はてなキーワード: 信頼関係とは
誰にも打ち明けられない。つらい。誰にも相談できない。心を許して話せない。そんなふうに信頼できる人がいない。くるしい。ネットはすべてを明かすにはやっぱり怖いところだ。
ただ誰かに苦しみを分かってもらって共有するだけでもうずっとずっと心は軽く楽になるのに。というより、共有するってことは人間に出来る最上級で最難関の援助だ、たぶん。でもその糸口さえみえない。たすけて。
毎日の生活で、助けてください・困っています、なんて顔していたらきっと辛気臭いと思われたりするんじゃないか。面倒くさそうとか鬱陶しそうとか他力本願っぽいとか思われるんじゃないか。そんな危惧のために、日常生活では至って平気そうな顔ですごしている。誰かに最初から頼ろうとしている人だと思われたらいざと言うときに助けてくれないと思うから。でも自分の状況はもうとっくにその域を超えていると思う。
はじめましての段階から一歩一歩信頼関係を築いていってその後にやっと重い話を相談するなんてことをやる気力はない。あまり時間もない。きっとわかってはくれないよという諦観もある。最近だと何が苦しいのかさえぼんやりとしてきてしまって、それはとても良くないことだと思う。
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嫌いになって別れたわけじゃない。
今でも大好きだし、会おうと思えば毎日会えるし、信頼関係は変わらない。
休み時間に目で追ったり、放課後の誰もいない教室をのぞいたりする毎日。
まったく未練がましいったらありゃしない!
初めての子は忘れられないって本当なんだな。
一番大切にしなきゃいけないのは今の相手だってわかってるのに。
幸せになってね。いっぱい食べて、いっぱい遊んで、賢くなってね。
君達が笑っていれば、せんせいはうれしい。
JCO事故は明らかに政策の問題とは違うよな。強弁し過ぎでしょう。
ここでは、発生した損失に対し後で何らかの形で埋め合わせをするという暗黙の合意とかそういうもの。
たらればだろうに意味はないが、現場の判断に任せてただろうというのも疑問かな。
民主党政権みたいに官僚との協力体制が破綻しきっていなければ、当然それなりのブレーンが直ちに招集された「だろう」し、適切な助言が行われた「だろう」。
菅が現場に殴り込んで手動ベントに切り替えさせたっつーのは、事の真偽がよくわからん。毎日以外は書いてないし、そもそも臨界も知らないのにベントの意味がわかるの? 誰かしらブレーンはいたんだろうけど「じゃあ俺が行く」ってのはその時点でもっとも有効な方法だったとは考えがたいんだよね。
大変盛り上がっている様ですが。
これ被災者が身内(弟?妹?)に語っている内容なわけで。
多分身内じゃなかったら、例えば近所の人とかボランティアに来た人とかマスコミとか
そういうヒト達が相手だったらこういうことは恐らく言わないんじゃないだろうか。
こんな風にネットにうpされるとわかっていたら言わなかったことかもしれない。
兄→弟or妹?という信頼関係があるからこういう本音をやっと出せたのかもしれない。
以上は全くの憶測だけど、そういう側面がもしかしたらあるかも。
ただしこういう一面があるのは事実だし、それをふまえておくことは悪いことではないと思うけど
ちとそこだけ引っかかったので。
