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はてなキーワード: 健介とは

2011-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20110414105748

哲学プロレスミーハーから読んでみたけど、プロレスラーのUがわからなくて、自分の知識不足が残念だった。

プロレスラーで思いつくのは、馬場猪木長州政治家になった人、三沢武藤健介サングラスヒゲケンカキックのひと、東北政治家金髪で背が高い人、小川くらい(おおむね古い順だと思うよ)しか思い出せないので、たぶんUは俺が思いついた人とは別の人なんだろう。プロレスで大きな活動をした人っていうのは、馬場猪木が団体をそれぞれ作って、あと三沢ノアだけはガチとかしか知らないんだけど、このUってひとはなにをした人なんだろう。

2011-03-10

nanapiやっているけんすうです全然いますよ!

http://anond.hatelabo.jp/20110310015855

元記事が消されてたんで魚拓です

(cache) どうしても延焼したいらしいnanapiスパム戦略について。。

http://megalodon.jp/2011-0310-0542-29/anond.hatelabo.jp/20110310015855

こんにちはnanapiというサイトをやっている、ロケットスタート古川健介といいます。ちまたではけんすうと名乗っていたりします。

これを見て、ああ全然違うなあ、と思ったので説明します!

読みづらいのでトピック

トピックスとしては

です

とりあえずインラインで説明

非モテタイムズ亡き後再びnanapiはてブスパムを再開したたいですよっと。

これはやっていないんですよねえ。

あたしはnanapiを立ち上げるときにも、あれこれ間接的にお手伝いしたから、

ほんとこれ言いたくないのよ。でも、あっさり再開したからなあ・・・・

おお、誰だろう。再開というか、やったことないのですが、、

ここにいろいろ★がついてるIDがあるんだけど、ここについてるのは

まあ非モテタイムズですら5個くらいしかつかってないような捨て垢、サブ垢で、

ざっと数えた限りでも20個くらい稼働してるのね。

kensuuやasami81あたりに関してはメンバーですね。捨て垢とかサブ垢は僕の知る限り、使っていないのです。あと一応スタッフidは把握しているのですが、心当たりあるしたらそのくらいかなあ、と。

これは通称「サテライト」って言われてる特定ドメインを含むURLブクマして

アカウントにつき最大100個くらいしたら廃棄するライフサイクルになってる。

これは知りませんでした!他でやっているんですかねえ。

誰がつくったのかしらないけど見て取れる限りだいたい7~8ヶ月くらい前から

この機構は動いてるのね。まあいわゆる「ボットサクラ」で、nanapiブクマされているように

同じ既得権益を持ってるサイトを順番にブクマして、それなりに人力でつけているように

ごまかすとともに、ローラー式に広告仲間サイトアクセスアップ貢献してる。

そうなんですか?広告仲間が誰かわからないんですが、僕が友達のブログとかをはてブしているくらいしか覚えがないのです。7〜8ヶ月前というのも何があった時期かちょっとわからないのです

まあじっさいここの巡回先に入れてもらうのは効果絶大で、その結果

去年の「はてなブックマーク年間ランキング」に5件もランクインするという結果(笑)

巡回先にいれてもらうとかをしていないんでわからないんですが(勝手に入れられているならともかく)、はてなブックマークで上位をとったところで、トラフィックたいして変化はないわけです。あと、5userついたらホットエントリに入るほど、はてなユーザーさんはバカじゃないので、たいした効果はないかと。

投資系の話について

ここんところの会社ベンチャーキャピタルから3.3億もの出資を受けるための事業計画として

年末ギリギリ未達だった「1000万PV」をこの1年で10倍の1億、記事数は15倍の

15万本に増やすと宣言してるんだよね。

ですが、投資先にたいしていっている目標はないです。事業計画全然別にあるのすよ。

PVでの事業計画は一切だしていませんでしたし(記事数はだしていました)。スパムをやって達成できたとしても、そんなの見抜かれるでしょうし、ベンチャーキャピタルさんは僕なんかよりすごく賢い人が多いので、意味いかなあ、と。

プレスリリース出すときテンションあげるためとして記載していたくらいのPVですね。

『ああ、きっとどんな手段をつかってでもやるんだな。はてブを使うだけじゃなく・・・』

使える手段であればするんでしょうけど、実際に一番合理的なPVの上げ方って「支持されるコンテンツを作る」だと思うのですよね。

いまもう3月でしょ?一年の四分の一消化しちゃってるわけよなの。でも、PVはまだ1.5倍の

1500万PV、(瞬間風速では2200万くらいだっけ?)まとめ数については2.3倍の2万3千本しか増えて

ないわけ。このままだと目標達成もできなくて次の増資もパー。だからこそ、炎上から3日も

経たずにこのかわいそうなスパムロボットたちを再起動しなくてはならなくなったってわけ。

いやあ、がんばります。月次目標がいつもぎりぎりなので、ドキドキしています。記事数は質が下がったという認識があるので、今はかなり抑えてじっくりとコンテンツを作るほうに集中していますね。

ちなみに次の増資は計画していないです。また、アーリーに資本入れるベンチャーキャピタルさんが、こんな短期の数字だけを見て判断するってことはあんまりしないです。

まあ、あなたはこのネットワークについては「知らないこと」になってるのかもしれないけど・・・

いやあ、知らないんですよねえ。実際、、というか周りでも聞いたことないのですが、実際、はてなブックマークをお互いbotでやりまくるみたいなことやっている人、今いるんですかねえ。大手サイト同士でリンク張り合うとかはよく聞くんですが。

私は、いつも中身で勝負すればいいと思っている。

同意です

3user以上がないのは不自然!?

で、これってnanapiにも全く同じ見かたができて、nanapiについたブックマーク

見ると炎上期間中の3/4~3/8の間、nanapiで3usersを獲得したレシピ

一件もないの。一件もよw

いままでのブックマーク数を見ていただくとわかるとおもうんですが、3userがない日が3日続くとかはそんなに珍しくないサイトですスタッフ気合いれてかけばホットエントリ入りしやすいので、それを書いたら比較的乗るんですが、上記はそんなに珍しくない現象かなあ、と。

本当に面白いサイトだったら、面白いレシピ

ブックマークがつくのは一日も止めようがないと思うのよね。なのに

炎上期間だけぴったり止まっているのは、不自然しかいいようがない。

nanapi毎日見に来ている人ってあんまりいないんですよね。で、ブックマークをする人っていうのの多くは、おそらく僕がブックマークする or Tweetする or facebookページに流す、くらいだと思うのですどこかのサイトリンクを見る、他の人から紹介される、などだと思うのです。特にその中で、僕はnanapiに関して投稿しまくってるので、僕のTweetブクマなどを見てする人というのが結構な割合を占めている気がするのですね。

