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はてなキーワード: 自死とは

2011-06-24

自殺は安らぎの場所

これから被災地自殺が増える

 

もともと死ぬしかない人もいたところに津波がきた

 

生きる望みのない人に無理やり生かさせる必要はない

静かに尊厳自死を認めよう

 

死は安らぎの場所なのだから

2011-01-26

青い鳥はいなかった』とサリドマイド児の親コピペについてもう一度

親が障害を持つ子供権利を(過剰なまでに)求めるといった類のニュースが語られた時、近年になって定番のように貼られるコピペに、以下のようなものがある。

  普通学級に通学するのが、物理的に困難な障害児の入学ゴリ押しする親や人のニュースを見るたびに、 以前に見たドキュメンタリーを思い出す。

  サリドマイド児の親のドキュメンタリーだったのだが。

  生まれついて重い障害を負って生まれた息子の為に、親は「サリドマイド児の親の会」を立ち上げて、休日は全て会の活動。

  「障害者に理解のある社会=息子の為」との強い信念のもと、息子を連れて積極的にマスコミにも出たり、講演活動も行った。

  さらに、息子を普通学級に進学させた。息子は重い障害を負いながらも大学に進学。一時は、マスコミにもてはやされた。

  が、大学卒業後、障害を負った息子は何処にも就職できなかった。ここで、息子は生まれて初めて本音をぶっちゃける。

  「子供の頃から、人前でさらし者にされて辛かった」「休みの日くらい、家族だけで過ごしたかった。家族だけで遊園地旅行に行きたかったのに」

  「普通学級になんて行きたくなかった。手の無い俺が、普通学級でどれだけ不自由で辛く、孤独だったか

  どれだけ、危険屈辱的(同級生による排泄介護等)な思いをしたか!」と、延々と恨み言を言い出した。

  で、親が「何で言ってくれなかったんだ!」と反論したら「言ったが、全て“お前のためだ”で済まされた。

  一度だけ、同じ障害を持つ子供たちがいる養護学校に行きたいと言ったら“負けるな”と説教された」

  「俺みたいな障害を持った子供が、親に見捨てられたら生きていけない。だから、言いなりになっていた」

  「お前たちは“俺の為”と言っていたが、結局は自分たちが社会から注目されてチヤホヤされたかったダケだろう。

  養護学校に進学した同じ障害を持った連中は、職業訓練を受けて就職して自立しているのに、親の見栄で、普通学級に進学させられた俺は、就職できなかった」

  「俺の障害を受け入れてくれない、見栄っぱりな親のせいで、俺の人生はメチャクチャにさせられた!」

  結局、息子さんは親に対する恨みつらみの遺書を残して自殺最後に親御さんは「もっと息子の気持ちを考えてやれば良かった」

  「健常児と同じようにする事が、息子の為だと思っていたが、間違いだった」と嘆いていたな。

上手い「コピペであると思う。

サリドマイド児】と冠してしまったことで、(主にサリドマイド禍にあわれた方々が、大卒の年齢に達するのが今から30年程度前であることから※)全体に無理が生じてしまったこと、にもかかわらずドキュメンタリーなどと真実味を付加してしまったことで、決して少なくない数の「嘘を嘘であると見抜けない」方々が、あたか現実の出来事であるかのように喧伝してしまうことがもったいないほどである

既に

http://ameblo.jp/rosexxxkasumi/entry-10613422332.html

といった記事で述べられているように、このコピペ真実であると誤解した方々が、出典として挙げる書籍に『青い鳥はいなかった―薬害をめぐる一人の親のモノローグ飯田 進)』というものがある。

上記のサイトを見ていただければ、このコピペが=『青い鳥はいなかった』著者の息子、伸一氏ではなかったことや、コピペの状況自体に矛盾が生じることは容易に理解出来ると思う。

にもかかわらず、相変わらずコピペ=伸一氏であるとされる方々は一向に減らないし、さらには「俺はこの本を読んだけどこのコピペの内容が書いてあったよ」などとする者もいる。

ここではその誤解をはっきりと解くために、『青い鳥はいなかった』本文から引用を交えてネット上に残しておきたい。

なお、本来『青い鳥はいなかった』という書籍は伸一氏との関係についてを主たる題材として扱っているわけではないため、これから取り上げる部分がこの本の限定的な一部分から抜粋になることを付記しておく。

http://www.amazon.co.jp/%E9%9D%92%E3%81%84%E9%B3%A5%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E2%80%95%E8%96%AC%E5%AE%B3%E3%82%92%E3%82%81%E3%81%90%E3%82%8B%E4%B8%80%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%A6%AA%E3%81%AE%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B0-%E9%A3%AF%E7%94%B0-%E9%80%B2/dp/toc/4835032993

この本を紹介したアマゾンのページである。目次に注目していただきたい。

目次

わが内なる罪

父母の会創設

国際的な連帯を求めて

噴出する矛盾と内部対立

理念現実のはざまで

集団訴訟をめぐって

親の止まり木を目指して

裁判有利の展開のかげに

疑惑の根源

裁判の終結

和解の落とし穴

父母の会の解散

息子伸一の死

実際は「わが内なる罪」を序章とした一二章構成になっており、ここに前書きと終章が加わる。

青い鳥はいなかった』を誤解している方の殆どは、この目次と、飯田進氏がサリドマイド児の親たちを中心にした「子どもたちの未来をひらく父母の会」発起人であり会長であったことのみをもって判断しているのではないか想像するが、どうだろうか。

「わが内なる罪」で始まり「息子伸一の死」などと締めてあっては、いかにもコピペの親が飯田進であるかのように錯覚できるのは否定しない。

しかし実際「わが内なる罪」で語られている進氏の心情はこうだ。

  まぎれもなく私は、重大な過ちを犯した。大倉医師の指摘したとおり、私は充分な統計的調査をすることなく、不用意にも息子伸一の誕生が、あたかも「被爆者に奇形児が生まれると、それをすぐに原爆の影響だと考える」思い込みを前提とした投書をしたのであった。(37頁38頁)

  たしかに息子がうまれたときには、その障害の原因がサリドマイド薬品にあったことを知っている者は、だれもいなかった。その罪意識は、それから私の心理と行動に支配的な影響をもたらすことになった。(41頁)

「息子伸一の死」ではより具体的にコピペとの差違を指摘できる。

  知人が主催する公益法人に、伸一を就職させたことがある(268頁)

  彼は結婚前もその後も、しばしばタイインドネパールチベットなどへ旅行をしている。いわゆるバックパッカーである。いくら貧乏旅行はいえ、それだけの経済的余裕があったのである。(269頁)

  いわゆる不審死である(274頁)そして死因は急性肝不全(274頁)

さらに終章では

  伸一は母子感染C型肝炎になったのにちがいない。当時の輸血用血液は、アメリカなどからの輸入に頼っていた。その血液には、しばしばC型肝炎ウイルスが混入していたのである。(312頁)

  もちろん伸一は、妻が入院中、連日のように病院を訪れている。見る影もなくやせ衰え、苦痛に耐えつつ死んでいった妻の姿を見ている。だから彼は、おのれが直面させられている運命を、知っていたのに違いない。(312頁)

  事実上医療をこばみ、緩慢な自死にひとしい成り行きをたどった秘密もまた、そこに潜んでいたのか。なんたることか。(313頁)

青い鳥はいなかった』で語られるのは父母の会の設立運営や、その後の訴訟に関して「こうするべきだった、こうあるべきだった、でも現実にはそうではなかった」という筆者の悔恨である。そして息子の死が「私が行ってきた行動を、全否定しているかのよう」に感じた筆者が死後の伸一氏へ当てた手紙のようでもある。

