はてなキーワード: ホコ天とは
唐突に、何の文脈もなく、うんこを漏らしたくなることがある。街を歩いているときやカフェでコーヒー飲みながら本を読んでいるとき、誰かと真面目な話をしているとき、談笑しているとき、何でもない日常の一コマでうんこを漏らしたい衝動と戦っている。正直漏らしても何のいいこともないのは理性では承知しているつもりで、お前は何と戦っているんだ状態だが、もはやこれは衝動と言っても良いぐらいの強度で、僕の頭と主に肛門周りを強く刺激してくる。
特に、誰かと会話しているときに、「うーん、これは」とか「うーん、違うんじゃない」とか、うんこを想起させる発言をされた瞬間が一番やばくて、その瞬間僕の大臀筋に緊張が走る。
そんな衝動と日々戦っていると、自分のこの衝動と犯罪者のそれが似ているのではないかと思ってしまうことがある。「魔が差して」痴漢してしまったり、「衝動的に」通り魔をしてしまった犯罪者と自分は同じなのではないかと思うと身震いするような空恐ろしさを感じる。
人混みの中で急にうんこでも漏らしたら確実に僕は異常者扱いされるだろう。それが、「我慢したんですが便意を耐えられずに」であればある程度仕方がないとする向きもあるだろうが、「排便衝動に耐えられなくて積極的に」だと完全にアウトである。
自分のこの衝動を見つめ直して見ると、「今、誰も俺がうんこするなんて思ってもいないだろうな」と感じる場面で特に便意が強くなる気がする。日常感が強ければ強いほどその欲求は高まる。おそらくだが、大層に言えば、予定調和からの脱却欲求があるのだと思う。つまり、相手の裏を掻いてやろうという気持ち、といったところか。
宮台真司がかつて喝破したように、我々は大きな物語を喪失し、終わりのない日常を生きている。その日常の断絶という物語を生む道具が私のうんこなのである。うんこによって日常は非日常と化し、そこから新たな物語が生まれる。もちろん、僕個人の物語が大きく変わるだけで、世界は何も変わらないだろう。でも、少なくとも誰かと朗らかに談笑している途中に僕が唐突にうんこをすれば、その日は僕の人生の大きな変化点になるに違いない。それが僕にとって良いことか悪いことかは分からないが、僕はそうなるのを心のどこかでは期待しているのかもしれない。
だから、クーラーボックスに入るコンビニ店員やおでんをつんつんするユーチューバーを見たときはよく分からない親近感と憧れに似た気持ちを感じたものである。
なので、彼らのニュースとその後の炎上を目の当たりにした僕は他人事とは思えなかった。もし僕が彼らに先んじて渋谷のホコ天でうんこしていたらきっと僕も彼らと同じ目にあっていたに違いないからだ(大阪なら何事もなく許される気がする)。逆に言うと、彼らを親の仇のように批判していた人たちはああいった愉快犯的な衝動が一つもないということで、それはそれで羨ましい気持ちにもなる。
もちろん、上で述べたことはただの欲求であって、本当にうんこすることは今後もありえないとは思っている。そこが僕と炎上した先人たちの超えられない差と言えばそうなんだろう。だがしかし、日常の一コマ一コマでこれからも便意と戦っていかなければならない人生を思うと、若干暗い気持ちになってしまうのは否めない。そんなときは、老人になったら嫌でもすることになるんだから、と自分を励ましたりしている。
おならをすると少し衝動が和らぐということだ。だから、僕は(もちろん相手は選ぶが)時々唐突におならをするようにしている。談笑中に唐突に放屁。ごめん、屁こいた。ガハハハハ。といった具合である。
うんこの代替としておならというのは分かりやすい。使う部位も一緒なのも良い。そんなわけで、日々どうしようもなくなったときはおならでお茶を濁しているのだけど、最近どうもおならでは満足できなくなっている自分に気づく。
これらおそらくだが、おならが僕の中で日常化してきているのだと思う。もともとは談笑という日常の風景に対するカウンターパンチがおならだったはずが、談笑+おならがセットになって僕の日常となってしまったのだ。
これは、影で「おなら野郎」と罵られるという犠牲を払いながらも、うんこよりはマシと放屁をし続けていた僕にとっては由々しき事態である。代替品としてのおならが通用しなくなってしまった僕の日常にはもはやうんこしか残されていないのではないか。
それだけではない。この事実は、もし僕が忌憚なくうんこをするようになったとしても、それはまた新たな日常の到来を意味しているのである。
