もテクノロジーによって変わりつつある。この状況は19世紀に農業労働者が直面し、20世紀に工場労働者が直面したそれと非常に似ている。コンピューターは反復的な知的作業のみ成し得るというわけではない。コンピューターは、アマチュアにプロのごとく仕事をこなせるようにする力を与えるのだ。どうして生身の会計士を雇って納税申告をしてもらう必要があるだろう? そんなものは、Turbotaxを使えばわずかな費用でやれるのだ。今後、論調と言語的曖昧さを処理できる機能が備わるようになれば、コンピューターがこなせる仕事の種類は今の何倍にもなるだろう。
Paul Krugmanを含む経済学者の一部は、ポスト工業化社会の特徴は絶え間なく続く知的労働者需要の増大ではなく、巨大な「空洞化」にあるのだと論じている。この「空洞化」は、中級職が賢い機械によって取って代わられ、上級職の増加が鈍化することによって起こるのだという。MITのDavid Autorによれば、このコンピューター時代におけるオートメーション化の主たる効果は、ブルーカラー職の消失というより、ルーチン化できるあらゆる職の消滅にあるという。プリンストン大のAlan Blinderは、低賃金の仕事よりも、大卒が伝統的にこなしてきた仕事の方が比較的「オフショアしやすい」と論じている。配管工やトラック運転手はアウトソースすることができないが、プログラマの仕事ならインドに頼むことができるからだ。
大学教育は、未だに医療・法・学問といった巨大なギルドの入会資格になっていて、このギルドは安定した高賃金な職を生み出している。これらのギルドは前世紀において非常に強力な参入障壁として機能してきた。この障壁は時には正当な目的に出たものだったが(誰も床屋に手術されたいとは思わないしね)、他方で自分たちの利益を目的としたものでもあった。しかし、ギルドは次第に没落しつつある。新聞はブログとの戦いに負けつつあるし、大学はテニュア付きの教授をテニュアの無い職に置き換えつつある。法律事務所は「discovery」(訴訟に関係のある資料を探し出す仕事)のようなルーチンの仕事を、Blackstone Discoveryに代表される電子検索の専門集団に外注しはじめている。医者ですら安泰ではない。患者たちはオンラインでアドバイスを受けた上で、ウョルマートの新しい医薬品センターを利用して治療を求めるようになりつつあるからだ。
MITのThomas Maloneは、このようなオートメーション化・グローバリゼーション・自由化といった流れは、もっと大きな変化 - すなわち「知的労働の分業化」という流れの一局面かもしれないと論じている。アダム・スミスの工場マネージャがピンの生産を18の手続きの分割したように、企業はますます知的労働を細切れにしつつあるのだ。例えば、TopCoderはITプロジェクトを小さな塊に分けたあと、その細切れをフリーランスのコーダーに分配するという方式を採用している。
このような変化は間違いなく知的労働者の生産性を高めるだろう。消費者はサービスに対して高い対価を要求する専門家ギルドを避けて通れるようになるし、多くの知的労働者は退屈な仕事を外注することで自分の最も得意な仕事に集中できるようになるのだ。しかし他方で、この知的労働の再編の流れは、次の世代の大卒者の人生を、はるかに不確定で安住できないものにするのだ。
加工貿易でメシを食うしかない以上、新製品・新技術の開発によって、商品を更新していく以外にない。
その為に必要な環境を整えるのが、政治の役割であるが、バブル崩壊後の日本の諸制度は、新製品や新技術の開発のリスクを極大化する方向に進んでしまった。
新製品や新技術を開発することが不合理となるのであれば、高賃金の従業員を抱え込む必要はないし、従業員を抱え込まないで良いのであれば、国内に工場を置く必然性もない。
基軸通貨に挑戦するユーロが現れたという外部事情もあったが、日本国内の産業を弱める方向性で、制度が改廃されていった。
自民党に対して国民が愛想をつかしたのは、このためである。個別の政策においては合理的であっても、全体を通してみると、不合理であったり、必要な施策が欠けている為に、結果的に逆効果であるといった、作為・不作為が続いていた。
しかし、政権交代をさせてみても、新与党は自民党時代よりも状況を悪化させてばかりであった。