飯田氏の行ってきたことを少しでも知ったなら、あのようなコピペ元ネタとして扱うことがいかに礼を失する行為であるかは理解してしかるべきであると思う。

障害をもった親の権利を(過剰なまでに)求める親や、その親を反差別ネグレクトだと叩く行為の是非まで問うつもりはないが、それを叩く材料として上記のコピペ「真実」であるかのように貼り付けたり、『青い鳥はいなかった』と結びつけて語ったとき、その行為誹謗中傷であり、いいかえればそれこそが”差別である

最後に、コピペにある「遺書」と似て非なる伸一氏が「遺した書簡」が、筆者にとって「お前は肝心なところはわかっていてくれたんだな」と言わせる、筆者と伸一氏の間に決定的な断絶があったわあけではないことの証左であるし、また筆者がこの本でいいたかったことの半分程度を言いあらわす例ともなりうるので、全文を引用してこの日記を閉じる。

  「サリドマイド裁判は、親である第三者が闘った裁判であるのが特徴であった。かなり特殊な裁判であると言える。当事者である被害者は、幼児であったからだ。障害者である本人は、自分の被害をほとんど知らぬままに保証金をもらって和解したのが、サリドマイド裁判の実態であると言って差し支えいであろう。その裁判においてサリドマイド以外の障害者については、何もしなかったのも事実だ」(中略)[注、本文ママ]

  「つまりサリドマイド裁判薬害と言いながら、サリドマイド障害者の救済しかしなかったし、一緒に闘ったはずのサリドマイドとは認定されなかった他の障害者の救済は何もしなかった。いまだにその認識は、サリドマイド障害者にはほとんどない。」(290頁)



※に関する追記

サリドマイド禍はその時期がそれほど広範ではなく、「サリドマイド禍にあわれた方々」が大学卒業する時期もある程度類推が可能であるコピペ記述などから考えても、「30年前」という時期をそれほど外してはいないと思う。

30年前といえば、時はバブル前夜。「大卒」という肩書きが十二分に武器となった時代。今とは違い、大卒で「就職できない」という事態はそれなりにレアケースである。「親の活動そのもの」が反社会的とされ、企業に嫌われた可能性もないではないが、コピペ記述からはどうもそんな雰囲気ではない。少なくとも、職業訓練よりは大卒の肩書きのほうがはるか就職に有利であった時代に「普通学級で大学いかされたせいで」就職できない、という記述には矛盾が生じている。

コピペに「危険屈辱的(同級生による排泄介護等)」という記述があることから、その障害が日常生活や就業に支障をもたらすものであった場合は上記の限りではないが、そうであった場合、時はバリアフリーのバの字もなかった時代である。そういう時代に重度障害者大学に通い、卒業する、ということがどれだけ大きな事態であったことか。それこそ大学始まって以来というレベルの出来事である。本人の確固たる意志に、親をはじめ、周囲の身を削るような協力があっても難しいような行為。にもかかわらず、本人に大学に行きたい、卒業したいという意志はかけらもなく、親も見栄が先行しているのを子供に見透かされるような程度の熱の入れようなのだそうだ。ここにもやはり矛盾がある

2011-01-17

ある男は言った。死は自動的なんだよ、と

去年の11月くらいにに某所で書いたものなのだけど、人の目に当たる事が殆ど無かった。

さっき風呂入ってぼんやりしてたら何となくこれの事を思い出したのでここに投げ込んでみる。

文体がやや気持ち悪いのはその時の精神状態と投下した場所でのキャラこんなだから

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私は所謂メンヘラさんなのですよ。

なんだかんだでもう10年は病んでて最近調子良くなってきたか社会復帰できるかな、と思いきや転落してまたニートもどきな日々を過ごしています。

そんな私がやらかした一番でかいことを書こうと思います。

数年前に某富士の麓に研究所がある自動車会社派遣で行くことがありました。長期という話だったので御殿場の駅前の新築アパート借りてさぁ心機一転がんばるぞー、と働き始めました

ところがこれがまた劣悪な職場な訳で…。

なんとか方式とかいう効率的な職場方針の大本だけあっていろいろと効率的です工場じゃなくて研究所から少しはマシかな、と思っていたらそうでもなかった。

スギスしてるんですよ。空気が。

なんていうか怖い。

なぜかというと効率を求められるから研究に対しての成果を。

期日がタイトなのはデフォルトとして、結果も求められる。失敗は許されない。

実験するんですよ。私は派遣丁稚からプロパー自動車会社正社員)さんにアゴで使われて実験のセッティングをして実験しました。赴任一週間目だったと思います。

失敗しました

や、プロパーさんに「これくらいできるよね?」みたいな感じで早口メモ取る余裕もなくあれこれ一方的に言われて「じゃ、忙しいから後は任せた」みたいな感じでさっさとどっか行っちゃうのです

どうしろと?

実験と言ってもここでの実験は所謂物理学的な実験で私がバックグラウンドに持っている化学実験の知識なんかクソほどに役に立ちません。

でもやらないと、ということで役に立たないメモ記憶を頼りに実験したら見事失敗。

プロパーさん顔面蒼白

部長(昭和の悪しき風習を未だに引きずってる感じのするオヤジ)と面談になってプロパーさんは胃に穴が開いてそうな顔をして

ボーナス査定に響いちゃうじゃないか…」

と呟いていました

で、その部長さん、プロパーさんだけじゃなく私にも面談だと呼び出してきました

実験を失敗させた「戦犯」だしガミガミ言われるのかな…と思いきやこう言ったのですよ。

「オマエ○○にいたんだろ?使えない奴だな。そんなだから半年でクビになるんだよ」

○○というのは栃木埼玉研究所を持つ自動車会社です栃木の方に半年勤めていました。これも派遣なんですけど。

半年でクビになったのは事実です

しかしそれは面倒くさい事に巻き込まれてそれに対して正論言ったらさらに面倒くさいことになってそれにカチンときたので更に言ったらパワハラまがいのこと喰らって、それが元でメンヘラが悪化してノックダウン、派遣元判断で強制退去と言う経緯があります

面倒くさいことがなかったら多分長く続けることができたと思います。職場環境は今まで勤めた中でもずば抜けて良かったですし、今でももし機会があればまたそこで働きたいと思うほどです

話を戻しましょう。

部長はその○○に何か執着があるのかそれ以降ことあるごとにそれを引き合いに出すようになりました。一番酷かったのは私の歓迎会という席で無理矢理酒飲まされそうになって断ったら「だから○○辞めさせられたんだよ!」と曰った事でしょうか。

それが切っ掛けという訳じゃないのですそれから仕事場に行くたびにMP(メンタルポイント)が削られていくのがわかりました実験は相変わらず上手く行かないし新卒の小五月蠅いガキっぽいのがゴミを見るような目で無茶なことやらせたりでMPはどんどん減っていきます

そして…某月某日、MPが尽きました

朝起きても動けない。恐怖と不安で押しつぶされて身動きができない。今でも仕事決まって行こうとするとこの恐怖と不安の発作が出ます。それの始まりでした

三日間全く動けず。

何して何食べてどうやって生きてたかは正直覚えてないです。寝て起きると汗びっしょりでクタクタで、それでもインターネットはやっていたらしいです。どんだけ好きなんだよインターネット

三日目の夜携帯電話が鳴る。相手は派遣元研究所担当の営業さん。

やばいですよー」

「完全にお怒りで…」

明日何が何でも出社でき・・・」

「そうでなければ解雇wldajkfdhafasfa」

思考がシャットダウンされました

セーフモード再起動します....

