はてなキーワード: 一万円札とは
私は都内で5万以下のボロアパーに住んでいます。断熱性能が無いので真冬はエアコンつけっぱなしです。
非合理に思えますが、電力料金が2万かかったとしても、家賃と合わせたとしても、そのへんのアパートやマンションの価格を超えません。とても経済合理的です。
もちろん春や秋のような温暖な気候の場合電気料金は2000円以下になります。
固定費を下げて、なるべく固定費に使われていた値を変動費のリスクに転換することで、全体としての出費を下げる事ができます。(快適な暮らしとは言っていない)
私は都内の広い公園を散歩します。もし私がこのレベルの敷地の庭園を個人所有しようとすると数千億円を払う必要があるでしょう。
しかし、私は公園に徒歩で行ける距離に住んでいるというだけで、この贅沢な土地を無料で散歩することができます。
個人で所有していないので土地や資産を管理しません。地域が契約している業者がトイレ、枯れ葉、倒木などを管理しています。個人で所有するならそれらと契約する面倒事も発生していたでしょう。
私はChatGPTに課金しています。月額20ドルです。この規模のAI学習モデルを作るには数兆円のコストが掛かりますが、私は一般消費者としてそれを20ドルで利用しています。
私が行っていることは、金銭的合理性に基づいて、自分に必要なものに対して支払う金額を最小限に抑えていることである。
豊かな生活を送るためには、高価なものを所有する必要はなく、コストを抑えつつ必要最低限のものを手に入れることができるということを示している。
IT企業で派遣社員のエンジニアとして働いていたが、パニック障害と鬱を発症して働けなくなった。
仕事をしばらく休んでもどうにも治らず、会社を辞めることになった。
この頃の貯金額は42万円程度だったと思う。
働かないと生きていけないので、自分の体に鞭打って、会社を探してテスターとして採用された。
三ヶ月間の試用期間でクビになった。休み休みだったし、鬱持ちの人を採用したくない気持ちはわかるので全く恨んでいない。
パニック障害で電車に乗ることも電話することもできなくなった。
テスターをクビになってからしばらく引きこもりのようなことをしていて、お金が尽きた。
電気ガスが止まり、水道が止まった。水道はライフラインだから最後まで残してくれた。
今は冷静に「金のことは金の問題でしかない」と思えるが、当時はそんなことに頭は回らず、残高は自分の残り寿命そのものだった。
Suica を解約して数百円を得て、スーパーでパスタを買って水でふやかして食べた。冷たい食べ物って不幸な気持ちになるんだな。
家賃滞納してもすぐ追い出されなかったのだが、いよいよそれも尽きた。ホームレス生活の始まりである。
私は東京にいたので、炊き出しをしているという山谷にいった。炊き出しをもらうには別段チケットをもらう必要はなく、
そのまま炊き出しの列に並べば良いだけである。おばさんが事情も聞かずに温かいご飯をくれて、それだけで承認された気持ちだった。
温かいごはんは人を幸せにする。自分の好き嫌いなんか全く関係無く、ごはんが温かければ幸せになれるのだ。
ドヤで寝泊まりをして、だんだんドヤに泊まるお金も無くなっていき、ダンボールを拝借して公園で寝るようになった。
ダンボール自体は快適なのだが、夜聞こえてくる若者の声が何より怖い。襲撃されるのではないかと常々警戒しなければならない。
眠りに落ちる前には「どうしてこんなことに」という思いが頭に思い浮かぶのが常だった。
しばらく公園で過ごしていたら話しかけてくる人が何人かいて、仕事や福祉の窓口を紹介してくれるという。
これは手配師という人たちで働けそうなホームレスに仕事を紹介してその上前をはねる人々だった。
仕事のことを考えたらまたパニック発作が起こり、仕事をするくらいならホームレスのほうが幾分ましであるとしみじみ思い、話は受けなかった。
しかし福祉のことも何やら話しており、そういえば私は福祉の対象なのではないかと思い立ったのである。
市役所の福祉課の窓口で「食べるものが無いです、家も無いです」と伝えたところ、その場で2000円をくれた。
とはいえ私は生活保護の対象ではないという。数ヶ月前まで働いていたし、何より私はまだ働ける年齢である。
今の一時的な病気が治ればまた働けるのではないか、というようなことを伝えられた。納得するしかなかった。
「またここに来ればお金をもらえますか」と職員に聞いたところ、それは難しいという。
「どうしても現金が欲しいなら」と職員は言ってくれた。「大阪までの新幹線代を片道分ならお渡しできます」と。
つまり私を大阪に行かせて東京都のホームレス減らしをしようという魂胆である。福祉の現場ではそのような状況のようだ。
インターネット上でそのような話は見聞きしないので、おそらくその市役所の一部の職員がホームレス減らしのためにやっている施策であって、東京都の組織的なものではないのだろう。
大阪の人が優しいというのは、嘘である。しかし東京でホームレスをするよりも物価が安く、なんとか生活できる。
ドヤも山谷より安いところもあり、邪知暴虐な人がいることを除けば私でも生活をすることができた。
いくつか仕事もした。おそらくインターネットの人々にウケが良いだろうという話が一つある。
ドヤの前で座っていると、同じような浮浪者風の男に話しかけられた。リュックサックを堺区の百舌鳥まで届ければ一万円をくれるというのだ。
おそらく怪しいブツだろうとわかったものの、私にとって法律の重要度は下がっていたため引き受けることにした。
指定された住所に行って人を見つけてそのリュックサックを渡したら「いくら?」と聞かれて、何を聞かれているのかわからなかったが、
「一万円です」と言ったらその場で一万円札を渡してもらった。
だんだん、身体にドヤの空気が染み付いていった。そしたら、パニック発作がでなくなっていった。
私の場合のパニック発作は、仕事がうまくできない自分へのストレスだったのだ。
今の私は、もう私に何も期待していない。期待していないから落胆も無いというわけである。
プログラミングは、人よりほんの少し得意だと思う。
それでもまた一から勉強した。当時は半導体不足前だったので Raspberry Pi が普通に売っており、これを買って Python をやり始めた。
ドヤのテレビに接続してみたら、働いていた頃の画面と映りが全く違かったので笑ってしまった。いつぶりに笑っただろうか。
市役所の福祉課でお願いしたら Python の教材を印刷してくれたので、それを読みながら勉強していった。
「仕事に戻ろう」と思い始めた。まともな会社はきっと私を採用しないことはわかっていたから、スタートアップ企業を狙うことにした。
きっと世の中には、資金調達がうまくいってお金はあるものの人手が足りない企業があるはずだ。
探してみるとそのような会社が結構あることがわかった(PRTIMES の資金調達の記事はほとんど全部読んだと思う)。
面接時に私が泣いてしまうなどのトラブルがありつつも、無事とある東京の会社に採用された。
一部福祉の力を借りつつ、なんとか家を見つけた。会社からも Macbook Pro と ASUS の 27 インチ 4K モニターなどが支給され、
「これを売りに出せば数十万円得られるのに、どうして私に預けられるのだろう」と不思議にも思ったが、
久しぶりの自宅でごはんを食べる。サトウのご飯と卵を使ってチャーハン風の卵炒めご飯を作った。
まともな部屋で自炊したらさぞかし美味しいのかと思ったら、もそもそとした味で、そううまくいかないよなと笑った。