その結果を報告しようと思う。
先に言っておくが、概ねお前らの想像しているとおりの結果だ。
興味のある奴だけみてくれれば嬉しい。
29日は24:00くらいまで、センター街と、ドン・キホーテのある通りは車両封鎖されてホコ天に。
ホコ天の両先端には警察の護送車やパトカーが道を塞ぐように止められて、その前に警察多数が立ってバリケードを敷いていた。
# 街の様子
道端には返事のないただの屍のような泥酔した若い男・女が転がっている。
女が酔っている場合はだいたい男が介抱していた。もともとの知り合いあスケベ心丸出しの男か、ただ単に親切な男かは判断しかねた。
ちなみに男は転がされるがままだった。
途中でバイクと車が突っ込んできたらしい。怪我人はいなさそうだったが、車は音楽を流して路上DJみたいなことをやっていた。
声掛けは「写真撮りましょう!」が9割。もっと創作意欲を出せ。
だいたい写真撮ったら「送るからLINE教えて!」で聞き出そうとする浅はかさが目立つ。
ちなみにシカトされている男も多かった。
(そりゃビールでたるんだだらしない腹をみずから見せるようなコスプレなんて受けない)
なお、外国人(とくに白人系)男性はほとんど写真OKもらっていたように思う。
嗚呼悲しきは白人コンプレックス。(というか、白人系=観光客で、観光客には優しくしよう、という精神の現れ?)
↑のLINE交換をせずに、これから飲食店へ飲みにいくことを打診する輩も多かった。
なんせ初対面だから何を話していいか分からずビミョーな空気になっているグループも散見された。
ハロウィンだからって調子乗ってナンパしてしまった、悲しき非モテ男を垣間見た気がして悲しかった。
# 道玄坂の様子
# コスプレの傾向
といっても下着姿ではなく、スタジャン&短パン(人によってはブルマ)&編みタイツといったもの。
正直多すぎて没個性だった。
次に多かったのはなんだろう。ナース・ポリス・小悪魔が僅差か?
この辺はあまり印象にない。
「ヲッ」と思ったのは、ドロンジョ様。もちろんタイトなハイレグでお尻をぷりぷりさせながら歩いてた。
アレはエロかった。
いずれにせよつまらんのが多かったな。
# 翌朝の様子
始発が出始めたころから、タクシーを拾おうとするコスプレ軍団が道に溢れ始めていた。
始発は仮装軍団によるラッシュだったころは別で参加してた友人から聞いた。
朝6時くらいにはボランティアの方がせっせとゴミ拾いをしている様子が移った。
その横にはゴミのように酔いつぶれているゾンビが数名いたことは忘れたい。
以上が私の見た光景だ。
インターネットの鬱屈としたセックスの文化がそのまま街に現れている。
神保町に飽きてしまったのが理由の一つだけど、一番はD810という自分にとっては高級なカメラを秋淀で触るためだった。
靖国通りを歩いて、万世橋へ行くと30歳以上は年をとったダウン症の男と、その父親であろう人間がいた。
どちらも白髪が生えていた。
秋葉原がすごいのは容姿格差が凄まじい、あまり仲良くなさそうな男女が一緒に歩いていることだ。
女は仕方なく歩いている。
メンヘラな容姿の良い女は性的魅力を武器に一生懸命子供のままでいようとしている。
秋淀の中では容姿の良い女の子とその父と母がオリンパスのミラーレスを買っていた。
いい買い物だ。
女の子の肌が黒いのは日焼けなのか、自分よりも薄い色だからいいだろう。
色白に生まれたかったが、キャノンのAPS-C機の前にいるアルビノの家族のうちの一人が40くらいの女が白杖を持っていたから、白すぎるのも考えものだった。
ホコ天を歩いていた、あの女になれないからD810を無理して買おうとか考える。
自転車コーナーに行ったら、美人になりそうな女の子がそのそばにある仮面ライダーのアーケード機で遊んでいた。
女はイケメンの父らしき人間に引っ張られていたが、顔は良くなかった。化粧をすれば化けそうではあった。
そしてちんたらちんたらと千代田区の高級住宅街の家まで歩いて帰ると、祖母らしき女とコンデジをもった140後半の背が低く、体がずんぐりした、生まれつきくびれなどができない運命の肌が黒くて顔がでかくて、顔のパーツも髪も全て悪い10代後半?の女が歩いていた。
彼はホコ天に突っ込む以外になかった、そんな事言わないで欲しいと思う。もっと別のやり方があったはずだ。
例えば、増田もこう言ってる。
http://anond.hatelabo.jp/20080611133407