それから先の電話の内容は全く覚えてない。

覚えているのは薬入れにあった向精神薬,睡眠薬全てを出して、冷蔵庫からスクリュードライバーの缶をだしてビーカーに注いで薬を全部飲んで布団敷いてメモに走り書き的な遺書書いて寝ていた。

…らしい

発見されたときの状況がそうだったらしいのでそうだったのかもしれない。

電話の途中で思考がシャットダウンされた後の記憶は本当に無く、次に気がついたときには病院らしき場所でやたらでかい注射が打たれる瞬間だった。それを見た数秒後また意識が暗転。

次に気がついたときは当時所有してた車の助手席に座っていて、父が車を運転していた。何十年ぶりのマニュアル車しか外車なのに…申し訳ないと思ってまた意識が暗転。

次に気がついたのは実家の目の前。父が「降りろ」と言うので車から降りようとしたら足に全く力が入らず顔面からダイレクトに着地。まぶたが切れて血がどくどく出るわ眼鏡に傷がつくわ背伸びして買ったオサレ服屋のシャツに血がつくわで散々だった。

それから記憶がはっきりするのに一週間以上かかった気がします。

会社はどうなったのかはよくわからいです。

記憶がはっきりしないとき派遣元コンプライアンス部長かいう人が来たらしく、お金沢山あげるからもう金輪際関係はありませんさようならたいな念書を書かされたようです

自動車会社の方は全くわからない。まぁ関わりたくはないです。


こんな感じで有り体に言えば自殺未遂しました

実際体験して思ったことは「死は自動的」であるということ。行うときは本当に無意識自動的に執り行われます

死ぬ死ぬ喚いているうちは死にません。だって死ぬって宣言する時点でリミッターが働いているから。私も死ぬ死ぬ詐欺よくやるから解るけど、実際喚いている時は本当に苦しい。辛い。誰かに(辛さ、苦しみを)わかって欲しい。そうやってレスポンス貰ってようやく自分の中に空いた穴が満たされるのです

少し前にUstream自殺実況して本当に死んじゃったって事件あるけどあれも本当に自分の苦しみをわかって欲しかったんでしょうね。でも場所とオーディエンスが悪かった。

煽られ罵られ貶された末に彼がとった行動は「本当に」死ぬことだった。

自動的ではないのに。何故か?

多分怒りからきた衝動だと思う。そりゃ怒るよ。こっちは真剣に苦しいのに「早く死ね」とかナチュラル匿名掲示板のノリで煽っちゃ。

基本的にメンヘラの人は怒りを自分自信に向ける。自罰的な人が多いって言うのだろうか。この場合だと

死ねなかった」→煽られる→「くそ死ねなかった俺が悪いんだくそくそくそ!」→衝動的に「行動」に移す→運悪く「成功」

怒りで死んじゃったら救われないよ…。

匿名掲示板という特殊環境群集心理というのもあったのかもしれないけれど、あの場にいたオーディエンスは本当に悪質だと思う。正直、IP調べて書き込んだ奴らを自殺示唆で立件してもよかったんじゃないかとすら思っています。

自殺願望者にとって死は救いです。ギャグでも何でもなくて本気で死ぬことによって苦しみから解放されると思っています。

でも基本的に人間っていうのは自死に対してはリミッターが働いてしまう。だから苦しみから解放されず辛くて苦しい時を過ごさざるを得ない。で、その苦しみや辛さを知って欲しいからある人はリスカ写真あげるかもしれないし死ぬ死ぬ詐欺する人もいるかもしれない。

から見れば迷惑この上ないのは重々承知なのですけれど、もし見かけたら生暖かい目で見てくださると幸いです。

2010-11-17

訊こう、DVが起こるまでなにもしないつもりか

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/national/update/1115/OSK201011150159.html

はてなブックマーク - asahi.com朝日新聞社):それはDV、気づいて 生理用品に被害相談先 - 社会

大王製紙本社東京)が、生理用品の包装紙にドメスティックバイオレンス(DV)の被害相談先を掲載して販売する取り組みを始めた。女性だけが使う商品だからこそ男性に気づかれずに相談相手の存在をそっと伝えられる、という1人の元被害女性の思いを企業が受け止めた。

きっかけは2年前、兵庫県女性(48)から届いた手紙だった。女性は元夫の暴力的な言動に耐えられなくなり、9年前に家を出た。「パパのそばにいてあげたい」と残った長男が2003年3月、元夫に刺殺された。

ブックマーク数は20を超えた。「DV女性だけの問題じゃない」(から不完全だろう)というコメントもあるし、そもそももっと基本的な知識として、女のみならず誰もが熟知する情報となるべきだとも思う。まあ、それはいい。今回はおいておこう。

実はこの件、初めて朝日の記事になったのではない。メーカーに要望を出している状態のときに、すでに記事となっている。「DV相談窓口、生理用品に記載して…長男失った女性訴え(http://www.asahi.com/national/update/0902/OSK200909020015.html)」がそうだ。ブックマーク数も200超だから、記憶している人も多いだろう。

そして、この記事についての日記過去に書いたことがある(http://anond.hatelabo.jp/20090904015211)。以下引用

以前はごく普通の仲の良い家族だった。食卓には笑い声が響き、年に数回は旅行に行った。だが元夫は仕事などが原因で神経症になり、ささいなことで逆上するようになる。12年前から4年間、DVの被害を受け続けた。

そのまま素直に読めば、「仲の良い家族」であったはずの夫が「ささいなことで逆上するようにな」ったのは、「仕事など」のトラブル?や「神経症」が原因だろう。

もちろん、病気だからといって夫の行動が何もかも免責されるとは思わない。が、エスカレートする前の、せめて「たまに殴られることもあった」ぐらいのときに状況を食い止め、また「仲の良い家族」へ戻る方法は存在しなかったのだろうか?

資料を読みあさった。DV被害者は、加害者コントロールされて自分が悪いと信じ込み、事態を悪化させる。早く気づいていたら。自分のような人に、自分が受けているのはDVだと気づいてもらう方法はないか。

まず踏まえるべき「資料」はDVの資料なのだろうか。まず「早い段階で気づく」べきはDVの被害なのだろうか。

まず行くべき「相談窓口」は他にないのか。

今回の記事には「元夫の暴力的な言動」の原因は欠片も出てこない。被害者女性が気にしているのは、長男自分の受けた被害だけなのか。夫がDVを振るわず、ただ一人で自死でも選んでいたら、それは構わないのだろうか。

「女のみならず誰もが熟知する情報」はほかにもあるはずだ。

2010-11-10

http://anond.hatelabo.jp/20101110041534

>何故電車は死に方としてそんなに人気があるのか。

ということについて、確かにJRおよび地下鉄私鉄各社は心理的な検証をしたことがあるのだろうか。

どうして電車で死んだんですか、と経験者にインタビューしようとしてもその人は既に肉塊になってしまっているので、無理もないだろうが。


電車での自殺を実行コストの観点から説明しようとすることには確かに一理ある。

しかし、腑に落ちない点もある。

そこであらためて「電車が死に方として人気がある理由」を考えてみたい。



1【自殺電車イメージを抱く人が多い】


自殺といえば電車だろ、やっぱ」

といったようなイメージが強烈に定着しているということがまず、あるのではないだろうか。

みんながやっているから、確実に死ねる。赤信号、みんなで渡ればみんな死ぬ。

日本人にとって、電車とは自殺の安心ブランドなのではないだろうか。

ほかに簡単で苦しくない死に方を思いつく人にとっては、こういう死に方は思考停止に思われるかもしれない。

そうだ、死にゆく人の思考は停止しかかっている場合がある。

重度の鬱で気がついたら死のうとしていた、という人にとって、自分の死に方についてそれほどクリエイティブな思考を巡らせるだけのエネルギーはもはや残っていない。

だからそういう人は、この国における「自死」のイメージに強烈に結びついた電車イメージに、まさに身体ごと引き込まれていくのではないだろうか


2【自分が死んだことを知ってほしいという願望がどこかにある】


誰にも迷惑をかけず、この世から消えてしまいたいと本気で思った人は、富士樹海への行き方を調べたことがあるのではないだろうか。

電車自殺をする人は樹海を目指す人たちとは異なる考え方をしているように見える。

たとえば毎日の通勤で、駅に行くと電光掲示板に「人身事故」の文字が流れる。

ああ、今日もまただれか死んだな、とあなたは思う。

このようにして、電車自殺すると、あなたの死はいやおうなしに知らされる。たとえ大部分の人にとってそれが匿名の死であっても。

電車で死ぬ人には、彼または彼女が愛した人にであれ、殺してやりたいと思っている人にであれ、自分が死んだという事実を確認してもらいたいという願望がどこかにあるのではないだろうか。

