てすと
で、持ち帰れば持ち帰っただけ情報漏洩の機会が広がるだけなんだよね(単純に資料置き忘れたり、車上荒らしに遭ったり、晒し型のウイルスだか木馬だかでnyにばらまかれたり)。
持ち帰りダメ、ぜったい。
バタバタとうるさい。深夜なのに。
あのポエムっぽさが耐えられないとキツいだろうね。
足がつったぐらいで「怪我」というあたりが、
http://anond.hatelabo.jp/20070718233806
そこで本当の失敗と本当の克服を喋れば良いんじゃないか?
親が既に失敗だった(倒産するわ蒸発するわで大変だった)が
そのおかげで役所の対応とかに詳しくなれたのでまあイーブンでした
とか喋ればいいんでない?
私は胸チラが好きだ。
しかし、それを記録したメディアは嫌いだ。
ふとした瞬間、それも偶然の産物としての胸チラが好きなのだ。
積極的に見ようとは思わない。
ただひたすら時の流れに身を任せ、その時を待つ。
そういったシチュエーションが好きなのであって、
上半分の乳房が見えたところで、その人に対して特別な感情を抱くわけではない。
あくまでもシチュエーションにフェチを感じてしまうのが私の主張。
こんな僕、おかしいですか。
つい先日まで、私は徳保さんの教育ネタを読むたび、この人はなんて斬新な考え方を持っているんだろう、と思っていた。私にはこんな洞察できないよ。私にはこんな発想は生まれないよ、と。(内容に賛成する・しないはとりあえず置いといて。)
しかし最近、教育についていろいろと学んでみると、彼の考え方はそう斬新でもないな、と思うようになった。(もちろん、考えつくことと実際に行動することとでは、レベルが違う。言うは易く行うは難し。この点、徳保さんは尊敬に値する。)
私は教育の「経験を積んだ」わけではない。ただ教育に関する「本を読んで考えた」だけだ。期間もわずか1ヶ月程度にすぎない。しかしそれだけでも、教育というものがずっと分かるようになった。
教育は学ぶもんじゃないよ、という人がいるが、この考えは理解しがたい。様々な考え方、膨大なケーススタディーに触れても、彼らは何も得るものが無いと言いたいのだろうか?
私は本の中で提示される考え方やケーススタディーに、大いに刺激を受けた。そして、落ち込むくらい反省もした。しかしこの経験によって、私は教育に対する視野を広げることができた。
現実に起きている問題は何か。どのような状態が望ましいのか。問題を解決に導くために、私は何をすればいいのか。……1ヶ月前の私と今の私とでは、教育に関わる問題を捉える目が明らかに違う。
教育は、学べる。
……とは、誰も考えないんだよな。
「素早い対応」を難癖つけて批判してる奴等は、今回の地震が選挙期間外に起きて政府の対応が遅れて、被害者が更に増えることを望んでいたんだろうか。
たまにあなたの失敗体験と
それを克服した内容を教えてください。
と聞く人がいる。
ま、いい線言ってる面接の類でも、たまにはある。
人に言えるほどの失敗って
ほんとの失敗とは言えないし、
すぐに克服できる程度の「失敗」を
乗り越えて云々いう価値はあるのかいな。
ほんとに失敗してる人は書類選考で
落とされてるだろう。
そんな偽善的な?
失敗ごっこはもうやめにしよう。
ネット上では相手が見えないが故に、相手を幾らでも過小評価出来、自分を幾らでも過大評価出来ます。だからネット上では当然のようにそれがありふれ、横行します。
「説得力の一番の要素は人格だ」とアリストテレスも言っていましたが、どんな言葉であっても、自分が敬っている(少なくとも自分より上だと思っている)人の言葉なら素直に受け入れられますし、その裏もまた真なりです。
そういうことです。
「こんなことを言うと○○さん(目の前にいる)が拳をワナワナ震えさせて怒り出しそうですけど」
ってなかんじのことを喋ってるのを見てて呆れた。そしてよく考えてみたらネットでは似たようなことが日常茶飯事だと気付いてさらに呆れた。小学生が馬鹿にする目的で人の物真似するにしても普通は陰でやるもので目の前でやるもんじゃないと思うのだが。勝手に脳内で人の行動を決め付けるのも大概頭悪いが、それを人前や本人の目の前でできる神経がわからん。
http://d.hatena.ne.jp/amachang/20070718/1184751687
http://kyanny.nowa.jp/entry/2c0db0e6cc
http://yoshiori.org/blog/2007/07/_yoshiori_web.php
差別されたと思えるのは外見の、見た目の問題じゃなくて、amachang氏の内面にあるのかも。
内面は見た目に顕れるものだと思うから。
http://anond.hatelabo.jp/20070718230743
脈絡もなく死を選択肢として突きつければ言うことを聞くマヌケなんかお前ぐらいだよ。
今の世の中頭の足りないお前以外がハッピーだから十分だよ。
来世でハッピーになるんだろ?
さっさと行けよ来世によ。
別に当たるか外れるかはどっちでもいいんだよね。
あと自然災害の予言・預言も一般人にはどうしようもないことだからどうでもいい。まあ政治家は起こることを想定して事前準備をして被害を最小限に食い止めるつもりでいることが必要だろう。それは予言・預言の有無に依らない。
大切なのは、今のままの浪費と大量生産・大量廃棄を(あと過剰な人権屋・権利要求屋・動物権屋の活動も)続けていると、いつだとは言わないがいつか破綻して、滅亡とは言わずとも大被害を被ることになる、ということだ。これは間違い様のない真実だ。正しいか誤っているか分からないことの結末を予言・預言で知らせて貰えるのならありがたいが、予言・預言ってのはいつも決まって、冷静に論理的に考えれば誤りだと分かるが、見て見ぬ振りをしていることに対する「警告」だ。それ以上でもそれ以下でもない。
予言・預言は自分達の行為の愚かさの再認識の為にあると思うべきだ。「どうせ外れるから何をしても/しなくてもいい」訳でもないし「どうせ死ぬから何をしても/しなくてもいい」訳でもない。
今俺が言っているようなことを過去あらゆる予言・預言者や教祖となった人間が、あの手この手を使って、語弊が有るかもしれないが「神」だとか「地獄」だとか「悪魔」だとか言う言葉まで使って騙すようにして、言い聞かせて来ただけだ。それが宗教であり、本来は道徳的倫理的(定義は曖昧)な生き方をして欲しいと望む人間が作り上げた、見本的生き方(主に争いを避ける為のルール)に過ぎない。それを解釈改憲的に現代の宗教家共が自分達の私利私欲・憎しみに任せて都合のいいように行った解釈を説いてそそのかしているから宗教戦争になる…ってのも既に日蓮とかが言ってたりしたよな(「自分が正しい」と言ったのはやりすぎ)。
予言・預言によって提示された未来を回避したいのであれば、各人がそれぞれ行動しよう。自分の行動を改めよう。宗教を信じる必要は無い。そんなことをしなくても優秀な人間ならば理解出来るだろう。
ちなみに予言・預言によって大災害や戦争によって社会機能の崩壊した世界を提示されたとして、自分は生き残る側になりたいと思うだろうか?おそらく死にたくはないだろうが、生きていたいというのも、今の、この、日常的にありふれた平和と豊穣がある世界での話だろう。崩壊して力がある者のみ生存を許される世界で生きていきたいだろうか。
予言・預言によって提示された「事件」から、自分だけを避けようとするんじゃない。この世界を維持する為に、「事件」そのものを避けるように行動するべきだ。
そんなマルティックはヤーブルがトルチョークしちゃうよ?