自動車道の陸橋から塗装はがし液をたらすとか。
まだ、あると思う。
閉塞しきってもうどうにも身動き取れなくって、自分の身の回りの人以外はみんな憎くて仕方なくなったら、ホコ天に突っ込む以外にどうすればいいというのか。
自殺するぐらいなら、最後に一花、社会につめを立てて引っかいてから抹殺されたほうがいいじゃないか。
死ぬか、抗って死ぬか。無駄死によりも良いのはどっちだ。
今回の事件でのホコ天の今後は、かつての池袋や下関の通り魔事件よりも、
一回目の暴走で車が進入し人が死んだことで、市は径1m程度の、木が一本植えられた巨大植木鉢をアーケード入り口に2つ置いた。(*)
まわりは「気休めだよね」といいつつ、気休めでもそれはありかとみな考えていた。
予算が付き、地中に引っ込められるタイプの車止めが設置された。
しばらくは出したり引っ込めたりしていたが、そのうち面倒になったらしく出しっぱなしになった。
仙台アーケード街での車止め設置の費用と、運用について詳しく知っているひとがいたら
(追記)いきなり人を刺すのと、車で突っ込んでから人を刺す、ではハードルがかなり下がっているので、繁華街に車で突っ込まれないようにしておくのは必要。車を景気付けに使わせない。
(*) より正確には巨大植木鉢2つと、草を植えた石(陶器?)の長方形大型プランター。
長方形のプランターは早期に撤去されてしまった記憶がある→2回目の暴走で追加されたプランターかも知れない。このあたり記憶があいまい
(追記その2)仙台市の対応経過について。
http://www.city.sendai.jp/soumu/kouhou/press/05-04-12/outou050412.html
(2)アーケードへの車止め設置費用に係る仙台市の負担と今後の対応について伺う
商店街としても自らの責任でと考えてくれているようですが、私どもとしましても市道管理という責務もありますので、資金面まですべて商店街におまかせするということにはならないと思います。商店街と協議をしながら、仙台市も設置のための費用負担を考慮し、共同で設置する方向で検討したいと考えております。
今のところは可動式の車止めということで、基本的な方向付けができたようですが、今後はどのようなデザインで、どこに設置するかなど具体的な協議になってくると思います。いずれにせよ早く決めないといけないと考えております。今月の15日に再度、商店街、警察、仙台市と協議を持ちますので、その場で具体的な方向付けができるのではないかと思います。
http://www.city.sendai.jp/soumu/kouhou/press/05-04-19/outou050419.html
(7)アーケード街への車止め設置について伺う
商店街、警察、本市で協議をし、車止めには大きなフラワーポットを使用することが有力のようです。現在はそれが車止めとして適当かどうか、また設置場所や歩行者への影響なども含め、近日中に実験するようでございます。
http://www.city.sendai.jp/soumu/kouhou/press/05-12-27/arcade9.html
(4)4月に発生した事件時の対策としてプランター15基を設置した判断をどう思うか
市長就任以前の判断について軽々にお話しすることはできませんが、今回の事件が起きたことは大変残念に思います。いろいろな経緯や問題点を皆さんで議論したうえで、そのような対策をしていたわけですが、今回の事件が起きた夜遅く、実際に現場を見に行った際の印象としては、数を含めてプランターの設置の状況が手薄であったという感じがしました。
http://www.city.sendai.jp/soumu/kouhou/press/05-12-27/arcade1.html
年末年始の人出の多い時期を控え、一層の安全対策を講じる必要があるため、昨日、庁内の関係各課と中央通3商店街、一番町3商店街、宮城県警、仙台中央警察署で事務的な打ち合わせを行い、プランターを増設する緊急対策についてご同意をいただきました。
http://www.city.sendai.jp/kensetsu/dourokanri/arcade/0503.html
中央通・東一番丁通のアーケード街に車両侵入防止の車止めポールを設置します
昨年の2度にわたるアーケード暴走事件を受け、事故防止のために応急対応としてプランターを設置してきましたが、恒久的対策として幹線道路からアーケードへの入口部分に車止めポールを設置することとしました。
