はてなキーワード: 若さ故の過ちとは
多くが「中二病は悪」という共通認識をもち、自らのそれを大人になるまでの時間で徐々に修正する・・・そういう先人の残した指針としての機能が確かにあった。
中二病の明確な定義は難しいが、おおよその場合「強固な自我の芽生えに伴い発生する欲求、自尊心や自己肯定感との付き合い方を失敗したケース」を指している。
・洋楽を聞く、感情がなくなる、眼帯をする(人と違うことをすることで承認欲求を満たそうとする)
上げればキリがないが、これが派生すると
・チームで共通の目的を目指す際に失敗はチームメイトのせい、成功は自分のおかげのように振る舞う。責任を負うことを過度に嫌う(他者を害してまで自尊心を守りたがる)
・DQNになる。評論家気取り。(自己が他者に優先すると錯覚する、それを誇示したがる)
など、周囲に害を振りまくタイプにもなる。
逆に強く厨二病を意識していた人はそれを恐れるあまり自己を過小評価し所謂陰キャのようになってしまうことも有ったのだろうが。
ともあれ、実際の所こうした類の人間は中学生に限らず多くいる。
そして彼らを見て「やり直しの効く年齢の時点である程度矯正しておいてよかった」と心底思う、それが中二病を支持する理由だ。
若さ故の過ちを全て「中二病」と称することで「今では笑い話」「既に完治した」という許しを得るために使う。
悪く言うつもりなら中二病なんて言葉を使わずともいくらでも叩きようがある。
近年それを理解できずに過剰反応してしまう人が多く露出するようになった、敢えて増えたとは言わないが。
もちろんリアルで口にするにはリスクのある言葉で、それを分かっているが故ネット上でのみそのやり取りを行うのだからそういう人がいることも織り込み済みではある。
その上で触れられたくない部分に無神経に踏み込んだ人が悪いのは間違いないが、もし「中二病」という言葉への理解のなさ故に生まれた軋轢であるなら
それは少し悲しいことだと思う。
近年はアニメの影響で中二病という言葉が誤って広まってしまった。
言ってみれば中二病の光の部分、クリエイティブな人たちが作り上げた「恥ずかしいけど悪いことではない」という上澄みを中二病の全てであるように認識してしまっている。
人は自分が「善」だと思っていることを他者から「悪」と呼ばれることを極端に嫌う。
中二病を善ないし悪ではない、と考えているとすれば「中二病は悪」という言葉は暴力的なレッテルに映ることだろう。
繰り返しになるが前提の共有を怠った側に非があるのは言うまでもないが、本来許しであったりなるべく傷つけまいとした助言であったものが全て悪意に変換されているとすればあまりに悲しい。
中二病は悪。
論文執筆において、コピペしたら駄目って事を知らなかったって言ったらしいけれど。
それって本当? そんなの駄目なの当たり前じゃんって思った人は、僕を含めて結構世の中いたりすると思う。
ちょうど僕は、オンライン上で致命的な嘘(試されたような)をつかれ、正直相手を許せない経験をしたばかりだった。
相手に悪意がないことは僕なりに気付いた。若さ故の過ちみたいなもの?。冗談が過ぎたんだろうとは思う。
僕が許さない(もう連絡を取らないみたいな)態度で居ると、今度は、僕を責める様に相手に言われた。
これまでも似た様なことが数回会って、悪意のない迷惑を被った時、その場で相手は謝ったり、反省したりするんだけど、忘れた頃に、同じ過ちを繰り返したり、
時に逆切れして、これくらいいいじゃんって開き直られたりする。
決して修正できない場合もあるかもしれないが、悪事を悪事と知っているから、反省の期待が出来なくはないし、修正だって出来るかもしれない。
悪意のない結果的な悪事は、知らなかったらごめんっで、済まないと思ってしまう。
だから何もしないでいいとも思わないけど、ただ悪意がないんだから、ということで優しくご指導、出直しを許してさしあげましょうというのは、どうも納得いかない。
今メディアで叩かれて可哀想と思うけれど、それでもやはり、徹底的に地ベタに頭を擦りつけられる様な思いはせざるをえないと思う。
いろいろと想起させられたエントリなのでここに記す。
僕自身は「あの子」が少なくとも聡い子であることは認めるけど、それは子供という範囲を逸脱してはいないと捉えている。
あの子自身の言動や思考はまさにそういった厨二病の範囲に収まっている。微笑ましいものだ。
だからこそ、あの子自身の「思惑」などと言った大層なモノには興味はないし、それ自体がそれほど問題のあるものだとは思わない。あの子がただの子供のままであるならば。
問題があるならばそれはあの子をアイドル化する存在である。商業的アイドルではなくもっと原初的なアイドル。それに祭り上げている大人たち。
あの子の幼稚な発想と若さ故の飛躍を有り難がり、その若さを共有しようと目論見、経年劣化した自己の正当性をその子に依存することで取り戻そうとする下卑た大人。
商業的アイドルとそのファンとの関わり方と異なるのは、彼らがかなり根源的な、思想・信念的な部分でアイドルに信奉、依存している点である。それが彼らを理性的に狂信へと駆り立てている。
しかし一人の人間の、しかも一過性の輝きに依存した宗教はそう長くは続くまい。
普通の子供であれば、あの子のあまりにその身に余る言動は厨二病、よくある若さ故の過ちで済む。
しかし周りの狂信者達はそれで終わらせることは許さないだろう。
こうなってはあの子がそれを御するだけの理性と実感覚の延長としての知性を得て、真の意味で時代を照らす己の輝きを見つけなくてはなるまい。
そうでなければ、そんなあまりにも大きな理想を成し遂げなければ、周囲からの狂信と自分の能力のギャップ故にあの子は潰れてしまうだろう。凡百の、そこいらに転がっているかつての「アイドル」と同じように。