日銀をせっついて円売り介入をさせようとしているようだが、単独介入の効果はスムージングであって、相場のモメンタムを変えられるだけの力はない。
協調介入は、新技術や新製品が出てこない以上、円高で困るのは日本だけなので、ドルもユーロも協調する必然性がないし、今の日本政府とは、どんな約束も出来ないと理解している。
円高になってもびくともしない競争力を維持する為には、新製品・新技術が常に必要であり、新製品・新技術の開発力は、加工貿易国家である日本の生命線である。
この観点から、物事を考えるようにしなければ、国民の支持を得られる改革にたどり着く事はない。
[2010.8.13]
これらの問題を解決する為に、児童相談所や年金基金や民生委員に、強制調査権を付与する法改正をするという話が出ているようである。
家族の絆が崩壊している状態が問題なのであって、その原因は、現行民法や年金制度といった、社会制度の方向性が間違っているという点にある。
国民が求めている改革は、社会制度の方向性を改める事なのに、声の大きい一部の陳情者や官僚機構の求めている改革ばかりを進めるというのは、自民党の末期と同じ間違いをやらかそうとしているという事である。
児童相談所や年金基金や民生委員に強権を与えて、取り調べる権限をもたせても、問題は解決しない。それどころか、そういった施設で働く幹部管理職として、官僚の配偶者や子供といったコネ採用の人が高賃金でのさばり、問題があった時に切り捨てられる現場責任者として、パートタイマーの低賃金労働者が雇われるだけで、それらのコストは、全部税金から出る事になる。
家制度を破壊し、核家族化を進める法制度や社会制度の欠陥が、育ててもメリットが無いから育児放棄されて死亡する幼児や、行方不明になって野垂れ死にしていてくれた方が年金や公務員恩給を何十年でも不正受給できて得という所在不明老人の発生となっているのである。
人民の行動は常に実利を追い求め、制度によって誘導される。だから、正義と道理に沿う事が実利になるように、制度は常に改廃されていかなければならない。
100歳以上の高齢者に、面会をして確認せよといっても、そのとき面会した相手が、本当に100歳越えの高齢者本人かどうかを確認する方法は、どこにも無い。国民全員の指紋や網膜パターンを取って、全員のデータを照会して、ダブりを排除するという犯罪捜査をやらなければ、このやり方では、真実性を確保できない。
弱い所を補強する為に、税金を湯水の如くに使ったり、強権を与えたりするのではなく、弱い所を作らない事、税金を使わないこと、国家権力の濫用をさせない事こそが、求められている改革である。
政治とは、税金の使い道を決める事ではなく、核家族化を進める間違えた制度や、著作権法や特許法といった時代の間尺にあわなくなった法制度を改めることである。立法府の仕事は、法律の改廃であって、税金をばら撒く事ではない。
赤字国債を発行しない為に予算を削れという前に、税金を使わなくて済むように制度の改廃をしろと命じる事が、官僚の正しい使い方である。これは、正式な命令として出さなければならないし、それが実現すると天下り先がなくなるから、退官後に市会や県会の議員になるという身の振り方も、命令権者である大臣が準備しなければならない。
[2010.3.31]
頭が悪いんじゃないかという疑念が確信に変わる時というのは、見えている筈の現実を見ず、自分の中にだけある現実を優先して行動を取り始める瞬間と言える。ボケ老人には、ボケ老人にしか見えない現実があり、彼等の行動は、彼等自身にとっては正しい行動なのである。
若年性健忘症と痴呆症の集まりである内閣が、またしても間抜けな発言をしている。
デフレはお金の循環不全が原因であるという認識は正しい。市場任せではお金の循環不全は解消できないというのも、正しい。ここまで正しい認識が出来ているのであれば、お金の循環を妨げている規制や許認可を改廃しなければならないという結論に行くと、普通は考えるのだが、ここで予想の斜め上に進む。
税と財政出動でお金の潤沢で安定した循環をもたらすというのである。
政府がお金をばら撒き、ばら撒いた分だけ税として回収するというのは、所得の再分配でしかない。これで仕事と雇用を生み出せるというのだが、肝心の富を、誰も生み出していない。徴税と分配という行為は富を生み出さないのだから、そのために働く人が幾ら増えても、本質的な富は発生していない。社会にぶら下がり分配を受けるだけの人が、一番利益を受けるという、不健全な社会になってしまう。