で、たしかにこの時期ってあんまりTweetしていないのですよ。

kensuu けんすう(ロケスタ社長/nanapi)

かわいいなあ! デコおにぎりトトロの作り方 | nanapi[ナナピ] r.nanapi.jp/24521/ via @nanapi

kensuu けんすう(ロケスタ社長/nanapi)

友人の行動が広告に反映される!Facebookスポンサー記事」広告の概要 | nanapi[ナナピ] r.nanapi.jp/24515/ via @nanapi

kensuu けんすう(ロケスタ社長/nanapi)

友人にめっちゃ勧められたから使ってみる - 旅行好き必見!Facebookアプリ「trip advisor」で旅を楽しむ方法 | nanapi[ナナピ] r.nanapi.jp/23919/ via @nanapi

kensuu けんすう(ロケスタ社長/nanapi)

Facebookmixiブログ連携させる方法 | nanapi[ナナピ] r.nanapi.jp/24360/ via @nanapi

kensuu けんすう(ロケスタ社長/nanapi)

これをしよう - Twitterつぶやきを、Evernote自動で取り込み、日記にしてしまおう | nanapi[ナナピ] r.nanapi.jp/1720/ via @nanapi

kensuu けんすう(ロケスタ社長/nanapi)

今、Evernoteを再整理しているけど手前味噌ながら役に立つ - Evernote上級者のためのレシピnanapi.jp/site/Evernote via @nanapi

kensuu けんすう(ロケスタ社長/nanapi)

かわいい - デコおにぎり!みんな大好きアンパンマンの作り方 | nanapi[ナナピ] r.nanapi.jp/24172/ via @nanapi

というのも土日にあまり仕事していなかったのでパソコンの前にいなかったので、数少ないんでしょうね。

なのに、francesco3が収束宣言をした3/9かから、いきなり100ブクマ超。

中身はタオルのたたみ方で、どこの伊藤家の食卓かしら、という感じ。

いや、私はすきだけどね・・・ならスパムクローラー稼働させなくても

20~30usersで我慢しておけばいいじゃない。それくらいの内容よ。

それ以上を求めようってのは酷なものよ。

いや、タオルネタは素敵!と思ったから僕はブックマークしましたが、それくらいかなあ、と。スパムクローラーやるとトラフィックあがるんですかねえ、、

コンテンツの中身のはな

なんとなーく、ほら、次はどのへんに飛び火しそうか、ちらほら雰囲気出てたじゃない。

2ちゃんねるではそのものズバリ名指しされてたし、今動くのは大人としてキケン

せめてそれくらいは分かって欲しかった・・・・・もっとコンテンツ面白くすることに

たまをはたらかせることに、この春休みを使って欲しかった。。

もちろんそこばっかり頭働かせていますよ!

からこそ、最後まで「必要悪」なんてものを自分のなかに抱え込まずに、

中身一本で勝負してほしいと思ってる。

必要悪っていうのがあるのかもしれないですが、ブックマーク数を機械で増やすのって必要なんですかねえ、、

というのも、ここ1ヶ月で見たときに、はてなブックマーク経由のトラフィックって

44,627

くらいなんですよ。(内部データから検証しようもないけれど、内部データをあげると)1セッションあたりの平均PVが、はてな経由だと1.7くらいなので、PVでいうと75000くらいですね。

1500万pvあって、ロボットブックマークしてもらって75000しかあがらないところに工数さくのって、あんまり意味ない思うんですよね。それよりかは伸びているFacebookをうまく活用して、ファンを増やしていくことに注力したほうがよほど合理的なのです波及効果があるかもしれないじゃないか!と言われるかもしれないですが、それこそいいコンテンツじゃないと波及しないのです

SEO効果あるじゃないか!という人もいましたが、たぶんさほど効果ないんじゃないかと思っています。0ではないんでしょうけど、そこに力を入れるくらいだったら、検索されやすいコンテンツを増やしたりするほうが効果高いですし、それこそサテライトサイトつくったりリンク買ったほうが効果あるんじゃないですかねえ。どちらもGoogleさんに規制されそうな気がするので僕たちはやっていないですが。

もちろんPVはあげたいなあ、と思うので、nanapiについて言及しているTweetをRTしたり、いいなと思ったコンテンツブックマークしたしますが、不当な手段を使ってやったところで効果ないと思うのです

僕も純粋な善人でもないので、想いとして

と思う一方で

というのもあるわけです

ただ、それをする一番合理的な方法って、「いいコンテンツサービスをつくって、ユーザーに支持される」ということしかないんですよね。これは綺麗ごとを言っているわけではなくて、単なる王道です。で、コンテンツサービスに近道はないと思っているので、ひたすらそれをやるしかないのですスパムやって数万PVあげたところで、何の意味もない。

というわけで、そこばっかりやっているので、無駄なことをしないで、中身ばっかりみているこの頃なのわけです

人に書かせる以上、クオリティコントロールが一番難しくて、いい記事を大量に効率よく生み出す仕組みを作りたいですが、ここが難しく、まだまだ「nanapiの記事って素晴らしい」となるレベルではありません。ここは認識していて、一番の課題としておいています。一方で、量がないと役に立たないので、これを両立させるにはどうしたらいいのかなあ、と悩んでいるところです

といいつつ、誤解をさせてしまったのは説明不足かなあ、という気もするので、ご不明な点があったらもっと説明します!よろしくお願いいたします。

2010-11-12

http://mainichi.jp/select/today/news/m20101113k0000m040077000c.html

尖閣映像流出:海上保安大捜査 広島・呉

 沖縄尖閣諸島沖の中国漁船衝突を巡るビデオ映像流出した事件で、広島県呉市海上保安大学校に12日、警視庁捜査員2人が任意で立ち入った。パソコンを調べたり、データ管理状況を聞き取ったとみられる。

 映像は第11管区海上保安本部(那覇市)から東京海上保安庁を経て、教材に用いるため大学校にも提供された大学校コンピューターに保管中の映像が第5管区海上保安本部(神戸市)など二つの管区でも閲覧可能だったとされる。

 同校は「捜査ことなので、何もコメントできない」と話した。【矢追健介

教材用の映像がいきなり国家機密になるとか(笑)。

こりゃもう、最初から機密に出来ない代物を無理矢理機密にしようとしてたって事だなあ。むしろ最近まで流出しなかった事の方が奇跡なんじゃないか?