2010-06-23

http://anond.hatelabo.jp/20100623194333

思うところあっての発言だとは思うけど、浅い。もし可能なら、自殺と関わることの多い現場で活動してみるか、いくらか関連書籍読むだけでももう少し深い意見が出てくると思うよ。

ただ部分的には賛同できます。今のこの国に必要なのは自死を容認する仕組みではなくて、自死について語り合いやすい社会共同体の構築だと思う。

誰もが孤独に死を選びすぎます。老人でも若者でも。

2010-05-29

精神科という場所

DSMの改訂の度に、論議を呼ぶような追加があるが、今回も例外ではない。実際、マニュアルだんだん厚くなっている。今回提案の改訂で最も不穏なのは、いわゆる医療専門家が個人の性格を調査する際の方法が、ずうずうしく露骨な新方式になっていることだ。

変わった個性を持つ子供が、その個性のために奇抜な行動を見せると、精神疾患と分類されることになる。昔からこの基準で診断されてきたならば、モーツァルトアインシュタインのように通常の枠組みから飛び出して新しい発想にたどり着く人は存在しなかったかもしれない。

ワシントン・ポストの記事は、このことを的確に表現している。

今日、7才のモーツァルトコンチェルト作曲しようとすれば、注意欠如・多動性障害と診断され、投薬で才気の無い『正常』にされるかもしれない」

性格の違いまで精神病解釈するとなると、人間は個人的な義務を感じなくてよくなるが、同時にユニーク人間性を奪われることになる。自分で考えることができず、医薬品コントロールされるだけの存在に貶められる。

http://tamekiyo.com/documents/healthranger/dsm.html

この子(http://www.youtube.com/watch?v=6-owL1vM4nE)みたく飛びぬけていたり、見つけて伸ばしてもらえた子は良いのだろうけど、そうじゃない出る杭になっちゃった子は打たれるんだろうな。

精神医療の周辺ってこれだけじゃなく、色々とこわい。

医師自殺率は高い。1980年代前半の英国における医師自殺率は、一般人口に比べて、男性で3倍、女性で6倍である(a'Brook,1989)*1。最近米国では、一般の男性に比べて、男性医師自殺を試みることが1.41倍だが、一般の女性に比べて、女医自殺を試みることが2.27倍と高く(SchernhammerとColditz,2004)、女医の19.5%がうつ病の既往を自己報告している(FrankとDingle,1999)。

1967年から1972年米国では、精神科医の自殺率は、他の医師の2倍である(Richら,1980)。自殺率が高いだけでなく、精神科医は医師の中で喫煙率が最も高く、禁煙に最も失敗しやすい(TamerinとEisinger,1972)。1980年代米国では、男性精神科医の7.1%、女性精神科医の3.1%が、自らの患者性的に接触している(Gartrellら,1986)。これらは1960年代から1980年代にかけてのデータだが、精神分析流行していた当時の米国精神科医たちは一般の医師よりもさらに不健康な人たちの集まりだったようだ。

http://d.hatena.ne.jp/hotsuma/20071224/

 全国自死遺族連絡会が2010年3月までに行った調査によると、自殺者1016人のうち精神科受診治療中だった人は701人で、69.0%を占めた。自殺者のうち飛び降り、飛び込みは197人で、自宅のマンションから飛び降り自殺を図った場合は全員が受診していた。また、自殺した20~50歳代女性も100%が通院していた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100504-00000000-jct-soci

さて、このグラフは何を表しているのでしょうか?これはものの

見事に精神医療産業戦略通りに患者が開拓されていることを

示しています。

(中略)

精神科にかかる患者が増えるのも、抗うつ剤の売り上げが増えるのも

それが本当に患者のためになるのであれば、私は一切批判はしません。

しかし、私の知っている現実はそれと全く逆です。精神医療現場では、

患者尊厳や命までも、精神医療産業利益と比べてあまりにも軽視

されていて、不当な診断をされたり、知らされなかった薬の副作用

被害に遭う人が本当に多くいるのです。

薬害エイズ事件は、患者の安全や命、尊厳が無視された結果、必然

に生じたものでした。私は、抗うつ剤に限らず、向精神薬による薬害

は、薬害エイズ以上に大規模な問題であると考えます。そして、無用

患者隔離拘束薬漬けにしてきた精神医療は、ハンセン病問題を

はるかに超える規模の犯罪・不作為であると考えます。

http://blog.livedoor.jp/mizikanamondai/archives/50929735.html

昨今、気軽に精神科にかかろうといった風潮があるけれど、精神科について知るにつれ、よほどのことがない限りあまり近寄らない方がいい場所に思えてくるんだけれど、どうなのだろう。

2010-05-28

自死する程衝動的にも冷静にもなれない。

あと何十年続くのだろう、こういうの。

2010-03-28

Angel Beats! 最終回

音無が目を覚ますとそこには真っ白い天井が見えた。

規則正しく響く脈拍計の音。これは……点滴だろうか?

開かれた窓から風がたなびいてカーテンを揺らしている。

まだ意識もうろうとしていて、よく分からない。

今度は、慌ただしげな物音。行き交う大勢の人々。

真っ白い格好をした人々。必死に声を掛ける人。お母さん……?

たくさんの人が音無に必死で話しかけるが動けず、声も出せない。

やがて音無は、自分が生きていて、病室で目を覚ましたことを実感する。




―――数ヶ月後。リハビリ病院内を歩く音無。

あの頃の記憶現実だったのか未だはっきりしない。

戸惑いつつ、それでもリハビリに励む音無は、

病院の裏庭に立っている少女を見て、動けなくなる。

パジャマを着てるけど、どう見ても彼女天使だ。

心臓が高鳴る。

動けない身体で彼女の元に急ぐ音無。




音無は必死にあの世界での出来事を天使に話すが、彼女はどうも困惑気味だ。

「あの……知ってる人ですか?」

彼女天使と同じ姿形をしているが、天使ではなかった。

記憶喪失でずっとこの病院の別の病棟入院している患者なのだそうだ。

しかし抑えきれない音無は、必死にあの世界の出来事を彼女に話す。




自死とそれを選ばざるを得なかった運命を受け入れ、ついに彼を許し、天使になったゆりのこと。

巻き込んでしまった仲間たちと、仲間に裏切られ殺されたその運命を初めから受け入れていた日向のこと。

解散ライブ音楽だけは永遠に生きることを伝えようとしたあのバンドメンバーたちのこと。

そして、僕自身のこと。これから生きて……生きることで償い続けなければならない、罪のこと。

他にも、たくさん話したいことが、話さなければならないことがある。

言いたいことが多すぎて、うまく言葉が出てこない。

当然、天使の顔をした天使じゃない彼女にはさっぱり事情が理解できない。

だけど、少年の泣き笑うその表情は、とても幸せそうに見えた。

だから、少女は言った。




「良かったね」と。




突然表情が変わり、動けない身体をむち打ってすがりつく音無に、少女は困り果てる。

どうしても自分天使にしたいらしい。

「あの……ちょっと私もう行かなきゃならないんです」

悲しそうな顔をする少年少女はどうしても放っておけない。

「もうすぐ公演館で大好きなバンド演奏会があるんです。

 ……と言っても演奏するのは患者の人たちのコピーバンドなんですけどね。

 わたし、それにどうしても行きたいんです! だから……」

遠くからかすかに聞こえるギターの音。

「いけないもうはじまっちゃってる! ごめんなさい!」

一礼して、音無の元を走り去っていく少女

遠くから響く聞き覚えのあるイントロ

それは、聞き間違えようがない……。




音無は、少女を追いかけようとするが思うように身体が動かずに転んでしまう。

必死の思いで起き上がろうとする音無を覆う影。

ふと見上げると、そこにはさきほどの天使の顔をした少女が手を差し伸べていた。

「あなたも好きなんですか? ガルデモ



END

2010-02-25

日本サラリーマン」って、もしかして所謂「職人」なんじゃね?