http://www.city.sendai.jp/kensetsu/dorokanri/arcade/index.html
市中心部アーケード街と交差している道路の車両横断を一部路線で禁止します
また、下図の青で示した東一番丁を横断する市道区画道路南38号線(サンモール商店街)の車両横断禁止と、緑で示した中央通りを横断する市道南光院丁線(おおまち商店街)の車両横断を試験的に禁止する措置を、宮城県公安委員会と連携の上、6月1日から実施する予定で準備を進めております。
(追記その3)
ナイフ使用の有無を別にしても、車を利用した事件が起きることは前提とした対策が必要。
http://otasyou.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_f104.html
よく「偏向報道するマスゴミよりもネットに真実があります」と言うのがあるけど、これを支持ししている層は
影響の差はあるかもしれないが宮崎勤の事件でメディアスクラムを直に経験している訳で20年近くも前から
マスコミに対する不信感をマスコミ自身が植え付けちゃってる事になる。今でもおそらくは同じような状況になっているし
と年配の方々ですらマスコミ自身の問題に言及しているわけだ。
では、どうしたらマスコミ自身の暴走を食い止めることができるのか?、と言うのを考えてみたい。
これは、極論になるだろうけど政治家にマスコミ自身の規制を行うように庶民の側から行うとわかるような形で要請する、
それを行う以上はこれまでの報道被害を明示しいかにマスコミが庶民に対して被害を加えてきたかをわからせる必要がある
どちらにしてもネット上で文句を言うだけに止まるのではなくもう少し具体的な行動を示してもいいと思うのだが。
ABC事件からどれだけ経ちましたっけ?ああまだ半年でしたか。
もう1年くらい経ってしまったような気がします。
あれから台東館に18禁を扱うイベントに対して分離政策、年齢認証、規制などを要請しているようで。
ソレに対して参加者の間ではずいぶんさわがれておりますね。
さて、今回のショタケにおいては、更に規制が追加されましたようで。
それは「身長差」に関する問題。児ポ法などがありますからねえ、今まで考えもしなかったようなことが急転直下デリケートになるものでございます。
これに関しては憤られているお方がずいぶんいらっしゃるようで。まあ確かに、イベントの趣旨を鑑みれば無理もなかろうというものです。
かくいう私も、「そりゃあやりすぎだろお前さん」などと感じなくもないわけですが、その前にちょっと考えていただきたい。
我々は、趣味の個人間の取引ということで主催側がゆるーく管理してきて、参加するものは参加するもので、「主催がそれでいいと言ってるんだからそれでいいじゃあないか」と甘えて来たツケを今ようやく払っているところなんじゃあないかと。
もともとは渋い電気街だったのが、いまやコスプレ、路上ライブ…まあそこまではいいとして、それを盗撮するもの、分かってて盗撮されるもの、あまつさえ露出に走るもの…と無法化の一途を辿り、今や警察の巡回でようやく当初のギリギリの秩序を保っている次第じゃあないですか。
しかし、数日放置しただけですぐに元通りになり、結局はさらに厳しく取り締まられる始末…人間ってのは単純なものです。
ああ、ああ、だめだねえ。年を取るとなんだか余計なことまで話してしまうねえ。
話を戻しましょうか。
まあ何がいいたいかってぇと。
伸びれば伸びるほど、反動もでかいってこったね。
しかもゆっくり戻すことを許されないほど伸びきっちまった。
パンツのゴムを限界まで伸ばしてパッチーン!なんてやると痛いじゃあないか。
しかし、ここで戻らないと多分切れてたとおもうんだよねえ。あっしは。
切れたら戻ることすらできなくなってしまってたんですよお客さん。
しばらくはこの痛みは取れないと思うんだけども、ゆるゆるーと戻していけばぁいいんじゃないでしょうかねえ。
児ポ法が推進されないよう様子をみながらね。
オタなんて力の弱いもんだからね。しかし、その分知恵が回るってコトを古来から自負してきたじゃあないですか。
今、あっしらに何が出来るか、腐らずに考えてみるのも手じゃないかい?
心も根性も腐らせず、考えてみてはどうでしょうかねえ。
腐がついてるのは、呼称だけで十分さね。