生きていると同時に死ぬことはない。
それが道理である。
たとえ死病に罹った病人でも、
致命傷を負った重傷者でも、
脳や心臓が停止するまでは、まだ死んでいるとは言えない。
死にゆく彼らは生きているはずである。
であるにもかかわらず、政府は自殺志願者の把握を怠り、その自殺環境の向上に努めようとしない。
政府が労を惜しまなければ、彼らはより安らかに永眠できたはずである。
考えてみれば、これは生存権の否定ではないのか。
憲法の下に安らかな生活を保障されているならば、安らかな死に際もまた保障されるべきである。
よって、私はこう提言する。
もちろん、無条件に自殺を肯定しているわけではない。
志願者の話を聞き、その生活環境に問題があるならば解決できるように手を尽くす。
頭の悪い自殺抑止キャンペーンよりは、よほど直接的に自殺者を減らせるはずだ。
いざ自殺が決まった場合でも、弁護士のアドバイスを受けつつ身辺整理を行えるのは一つの利点である。
遺族の争いを減らし、他殺か自殺かも分からない状況を防ぐことができる。
安楽死施設があれば、そうした無駄を削減することができるのだ。
もちろん、不治の病に苦しんでいる人に、安楽死という選択肢を与えることも重要であるし、
ニート問題・高齢化問題に対しても、安楽死は一定の効果を及ぼすだろう。
望まない自殺、必要のない自殺、苦痛の多い自殺を取り除くためにも、
一刻も早い安楽死施設の設置を望むものである。
「現代でもっとも高価なものは心安らかに死ねることでございます」
思うところあっての発言だとは思うけど、浅い。もし可能なら、自殺と関わることの多い現場で活動してみるか、いくらか関連書籍読むだけでももう少し深い意見が出てくると思うよ。 ...