2010-05-29

http://anond.hatelabo.jp/20100529144135

それ結構古い情報だったはず。最新はこっちかと。

http://www.hatatomoko.org/SCN_00016.pdf

【呼びかけ人】五十音順127名

相原久美子

阿部知子

阿知波吉信

網屋信介

井戸まさえ

池田元久

石井登志郎

石井章

石毛えい子

石田三示

石田芳弘

石山敬貴

今井雅人

糸数慶子

稲見哲男

打越あかし

生方幸夫

大河原雅子

大久保

大島九州男

太田和美

岡崎トミ子

奥村展三

奥野総一郎

尾立源幸

加藤

加賀谷健

柿沼正明

神本美恵子

川内博史

川上義博

川越孝洋

城井崇

喜納昌吉

工藤仁美

工藤堅太郎

櫛渕万里

熊谷貞俊

黒岩宇洋

小泉俊明

郡和子

小室寿明

小林興起

小林千代美

小宮山泰子

小山展弘

近藤昭一

近藤正道

今野

齋藤つよし

齋藤やすのり

阪口直人

櫻井

重野安正

篠原孝

白石洋一

杉本かずみ

首藤信彦

菅川洋

瑞慶覧長敏

園田康博

平智之

高野

高橋昭一

高邑勉

滝実

武内則男

橘秀徳

玉置公良

玉城デニー

田中康夫

田名部匡代

谷岡郁子

中後淳

辻恵

筒井信隆

照屋寛徳

富岡由紀夫

友近聡朗

外山斎

中川

中根康浩

長島一由

中島隆利

中島正純

中島政希

中野

那谷屋正義

野田国義

橋本博明

橋本べん

羽田雄一郎

初鹿明博

服部良一

浜本宏

早川久美子

平岡秀夫

平山泰朗

広田

渕上貞雄

福田昭夫

福田衣里子

藤田一枝

前川清

又市征治

松木謙公

松崎公昭

松崎哲久

松岡徹

松野信夫

皆吉稲生

宮崎岳志

向山好一

村井宗明

森ゆうこ

森山浩行

森本哲生

山口和之

山田良司

山下八洲夫

山内徳信

湯原俊二

吉泉秀男

横光克彦

吉川政重

吉田泉

若井康彦

【賛同人五十音順53名

石森久嗣

石関貴史

磯谷香代子

奥田建

小川敏夫

大西健介

大西孝典

岡本英子

岡本充功

大泉博子

金森正

金子健一

川口浩

川崎稔

黄川田

京野きみこ

桑原

後藤英友

佐藤ゆうこ

空本誠喜

高井崇志

竹田光明

田嶋要

田中美絵子

玉木朝子

津島恭一

道休誠一郎

永江孝子

仲野博子

中野渡詔子

仁木博文

野木

畑浩治

平野達男

三宅雪子

宮島大典

村越祐民

姫井由美子

福嶋健一

藤田幸久

藤田憲彦

藤谷光信

本多平直

松浦大悟

村上史好

森本和義

矢崎公二

山本剛正

山崎摩耶

柳田和己

柚木道義

吉川沙織

若泉征三

鳩山ハシゴを外されたFushi-ana-eyesのバーゲンセール

こいつらどうするんだろ。特に社民党、連立離脱はするけど選挙協力はしますとかいう巫山戯た事言ってるけど。

「県内移設を推進する民主党投票してください!」とかきちんと日本語で発音出来るの?

民主党議員も、この件どう思ってるんだろうね。「だんまり」を決め込むつもりか?

2008-11-03

日本は侵略国家であったのか」を読む 補足

http://anond.hatelabo.jp/20081101232814

 こんにちは元増田です。

 どれだけ厳しい批判が寄せられているだろうかと恐る恐るみてみたら、好意的な反響が多く、胸をなでおろしています。

 増田に書く理由としては、ひとつめ、専門外のことに長く関わるつもりがないこと、ふたつめ、連休の出先で手元に一冊の参考書籍もなく、HDDネット上のソースだけを参考に書いたエントリなど、歴史を専攻したものとして、しかも専門外のものとして、とても胸を張って提示できるものではないこと、みっつめ、それゆえ、ホームに書いたら全て書き換えるほどの修正をせずにはいられないだろうが、その気力も時間もないこと、よっつめ、しかし、あれを「論文」とすることには憤りを覚えたので、せめて学問を知る人にはトンデモトンデモであると伝えてみたかったこと、いつつめ、増田であれば上記の点をそれほど気にやまずに済むこと、このくらいでしょうか。したがって、私のエントリはいわゆる「ちらしのうら」です(文献表記がみにくいのもわざとです。すみません)。私はさくっと書き逃げする卑怯者です。内容がいかがわしいのも推敲が甘いのも全て私の責任です。でも、もろもろの言い訳によって逃げられるものではないですよね。ああ。

 さて、前回のエントリでは、後半にさしかかったときにから睡魔に襲われ、最後は「藁人形叩き」ばかりになってしまいました。ようやく投稿できたと思ったら、字数超過で記事を分割せねばならず、つづきでは田母神氏の論文タイトルを間違えてしまいました。謹んで失礼をお詫びします。いろいろとミスがあろうと手をいれるつもりはなかったのですが、批判する論文タイトルの間違いはいくらなんでもひどいので、訂正します(ついでに「シンガポール華僑粛清事件裁判記録」後編のミスも直します)。これも後出しですが、原文が縦書きの漢数字は、横書きなので適宜英数字にしています。

 では、気をとりなおして「藁人形叩き」ばかりをしていたところに補足してみたいと思います。最後に与太話の蛇足ですが雑感を述べてしめます。

 しかし人類歴史の中で支配、被支配の関係戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

(前回と同じく、はてな記法による引用の出所は、田母神俊雄日本は侵略国家であったのか」2008年http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

 第2次世界大戦開戦の時点であっても、カナダオーストラリア南アフリカなどが自治領化・独立した例がありますね。フィリピンでも独立を前提とした自治領政府が成立していましたね。

 また、どちらかといえば植民地統治体制の比較の話ですが、自治・独立とまではいかないまでも、現地の住民を支配機構採用していく次のような例もありました。

1920年代より英国ビルマに赴任するICS〔引用者注インド高等文官の略称〕に英国人のみならずビルマ人も採用すべく方針を変え、その結果1939年末の段階で、ビルマにおける全高等文官のうちビルマ人は32.8%を占めるに至った」(根本敬「英領期のビルマ人高等文官(ICS/BSC)とタキン党」『東南アジア学会会報』63、1995年、17ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004924657

それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。

 1940年代において、宗主国が疲弊し、植民地独立運動が高揚したのは確かなことでしょう。ただし、歴史学の領分は、「もしも」を考えるというより、その過程をつまびらかにして、それぞれの要因や重要性を検討することにあります。

