「サラリーマン」と括ってしまうことで拡散してしまうものがあると知りつつ、ひとつの視点を提案してみたいです。
あ、三十手前職歴なしのたわごとです。
あとは貶すなり加えるなり好きにしてください。
帰属意識という点で、あらゆる伝統技能職や専門職よりも職人(あるいは奉公)精神を求められるのが、現代のサラリーマンなんじゃないか。
そう考えることで、よくわからない精神的敷居の高さ、正社員にあらずんば人にあらず的な空気、新卒>>>>>>既卒+経験、という現象の一旦が説明できないだろうかと思う次第です。
変なタイトルつけちゃったけどさ。私が言いたいのはね。
そうした職人精神とか、「社畜」の心意気みたいなのは、あってもいいと思う。立派に働いている友人たちは尊敬してる。
でも、それが日本的な相互監視と相まってできた「空気」に追い詰められた人が「自死」を選んだとき、その人の弱さのせいみたいに言うのは、やっぱりおかしい。
だから、私はもうすぐここから逃げるつもりです。
何度負けたって、それが死でなければ、人生は続くのだから。
「空気」を喜ばせるより、こんな私でもいて欲しいと言ってくれる人を喜ばせるために、これからは生きてくつもりです。