はてなキーワード: 論理学とは
OKじゃねーよ
きみは芝刈り機のコピペを知ってるか?
ジョーは酒場で論理学の教授と知り合った。つまり「AはBだ」と言ってることに対し、「AじゃないならBじゃないな!」と言うのは論理的に間違ってるし馬鹿げている。
「論理学ってのはどういったもんですか?」
「やって見せましょうか。お宅には芝刈機があります?」
「ありますよ」
「ということは、広い庭があるわけですね?」
「その通り!うちには広い庭があります」
「ということは、一戸建てですね?」
「その通り!一戸建てです」
「ということは、ご家族がいますね?」
「その通り!妻と2人の子供がいます」
「ということは、あなたはホモではないですね?」
「その通り!ホモじゃありません」
「つまりこれが論理学ですよ」
「なるほど!」
深く感心したジョーは、翌日友人のスティーブに言った。
「論理学を教えてやろう。君の家には芝刈機があるか?」
「いや。ないよ」
「ということは、君はホモだな!!」
それらの書き込みにはたしかに中身がない。自分が正しいと思っている相手に向かって、ただおかしいとか阿呆とか寝言などと言っても、ナルホドそうなのかとはならない。なぜそう思うのか根拠を示す必要がある。そうして初めて説得力が生まれる。
二値論理でモデル化できる範囲の世界観なら、「真でないものはすべて偽」とはいえるだろうね。
「逆は真」で言いたいことは解りやすい。その種の論理の誤りに陥る人はたしかによくいる。でも論理学を最初に習うのは理系の大学一年だぜ。自閉症の症状とはいえないでしょう。抽象より日常的なものに例えられた方が理解がはやいって説もある。必要に応じて噛み砕いて説明するべきだ。
常識人にはモラルって形で言動を強制する機能がインストールされているから、お願いは実質的に命令として働く場合がある。それはそのとおり。しかし増田よ、そこまでわかってるなら「焼き殺せば済んだんだろうが…」がただの空想以上に酷い意味を持つことは当然理解してるよな? 焼き殺したいがその責任は取りたくない・世間様の圧力を使って脅したい・コミュニケーション障害は殺すに値する… その短い文章に、アンタの意気地が無いが意地の悪い小心が、残酷な支配欲が、命を軽く見る価値観が、多様性と連帯への無知が、同調圧力への屈服が、表れてしまっている…
インターネットに文章を書くことのリスクは、自分自身の人格の証拠が残ってしまうこと。それが筆者自身にフィードバックすることだ。俺はこういう奴なんだって認識したまさにそのとき、人は「そういう奴」になる。Be careful.
でも今の話において論理学のどの観点が関連しているかを指摘することはできないんですよねわかります。何故なら君は論理学を学んで理解したわけではないから。例えワンフレーズでも君は論理学について何も言うことはできない。
少なくとも、現代社会で生きていく上で求められる力のうち、論理的な文章を読む能力に絞るとしても、
・表現力(形にできないものは「思考」できない) →書くトレーニング
…が必要。そして、それぞれを身に付けるには、右に書いた対策が必要。「こんな面倒臭いことしないとダメなの?!」って思うかもしれないけど、読解力が優れた人はこれを「面倒」だと思わずにやってる。なんでそんなことができるかというと、純粋にそれが「楽しい」から。従って、一番重要なのはこれらを「楽しめる力(素養)」ということになる。それを踏まえると、
という問題にいきつく。自分は、読解力を「指導する」側の人間として、それなりの評価を得ているが、そんな自分でも、「根本的に上記の力が一つならず足りていない」生徒を前にして、彼らの力を「伸ばす」ことができるのか/できたかと問われると自信がない。自分がしているのは、所詮、「もともと彼らの力量でできるはずだったこと」のうち、よくない指導者のために「できない」か「やり方を知らない」状態にある生徒に、「自分のできることに気付かせること」程度でしかないからだ。世間の「読解力を伸ばす」とか称するやり方にも、納得を感じることがない。もちろん、信じることが全て無益なわけではなくて、「信じる」→「モチベ湧く」→「やる」→「少しできるようになる」→「自信が次のモチベになる」→…みたいな良いサイクルの切っ掛けになることだってあるわけだから否定はしないけど、それが「万人向けのレシピ」であるような説明をするのは正しくないと思う。そして最後に、
(3)読解力にはレベルがある
・初級…書いてあることを要約できるレベル。
・中級…書いてあることを他に応用できるレベル。
とざっくり定義すると、この級の壁を越えさせるのは更に困難である((1)で書いたのはせいぜい初級レベルまでの話。)初級者を中級者にするには、少なくとも高等教育が必要だし、上級者にするには相当な時間と手間がかかる上に成功するかどうかも覚束ない。
こういうことを考えると、「読解力を育成する」なんて空恐ろしいテーマについて正面から向き合うような恐ろしい真似は、自分にはなかなかできそうもない。