 まず、開戦の詔書には「東亜ノ安定」「世界平和」「万邦共栄」「東亜安定」「東亜永遠平和確立」という表現はありますが、肝心の戦争目的を述べている部分は、あくまで「今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切の障礙ヲ砕碎スルノ外ナキナリ」(「御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日・米国英国ニ対スル宣戦ノ件」1941年12月8日アジア歴史資料センターレファレンスコードA03022539800。引用部分の漢字は適宜新字体を用いました。センターホームページの検索バーに左記のレファレンスコードを打ち込めば該当資料のページへ飛べますhttp://www.jacar.go.jp/)ということであり、「アジア民族解放」、「植民地解放」、や「独立」といった文言は一切ないことを指摘しておきます。文面上はまさに自存自衛の戦いをうたっており、解放約束は明文上ではなされていません(ちなみに、みればわかりますが「八紘一宇」もないです)。では、実際、アジア諸国にどう接し、現地住民はどう対応したのか、前回は文献名をあげただけのものから少し引用しておきます。

ビルマ1943年8月1日主権を有する独立国家となったが,真の独立を求めるビルマ人にとってそれは,’’偽の独立’’,’’メッキの独立’’にすぎなかった。ビルマ人は,独立が’’空虚’’であることを知っていた。この当時の日本人に対するビルマ人の態度は,「愛していなくても我慢して接吻する」ようなものであった」(大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、360ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf原文の注の番号は引用者が削除しました。以下の引用文でも同じ)。

日本の『朝日新聞』は、この作戦について、「皇軍航空部隊の空襲は一見、印度民衆の苦難を一層増大せしめるかに見えるが、爆弾の雨の中に、皇軍印度独立運動に対する無限の慈愛と支援が含蓄されている」と書いていた。まことに「含蓄」の深い論評だったと言うべきであろう」(中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要東京大学)』151、2007年、190ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf)。

「本稿では不十分ながら、日本大東亜共栄圏アジア主義プロパガンダが、そして、その大枠の中で動いたチャンドラ・ボース等の活動が、インド社会との接点を持てずに、空回りしていたことを明らかにしえたのではないかと思う」(前掲中里論文、195ページ。ボースたちについては、197ページの注6、200ページの注22、202ページの注26、208ページの注80も参照)。

 インドネシアフィリピンベトナム抗日闘争について、詳しくは論文本文を読んでいただきたいのですが、結論としては、

「要するに、東南アジア諸国の反植民地民族独立運動は、太平洋戦争日本の侵略によって生じた情勢やその他条件を、主体的、積極的に活用して日本に対応し、戦前に比して飛躍的な成長を遂げた。そして、このことは、戦後における東南アジア諸国の民族独立運動の高揚や民族独立の達成の決定的要因となった。この意味において、太平洋戦争日本の侵略は、東南アジア諸国の民族独立運動史における一大転換点であったということができよう」(谷川榮彦「太平洋戦争東南アジア民族独立運動」『法政研究九州大学)』53(3)、1987年、395ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870原文にあった傍点は除いた)。

 以上でつっこみの補足は終わりです。現下の情勢については特に言及しません。

 さて、今回のエントリ執筆目的としては、可能な限り速やかに「論文」が論文になっていないことを示すことでした。大事なのは「内容」とおっしゃるのは結構ですが、学問的に批判可能な形式(もちろん既存の研究にとらわれない革新的な独自形式でも、読者に史料を提示できればかまいません)をとらないものは、「無敵な人」の独自な「歴史観」の告白にすぎないでしょう。それに価値を認めるのは個人の自由ですが、学問教育の場に持ちこむのはお門違いです。そのような姿勢では、いつまでたっても歴史学における扱いはトンデモのままですよ。もちろん、大学研究所にいる専門家でなければ歴史の話をしてはいけないということではないです。「昭和史論争」を引き起こしたのは歴史研究者ではありませんでした。しかし、自己見解教科書にのるような通説となさりたいのであれば、専門家と同じ舞台に立ち、その批判に応答しなければならないでしょう。「つくる会」はその舞台に立つ気はないと宣言した結果どうなっているでしょうか。今なら学術雑誌に投稿しなくても、インターネット上でいくらでも長文の論文発表できますよね。

 一般に、歴史研究者は、四年生大学で専門的なトレーニングを受け、さらに修士課程二年間、博士課程三年間以上を費やして史料を読み込み論文を紡ぎだしています。それでも、個々の論文の結論で言えることはささやかなことです。また、研究会学会書評などの形でお互いに切磋琢磨しています。それぞれが広範な史料に目を通しているからこそ、個々の研究がその時代の歴史像のどこに位置づけられ、どの部分がその時代の特徴をよくとらえられているかを議論できるのです。自分の個別研究歴史研究の大きな流れのどこに位置づけられるのかをとらえるため、歴史を学ぶ標準的な手順としては、まずは先達がエッセンスを詰め込んだ教科書、概説書を読み、そこから主要な研究文献やレビュー論文目録等を漁って研究史をたどり、そこで用いられている史料を読み、先人の研究の妥当性を検討したり自己の問題関心を追求していくのです。木簡のように新しい史料が見つかったり、機密文書が公開されたりして史料が増えれば、それがどのように従来の見解に修正を迫り、新たな知見を付け加えるのか議論します。そのような積み重ねのなか、通史は更新され、教科書記述も変わっていきますが、このことをもって歴史は定まりないものだから最新の研究成果も独自研究も変わりないということは的外れでしょう。それはかえって科学としての歴史学が機能している証拠にほかなりません。

 さて、歴史学者全体がイデオロギー的に偏向している、現行の教科書自虐史観マルクス主義史観に基づいているという「つくる会」の主張もありますね(それでいて『国民歴史』のように、専門家研究から剽窃したりするの会員もいるのは厚顔無恥ですね。参照、尾藤正英『日本文化歴史岩波新書2000年あとがき)しかし、戦後長く標準的な高校教科書として採用されてきた山川出版社の『詳説世界史』の執筆者には林健太郎(故人への敬称は略します)が含まれていました。日本史にしても伊藤隆氏が編者であった『近代II』を含む、『日本歴史大系』山川出版社、1984-90年、が、受験前に初めて読む通史だった私などには、学会の主流がマルクス主義史観など妄言にしか聞こえません。岩波だから駄目などという意見も見ることがありますが、最新の『岩波講座世界歴史岩波書店、1997-2000年、では、古代中世近世近代という時代区分はもはや採用されていません。そもそも研究の場では、評価は自分の目で確かめてから下すもので、事前に確定できるものではないのです。

 私が前回あげた書評にこういう記述があります。

「いずれも〔引用者注:本文でふれられている臼井勝美氏、酒井哲哉氏の研究のこと〕,侵略の時間連続性〔引用者注満洲事変から日中戦争へ〕を,陸軍の遠心性,すなわち現地機関の好戦性や暴走に帰さない画期的研究であった」(加藤陽子書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、67ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。