サラリーマン」と括ってしまうことで拡散してしまうものがあると知りつつ、ひとつの視点を提案してみたいです。

 あ、三十手前職歴なしのたわごとです。

  • 10年泥にまみれてようやく一人前。下手すると15年、20年。
  • 成長はOJTという名の、同職ギルド内の伝達(技術は盗むもの)によって行われる。伝達の相手は能力<立場で決定。だって伝えて辞められたら大変だし。
  • しかし、それぞれのギルドで個別進化したものなので、他グループでは通用しない。もはや特殊技能
  • 途中で抜けようものなら理由は問わず村八分、そして落伍者扱い。他ギルドからも敬遠される。

あとは貶すなり加えるなり好きにしてください。

帰属意識という点で、あらゆる伝統技能職や専門職よりも職人(あるいは奉公)精神を求められるのが、現代のサラリーマンなんじゃないか。

そう考えることで、よくわからない精神的敷居の高さ、正社員にあらずんば人にあらず的な空気新卒>>>>>>既卒経験、という現象の一旦が説明できないだろうかと思う次第です。

変なタイトルつけちゃったけどさ。私が言いたいのはね。

そうした職人精神とか、「社畜」の心意気みたいなのは、あってもいいと思う。立派に働いている友人たちは尊敬してる。

でも、それが日本的な相互監視と相まってできた「空気」に追い詰められた人が「自死」を選んだとき、その人の弱さのせいみたいに言うのは、やっぱりおかしい。

だから、私はもうすぐここから逃げるつもりです。

何度負けたって、それが死でなければ、人生は続くのだから。

空気」を喜ばせるより、こんな私でもいて欲しいと言ってくれる人を喜ばせるために、これからは生きてくつもりです。

日本社会(=親、兄弟、友人)に育てられたんだから日本社会(=略)に恩を返せ、って言う人もいるだろうけどね。

2009-10-18

自死扶助法を成立させることについての法的障害は何だろう

自死扶助法を制定施行するために、(社会的でも政治的でもなく)純法律的にクリアしなければならない点ってなんだろうか。

本人の意思表示が他者に強制されていないことの立証かなあ…

しかし「ないこと」の立証って悪魔の証明だからなあ。無理なのか?

生命保険の問題は、純技術的にクリア可能でしょう。

自死意思表示前の3年内に効力を発した保険契約は無効とする。

(可能ならば払込み済掛金から事務経費を除いた額の相続財団への組入れは可能にしてあげたいけれど、それはさすがに生保がのまないだろうし、捨ててもいいでしょう)

あとは借金の問題か… 自死の前に借りまくって遊びまくった挙句自死、遺族は相続放棄してしまう場合(いわゆる自死前提での遊び逃げ)。これは貸し手側が可哀想だ。うーん、消費者庁(後述)の自死後の証拠調べの中で、債務がある場合にはその契約及び使途を洗い出したうえ、遊興費にあてていた場合は相続放棄を認めない、などの手当てが必要か? いや、何か無理筋っぽいな…

かと言ってここには何らかの歯止めが絶対に必要だよな。仕込んでおかないと市場から個人相手の貸し手がいなくなってしまう。それは「生きたい人たちにはできる限り迷惑をかけない」という原則に反してしまうよね。上手い手はないかな…

あー、刑法殺人罪(未遂を含む。)について、自死扶助の場合は違法性阻却事由にあたるものとして可罰性を取り除いてやらんといかんのか。

だって自死について、痛いし苦しいしそうでない手段を選ぼうとするとえらく手間隙がかかって、とにかくハードルが高い、コスト(金額換算だけでなく、面倒くささをも含む。)がかかる。このコストを低下させることができたら、もっと気軽に自死を選べると思うのだ。BJのドクターキリコのような方に自死扶助を委託するコストが5万円ならば、これは素敵。

++++++++++

追記:あ、刑法にそのものずばりの条文があったから、殺人より何よりこちらを何とかしないとダメだよね。本当に隙だらけだ。すまん。

自殺関与及び同意殺人

第202条 人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、6月以上7年以下の懲役又は禁錮に処する。

(未遂罪)

第203条 第199条及び前条の罪の未遂は、罰する。

すると… この手当ては最低限必要なのか?

刑法等の一部を改正する法律平成x年法律第x号)

第1条 刑法の一部を次のとおり改める。

 第202条見出しを「自殺教唆」に改める。

 同中「若しくは幇助し」及び「、または又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺し」とあるを削る。

…う~ん、やっぱりだめだ、第202条の立法者意思が分からないと小手先で条文に手を入れてもだめだろう。削る方向では本来網をかけなければならない場合を落としてしまう。A「Bさん、私を殺してください」 B「はい、分かりました」でBさんがAさんを殺すと6月以上7年以下の懲役又は禁錮になる。それはAの死後では結局「死人に口なし」となりAのBに対する嘱託の存否が確認できないからか? そうであれば「ただし、AのBに対する嘱託がAの真正の意思表示に基づくものとして他の法令に定める手続きが履践されている場合はこの限りでない。」とただし書をあてれば良いのか?

++++++++++

しかし、するとなあ… 自死意思表示が明示的にも暗示的にも他者からの強制によるものでないことという要件は、更に重要性を増すことになるわけで。ここをどう仕込むか。公証人の前での宣誓だけでは全然足りないよなあ。

公証人との完全な相対で自己自死を選択する理由及び原因について口述し、録取してもらう。うち、自己に対し不法行為を為したがため自死を選ぶこととしたと主張する場合、その不法行為を為した者及びその不法行為があったことに係る証拠(になり得ると少なくとも本人が考えているもの)を公証人に預ける。このように不法行為に対する損害賠償請求権国家に承継させようとする場合、それは国家リソースを費消することになるから、自死意思表示オプションとして選択できるようにする。選択する場合別に手数料の納付が必要だよね。破産手続き開始決定の申立て並みに、40万円程度で良いんじゃないかなあ。

自死が確認できた後、公証人はこれを…そうだなあ、できれば専掌官庁(内閣府自死管理庁?)であれば良いけれど、難しいようならせっかく作った消費者庁に引渡し、消費者庁はこれら証拠を調べて、不法行為に係る損害賠償請求を行って取れる見込みがあると想定する場合、当該損害賠償請求の訴えを被告の居住地、自死者の居住地または死亡確認地を競合的管轄権を有する第一審裁判所としてここに提起する。そして得られた賠償額から必要経費(原告代理人費用も含む。この訴えに限り、原告代理人を検事以外でも可として、訟務の所管を法務省から外す …とすると設置法の一部改正も必要なのか? これは調整がえらく大変そうだなあ…)を控除したうえ、残余を相続財団に組入れる。

消費者庁の証拠調べの過程で、刑事として立件しなければ社会正義が保たれないと判断すべき証拠が発見された場合、検察官への告発を義務付ける。

あとは18歳未満の自死扶助制度の利用を禁止する規定は絶対に必要だよな。可哀想だけれど。成年被後見人被保佐人などの能力制限者も利用禁止。

まだまだ、というか全然法技術的に詰めきれていないなあ…

先ほど措いてしまった社会的な同意の調達は難しいかなあ。40代前半以下の有権者について、全く無根拠だがきっと現時点で10%程度の支持は取れそうな気がするのだけれども。楽に死ねるものなら死んでしまいたい、死んでも良いな、と考えている層は、一定以上いると思うのだが。

2009-10-06

http://anond.hatelabo.jp/20091004211200

50もブクマしてもらって、個人的にはここまで誰かに構ってもらったことがないので興奮しました!

