岡崎京子「リバーズ・エッジ」主人公の女子高生が呟く科白だが、私は自分が女子高生でなくなって遥かに経過している今に至っても、「人を愛すること」を知らないまま来てしまったのだなあと思った。
結局、今までに至る対人関係の様々なトラブルーーいじめ、暴力、ハブられ、ぼっち、バイト先の相次ぐ解雇、ようやく出来た親友や恋人との相次ぐ破綻。結局それらの原因が何から来るかというと、自分以外の誰か(家族も含めて)と居て、直に話をして、遊んだり群れていたりしても、実は心底から楽しいと思えたことがない、安らぎや満足を感じられたことがない。という、自身の感覚の欠如が元凶なのではなかったかと思う。
人に対して愛情や関心が自然に湧いてこないから、どうしても無理に相手に対して「好きだ」「愛してるんだ」「楽しまなくちゃ」と思いこむ努力をしなくてはいけない。一緒にいても、そもそも彼ら(彼女ら)が何を楽しんでいるか分からないし、そもそもどういう意図でそのような話をしているのか、そう言った言葉が出てくるのか、その奥の感情が読めないので、楽しめるどころか疲れるだけ。そういう態度が無意識のうちに出てしまったりするし、何とか周りの言動や雰囲気に必意識して努力して合わせようとしても、上辺をなぞるよりほかないので、どうしても成功にはほど遠く、結局周囲からは「浮いてる」「鈍い」「無神経」「人の気持ちが分かっていない」「空気が読めない」と認定されて、阻害され、非難され、攻撃される。
二次元のキャラクターや遠い立場のアイドルやスターなどの不幸や死には、心をひどく痛ませ、涙することもあるというのに、祖父母の死には泣いたことが無く、父の苦労や病気、母の病気や苦労話には同情できないし、心からは助けてあげたい、面倒を見てあげたいとは思えない自分が居る。
(母に対しては、私がいじめに遭っていたときに「いじめにあったのは、あなたがしっかりしないから」「あなたがそうやって、問題ばかり起こすから、私の病気がいつまで経っても治らないのよ!」という暴言を吐かれた…ということもあるのだが)
「リバーズ・エッジ」の主人公は子猫は可愛がっていたけれど、私はそういう境地にも至っていない。猫は可愛いと思うし、他人といるよりはずっと安らぐのだが、それでも、一人で本や漫画を読んだり、空想や妄想に耽っていたりするときの安らぎや至福にはやはり及ばないのだ。
私があえて、人との関わりに充実感を持てるのは、同じ趣味や話題に関するネット上やメール上でのレスや意見、感想の交換をしているときだ。テキスト上でのことならば、相手の書いたテキストでの内容や意見、言い回しを時間を掛けて吟味して、うまく合わせて返事を書けるし、情報そのもののやりとりを楽しめるし、そこから滲み出たり、類推できたりするほのかな感情を理解して、その微かな通じ合いを感じて、ほのかに「愛情」や「共感」というものを理解できたりする。
しかし、それは、リアルでの、生身での人付き合いではどうにも掴めないし、私の中で成立させることが出来ないのだ。
それで、結局、これからどうしたらいいのか、私には分からない。他人への愛情というのは自然に湧いてくるもので、努力や心がけで生じてくるものではないし。やはり、「愛する演技」をする努力だけでもすべきなのだろうが、私は演技や嘘の能力が絶望的に欠落しているのだ。
他人の中に自分を見つけ出せると良いんじゃないかな。 創作の中の人物や、遠い存在のアイドルなどに感情移入できるのなら、多分できるはず。 旅先ってわりとたやすく通りすがり的な...
あなたが「他人に何を望むのか」によって答えが変わってくると思う。 他人と信頼関係を築きたいと思うのならば、まず自分の感情というものに向き合わなければならない。 他人と上...