法人税が高いから企業が逃げる、だから法人税を引き下げなければならないという主張によって、法人税率は引き下げられてきた。同様に、所得税や消費税が高いから、国民が逃げるとは思わないのであろうか。
消費が減る分だけ、貯蓄が増えている、貯蓄するぐらいなら税として巻き上げて、分配すれば景気が良くなるという考え方らしい。金融機関が運用しなければならない資金は増えているが、個人の貯蓄は増えていない。これは、設備投資や研究開発投資が止まっていて、企業の内部留保が金利収入を求めている為である。さらに、景気対策として大量に出された政府融資も、ここに入っている。こういった現金資産は、リストラの為の資金でもある。雇用を維持するよりは、勧奨退職を行って、多少の割増賃金を支払ってでも、高賃金の労働者を解雇した方が、制度・環境的に正しいとなってしまっている。つまり、現状の日本経済に、どんなにお金を注ぎ込んでも、リストラ資金が積み上げられるだけなのである。
退職金を貰った人は、一時的に貯蓄が増えるかもしれないが、その貯蓄は、新しい仕事が見つかるまでの生活費や、ローンを繰り上げ償還する為の経費でしかない。継続的に入ってくるお金ではないのだ。新しい仕事が見つからなければ、それらの貯蓄や資産を食い潰した後は、生活保護を受けるしかなくなる。
参議院選挙までに、選挙公約に反し、国民に不人気な法案は、全部通させるつもりなのであろう。当選回数が多くて言うことを聞かない生意気なのを全て内閣に押し込んだのは、この為だったのかもしれない。
衆参同日選挙にして内閣に入っていたのは全員討ち死にとなれば、民主党内で小沢幹事長に歯向かう者は居なくなる。参議院で単独過半数が維持できていれば、たとえ衆議院を自民党に取られたとしても、ねじれているのだから、それまでに通した法案を廃止する動きは、全て止められる。何も出来ないという批判が強く向かうのは常に衆議院であり、次の衆議院選挙までに、討ち死にした議員の選挙区の公認に手下を埋め込み、金権選挙を繰り広げれば、独裁体制が固められる。
今日、党首討論が行われる。この主張は財政再建派であり、経済政策において現内閣と自民党は同じという事になるのであれば、内閣を平気で切り捨てられる民主党の方に分がある。自民党が財政再建派である限り、一時的に衆議院と内閣を自民党に渡しても、短期間で破綻するからである。
という類の「ユニクロ悪玉論」は、けっこう広く支持されてるんですね。後藤田正純氏のように「安売りを規制しろ」という政治家は多く、内閣府参与になった湯浅誠氏も公然と海外移転禁止論を主張しているので、民主党もそのうち言い出すでしょう。
こういう人々が錯覚していることを証明するのは簡単です。たとえばユニクロの海外生産を禁止したら、どうなるかを考えればいい。中国の工場の賃金は日本の1/5程度らしいので、これをすべて日本で生産したら、1000円のジーンズは5000円ぐらいになるでしょう。消費者は買わなくなるので、ユニクロの売り上げは落ちます。そうすると経営が苦しくなって従業員は解雇される――これによって、いったい誰が得をするのでしょうか。
彼らの錯覚の原因は、内外価格差を「デフレ」だと思い込んでいることにあります。ユニクロが低価格で売れるのは、グローバルな相対価格の差を利用した価格競争であり、貨幣的なデフレではありません。価格競争で安い商品が勝つのは市場経済のルールであり、競争を禁止して高い商品を守ることは消費者にとって有害なばかりではなく、企業の国際競争力を弱め、最終的には日本の産業全体が沈没します。
それが今、まさに日本経済に起こっていることです。正社員の賃金が労働生産性をはるかに上回っていることが企業収益を圧迫しているのに、労働生産性に近い賃金で働く非正社員が「かわいそうだ」とメディアが騒ぎ、それを禁止しようとする。いつまでたっても国内の高賃金が正しく、新興国の低賃金が間違っているという天動説が抜けない。
残念ながら、日本政府が「正しい賃金」を決めることはできないのです。衣類のようなグローバルな商品の価格は国際的な相場で決まり、その価格で競争できない企業は退出するしかない。これは水が高いところから低いところへ流れるのと同じで、せき止める方法は保護主義だけです。今まで日本は、複雑な商慣行などの非関税障壁によってこうした水位差を巧みに守ってきましたが、その堤防が決壊したことが「価格革命」をもたらしているのです。