日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する」なんて本質論は、学界ではなされていませんよ。人事面でも、システム設計運用面でも、上部の問題は大きかったですよね。私みたいなものにも自衛隊に信頼できる友人はいますので、余計に上が軍の失敗を反省するそぶりもみせないのは問題と感じるわけです。

 最後に、余計なお節介でしょうが、歴史学入門、史学史についていくつか参考文献をあげておきます。ご興味のある向きは手にとられてみてはいかがでしょうか。

小田中直樹歴史学ってなんだ?』PHP新書2004年。(CiNiiの定額許諾を契約している大学関係者は、下敷きとなった論文DLできるかもしれません。私は今DLできる状況にないので保障はしません)

小田中直樹言語論的転回歴史学」『史学雑誌109(9)、2000年

http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0002622266

歴史科学協議会編『卒業論文を書く―テーマ設定と史料の扱い方』山川出版社1997年

永原慶二『20世紀日本の歴史学』吉川弘文館2003年

 今まで述べてきたような研究の積み重ねに対し、自説の根拠もまともに示さずに自分の意見を広めたいと主張する行為がどういうものか、一度お考えになっていただけたら幸いです。

 また見苦しい長文になってしまいました。最後まで読んでくださった方に感謝します。

(追記)さすがに人名の誤記は看過できないのでミスを修正しました。

(再追記)引用文の出典が抜けていたのも直しました。すみません。

(再々追記)直ちに答えられるトラバをいただいたので応答します。ホロコースト研究の進展について次の文献を参照してください。

健介ホロコーストニュルンベルク裁判」『史論(東京女子大学)』55、2002年http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008575897

2008-10-04

古川健介さんは学生エンジニアの志を踏みにじらないで欲しかった

http://anond.hatelabo.jp/20081001130329

エンジニアの未来サミットで知り合った20歳の大学生の知り合いがいる。「とっておきのアイディアがあるので2人で形にしませんか」と頼まれた私は、彼の行動力と正義感若さを感じ取り本業そっちのけでWEBアプリケーションの開発にいそしんでいた。ターゲットは「Mash up award」と「Award on Rails」。サイト提出締切日の関係Mash up awardに提出を絞って我々は開発を続けた。何もかもが順調だった。

締切日だった昨日の午後、彼から電話がかかってきた。

「Award on Railsに提出するのはやめましょう」

私は驚きながらも彼に理由を問いただした。

「あのawardは一部の審査員私物化していて公正な審査が行われるはずがない!身内同士で賞を決めるはずだ!」

彼が問題にしていることを大雑把にまとめてみると話がわかりやすい。

#一部の審査員社長をつとめる会社サイトが大量に提出されている

#その審査員が自ら作ったサイトが提出されている

#1年以上前発表されたサイト審査対象にならない規約であるはずが、その審査員自ら1年以上前サイトを提出している

だからと言って我々のサイトの提出を取りやめる理由にはならないと彼を説得したのだが納得してもらえずに、すでに締切は過ぎてしまったので他の場所で発表しようと約束してこれからも開発は継続することにした。awardにかける若者の熱意は相当のものであり大人が踏みにじるのはやめていただきたい。そのような意図がなかったとしても誤解されるような行為は慎むべきだ。審査する人間審査される人間が同じであるawardなんて株式会社ロケットスタートによって私物化されていると言っても過言ではないでしょう。会社宣伝のために学生エンジニアの気持ちを踏みにじらないで欲しかった。

【お知らせ】Ruby on Railsコンテストの審査員するです : ロケスタ社長日記

2007-02-01

はてな匿名ダイアリー自然状態ですね

http://anond.hatelabo.jp/20070131154754

の書き主です。TB先をDisったつもりが、私がエサになるなんて、ヒィ~。なんていうか万人の万人に対する闘争というか、自ブログでこれやっちゃってたら泣いてるし。なんだけどここではdisるなり電波飛ばすなりがお作法のようなので、迷うことなく電波飛ばしてやる。

 とり合えず志望校先に書いとく、上智大学の神学部神学科。志望動機は端的に言うと神学とラテン語両方勉強できるから。

 長くなるけど以下に志望したまでのいきさつというかグダグダと、前に書いたエントリについて書きます。

 まず先のエントリを書いたのは、向こうの書き主がうじうじしてたのでdisりたくなったから、あと受験生って立場から見てどんな大学であれ大学入ってる人がうらやましかったから、あと遊んでる子が気になるとか三流私大がなんだって自分も思ったことあるしょうのないこと気にしてるから当てこすってやろうと思ったの、ってこれなんて反省文。なのに当てこすり部分きつくして書いたもんだから(タイトル含めて)、TBもらうは、ブクマコメこんなにもらったことないというか手厳しいコメもらうとやっぱ凹むね、匿名でも。というか、TBくれた人みたいに素直に書けばよかったわけね、ほんと私は素直ではとってもない。

 あとリアル学歴云々の話がタブーであるのもよくわかった。というかTB先の人の不満というかその大元になるもに私‘も’3年曝され続けたわけですがといまさら被害者面かよ!といわれるのイヤだし、そういう後ろ向きなもの持ったままでいるのいやなので全部はいちゃう。

 にしてもたくさんTBいっぺんにもらったことないのでちょっと困惑する。

http://anond.hatelabo.jp/20070131162229

http://anond.hatelabo.jp/20070131170249

 まずはこのお二方のTBから、先に書いたように私の志望大学上智大学の神学部神学科です。試験英語世界史、現代国語のペーパテストに加えて学科での学習の適性を計る小論文面接です。あと、願書出すために司祭(神父様なり牧師様)の推薦状が必要です。受験資格キリスト教徒である必要はありませんが、その場合でも在学校の教員の推薦状がいるようです。(できれば学部、学科の教育内容について熟知してる方が望ましいと書いてありましたが、願書に)

 偏差値の方ですが各予備校ボーダーを確認すると、40後半から50前半です。例年合格最低点は学科試験の50パーセント程度です。いちよう上記の理由があって(受験者が限られる)偏差値が低いものと心得ています。

 あと、、高校二年生のときにオープンキャンパスの際ではありませんがキャンパスの方は見学しました。身近にOBが幾人かいましたのでその人たちからも大学の雰囲気などについて伺ってはいます。

 大学での講義の内容については、大学シラバス担当教官ホームページなりブログについては一通り目をとうしました。さらに大学、学科名でググって、在学生ホームページも3っほど読んでみました(というか二つはブログ)。

 予備知識については、ミッション系の学校での倫理の時間と課外活動でカトリック研究会に所属していましたし、昨年洗礼を受ける際にも勉強しましたので十分備えているつもりです。無論、一次の学科試験が終わればそのあと神父様に紹介していただいた書籍も読んでいくつもりでが。