今日は持病の通院のため朝から休み。のんびりした時間を過ごしてかなりくつろげた。毎日こうだといいな。大学時代を思い出した。孤独だったのに特に苦しくなかったのは、こういう風に充実した時間を過ごせてたおかげなんだな(平日の人の少ない書店喫茶店映画。やりたいことをストレス少なく自由にやれる感じ。←社会人になって失ってしまったものばかり)。

今からもう明日の会社が怖い。憂鬱というより、もはや怖い。一部ブコメで指摘してもらった通り、今心が苦しいのは過労が原因というのもあるかもしれない。でも、過労といっても、雑談を交わしあえる人間関係があるならいくらでも働けると思うんだ。一人ぼっちであんだけ頑張らなきゃいけないから、もう悲鳴を上げそうなんだ。

コメントを下さった方にお返事。

  • 一人暮らしで交友関係がなく職場でも一人ぼっちな25歳あたりの人間の憂鬱」を綴って芥川賞。まじおすすめ
    • そうなの?じゃあ読んでみよう。
  • 増田で書いてないで、id出してブクマしようぜ。
    • 増田だと反応がもらえるから嬉しいんです。id:RainbowSongです。
  • いやそういう人はいっぱいいるし、ちゃんと仕事があるうちはまだマシ
    • ホントに?絶対「いっぱい」はいませんよね。仕事があるからマシって、そう思うからこんだけ辛いのにやめられないんです。でもこれが本当に正しい選択なのかもわからん。。。
  • そのうちリアル孤独でもどうってことなくなるぜ。あとはネト充目指しとけ。/よく読んだらその辛さは孤独から来るんじゃなくて過労によるものだと思う。早く病院
    • ネト充になるだけの中身がありません!個人的に、ネト充になれる人はリア充になれると思ってます。だって、それだけ人間的魅力があるってことだから。/過労って部分も勿論大きいんですけど、孤独の苦しみももっと前から強く感じてます。ちなみに、過労のときに行く病院って、精神科ですかね?
  • ぱねえっす、マジ。
  • 何度も書くけど、いましろたかしの「初期のいましろたかし」「トコトコ節」はこのテーマでは絶対に読んでほしい。
    • 早速注文しました。オススメありがとうございます。
  • 心療内科に行っても孤立感は解決しない。もし忙しくて行く暇がないなら、むしろその多忙ぶりが原因かと思われ。
  • 昔好きだった何かを再開してみたらどうだろう。
    • 草野球をまた始めようと思ってます。今はできる場所(チーム)を探してます。
  • 寂しがり屋でコミュニケーション能力が低い人は確かに不幸だ。
  • 私も上京してきて2年目ぐらいはそんな感じだったかなぁ。平日は職場でそれなりに充実していたけど、土日は全く話す相手がいない孤独な生活。だから、トランスジェンダーコミュニティーにどっぷりはまったのかも。
    • 『私も上京してきて2年目ぐらいはそんな感じだったかなぁ』←こういう台詞が一番辛いです。。。僕は上京して7年経っても適応できず、孤独なまんまです(というと数少ない友人に大変失礼だけど)。やはり劣等人間なんですよね、自分は。/トランスジェンダーコミュニティーってなんですか?
  • 自死の要因のひとつはそこにもあるんだろうな。
  • ”友人も少なく” いるじゃん!
    • 今いる友人に失礼ですよね。うーん。職場に友人が欲しいのかな。同期800人もいるのに、やりとりをしている人が一人もいないんだ…。よほどひどい人格なんだと思う…。あと、恋人が欲しいのかな(誰かに必要とされたい、という意味)。
  • いや、ホント、どうしたらいいですかねえ?とりあえず、手間のかからない生き物とか花を育ててみるというのはどうか?
    • 姉から、ハムスターをすすめられました。確かに、ちょっとかわいかった。

こんなにいっぱいレスしてしまうくらいコミュニケーションに飢えてます。なので、色々コメントをもらえてうれしかったです。

同調(?)してくれるようなコメントから何人か気になる方がいたんですけど、大半の人がはてなダイアリーは書いてないんですね。人となりを知って仲良くなれるかなと期待したんですが。残念でした。

http://anond.hatelabo.jp/20091004214026さん。

創作意欲は低い人間です。センスがない。あと、今は全く時間がない。。。

http://anond.hatelabo.jp/20091005003417さん。

お互い辛いですね。2chとかで出会いはあるのかな??ネットで本当に出会いってあるのかな?ネットからリアルの付き合いになるには、それこそ抜群のコミュニケーション能力かルックスが必要だと思うんだ。その点、絶望

あー、明日の会社がいやだー。

2009-08-17

隠れて少しづつ返済していた借金カードを持って行かれた

またやり直しだ 死にたい

なんで政府自死施設を作ってくれないのだろう

まともな仕事どころか社会生活すら出来やしないんだから死刑にしてほしい

2009-07-24

九重りんから学んだこと

九重りんから学んだこと、それは、「娘のために、母親は死んではいけない」ということだった。

シングルマザーは死んでも死んではいけない。

育児ノイローゼ自死、などは論外である。

 

九重りんは、ほんとうは彼女の年頃ならば、無償でふんだんに与えられなければならない愛を、

性を差し出して、得ようとしている。

憐れすぎる。

 

そうして「教師」という職を、(逆説的に)一番信頼しているのは彼女である。

教師という職につくものは、いくばくかの愛を無償で与えるものだと信頼している。

ほかのこどもよりも、幾分多めに求めているだけなのである。

性を差し出して。

青木くんは、彼女が求めるだけの愛(かつ、職分が許すだけの愛)を与え、絶対に、対価をとってはいけない。

 

あの作品のなかで、最も罰せられるべきは九重 秋である。

彼女出産で死んでいたら、九重りんの生涯は、もっと過酷なものであった。

彼女が不用意に従弟と同居なぞするから、残された九重りんの生涯が、過酷なものになっている。

 

秋の選択は、とてもエゴイズムに満ちている。

 

 

増田: 1歳になる娘もちのメス。 じつは、「こどものじかん」は1巻を読んだだけ。 wikipediaの「こどものじかん」の項目を読んで、かなしくなった。

  わたしのような「こどものじかん」への感想?を取り去る意見もとむ。 このままでは、続きを読む気がしない。

2009-04-29

社会システム矛盾(あるいは、ある保険マンの想いの嘘くささ)

科学や仕組み(社会システム)はどれだけ人を救えるのだろうか。

 何ヶ月か前、私は心療内科へ通ったことがあった。通ったといっても必要に迫られて2度ほど行っただけなのだが、そこで、頼み込んで診断書を書いてもらった。欝とかそんな内容の診断書だったと思う。一定期間会社休職するために必要だったわけだけれど、現在はもう回復しているし、たいした問題じゃないと思っていた。のだけれど、これが意外と問題だったのだ。それを知ったのは、つい最近の話。