これをデフレと取り違えて「日銀がお札をばらまけ」などと叫んでいる人々は、日銀がユニクロの安売りを止められるとでも思っているのでしょうか。たしかに、いま起こっている価格革命は多くの企業に事業再構築を強いるもので、愉快な出来事ではありません。
しかし、かつて日本企業が欧米に低価格の自動車や電機製品を輸出したとき、彼らは同じ経験をしたのです。そのとき「貿易摩擦」を言い立てて日本からの輸出を妨害したGMは、経営破綻しました。
これまで日本が繁栄してきた最大の原因は自由貿易の拡大であり、それを元に戻すことは可能でもなく望ましくもない。むしろ日本が成長するには、新興国の関税を撤廃させる自由貿易協定(FTA)などによって輸出を拡大するとともに、現地生産によってコストを下げてグローバルな競争に勝ち残っていくしかない。競争を妨害してユニクロを非難していると、日本中の企業がGMのようになるでしょう。
クルーグマン「良い経済学 悪い経済学」p53(日経ビジネス人文庫)
経済の概念に対する誤解がいくつもある。たとえば、世界市場で競争している産業の生産性は、貿易の対象にならないサービス産業の生産性よりはるかに重要だとプレストウィッツは主張している。輸出産業の賃金によって、経済全体の賃金水準が決まるのがその理由だという。たとえば、アメリカは第三世界に比べて、製造業労働者の生産性がはるかに高いので、アメリカの理容師も、生産性の面でそこまで優位に立ってるわけではないが、高賃金を得られるという。
先進国の床屋が途上国の床屋より何倍も稼ぐのは、先進国の世界市場で競争してる製造業が生産性を大幅に押し上げ、それがさほど生産的でもない床屋に、ずっと高い賃金水準をもたらす、と言うのは誤解か。
この誤解って、一向になくならないよな。
マクロ経済学って、難しいね。
しかし、プレストウィッツは、逆の関係も成り立つことに気が付いていない。サービス業の生産性は、製造業労働者の実質賃金に影響をあたえているのだ。アメリカの製造業の生産性は高いが、理髪業の生産性はそれほど高くないため、高賃金の理容師がはたらくアメリカの理髪店では、第三世界の理髪店に比べて、散髪代がはるかに高くなっている。この結果アメリカの製造業労働者の実質賃金(つまり散髪も含めて、どれだけの財とサービスを購入できるかという基準で見た賃金)はアメリカの理髪業の生産性がもっと高かった場合より低く抑えられる。注意深く考えていけば、実質賃金は経済全体の生産性によって決まることが分かるはずだ。製造業の生産性、あるいは貿易の対象になる産業全体の生産性を特別に扱って、他の産業の生産性以上に注目すべきだとも、支援策をとるべきだとも言えないはずである。
クルーグマン「良い経済学 悪い経済学」p53(日経ビジネス人文庫)
経済の概念に対する誤解がいくつもある。たとえば、世界市場で競争している産業の生産性は、貿易の対象にならないサービス産業の生産性よりはるかに重要だとプレストウィッツは主張している。輸出産業の賃金によって、経済全体の賃金水準が決まるのがその理由だという。たとえば、アメリカは第三世界に比べて、製造業労働者の生産性がはるかに高いので、アメリカの理容師も、生産性の面でそこまで優位に立ってるわけではないが、高賃金を得られるという。
先進国の床屋が途上国の床屋より何倍も稼ぐのは、先進国の世界市場で競争してる製造業が生産性を大幅に押し上げ、それがさほど生産的でもない床屋に、ずっと高い賃金水準をもたらす、と言うのは誤解か。
この誤解って、一向になくならないよな。
マクロ経済学って、難しいね。
しかし、プレストウィッツは、逆の関係も成り立つことに気が付いていない。サービス業の生産性は、製造業労働者の実質賃金に影響をあたえているのだ。アメリカの製造業の生産性は高いが、理髪業の生産性はそれほど高くないため、高賃金の理容師がはたらくアメリカの理髪店では、第三世界の理髪店に比べて、散髪代がはるかに高くなっている。この結果アメリカの製造業労働者の実質賃金(つまり散髪も含めて、どれだけの財とサービスを購入できるかという基準で見た賃金)はアメリカの理髪業の生産性がもっと高かった場合より低く抑えられる。注意深く考えていけば、実質賃金は経済全体の生産性によって決まることが分かるはずだ。製造業の生産性、あるいは貿易の対象になる産業全体の生産性を特別に扱って、他の産業の生産性以上に注目すべきだとも、支援策をとるべきだとも言えないはずである。