これらは大手新聞社ウェブサイトの見出しです。「規制値」や「○○倍」と無意味で恐ろしい文字が踊っていますね。こうしたセンセーショナルな報道はテレビ、新聞など他のメディアでもされています。でも僕らが求めている情報は基準値の何倍だとかそんな事じゃありません。僕らが知りたいのは、そのホウレンソウは食べても大丈夫か、蛇口をひねって出てくる水道水は安全かって事だけです。
もちろん記事を開けば「直ちに健康に影響を与えるものではない」とは書いてあるけど、開くのは手間だし、なにより記事を開かなかった人の不安感を強烈に煽る。そしてもの不安感は今後危惧される風評被害の温床ともなり得ます。
そこで見出しはこう書き変えよう。
どうでもいいところを削って末尾に「健康への被害はなし」をつける。
記事を読む人は減るだろうけど、長い目で見れば送り手側も信頼関係を築けて得をするんじゃないですかね。挨拶すれば友達も増えるし。
あなたが「他人に何を望むのか」によって答えが変わってくると思う。
他人と信頼関係を築きたいと思うのならば、まず自分の感情というものに向き合わなければならない。
他人と上辺だけの付き合いで日々をやり過ごしたいなら、それなりの技術が必要になる。
どっちでも好きな方を選べばいいと思う。
自分で自分の生活を成立させられるなら、社会とは最低限の付き合いのみで過ごすことだって誰にも咎められないよ。別に愛情なんて持たなくても、人生は過ごせる。
それでも愛情を持ちたいと思うなら、他人と真摯に向き合いたいと思うならば、やらなければいけないこともある。自分がどういうことで快を得るか/不快を得るか等々、どの状況でどんな関係性でどんな感情を抱くかを実体験として積み重ねていかなければいけない。文字情報じゃなくて。頭で考える論理でなくて、行動して自分の感情を少しずつ知ることだ。
それは苦しいかもしれないけど、同時に喜びももたらしてくれる、ということだけは付け加えておく。
彼女が言う「面白い」がストーリーについての事だとは限らないよ。
キャラクターの関係性…まあつまり、萌えの観点で「面白い」のかも知れん。
世の中には「ヤンキーやヤクザの厚い信頼関係に萌える」という女子は少なからずいる。
(萌えるとまではいかないまでも「グッとくる」というレベルなら割とありがちだと思う)
女の友情は脆いからこういう男同士の関係は余計に胸にくるものがあるんだよね。
「普通の人の普通の物語」では命を張るまでの関係はあまりないじゃない。
娘さんをコントロールしようという欲望にあふれていますね。「経済力があって包容力がある人と結婚して、何一つ不自由なくわがままし放題な生活を送る」ことに失敗したから娘さんの人生でやり直したいとしか思えません。
確かに、私自身、幸せとは言えない結婚生活を送って来た。夫婦げんかも多かった。娘は、そんな私たち夫婦を見て、「小学校のころから親を見て、私は一生結婚なんかしたくない、子供なんてほしくないと思って生きてきた」のだという。しかし、それでは娘は幸せになれない。
幸せでない結婚生活を見せ付けてなお結婚しないと幸せになれないという主張が相手に通ると思っているのが謎です。
娘の家の家賃を聞くと10万円だという。家賃と生活費は男が出してくれているのかと思えば、ふたりで折半しているという。男の稼ぎが良くないからだろう。
家賃折半は同棲ならごく当たり前。半分だしてる人間をヒモよばわりとかあなた何者ですか?