 大学に入学後にはキリスト教倫理学日本での教会およびミッション系の学校での教育活動について学びたいと思っています。また、宗教科教員の免許習得を目指したいと思います。

 とここまで書けばOK?・・・・・・・・・・・・・・・・これじゃつまんないでしょ?あれだけきつい事書いたのに。

 これ一般の人向けの説明、予備校のチューターとかあんまし親しくない友人にはこの説明で押し通してる。正直神学部志望と言うだけで驚かれるから、無論上に書いたコトには一字一句ウソはありあません。宗教科の教員免許はとるつもりだし、日本において教会が関わってる教育活動は私が学びたいことの一つであるし、キリスト教倫理学は信者の一人としてカトリックの考え方もっと深く学びたいと思ったから。でも、上に書いたことはやりたいことの一部でしかありません。

 http://anond.hatelabo.jp/20070131174254

言葉に甘えて書かしてもらいます。自分の志望動機きちんと全部話をした相手は父親と母親あと推薦書書いてくれた神父さまの3人だけです今のところ、あとは二次の面接試験官にできる限りのことを伝えようと思います。

 というかキー打つのに少し疲れた。ごめんなさい書きかけだけどいったんうpする。あと誤解されてるのいやだから先に書くけど、私地方在住だし、Fランだの地方の中堅国立大なんて気にしてません、でも自分の選択にうじうじして割り切れてない人はどんな人だろうと嫌いです。

お昼早めに食べたので書き足します。長くなる気がするので読みにくいかも・・・・。

 まず、神学部を志望するまでになったいきさつというか、自分語りうざいって人は時間の無駄なので読まないようにね。

 上にも書いたように私は中学受験してミッション系の中高一貫校に入りました。中学受験は自分自身で決めたものでなく、母親に強く勧められて決めた物です。塾に通い始めたのは小学校5年生の三学期から、受験する子たちに比べとても遅かったと思います。もともとは、塾の進学コースでなくて補習コースからでした。小学校の算数のテストで酷い点を取ったのがきっかけです。確か比だとか単位換算?だったかな確か。でも点数はよく覚えてる、たぶん相当怒られたからだと思う。65点だった。塾行くの初めはすごく嫌だった。たったの週三回、学校終わってから8時ぐらいまでだったけど。でも、国語は得意いだった。基本的に本読むの好きだったから。6年生の5月ごろの学力テストでかなりいい点数を取って、上のクラスに上がらないかと塾の講師に薦められた。母親セールストーク真に受けたのと、たぶんその時褒められたのが相当うれしかったんだと思う、私も承諾して上のクラスに上がることになった。それから週三だった授業が週5、学校終わってからと土曜日は朝から、日曜日も私、算数と理科電気だとかの物理分野苦手だったので補習があった。きつい時あったけど、そんなにイヤではなかったと思う、今思い返してみても。ちっさいころから母親私の教育に入れ込んでた気がする。夏休みドリルとか、なかなか進まないですごく怒られたりだとかした記憶があるから、すごく嫌だった。そういうことあっての反動だと思うけど、夏以降も成績上がっていって期待されたり褒められたりするのが当時はとてもうれしかったんだと思う。秋ごろの試験で今までは考えられなかったような学校合格が見えてきて挑戦するかどうか決めないといけなくなった結局滑り止め含めて挑戦校も受けることになった。結局受けたところは全部受かった。挑戦校は受験したあと正直落ちたと思ってた。算数ぜんぜんできなかったから。合格発表のときはすごくドキドキしたし、自分の受験番号が掲示されてるのはとてもうれしかった。

 春になって、新しい制服に袖通して、晴れやかな気分で入学した。でもすぐに勉強ついていけなくなった。特に厳しかった英語と算数同様に苦手だった数学、正直できない勉強を教室で受け続ける苦痛はすごく分かってるつもりです。一年生の時から落ちこぼれですから。でも、それ以外の科目は基本的に社会であろうが理科であろうが大好きだったからそれに対しては不満持たなかった。でもほんと泣きそうだった。あの時学年でアルファベットとか負の数の入った計算学校に入る前にきちんとやってなかったの私ぐらいだと思う。意識の高い家とかだったら、入学後も勉強しないといけないのわかってるから、家で教えたり、早い人は中一から塾行ってたりするし。私結局中学一年の二学期に数学英語アカ点食らうとかすさまじいことして、落ちこぼれがこれで確定・・・・・三者面談だよいきなり、入学して一年目で、挙句英語担当外国人教師に親子ともども死ぬほど流暢な日本語で1時間近く説教されるし。大きなお世話かも知れないけど自分の娘、息子の勉強の面倒見れない人はこいう学校に入れない方がいいと思う。得るものたくさんあったし、これから書くけど勉強面では親子ともども苦労すると思うから。

 そんなこんなだったけど、三学期はがんばったのと数学先生のお情けがあったのでアカ点は免れて進級できました。2年生から本格的にクラブ活動だとか委員会活動できるようになったので、もうほんと逃げるように打ち込みました。勉強の方は試験前のできる子のノートコピー一夜漬け、平常点のある教科は稼げるだけ稼いでおくとか、あと数学とかは、はなっからアカ点救済の追試を見越してまったくやらなかったり。追試は本試とまったく同じ問題なので前日に丸暗記したし。こいうの学んだのはクラブの先輩だと委員会の先輩、中高一貫なので似たような人はどこかにいるわけで、だれそれ先生はこういった傾向の問題ばっかり出すとか、甘いから何点最悪取ってればアカはでないだとか、以下略。正直補講だとか補習のある先生テストで悪い点取ったら、委員会とかクラブに支障出るので必要悪だとも思うけど、だけどこのつけ払うために浪人するはめになったけど。友達づきあいも比較的楽しくできたと思うし、親友と呼べる子は少なくとも5人はいる。この子たちには学校の間だけじゃなくて卒業して浪人してる時も心配してメールくれたり、手紙くれたり、はてはお守りまで贈ってくれたりしてほんと感謝してる。

 色々得たし楽しかったんだけど、私中学卒業して同じ高校に行くかどうかはかなりなやんだ。学校勉強に正直付いていける気がしなかったから。ここでもネックになったのが英語数学中学三年生ごろから数学高校の内容になってたし、英検の準二級全員で受けさせられたし、ほんと私一人だけ落ちるんじゃないかと心配した。それにクラブのほうも高校生と一緒に練習するようになったんだけど、高校クラブの顧問が最悪のことに私の数学担当の教師だったの、ほんといちいちいやみ言ってくるしクラブ中三でやめちゃった。あと、公立の高校進学しようかと悩んでて親に行ったら当然止められるし、挙句そこそこのレベル高校ですら受かるわけないって言われた。うん、なんか前にTB送った人と似てる気がするからなんか突っかかりたくなったんだと思う。なんかすごいそのころイライラしてて友達とも仲悪くなった。というよりも、クラブやめないように説得してくれたり、苦手な勉強手伝ってあげるだとかの気遣いがすごく負担に感じられたから、今思えばすごく身勝手