 それは、つい最近、話がためになるからと友達から紹介された保険屋Yさんの話をじっくりと聞かされた4時間後のことだ。さて、いよいよ契約どうしましょう、という段になってYさんは言った。契約云々はおいといて、とりあえず審査が必要なんです。なにはともあれ、とにかく審査をしましょう。必死にすすめてくる。これは契約する気がないのが半ば見えかけていた私をつなぎとめようとしているな、とわかったので、どうしようかなぁと悩みかけたのだが、そのときだ。審査が通らない人って結構いるんですよ、意外と心療内科通院暦があったりね、とにこやかにいうY さんである。私、そのまさかです。告げると、Yさんのせわしなく動く口が半開きで止まった。あー・・・あ、あ。そうなんですか。それはまずいなぁ・・・。

 いわく説明はこうだった。つまり、欝になったことのある人の死亡率は異常に高い。それは自死率が高いからだ。だから、通院暦のある人は、特に審査の厳しいというYさんの所の保険には入れないと考えたほうがよい、あるいはうまくしても条件付になり掛け金が高くなるとの事。欝かどうかは薬の種類でわかるし、通院暦も処方暦も健康保険証に残っている。もちろん、嘘はつけない。

 というわけで、私はどうやら保険に入れない可能性が高い。今回は、無事保険に入らずにすんだ万歳なのだが、いつか入りたくなっても入れないかもしれないということだ。後先考えず、極端な話“気軽に”診断書を書いてもらったわけだけど、思わぬところで弊害。私だけでなく、何百万といるであろう、診療内科通院者(あるいは経験者)も同様、ということだ。

 これはなに?生きずらい人はどこまでも生きずらい世の中だってこと?

 そうね、極論ではある。でも、一瞬そう思った自分がいる。

  Yさんは言うのだ。せっかく縁があって会ったお客さんなのだから、そのひとりひとりに幸せな暮らしをおくってほしいんです。いざというときの心配をしなくてすむように、最適な保険に入ってほしい、幸せ人生サポートをしたいのです。そこから始まった話の顛末。幸せな暮らしをみんなに送ってほしい、そのための社会システムの、矛盾じゃあないでしょうか。

 一度弱者に転落した人が、再び元の道に戻るための社会システムはあるのか?強者はひたすら強く強なるためのサポートを受けられる、一方、弱者は・・・?なんて、ふと感じてしまったわけです。

2008-07-03

自殺は止められなかったんだ

自分がメンヘラになってわかった。自殺は人には止められなかった。

医者は役に立つ事もある。薬も効くことがある。家族や友人もありがたい。

でも、自殺衝動はホントに「衝動」で来るんだ。急に死にたくなるんだ。

しかも、その時は判断力がそうとう鈍ってるんだ。本人が自覚してる以上に。

今でも何人も電車に飛び込むだろ。「電車に飛び込むと損害賠償が大変なのに何考えてんの?」ってよく聞く。

逆に考えてほしい。それを知ってても飛び込む人が減らないのはなぜなのか。ホームにたつと急に死にたくなるからなんだよ。

自殺は止められなかった。

だから、自殺した人の家族や友人は、自殺を止められなかった、といって悔やむ必要は全くない。罪悪感を感じる必要は全くない。

自殺を止めることなんて神様にも不可能だから。

自分がメンヘラになって、自殺の止め方はわからなかったけど、自殺の救いがたさだけはわかった。

日本は毎年3万人が自殺してる。自殺未遂まで含めるとその何倍にもなる。

そして、その数以上に「自殺を止められなかった家族・友人」がいる。その人たちに、少しでも伝えたくて書いた。

実は、これ増田に書くの3度目なんだ。前2回はほとんど反応なかった。

この主張を広める方法知ってる教えてくれる人いたら教えてくれないかな?

自殺とかってカマってちゃんだろ。プゲラ」ってあおりをトラバしてくれるだけでも嬉しい。

とにかく、この主張を人目に触れさせたいんだ。力を貸してくれ。

-------- 以下 追記 -------------

20:34 追記

わーい。コメントがついた。みんな優しいな。反応を水増ししたいけど、自演アレだから、一つずつコメ返すよ。

22:15 追記

はてブたくさんありがとうございます。コメントを読んで言葉が足りない&不適切だったかな、と思い追記。

私は一時期、自分が死ぬかもしれない、と思った。それは「衝動が断続的に襲ってきて、運が悪ければそれに耐えられないかもしれない。」と思ったのだ。常に死にたい、と思っていたわけではない。でも、死ぬかもしれない、と思った。自分に殺されるかもしれない、と言ってもいいのかもしれない。

万が一の時、残った家族に、自分を責めて欲しくなかった。あなたたちのせいじゃないんだ。むしろあなたたちのおかげで今まで衝動に耐えられたし、幸せを感じた時間がたくさんあった、と伝えたかった。

すみません、最初からこう書けばよかったのかもしれません。

また、止められないから、止めても無駄だ、と言いたいわけでもありません。力になることもあります。でも、それを全て忘れる瞬間も存在するんです。

「止められなかった場合に」責めてほしくない、と言いたかったのです。私の表現が悪かったと思うので表現を「止められない」から「止められなかった」に変更しました。

7/4 13:37 追記

こんなにたくさんのはてブありがとうございます!!多くの人の目にとまる事ができたんじゃないかと思います。

また「タイトルにも追記希望」ってコメがあったんですが、追記の内容をはてブや注目エントリタイトルに反映させることって可能なんですか?方法ご存じの方いらしたらご教授いただけると嬉しいです。

自殺」と「自死」という言葉の使い方に関しては私が無知でした。実は今でもよくわかりません。全部訂正した方がよいのでしょうか?タイトルはこのままの方がキャッチーな気もしますし・・・

2008-05-12

実際の恋愛物語のようにうまくは完結してくれない

http://anond.hatelabo.jp/20080223032623

http://anond.hatelabo.jp/20080412102603

とりあえず「一人より二人」。

そして「一人になれない人間は、二人になれない」。

  • 心の病を抱えて僕にプロポーズしつつ二年前の春に自死を選んだAさん
  • なにもできなかった自分に自責と後悔の念を抱き苦しんだ僕
  • そんな僕を見守ってくれていたBさん