最近、娘にメールを送ると、あて先不明でメールが返ってくるようになった。電話をしてもいつも留守電につながる。このあいだは、男と別れなさい、もっと自分の人生をきちんと考えなさい、と吹き込んだが、返事はない。電話をかけるよう、何度も留守電にいれているが、娘からの電話はかかってこない。
娘さんはあなたをうざい親だと思っているようです。まあそりゃ口をひらくたびに男と別れろとわめく親はうざいだけですよね。
親子の絆は一生続きます。
絶縁という言葉もございます。メール着信拒否、電話にも出ないことから、娘さんはあなたとの縁をなかったものとする方向でいると推測されます。
はっきり言います。T君とわかれてください。
それまで一人で暮らしてください。もしくは、東京を離れて地元に帰ってくるとか、あなたの想いや考えを変えてほしい。お母さんが結婚相手をいろいろにあたってみてもいいよ。
娘さんをコントロールしようという欲望が端的に出ている箇所です。それなりの収入のある人間が「金出すから私の考えに従いなさい」という主張に同意することはないと思います。
どんな話だろうがあなたが娘をあなたの思うように動かそうとしている限りは娘さんには通じないと思われます。それ以前に娘さんはこの手紙に返事を出すこともないでしょう。最悪差出人を見て即ゴミ箱行きです。
私は、どうすれば娘を幸せにしてあげられるのだろうか。
信頼関係が築けていない以上その権利はあなたにはありません。できるのは事態の推移を見守るだけ。思いっきり傷ついたときとか経済的に破綻したときとかに最後の砦になるというのは可能であるけど、娘さんはそうなってもあなたを頼らない気がする。
9条があるから日本は平和であり、これからも平和であるという意見があります。これは間違いだと思います。
なぜなら、そもそも今の日本は9条を遵守していないからです。日本には実質的な軍隊である自衛隊が存在します。これは9条精神に反します。また軍隊があることで、周囲の国々との信頼関係がどれだけ損なわれているでしょうか。日本が侵略したアジアの人たちにとって、自衛隊は旧日本軍と重なって見えているはずです。いつまでも続く強固な信頼関係を築くためには、まずこちらから相手を信頼し、軍事力を持たない選択が必要です。自衛隊は廃止するべきでしょう。
在日米軍も問題でしょう。いくら日本人が平和を願う民族であっても、国内にアメリカ帝国軍が駐留していたのではまったくの無意味です。「日本は平和的関係しか認めないので国内に軍隊は必要ない」ということを説明した上でアメリカ軍を撤退させるのが、政治の責任というものではないでしょうか。
もちろん自衛隊を廃止し、アメリカ軍を追い出すだけでは安全を確保できないのは当たり前です。自衛隊を廃止し、アメリカ軍を追い出し、その分のお金で中国や北朝鮮を支援する。こうすることで心が通じあい、平和な関係が生まれます。平和を願う心は大切です。しかし、形で表さなければ意味がありません。
日本がアジアを侵略したことは事実です。しかしそのことを教訓として世界に誇る憲法9条が生まれました。日本から憲法9条の精神を世界へ。「平和立国」がこれからの日本が目指すべきあり方ではないかと思います。そのためにも9条を蔑ろにするような姿勢は即刻改めるべきです。
人間関係である以上、少なからず相手の意向を汲む必要があるのは事実ではあるな。
そんなもん、日常的にあちこちで見られるものだが、元増田みたいなのは完全プライベートな領域でまでそれを求められるのが我慢ならんのじゃないか?
プライベートくらい自分の思ったとおり好きにさせろ、俺の都合に割り込むな、みたいな。
実際個人志向が強くなってて今時恋人だの結婚だのってのは昔に比べれば重視されなくなってる。
そういう相手がいると何かと物入りだったり外に出ることが多くて一番消費を見込めるが、それが薄れてるからメディアは煽りまくってるわけで。
でも「重視されなくなってる」ってだけ、個人のプライベートを尊重する関係に移ってるだけで、相手がいない人間が増えたわけじゃないんだよな。
だから昔と変わらず、人間関係(信頼関係)の構築ができないのは、取ろうと思えばいつでも取れる資格を幾つ持ってるとかというのよりも比重が大きく見られる。
共働きなら、片方の仕事については、介護を見越した上で時間に融通の効くものを選択できる。
仮にそれが難しくても、共働きであるなら介護のアウトソーシングも生活への影響を少なく出来るだろう。
何かトラブルがあったとき、それを相互補助できる信頼に足る相方がいるか?と言う話。
日本では、結婚(ひいては家族)と言うシステムが、それを実現するのに都合が良いし、法の保護や税制の優遇などもある。
そのシステムの上に揺るぎない信頼関係を築くのは、本人(と相方)の責任だ。
自身の病気を考えてみても、すべてを任せられる相方は居るに越したことは無いだろう。
ちなみに、介護が原因で別れてしまうような信頼関係の場合、そもそもその結婚は元増田が示すような「個人の幸せ」にすら合致しないのでは?