 心理的な負担がたたって、拒食症気味になるは不眠、貧血リスカはしなかったけど、内科で自律神経失調症って診断されてお薬もらう、でも病人扱いされるのイヤだったし薬いっさい飲まなかった。学校休むこと多くなって母親と延々喧嘩した。喧嘩するのイヤで、遅刻上等というか重役出勤して、保健室入りびたり、おしゃべりしたり本読んだり、保健室の本読み飽きたら、図書室こっそり行って本読ましてもらったりした。図書委員で司書さんにかわいがってもらっていたので、あと好きな科目の授業だけでることはあった。でもその授業に出るとその後の授業にも必然的にでないといけなくなるのでなるだけいやな数学英語の授業サボれるような時に教室行くようにしてた。当時は体の状態ほんと悪かったのもあるけど病弱で押し通してた。でこのプチ不登校というかメンヘルというかは、中三の一学期おしまい。担任と父親と校長面談して高校に進学することになった。夏休み英語数学の補講つきだったけど。中三はこのまま終わった。数学の時間は一番前の窓辺だったけど授業一切聴いてなかったし、英語は授業中いろんな子にあてる先生だったけど、私には一切当てることなかった。まあなんです、自堕落の生活はそれはそれですごく苦しいです。精神的にきつい人は無理する必要ないと思うし、そういう人に向けての「がんばれ」は善意からのものであるのはわかるけどほんときついし、ただ相手を追い込むだけなのは身をもって体験した。やめよう、ねほんと自分で自分で追い込んでるワケだし、そっとしてあげるのがいいと思う、個人的には。

 高校に入って気分一新、クラスもたまたまメンバーががらっと変ったので勉強の方も立て直して結句がんばった。高一のときは成績真ん中ぐらい。相変らず数学の点数は悪かったけどね。だってIAまともにできてないの??Bなんてできるわけがない。三角関数とか言われても三角比からわかりません、下手すると因数分解もやばひぃ。でもまあ、そこそこがんばった。でそこそこ勉強やろうって子達とも友達になってこのまま高2、高3と勉強すればよかったんだけど、よりにもよって文化祭の委員に巻き込まれ、こういうイベントというか企画して実行するのってすごく好きだから入れ込んじゃってほぼ高2のときの気力やら何やらを吸い取られ、そのあとすぐに修学旅行あって遊びほうけて、高三春先の模試でみんな頭が受験生になってるのにボーっとしてて気づいてたら最後の模試の成績表が手元にあってE判定にわれに返って、勉強始めたら年明けすぐにセンター試験卒業式で二次試験不合格でなんか終わってしまってた。高校まではこんな感じ。

 で自分の将来について考え始めたのは、中学3年生の時のグダグダから、なんかやったらめったら本読んだんだけど、どの本から影響を受けただとかは当然はっきりはわかんないし、父親にしろ母親にしろと喧嘩するたびに将来どうするんだって言葉を投げつけられたりしながら考えてるのもあるのではっきりは自分でもやっぱしわかんない。なので、自分が意識できてる原因だとかきっかけだとかしかかけない。

 今でももっているのだけど私の志望は国際政治勉強したい、これは基本的には変ってない。これがどうして神学部志望になるかは自分でも少し不思議に思うけど、自分の進路確認するためにも長くなると思うけど書いていきます。

 影響を与えた本というか、色々悩んでた時期に図書室にあったマーガレット・サッチャー自伝を読んだのがある意味国際政治勉強してみたいと思ったきっかけだと思います。ほんとはもっとあるとも思うのですが、少なくとも当時の私はサッチャー生き方にかなり心動かされた。あと家の父親が学校勉強はできる必要ないけど、本と新聞だけはよく読んどけ、あとは好きに遊んでろ、って言っていたのも下地になっているとは思います。中学受験の頃から社会科はとても好きでしたし、中学校に入ってからも基本的に得意科目だったし、好きでした。あと、カトリック研究会に入ったのも社会化の先生が国際化の世の中だしわざわざミッション系の学校に通っているのだし、キリスト教のこと勉強するのもいいのじゃないのかと授業中に紹介されたのがきっかけだったし、当時はクリスチャンになるなんて思ってもいなかった。カルチャースタディーぐらいのつもりだったのに。

 中三ぐらいからなんとなく国際的な仕事となんか勘違いしてつんつんしてる子が抱きそうなゆるい願望から始まったわけですが、一度これと思ったら結構こだわってしまうタイプなので、図書室の政治だとかあと関係ありそうな新書だとかはその当時かなり読みました。

 当時読んだ中で心に残っているのは、アルビントフラーの「第三の波」と「戦争と平和」がかなりよかった。あと父親の書斎にもぐって文芸春秋バックナンバー読んだり、あと小室直樹とかいわゆるオヤジビジネスマンが読みそうな本をかなりがりがりと読んで、父親に生意気だとか結婚できなくなるとか、ガキがグダグダぬかすなとか言われてむくれる。全共闘崩れで心情左翼でそのくせ、根が女性蔑視だし、オヤジだし封建的だと反発して、日曜の朝だとかにやってる報道番組のたびに父親と喧嘩するようになる。朝まで生テレビならぬ、朝から生焼け討論。この当時母親あきれかえって口出しせず、弟は朝から難しい話すんなって愚痴ってました。小さな政府安全保障上の懸案の解決になぜか固執してた。当然ながら小泉首相は支持してた。ついでだから書くけど、安倍政権は支持してない。

 父親とのdisりっこもあったんだけど、当時読んだ文言春秋北朝鮮問題について扱った記事が引き金になって、安全保障論とか本格的に勉強したくなる。たしか、この記事「希望の国のエクソダス」とか巻末で連載されてた頃の記事だと思う。確かミサイル開発、核開発、麻薬だとか拉致についても書いてあったと思う。(調べたら1998年の記事みたい、読んだのはたぶん2001年ごろ)