2月以降、なんどか続けた僕と2人の女の子の話。

ただ、申し訳ないですが、先ほど日記の一つを削除しました

 この2年間、ずーっと前から好きだったBさんへの想いを胸に

折れそうな気持ちの線をなんとか繋ぎ、立ち直ろうと努力し、

今年4月、僕はBさんに告白。2人はお付き合いを始めました。

でも、一昨日の土曜日、別れ話を切り出されました。

「やっぱり、いい先輩としてしか見れない。愛情が湧いてくることはない」

口説き文句に浮かれていて、承諾してしまって逆に迷惑をかけた、と。

わずか1ヶ月の交際期間でした。

理由はいろいろあります。

ちょっと今、詳細を語るだけの気力と勇気がない。

ただ、「一人より二人」になったことに浮かれて、

「一人になれない人間は、二人になれない」ということを軽視していた。

Bさんにとって初めての交際相手が僕

まだ相手が不慣れなのに、 年甲斐もなく愛情言葉を求めてしまった

自分とキミってどういう関係なんだろうと問いかたことで、

彼女は、「2人はただの先輩と後輩なんだ」と早々に結論を出してしまった

傷口が浅いうちに別れるよう友人から説得もされたらしい

自立できると思っていたけど、Bさんに依存してしまったようです

芽生えてきた相手の気持ちを自分で踏みつけていた

口説いたときも、別れ話の時も、

「僕が一番好きなのは、キミの笑ったときの顔だ」

彼女に言いました。

ならば、やることは決まっている。

1ヶ月でも僕の隣にいてくれて、

この2年間、僕の心の支えになってくれて、ありがとう

そして、Bさんの次の幸せを応援するしかないはず

でも、2人の間には一つ誤解がある

それを解ければ、なんとかなるかも。

最後の賭に出るべきか、イイ先輩で終わるべきなのか。

またやり直ししたい、というメールを送信できずに今を迎えました

復縁を願う今の自分の顔と心は、たぶん醜いんだろうな

2008-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20080420201430

自死の為の設備があるといーなーって思うのは同意。

社会はドロップアウトを許さず、(さまざまな意味での)底辺を底辺としてずっと使おうとするよね。

ただ、線路に衝動的に飛び込む人が使うかどうかは謎。

そういった方っは追い詰められて他に選択肢が見えなくなって飛び込む。

計画的に死のうとするんじゃなくて、ぱっと限界振り切るというか。

そもそも限界振り切る前に問題を発見して解決できる設備があるといいんだけどねぇ。

#自殺しちゃだめとか、そんな看板無意味

2008-04-12

はてな匿名ダイアリー増田として"事実"を暴露する意味

あの子が死んで二年目の春を迎える。

花粉が飛散していたある日、

結婚して」と言われてしまった。

(中略)

昨年夏から落ち着いたと思ったけど、

二度目の春がまたやってきた。

僕はもう一度、桜を見上げることが出来るのだろうか。

彼女が死んで二年が経つ。

↑これを書いた後も、なんどか増田に書き込ました。

意外にブクマコメをいただき、ありがとうございます。

 これまでの経緯はウダウダと長いのですが、

  • 二年前、Aさん(非モテ・鬱ボーダー)が僕(非モテロリオタ)に「結婚して」と発言。人生を生きる目標を失って絶望プロポーズ言葉は「小学生好きなんでしょう。私はAカップ」。小学六年生並みの体を提供してあげる。だから結婚して当然……とのこと。依存された僕はもちろん当惑する
  • いろいろ話を聞いて生き残る可能性を考えてみたのだけど、桜の咲いた春のある日。Aさんは自死葬式で取り乱した僕を抱きしめてくれたのが共通の知人であるBさん(非モテ百合系)。僕はこのBさんに以前から惚れていた
  • 後悔、自責、恐怖、自己嫌悪共依存喪失感……様々な気持ちが頭を駆けめぐり、その年の夏、僕は精神的に潰れてしまう。
  • その後、いろいろあって、なんとか七割程度は回復。昨秋、Bさんと一緒にAさんのお墓参りをした
  • 二度目の春、もう一度、桜が咲きそうな今春。自分はホントに立ち直ることが出来たのだろうか……と思い、2月のある深夜に増田で初カキコ

というのがその過程。

 しばらく花粉症でダウンしていたので続きの書き込みもしませんでした。

スギの飛散のシーズンがようやく終わり、桜も咲いてきました。

結論から言うと、4月になって街を桜の木々が覆うようになっても、

昨年春や一昨年のような不安な気分はやってきませんでした。

2ヶ月前の眠れない夜、

増田の一人として、頭の中にあったモヤモヤをここで文章にし、

それを何度か繰り返し、言葉にすることで、

ある意味、自分とAさんとの関係、そして心の動揺を

相対化できたのかもしれません。

もちろん、ここで書いた内容、そして僕の心境の変化が、

事実」なのかと言うと、それは自信がありません。

98%は実際に僕と周囲の人たちとの間で起きたことをそのまま書きました。

でも、いくつかは僕の願望や憶測で書いたところもある。

あえて書かなかった、触れなかったこともある。ウソがないわけではない。

自分の心の中を文字にする。

その過程では、なんらしかの情報の取捨選択は始まってしまう。

僕にとって理想的かつ都合のいい"物語"に変質している可能性もある。

それは"率直に"、"本音を"語られる他の方も同様でしょう。

でも……それでいいんだと思います。

増田としてここで日記を書く。パソコン上でそれを読み直す。

そして文章に出来なかった

  • 自分の真の本音
  • 気付かなかった他者の気持ち

を理解する。

そうしたメタ的な作業を繰り返すことで、

ある種、新たな発見がでてくることもあります。

僕の場合、

  • Aさんは最初から死にたかったわけではない。「結婚」というスタイルを主張したので、当事者である僕には気付かなかったが、目標を失いながらも、なんとか自分の生きる道を最後の最後まで模索していたのではないか。

ということに気付きました。

それは彼女にとって幸せなのかそうじゃないのかまでは分からない。

もう少し生きていたら、僕は共依存関係に確実に巻き込まれていた。本当に潰れていた可能性もある。

でも、もしかしたら彼女や僕が感じた絶望感とは違う未来像も存在し得たのかもしれない。

少し、気分は落ち着きました。

2008-03-29

http://anond.hatelabo.jp/20080329132052

繋がりある誰かに迷惑をかけるのを承知で助けてもらうか

繋がりある誰かに迷惑をかけるのを承知で自死の後片付け(漏れ出た糞便とかね)をしてもらうか

どっちがいいかな

2008-03-08

http://anond.hatelabo.jp/20080308170313

自殺することでの人への迷惑だけど。人ってどうやって死んでも迷惑になると調べてわかった。人知れず室内で死ぬと、すごい量のゴキブリがたかってうわぁぁぁという状態になるらしい。自分で気づいて早く病院に行くとかすればいいけど、それでもどこかには誰かには迷惑かけないといけない。昔は献体するからいいや、と思ってたけど、自死以外はコントロールできないでしょ。時と場所は。どうしたって迷惑は誰かにかけちゃう。家族でも警察でも救急でも。

だからね。迷惑だという考え方では死ぬ人は止められないの。人通りの多い通りにビルから飛び降りるとか電車や車の前に飛び出すとか、そういう人を巻き込む方法を除いてはね。それを知ってて死にたい人は、対処としてはいろいろ手はあるから。

ただね。

>自殺したい、という人が居ても俺は止めなさそう。その人の人生かかってるんだから、自分の人生かけられるくらいじゃないと止められない。

これには完全に同意なのだけど、自分に適応される場合。

でも他人がそういうことを言ったら言葉ではそう言っても、泣いてしがみついて生きてほしい、と考えると思う。言葉には出さないけど。

自分はいいけど人はだめメソッドかよ、と言われるかもしれないけど、そう。

ガンの告知に似てるね。

2008-01-22

知人が自殺した

というか、自殺してた。

今日、いつもは新刊とかはAmazonでチェックしてるんだけど、なんとなくbk1に行ったら、

トップにこんな言葉があったんだ。??

2006年4月、一人の哲学者自死を遂げる。そこには一冊分の完成原稿が残されていた・・・


で、気になってクリックしたらこんな本が出てきた。

http://www.bk1.jp/product/02957714

あれ?須原一秀?この名前なんか見覚えあるぞ、って

俺この人知ってるじゃん!! 龍谷大で教えてもらってた先生じゃん!!

えー、なに自殺? わけわかんねー!! なんだよこれ!

ぼくと彼とのつながりは、数年前にぼくが龍谷大学に在籍してたときに彼が非常勤講師として勤めてて、

彼の担当する講義一般教養で受けた、というものだけなんだけど、けっこうショックだった。

いま思えば、ぼくは彼のことをなにも知らない。

妻帯者だったのか独り者だったのか、子供がいたのかどうかさえ知らない。でも、ショックだった。

そんなわけで、当時龍谷大学立命館大学に通ってた人、なんでもいいから彼のことを教えてくれませんか?

当時のキャンパスの様子とか、ほんとなんでもいいから。

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