クルーグマン「良い経済学 悪い経済学」p53(日経ビジネス人文庫)
経済の概念に対する誤解がいくつもある。たとえば、世界市場で競争している産業の生産性は、貿易の対象にならないサービス産業の生産性よりはるかに重要だとプレストウィッツは主張している。輸出産業の賃金によって、経済全体の賃金水準が決まるのがその理由だという。たとえば、アメリカは第三世界に比べて、製造業労働者の生産性がはるかに高いので、アメリカの理容師も、生産性の面でそこまで優位に立ってるわけではないが、高賃金を得られるという。
しかし、プレストウィッツは、逆の関係も成り立つことに気が付いていない。サービス業の生産性は、製造業労働者の実質賃金に影響をあたえているのだ。アメリカの製造業の生産性は高いが、理髪業の生産性はそれほど高くないため、高賃金の理容師がはたらくアメリカの理髪店では、第三世界の理髪店に比べて、散髪代がはるかに高くなっている。この結果アメリカの製造業労働者の実質賃金(つまり散髪も含めて、どれだけの財とサービスを購入できるかという基準で見た賃金)はアメリカの理髪業の生産性がもっと高かった場合より低く抑えられる。注意深く考えていけば、実質賃金は経済全体の生産性によって決まることが分かるはずだ。製造業の生産性、あるいは貿易の対象になる産業全体の生産性を特別に扱って、他の産業の生産性以上に注目すべきだとも、支援策をとるべきだとも言えないはずである。
クルーグマン「良い経済学 悪い経済学」p117-p118(日経ビジネス人文庫)
賃金はその国の平均生産性によって決まってくるのであって、ひとつの工場の生産性によって決まるわけではない。ある国に最先端の工場がいくつかできても、その国の平均生産性はそれほど上昇せず、したがって、賃金が高くなるとは予想されない(そして、全体的な生産性は低くても、小数の製品でアメリカに近い生産性を達成できた国は、そうした製品を輸出するのが通常である。経済学ではこれを比較優位と呼ぶ。)
プレストウィッツによると、アメリカは第三世界に比べて、製造業労働者の生産性がはるかに高いので、アメリカの理容師も、生産性の面でそこまで優位に立ってるわけではないが、高賃金らしい。
クルーグマンによると製造業の生産性、あるいは貿易の対象になる産業全体の生産性を特別に扱うのはよくないらしい。また、最先端の工場がいくつかできても、その国の平均生産性はそれほど上昇しないらしい。
日本の床屋や官僚がガーナの 20 倍稼ぐのは、生産性が 20 倍だからではありません。両者の生産性は似たようなもので、せいぜいが倍ってとこでしょう。
そこでぼくは、全体としての賃金水準がその経済の平均的な生産性で決まるんだと指摘しました。そしてその平均的な生産性を押し上げている要因の大きな部分は、製造業の生産性です。トヨタやソニーや任天堂が、ガーナでの相当産業(またはその他貿易財製造業)より何万倍も高いから、それが平均的な生産性を大幅に押し上げ、それがさほど生産的でもない他の職業についても、ずっと高い賃金水準をもたらすんだよ、と。
山形によると日本の床屋や官僚がガーナの 20 倍稼ぐのは、製造業が平均的な生産性を大幅に押し上げ、それがさほど生産的でもない他の職業についても、ずっと高い賃金水準をもたらすという事らしい。
結果として高収入を貰ったAグループはほとんどの人間が「つまらない」「二度とやりたくない」などの否定的な内容だった。
しかし低賃金で働かされたBグループは「やりがいを感じた」「みなでやり遂げた達成感が大きかった」などの肯定的な内容がほとんどだった。
これ有名な話ではあるけど、どこまでが本当なのかな。
条件によって話がかなり変わってくると思う。
仮に高賃金の時給が3000円とか4000円だったとしたらどうだろうか。
それでも「二度とやりたくない」という人が多いのだろうか。
俺なら「つまらないけどそれでこれだけ金がもらえるならまたやりたい」ってなると思うけど。
逆にめちゃめちゃ仕事したのに時給100円だったらどうだろうか。
それでも「やりがいを感じた」とか言えるんだろうか。
っつーか俺めっちゃ給料安いけど、やりがい度ナッシングなんですけど。
もひとつ。「google:"論理的不調和"」でぐぐっても心理学系以外で3件(実質2件)しかヒットがないのだが、
どっか間違ってない?