 あと、2001年は私にとって大きな年だと思ってる。その年の4月に小泉政権になって、9月にはワールドトレードセンタービルはなくなってたし。12月には不審船事件もあった。かなり短絡的だあったことは今から思えばそうだけど、当時何度も何度も繰り返しハリウッドのそれこそCGじゃないかと思うような映像見せ付けられて、そのすぐ後に日本国籍不明とは言え外国船に実弾を打ち込む有様見せられて危機感を抱かない方がどうかしてると思う。で当時の私は防衛庁国家二種試験を受けて、安全保障についてかかわりのある仕事につこうと考えるようになった。当時から、防衛庁防衛省になると思ってたし、外交分野でも安全保障に関する必要性は増すと思ってた。なので、それを扱える人材の受容も増すとまで考えてた。その頃からネット使い始めてたので、検索して安全保障論できそうな大学探して志望校にしてた。きちっと決まったのが高二の時、国立大と私立一校ずつ当然両方とも受けます。第二志望と第三志望ですから。なのでこの時点ではまったく神学とかは考えに入ってすらいなかった。後すごいたまたまなんだけど、TBくれた人のTB先の江畑健介さんは知ってます、書籍も二冊ほど手元にあった気が・・・・・頭の上がチャーミングな方ですよね。

 そんなこんななんだけど、人より志望校早くに決まってたはずなのに上で書いたように学園生活をまんぴつしすぎて、現役の時は不合格でした。センターボーダーマイナス40点だったと思う。

 で当時はホンと凹んだのと父親に口ばっかし達者だし、考えに偏りがあるから反省しろといわれていたのですが、ほんと反省できました。同じ大学の後期試験を受けたのですが、志望動機などについての面接があったのですが、面接官は3人、一人は英語での面接担当、後でググッたりして調べたら、英語の授業の教官で結構右より、英語帝国主義論?みたいのこといってた気がする。とり合えずアメリカに媚媚するのが嫌いな人。もう一人は国際政治学が専門、残念なんだけど調べてもどなただかがいまだにわかんない。質疑応答主にした人だったのだけど、東アジアの地域安全保障について将来貢献したいしそのためにこの大学勉強したいといったらいたく気に入ってくれた気がする。そんでもってもう一人が一年次の導入の講義担当教官国際関係学国際法が主な研究領域かな?というかこの人によりにもよって大学面接で噛み付いてしまったんです。ほんと、センターの成績たいしてよくないから点数稼がないといけないのに、NGOだとかNPO、ようするに国境無き医師団のような活動についてはどのように考えるかと聴かれて、その役割過大評価する必要はない的なことをいってしまって、前の二人の面接官とは4,5回内容についてどんどん突っ込んだ質問が出てそれに答えって感じでうまくいってたのに、その質問いついては私が一回答えてそれでおしまい。一瞬にして部屋の空気が凍りついたというか、すごく不機嫌そうでした三人目の教官、なんか残り二人の教官のアチャーという空気も感じられ、いたたまれなくなったのか、少しの沈黙のあと、真ん中の教官におずおずとこれで終了ですといわれて退出しました。

 そのあと、校舎出て携帯取り出して即カトリック研究会で面倒見てもらってた神父様に電話して洗礼受けたいってなきながら電話してた。何というか懺悔ってこういうことを言うんだなというか、父親にも言われてたし自分でも少し先鋭化しすぎてたのもわかってたけど、自分の根拠のないプライドと自信はここで崩壊。ほんと帰りの電車で周りドン引きするのかまわずおお泣きしてました。情けないやら、悔しいやら、後悔やらほんとなんかよくわかんない感情。で上に間違って昨年と書いてたけどもう年越してるから一昨年です。なんか今までちゃんとしてこなかったことやらに反省して、他人に頼っちゃダメだとこの期に及んでまだ我をはって、周り止めるのかまわず自宅浪人した。うん、馬鹿なのわかってる。自分でも。

 まだ、一浪の時は自分で自分の責任で周りに頼らずがんばんないとなんてこだわってた。ほんと死ぬ気でやった。そこでわかったのは自分は自分の習慣なり感情なり欲望を完全に意志によってコントロールほど強くないってこと、正直自分自身をマネージメントできるのは一握りの人間だけだし、ほんとの意味で賢い人はこういうことできるんだろうな。あと、自分がいかに多くのもに頼らざるえないかも身にしみてわかった。家族にしろ気を使ってくれたし、教会に行くようになったけどそこの人たちにも励まされたし、友達にも心配してもらったし。自分で何か一人でやりきったというのは、ある年齢ぐらいまではそれでいいし自身を持つためにも必要だと思うけど、大人になるには捨てないといけないものだと思う。やれるだけやって大学受けて落ちた時は頭真っ白、センター英語いまいちの点数しか取れなかったのが敗因といえば敗因ですが、言い訳にはならないと思う。一発勝負なのははなっから分かってたワケだし、テンパってぐずぐずになるのはやっぱし演習が足ってなかったわけだし。

 で、正直地元国立試験終わってから出願できる大学考えてたんだけど、父親にもう一年やれその代わり予備校にも行って最善尽くせって言われた。ほんと贅沢だと思う。心配かけてるし。すぐに予備校に入るしたくして、昨年できてなかった数学といまだに苦手意識のあった英語がんばった。成績も一浪の時に比べたら少ししかあがってないけど、やることはやってきた。というか試験もうすぐだからこういうことは合格してから書けとか言われそうですね。というかあとは第一志望に受かれば万事OKなわけですが、上智の神学科に志望変った理由を書いてもう終わりにします。というかほんと長いね。相当フラストレーションたまってるんだ、わたし。

 神学部に志望が変った理由を端的に述べると、2001年にもってた危機感というかそういうものが変質したからだと思う。当時は隣の危ない国のことがかなり気になっていたけど正直それは些細な問題でもっとまずい物というか大変なことが起きそうだなと、予備校行きつつも読書はしてきてつもりだしなるだけいろんなところにアンテナ張ってきたつもりなのだけど、正直言うとまだぜんぜんはっきりしないでもなんかとってもまずい気がする。これじゃほんとただの電波だよな。なんか色んな人が色んな場所から変化が起きる起きるというけど言ってる当人たちもなんかよくいまいち分かってないみたいだし、そのなんだかよく分からない変化に対して自分の価値観だとか行動規範を固めたいのが一点。

 もう一つはキリスト教自他が宗教改革というかたちで大きく変化したけど‘その変化’自体を知りたいというか、いろいろアプローチの仕方は考えてみてるけど、たぶんこの先起こる大きな変化と同じぐらい大きな変化であると思っているので、そのとき生きてた人たちがどうやって考えて行動してたか知りたいから。

 なんだか長々と書いてて本題の部分が短いしあいまいでごめんなさい。

 でもう少し、前のエントリーはきつい当てこすりにしても、正直過去を後悔してぐずぐず言うのはあまり建設的ではないと思う。そんなことしてたら私後悔しっぱなしで持たなくなるし、やれることをやれるだけ、他人に頼りながら少しずつでもやるしかないと思う。

 長くなったけどこれでおしまい。かける機会をもらえたことに感謝。時間少なくなってるのでこれで切り上げます。読んで下さってありがとうございます。

 

 

 

 

 

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